【73.精一杯】
夏の太陽は、沈みそうになってから、沈まない。
夜に抗う恩恵を受けたトゥーラでは、グレンとライエルの二人の将軍が、負傷した尚書の見舞いをする為に、大広間へと足を運んでいた。
「え? あの人、そんなに偉い人だったの?」
「ライエル様のお知り合いだったなんて……優しくしておけば良かった……」
二人の来訪を遠巻きに眺める女中たちの多くは、ここへ来て、尚書の存在を改めた。
「わざわざ、ありがとうございます」
上半身を起こしたラッセルは、やつれた顔に備わる細い瞳で二人を眺めた。
「なに。ちょっとイジれる相手が居ないと、寂しくてな」
「私の立ち位置って、どんなんですか……」
グレンの冗談とも本音とも付かない発言に、ラッセルの瞳が更に細くなった。
「慕われているんですよ」
二人の発言に、整った顔立ちが、頬を緩めて励ました。
「お前が言っても、説得力無いけどね……」
大広間の壁沿いには、美将軍の一挙手一投足を逃すまいと、女中たちが恋に落ちた少女の瞳を向けている。
眉間に皺を寄せ、細い瞳が周囲を見渡すと、心の底から卑屈を吐き出した。
「だいたい、なんで裸なんだよ!」
「夏の真っ昼間に外で動くなら、裸が一番ですよ。遅くなっては悪いと思って、そのまま来ちゃいました」
引き締まった上半身。鋼のような肉体に、若々しい素肌がコーティングされている。
美将軍は左右に流した金髪の前髪を後ろで縛り、悪気なく、少年のような笑顔を浮かべた。
「裸族かよ……」
何を言っても空しいだけだと観念をして、薄い顔の尚書は視線を右下に逸らした――
「そうだ……グレンさん……また、何もできませんでした……」
「……」
やがて、肩の力が抜けたころ、ラッセルが俯いたままで呟くと、四角い顔の将軍は、太い眉毛を微かに動かして、一つを思い起こした。
それは、春を過ぎたころ、リャザンで行われた同盟調印式へと向かった夜に、小さな焚火の前で彼が吐露した、弱気な心情である。
「くそ……」
言いながら、ラッセルが右手の親指を強く握った。
またもや皆が立ち上がり、前を向いて歩みを始めているにも関わらず、自分は一人、悔しそうに眺める事しかできない。
それも、今度は、ベッドの上で――
「慰める訳では、無いがな……」
前置きをして、グレンが口を開いた。
「ワシらのように、武器を持って戦うことだけが、戦いではない。おぬしだって、立派に一人を守ったではないか」
「……」
「敵をいくら倒そうとも、一人を守ることが何倍にも勝る……そんなことは、有って良い」
「……」
「それぞれの誇りや、矜持の問題だがな」
グレンの穏やかな発言は、小さな焚火を前にして託した、切なる願いと通じている――
そんな機会が訪れることは想像したくもないが、一人を守った彼の行動は、間違いなく称賛されるもの。
「……」
無いものを、人は求める。
他人に対しても、自身に対しても。
己の足りないものを備えた人に、人は惹かれ、好意を抱く。
同時に自身もそうありたいと敬愛し、背中を追う。或いは、共に歩むのだ。
やがて反発を迎えることはあっても、無関心で無い限り、歩みを看取ろうとする仲間とも言えよう。
「できる事をやった。という事でしょうか……」
遠く及ばない。
冷静なる自覚を宿すと、彼は精一杯を吐き出した。
「そうだな……」
背中を丸めるラッセルに、グレンの労いが上から届いた。
「ラッセルさん」
続いて、ライエルが呼び掛けた。
「私なんかでは、女の子を抱えて守るなんて、とてもできません」
「そりゃ、そうだろ」
呆れたラッセルが、眉をひそめて上半身裸の男を見やった。
武芸に秀でたお前なら、自慢の槍を手にして女の子の盾となり、敵と対峙する背中を堂々と誇り、やがて敵を打ち倒し、「大丈夫でしたか?」 と微笑みを浮かべるに違いない。
「いえ、そういう事ではなくて……」
「どういう事だよ」
「小さな女の子にとっては、ラッセルさんの方が、安心したと思います」
「……」
「そうかもしれんな」
若い部下の発言に、グレンが同意した。
実際の場面では、ラッセルが抱えた女の子は、民家に飛び込んだ際に腕から外れ、ライラの手元に置かれた。
しかしながら、彼女は必死に男の意思を汲んだのだ。
戦う姿。これから起こる惨劇を見せないように、小さく震える身体が泣き声を上げようと、二本の細い腕で、ただただ包み込んでいた――
「そう……なのでしょうか……」
労い。慰め。激励。
腑に落ちない部分は残しながらも、ラッセルはそんなものを素直に受け容れようとした。
「そういう事に、しときましょう」
「おい」
伏し目になって呟いたライエルの軽口に、薄い顔の尚書が突っ込んだ――
「お城の外は、片付きました?」
夜がやってきて、女中頭のアンジェが自宅に戻ると、夫と二人だけの食事の席で、四角い顔に問い掛けた。
「それがな。ロイズ様が動いて下さって、ほとんど終わった。あとは土を運んで、埋めるだけだ」
「それは凄いわね。まだまだ暑いから、臭いもヒドくなるしね」
「そうだな」
立ったまま。アンジェは青銅色の水差しを両手で支え、テーブルに用意された木製の丸椀に紅茶を注いだ。
元々が前線に建てられた要塞で、戦い慣れた城。しかしながら、四方を敵に囲まれての二日間の戦いは、初だった。
強弩。弓矢。投石器。
侵略軍を落とし穴に誘ってからの、焼き払い。
火計の砲弾を投じた直後。高い都市城壁の向こうから聞こえてきた阿鼻叫喚は、今でも怨嗟の声となって耳に残っている。
一方で、生き残った自分たちは、清々しい朝の空気の中に足を置き、骸の嘆きを、両手で両耳を塞ぐように埋めてしまうのだ――
「そっちは、どうなんだ?」
「……」
「何か、あるのか?」
長年連れ添った愛妻が、ふっと視線を落とした事に気が付いて、グレンは優しく手を差し伸べるように声を送った。
「これは……あなたの耳に入れて……よい話なのか迷うけど……」
言いながら、アンジェはそっと椅子を引いて腰を下ろすと、ふっくらとした身体を背もたれに預けた。
「ワシにも、話せない?」
「どっちが良いのか……でも、あなたも知っている方のことなので……話します」
「いったい、誰のことだ?」
「……」
ゆったりとした、重々しい妻の口調。
察して低い声音になったグレンが催促すると、観念したようにアンジェが口を開いた。
「王妃様です」
「王妃様? リア王妃?」
予期せぬ名前が飛び出して、瞳を開いたグレンが改めて訊き返す。
「はい……」
「王妃様が、どうかされたのか?」
姿勢を正すと、改まって身体を前にして、続きを促した。
「今……療養中なのです……」
「な、なに? 御病気なのか?」
予想外の単語と深刻な妻の雰囲気に、焦った四角い顔が一段と前に出た。
「……」
二日間に渡る戦いが終わったにも関わらず、太陽が沈んでからも妻は随分と忙しそうだった。
果ては一人娘のメイまでも、女中の家に預けたと言ってきた。
有無を言わさぬ物言いに、何故だと訊き返す事はできなかったが、理由が届けば合点がいった。
「今朝までは、意識も無かったんです……お昼の暑さに、どうなるかと思いましたけど、目を覚まされました。もう大丈夫かと思いますので、あなたに話すのです」
夫妻でも、今の彼女の物言いは、女中頭から、重臣への申し送りである。
「んん? ちょっと待ってくれ。ロイズ様は、今日。私達と一緒におられたぞ?」
「ええ」
思い出したような夫の問いかけに、冷静を保ったアンジェが頷いた。
「ご病気……ではありますけど、原因は分かっているんです。ですから国王様も、ご心配だとは思いますけど、私たちにお任せして、指揮を執られているのだと……」
「原因が、分かってる?」
「実は、それがちょっと引っ掛かっていて……陽射しを、長い間浴びられて……」
「陽射し? どこで?」
「城の、屋上です」
「屋上?」
小さく呟いたグレンの瞳が、刹那。ハッと大きなものに変わった。
戦闘の二日目。屋上に居たのは尚書だった。彼からの報告で、南から向かってくる、侵略者の情勢を把握できたのだ。
……では、初日は?
国王の側近であるラッセルが担っていた重責を、誰が、果たしていたのか――
「……」
あの日の夜。今は空いている左斜め前の木組みの椅子に、赤みの入った髪の毛と、華奢な肩を覗かせる少女のような王妃が座っていた。
民を想い。戦う姿勢について論じる。少し変わったところのある女性だった。
しかし彼女は、論じるだけでは飽き足らず、実戦に参加をしたというのか――
一人きりの屋上で、体を壊すまで。
「なんてことだ……」
愛娘と目線を合わせて穏やかに微笑んでいた彼女が、どうして戦場に立ったのか?
呟くと。軍事を司る将軍は、テーブルに置いたままの左手に、自責の怒り拳を作った――
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o




