【71.残り火】
「じゃあ、城外の方は任せるよ」
都市城壁の南側。巨大な落とし穴の南側で、侵略軍の捕虜たちとの軽い昼食を済ませた国王は、一言を残して将軍グレンと共に城へと足を戻した。
「休息を捕虜に与えて、一緒に飯食って…」
さすがに分を弁えて重臣達とは距離を置いていた平民のウォレンが、二人の後ろ姿を眺める若き美将軍の背後から近付いて、呆れたような感想を漏らした。
「やらせるだけではね……意図を伝える事も、休息を与えることも、上に立つ者の務めなのでしょう」
「それは…そうだな」
涼しい顔のまま、ライエルは二つの背中を見送っている。
自身の心情を省みて、ウォレンもまた、彼の発言を静かに胸に落とすのだった――
「グレン将軍!」
ロイズが四角い顔の将軍と護衛の兵を従えて落とし穴の西側を歩いていると、左手の林の方から伸びのある大きな声が耳に届いた。
「メルク!」
小柄で重心の低い…しかし馬力はありそうな男が馬に乗ってやってくる。
グレンが思わず声を返した。
「やりましたね! おめでとうございます!」
「お主も、無事だったか!」
王妃の発案を受けた国王が、グレンに望んだ偵察隊と別動隊。
高揚を表しながらメルクが馬を下りると、グレンが彼を労った。
「おかえり」
頭から爪先まで、小枝やら蜘蛛の巣やら、湿った黒土などを全身に浴びているメルクに対して、上司の傍らにいた上半身裸の男から、短い声が掛かった。
「え? 国王様?」
視線を移して飛び込んできた風貌に、メルクは本物かといった表情で、驚きの声を発した。
「また、会えましたね。ご苦労様でした」
「は。勿体なきお言葉です!」
小柄な身体を天に伸ばすと、メルクは真っ直ぐに伸びた手先を腿にピタッと添えて、清々しい声を響かせた。
「この人、いつもこうなの?」
「どう接して良いのか、わからないんだと思います…」
頬を寄せたロイズが小さな声で尋ねると、口元に手を添えたグレンが思ったままを返した。
「無理を言った中で、狼煙も、よくやってくれました」
「は!」
敵の侵攻を察する為の、狼煙の合図。
一番の目的は、トゥーラの民、兵士達にしっかりとした休息を取らせる為であった。
いつ、どんな形で侵略者が姿を見せるのかと待ち構える、心身の消耗を嫌ったのだ。
長距離移動の隊列と、休養十分で待ち構えたトゥーラの兵士。
二日間に渡った戦闘で、どちらがより個々の力を発揮できたかは、語るまでもない。
「他の者は、どうした?」
「それですが…運び手が足りません」
グレンが緑の盛る西の林を眺めながら尋ねると、よくぞ聞いてくれましたとメルクの頬が綻んだ――
やがてメルクを先導に、ロイズとグレンが数名の近衛兵を従えて西の林へと馬を進めると、取り残された侵略軍の荷車たちが、無数に放置されている姿が飛び込んだ。
「こりゃ…凄いな」
グレンが呆れたように口を開いた。
「夜明け前から、積み荷を確認しておりました。食料、武器、防具、薬や備品、それぞれで、荷車を固めてあります」
「ありがとう。気が利くね」
「いえ…ただ、先程も申しました通り、運び手が足りません」
ロイズの労いに、恐縮をしながらもメルクが懸念を口にした。
「そうだね…食料も、腐らせるには惜しい。今の作業は中断して、先ずは荷車を城内に運ぼう。痛みそうな食材は、山分けにすれば、みんな喜ぶでしょ」
「それは、良い考えですな」
ロイズの発案にグレンが賛成の声を上げると、近くの近衛兵に早速指示を渡した。
「あ、捕虜には、今の労役を続けるように伝えて下さい」
「承知しました」
「……」
自分たちの兵糧や物資だったものを、敵国に自ら運ぶ――
それは酷だろうと、国王は心情を慮ったのである――
トゥーラの民たちが、獲物を見つけた蟻のようにゾロゾロと都市城壁に備わる大門から西の林を目指すと、やがて喜びに溢れた表情で、戦利品を巣穴へと持ち帰った――
「さて、どうしましょうか…」
「そうですね…」
しかしながら、トゥーラは小さな国である。運んではみたものの、保管する場所に窮してしまうのだ。
灰白色のトゥーラ城の西側。都市城壁と居住区との間では、国王と女中頭の浮かない表情が並んでいた――
食料品の扱いは、城の台所を預かる彼女に意見を聞くのが妥当だろうと、ロイズが呼び出したのだ。
「とりあえず、武器は外周の民家に保管をお願いして、薬や備品は城内に運びましょうか…いけそうですか?」
「大丈夫です。薬はほんとに助かります。作るのも大変ですから」
目を丸くしたアンジェが、両の手指を胸の前で絡ませて、喜びの表情を作った。
薬草の採取、加工、調合と、医薬品の作成には労力は勿論、日数も掛かる。多数の負傷兵が生じた此度の戦いでは、火傷の薬や軟膏の類など、枯渇した薬品も現れたのだ。
「それと食料ですが…保存できそうもない食材や飲み物は、供出しようと思います。選別をお願いできますか?」
「わかりました」
「あとは保存できそうな食材ですけど…置けますかね?」
「……」
侵略軍はトゥーラの人口の約4倍の数で攻め入ってきたのである。
短期決戦のつもりだったとはいえ、兵糧は数日分に渡って残されている。
「そうですね…」
顎に右手をやったアンジェは、しばし考えを巡らせた。
今現在、城の大広間は負傷兵の救護所となっていて、他の空き部屋も、女中の支度部屋だったり、休憩所、備品の保管場所として使われている。
「じゃあ…牢にでも入れときましょうか」
「牢屋ですか?」
ロイズの発言に、アンジェが驚きの声を発した。
「地下の倉庫に、格子が有るか無いかの違いしか無いでしょう?」
「……」
言われてみると、認めざるを得ない。しかも普段から、牢屋は空っぽのままである。
「ふふっ」
「何か?」
何を想ったか、含んだ笑いをアンジェがこぼすと、ロイズが不思議そうに尋ねた。
「いえ、失礼しました。王妃様も、度々そんな指示をして、私達を驚かせるものですから…きっと、国王様の影響なのでしょうね」
「そうかな…」
実際は、逆である。
口元に手をやって、思い出し笑いを止めようとするアンジェに対して、ロイズは真実を語る訳にもいかず、首の後ろに左手を伸ばして、乾いた微笑みを浮かべるしか無かった――
トゥーラ城の地下に設けられた牢屋は、秋を迎えるまでは間違いなく一番涼しい場所である。
ひんやりとした空気の中、捕虜となったスモレンスクの総大将ギュースは、ぼわっと生えた赤髪を固い土床に広げると、丸太のような手足を伸ばして堂々と寝転んで、細い採光口が照らし出す濃淡の天井を見上げていた――
(カプスは、無事に逃げたのか? ウパ川を渡れば、大丈夫だろうが…)
スモレンスクを発った将のうち、彼が敗戦を悟った後に確認できたのは、童顔の副将のみである。
ライバルとして鎬を削ったバイリーは、怒号とともに落とし穴へと姿を消した…
彼の部下だった副将ブランヒルと、自身の副将ベインズは、トゥーラの城内に攻め入ったという報告を最後に、行方が分からない――
「……」
敗戦の責任は、総大将である己に在る。
自身の命は惜しくもないが、消えなかった残り火を、どう生かすか――
敗軍の将としてスモレンスクに戻ったところで、厳しい沙汰が待っている。
潔い一つの道ではあるが、捕虜となった者たちへの贖罪をするべきではないのか?
そこで至った結論が、自身が進んで捕虜となり、無様を晒してでも部下の助命を乞うというものであった――
更に理由を加えると、冥土の土産に自身が敗れた小国の姿を拝みたいという、好奇の心が灯ったからである――
「何を、している?」
ギギっと音がやってきて、薄暗い牢屋の扉がゆっくりと開くと、上から射し込む光の背後から、石造りの階段を踏み鳴らす幾つかの靴音が響いた。
軽快なものではなく、随分と重そうな足取りに、ギュースが立派な体躯をのっそりと起こすと、何事かと尋ねた。
地下の牢屋は5メートル四方の立方体が二つ並んだ形で配置され、牢の間は石壁によって仕切られている。
牢屋は二重の格子。内側には縦に並んだ鉄格子が備えられ、外側には木枠で造られた網の目状の格子が設けられていた。
殆ど利用しない割には、厳重な造りである。
「倉庫として、利用するんだとよ」
ライ麦や燕麦の入った麻袋を抱えて階段を降りてきた衛兵の一人が、奧の牢屋から聞こえてきた質問に、ギュースを見下ろしながらぶっきらぼうに答えた。
「お前たちの兵糧だよ。置いて逃げ帰ったらしいから、頂戴したのさ」
「ははは」
「……」
屈辱の回答も、致し方ない。
それでも齎された情報で、仲間は無事に逃走を図れたと推測できた――
「ふう…」
騒がしい運搬の空気を余所にして、片膝を立てたギュースは牢屋の天井を眺めると、安堵の一息を大きく吐き出すのだった――
一方、都市城壁の外側。戦いの後始末。
屍を無言となって処理する者。矢羽根や柵の残骸を拾う者。使えそうな武器や防具を回収する者。小さく掘った落とし穴を埋める者…
片や城内では、運ばれてきた戦利品の整理をする者。都市城壁の見張り台に転がる投石器からの砲弾を排除する者。崩れた足場や壊れた建物の残骸を城外へと荷車で運び、巨大な落とし穴へと棄てる者…
太陽の傾きが顕著となった頃には、トゥーラの殆どの住民が何らかの形でそれらに携わっていた――
「なあ…ここの奴らは、いつもこうなのか?」
スモレンスクの捕虜たちは、攻防の一番激しかった西側へと移動していた。
ブランヒルは城外で働き続ける人影をぼんやりと眺めながら、不思議そうにウォレンに尋ねた。
「そうだな…あの国王様が、来てからだけどな」
「……」
眠れる狼の集団を、大勢で囲んで仕留めようと攻め込んだ――
しかしながら一切怯まない一貫とした抵抗に、多大な返り血を浴びる結果となった――
(この戦いは、どうやっても勝てなかったな…)
戦力差を補って余りある一体感。
それは聡明なる小さな王妃が尚書に初めて国策を伝えた時に、一番に求めたものである――
お読みいただきありがとうございました。
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