【78.求めるもの】
*大公 = キエフ大公(ルーシの中心を治める、最高権力者)
スモレンスクとの激しい戦いが終わってから、二日後。
昼から降り出した雨は、本降りとなって、小さなトゥーラの国を濡らしている。
予定通り午後からは、国王の提案により、殆どの者に休息が与えられていた。
「家まで、用意してくれるとはね」
笑顔で口を開くのは、小さな居場所を与えられた、捕虜となった一人である。
「なんでも牢屋は、倉庫として使ってるらしいぞ」
短い金髪頭から拾った情報を、ブランヒルが得意気になって披露した。
「俺たちのモノを奪って、溜め込んだらしい」
「……」
「まあ、当然でしょうね」
屈辱が湧き上がり、続いて諦めがやってくる。
固い土床に腰を置き、胴長の背中を板壁に預けたベインズが、手のひらを上にした。
「俺らの国じゃ、牢屋なんて一杯だけどな」
「そうですね」
ブランヒルの皮肉交じりの呟きに、仲間の一人が苦笑した。
リューリク朝の流れを汲む名門で、キエフと太い繋がりを持つスモレンスク。
前の領主で、大公だったロスチスラフの崩御により、スモレンスク公だったムスチスラフが大公の座に就くと、正式にスモレンスクの公となったロマンは、やがて近隣諸国の諍いに対して干渉を図っていった――
彼は、大公の椅子を巡って遠征を繰り返した従兄との違いを鮮明にして、城市に腰を据え、若くとも、一国を治めるに足る人物と、国内外に知らしめた。
地に足を付けた彼の戦略は、一定の成功を収めた。
しかしながら、腹心たちの野心は、崩れ出した雪崩のように、容易に止まらない。
次なる利益を求めては、新たな願望を生み出していく――
当然、他国に犠牲を強いる形で。
また、肥大した権力という甘美には、死肉に集うハエのように人が寄ってくる。
それらの殆どは、若々しい蜜壺に取り付いて、己の欲望を成し、邪心を果たそうと企む輩だった。
醜い欲望の衝突は、当然ながら、他者を蹴落とすことに労力が注がれる。
ゆえに欺瞞や怨嗟、捏造といった、国家の統治には足枷としかならないようなものが蔓延っていく。
やがて、収賄罪や横領罪が法廷を賑わし、反逆罪。侮辱罪といった。およそ真偽が定かではない罪状によって、牢屋が埋まっていったのだ――
捕虜にあてがわれた家屋は、膝丈の深さに土を掘った、藁ぶきの住居。
周囲は板壁で囲まれて、藁ぶき屋根との隙間から、雨音と共に、外の光が控えめに内部を照らしている。
彼らの手首と足首は、太い麻紐で繋がるも、歩くほどには余裕があった。
囚人というよりは、労役者といった扱いである。
しかしながら、槍を手にした5人の衛兵が住居を囲み、家屋と藁ぶき屋根の隙間から、数分単位で内部を覗いていた。
「ブランヒルという者は、誰か?」
雨音に誘われて、労役後の疲れた身体が眠りを欲したところに、野太い声がやってきた。
突然の呼称。土床で、掘り起こされたカブトムシの幼虫のように転がっていた男たちの中から、むくっと一人が起き上がる。
「俺だが」
ブランヒルが立ち上がると、麻縄によって繋がれた足首ではあったが、足元で転がる幼虫たちを器用に避けて、戸口の方へと足を進めた。
「聞きたいことがある。外へ来てくれ」
家屋を囲う板壁の隙間。二本の鎖の向こうから姿を見せたのは、トゥーラの大将軍。
「……分かった」
目の前の男と戦場でやり合う事は無かったが、前日の労役の際には、槍を交えた若い男が敬意を示した。
祖国なら、国の中枢を担う人物が、自ら囚人の元へ出向くことなど皆無だが、官職の少ないこの国では、普段通りのことなのだ。
落ち着き払ったグレンと瞳を合わせると、ブランヒルは頷いた。
「国王様が、話をしたいらしい」
「……」
雨は水たまりを生み出した。避けながら、グレンが先導する形で進みゆく。
二人の両側を、三名ずつの鎧を纏った近衛兵が、揃った足並みで、護衛の任に就いていた。
「ここだ」
ブランヒルが案内されたのは、城の南側。
戦闘中は、救護所として使われた、丸太の家屋。
「お連れしました」
戸口で一行の脚が止まると、先ずはグレンが屋内へと足を進めた。
「入れ」
続いたグレンの声に、先ずは二人の兵士がスッと屋内に足を進めると、促されるようにして、ブランヒルが戸口を潜った。
「……」
どこにでもあるような、丸太小屋。奥行き15メートル。幅10メートルほどの、倉庫のような空間。
室内では奥から隙間無く、壺の入った木箱や、ぱんぱんに膨らんだ麻袋が背丈以上に積み上がって、ブランヒルは、それが自軍の兵糧だと気が付いた。
「やあ」
足を踏み入れて左側。声の方に顔を向けると、柿色に染まった薄手の衣服を着た若い男が、まるで長年の知己とでも会うように、穏やかな表情で、丸太椅子に座って右手を小さく上げていた。
「……」
なんと応じるのが、適当か。
壁のように積まれた分捕られた兵糧と、丸太の壁に挟まれるようにして座った男は、威厳の欠片も感じないが、この国を統べる者。
足の止まったブランヒルは、しばらくのあいだ表情を生み出すことをすっかり忘れ、やがて正気に戻ったところで視線を合わせると、静かに一歩を踏み出した。
「聞きたいのは、スモレンスクの内情です」
雑音は、零れ落ちるように降り注ぐ雨音が消していた。
幅3メートルの通路のようになった部屋の奧。腰を下ろしていた国王が、眼前に用意した同じ丸太椅子にブランヒルが腰を下ろしたのを確認すると、先ずは呼んだ理由を口にした。
「……」
二人の間は2メートル。隔てるモノは皆無で、向かい合っている。
衛兵は全員が外へ出て、雨の中。家屋を囲うように屹立をしていた――
カタッと音が鳴って、グレンが傍らに用意された年季の入った丸太椅子を手に取ると、ブランヒルの背中から三歩離れた床にそっと備えて、立会人となるべく静かに腰を下ろした。
「というのも、ここからは、スモレンスクとの交渉に入るので……」
立会人を認めると、ロイズが続けた。
「無事に、あなた方を国へ還すためにも、協力して下さい」
「……」
真摯な瞳。
手首同士、足首同士を麻縄で縛られた捕虜に対して、あくまでも対等な立場であろうとする姿には、恐縮すら覚える。
「分かった。部下を無事に帰すのも、俺の役目だ」
ロイズと真っすぐに視線を合わせると、ブランヒルは落ち着いた声を返した。
尤も、虚偽の報告は不信を植え付けるだけであり、メリットは生じない。
素直に従うより他に無い。というのが正直なところである――
「それで、何を聞きたいんだ?」
「……」
脱力したブランヒルの両の手首が、太腿に接した。
「皆は、勝ったと騒いでいますが、実際には、運よく守ったにすぎません。トゥーラは、あなたが見ての通り、小さな砦です。私としては、これ以上の戦いは避けたい。そこで先ずは、あなたにお願いをしたいのです」
落ち着いた声色で、ロイズも少し前のめりになって口を開いた。
「……」
思えば、目の前の男と初めて会ったのは、捕らえられた直後だった――
『勝ったかどうかは、事後処理次第』
耳にした当時の発言が、彼の脳裏には浮かんでいた。
「何をだ?」
しかしながら、捕虜となった自分にいったい何が為せるのか?
男は、訝しんで次の言葉を求めた。
「あなたたちを帰す交渉で、助言を頂きたいのです」
「なに?」
捕虜となった時点で、兵士は非戦闘員。その後の殺傷は、許されない……事にはなっている。
なってはいるが、現場の状況や、指揮官の判断に左右され、守られる訳ではないことは、現代でも同様だ。
しかしながら、行き過ぎた殺戮や残虐非道な行いは、後の世へと必ず伝わってゆく。
それは即ち、信用を貶める歴史となる。
力なき国家に於いては、絶対に、戒めるべき事象。
だからこそ、戦闘の二日目――
都市城壁を越えた侵略者。スモレンスクの兵卒を捕らえたカデイナに対して、国王は彼女の祖父が目の前で殺されたにも関わらず、生かすようにと告げたのだ――
紛争の区切りがついた段階で、互いの捕虜を交換するのがこの時代の習わしであり、捕虜の数や対象人物の階級によって、交渉の上、敗者が賠償金や物資を届ける事になるのだ。
「グレン将軍」
ロイズは首を伸ばすと、住居の入り口付近で会談を見守っている、現在この国で最も頼りにしている男の名前を口にした。
「なんでしょう?」
「今のトゥーラに、不足しているものはありますか? スモレンスクとの交渉の際に、議題に上げるようなもの……」
「そうですな……」
問い掛けに、グレンは顎の下へと左手を伸ばすと、しばらくの時間を置いたが、結局困ったように口を開いた。
「正直、兵糧もこんな状態ですからな。武器も、手に入りました。金銭を得たところで、使い道に迷うところです」
「……という訳です」
積まれた兵糧の壁に視線をやってから、端正な顔つきが苦笑した。
「……」
ブランヒルは、返す言葉を失った。
そうであるならば、一体自分に何を為せというのか。
皆目、見当が付かなかったのだ。
「そこで、考えたのですが、和平案を呑むように、勧めて欲しいのです」
「……」
予想外の発言に、ブランヒルの瞳が大きくなって、目の前の男に向けられた。
「無益な争いは、僕らはしたくないのです。どうでしょう。難しいでしょうか?」
「……」
正面から流れてくる言動は、希望である。
来たるべき会談での要求は、この先の、数年。あるいは、更なる未来――
当然ながら、ブランヒルにそれらを決する権限は無い。
それでも、実際に城内を見た者として、祖国へ戻ったら、意見は求められよう。
その際に、長期の休戦を進言してくれ、という訳だ――
「……」
しかしながら、覇権を掲げる国王が、重臣達が、小国相手の軽微な敗戦で、すんなり停戦を受け入れるとは思えない。
自ら攻め込んだにも関わらず、多数を占める好戦派は、むしろ躍起となって、親の敵とでも言わんばかりの大きな獲物として、改めてトゥーラを見据えるに違いなかった。
「私は以前、リャザンに居ました。官吏に就いて早々に、スモレンスクの国王が亡くなられ、その対応を任された時期があります。とはいえ下っ端で、先輩方の小間使いでしたが……」
ロイズは当時を懐かしむように、柔和な表情を作った。
「その時に、書面を交わしていた、重臣の名前を最近耳にしないのです。もしかして、亡くなったのでしょうか?」
「それは、恐らく……フリュヒト様の事ではないか?」
「確かに、そんな名前でした」
「前の国王様が亡くなられ、要職から外された……そんなところだ」
「そうですか……」
遥か遠いコンスタンティノポリス。キエフやスモレンスク。トゥーラを経由して、リャザンやムーロム。
それらを行き交う商人達から、様々な国の内情や、噂話といった類のものがやってくる。
「ここからは、私が認識している話です」
ロイズが切り出す話は、それらの確認作業であった。
「今の国王になってから、スモレンスクは近隣への干渉を強めるようになりました。訓練と称して国境へと軍を派遣したり、弱体化を図るために、他国へ間者を放って人心を惑わしたり……そんなものは、見据えるものがあるからこそ、起こすのです。やがて、時間の経過とともに人々の心は『いつか衝突を起こすだろう』 と思い始め、やがて『起こっても仕方が無い』 へと、変貌を遂げていきます」
「……」
「こうなれば、土台の出来上がり。引き絞った矢を放つ理由なんて、何でもいい。放つしか、なくなるんです」
「……」
経験者のような語り口。ブランヒルは、押し黙るしかなかった。
「最初は、スモレンスクの西側でした。ヴィテプスクという城市に干渉したのが始まりです。今のトゥーラと、リャザンのような関係ですかね。ですがあなた方は、ヴィテプスクに攻め込んだ」
「……」
「間違いないですか?」
「ああ」
「理由は、お分かりですか?」
「……さあな。だが、想像はできる。守ってもらう立場のくせに、意向を聞かなかったからだろうな」
「そうですか……」
ブランヒルの尤もらしい発言に、ロイズは溜息を吐いてから、一声を投げつけた。
「交渉するのが、面倒になっただけでしょう?」
「……」
「次には、北への侵攻に警戒を表した国々を、敵意とみなして、攻め込んでいった」
「……」
「結託を恐れたのでしょうが、自分で蒔いた種でしょうに……」
前屈みになったままの国王が、肩を揺らして、ふたたび大きな溜息を吐き出した。
「一通りの結果を出して、今度は東を向いた……前線都市を落とせば、中間に位置するカルーガも、手中に収めることができます」
「……」
「ですが、リャザンは大国で、トゥーラは遠すぎましたね。カルーガの協力を得なければ、補給に支障が出る。トゥーラが落ちれば村がどうなるか……結局。住んでいる人たちは、分かっているのです。我々が何かをしなくとも、カルーガの人々。いえ、ヴァティチの方々は、協力的でした」
「……」
カルーガに住まう育ての親に協力を願った春先の戦いは勿論。此度の戦いに於いても、偵察隊が差し入れを頂いたり、『カルーガの住民が、オカ川を渡る斥候を買って出てくれた』 との報告を受けている。
それらに加えて――
この会談を設ける直前。新たな報告が、カルーガより齎されていた――




