【70.逃げない姿】
「あの……食べ物を、お持ちしました」
トゥーラの南側。
朝から続いた骸の処理が終了を迎えるころ、巨大な落とし穴を迂回して、一台の荷車がやってきた。
「お。ありがてえ」
車輪が止まって、浅黒い顔が振り向くと、二人の女性が肩で息をして、汗だくになっていた。
荷物は少量でも、仕方がない。残骸が残る、平坦の無い戦禍の跡を、二人の細腕だけで牽いたのだ。
「おいおい、大丈夫か?」
ウォレンが慌てて駆け寄ると、アビリとライラがへなへなっと膝から崩れ落ちた。
「な、なんとか……」
普段は城の中で働く身。厳しい夏の日差しも作用して、身体は悲鳴を上げていた。
それでも先輩として、アビリが気丈に声を発した。
「とりあえず、水を飲め」
荷車から一本の木筒を掴むと、ウォレンは栓を開けてアビリの前へと差し出した。
「あ、ありがとうございます。でも、これは、皆さんの……」
「アンタが倒れちゃ、意味が無いだろ。どうやって戻るんだよ」
「すみません……」
不甲斐ない姿を晒したうえに、普段からあまり接する機会のない男性の顔が近付いて、アビリは頬を染めながら木筒を受け取った。
「ほら、あんたも」
「あ、ありがとうございます」
続いて金髪を麦わら帽子で隠したライラに、木筒が渡った。
「頑張って運んでくれたんだな。ありがとうな」
「いえ……」
「ちょっと、頑張り過ぎだけどな」
「はい。これでも、減らしてみたんですけど……」
ウォレンが荷車の積載量を眺めると、ライラは汗で湿った短い前髪の下で苦笑いを浮かべた。
「ウォレンさん。運ぶの、手伝いますよ」
荷車を認めてやってきたのは、トゥーラの誇る美将軍。普段は左右から垂らしている前髪を後ろで縛り、上半身は裸。鋼のような筋肉と、少年のようなあどけなさを残す整った顔立ちが、玉の汗を浮かべてキラキラと輝いている――
(ラ。ライエル様!!)
突然現れた、憧憬の対象。ライラの胸が、ドクンと高鳴った。
同時に体中の細胞が彼を意識して、一気に疲労が吹っ飛んだ。
真っ青な空を背景に、眩いばかりの若々しい肢体が、笑顔を交えながらゆっくりと近付いてくる。
(こんなところで、お会いできるなんて……)
彼女はすっかりと、魂を抜かれてしまった。
「ちょっと、ライラ! 国王様よ! ライラ!」
「え? 国王様?」
先輩の忠告で、我に返った。左にも、一人の美男子が並んでいる。
マルマと一緒に行動する機会は多くとも、彼女はロイズとの面識は無かったのだ。
「ありがとうございます」
ライラの左側。腰を落としたアビリの正面から、ロイズは前屈みになって労いの声を渡した。
「あ……お水を」
恥かしさも手伝って、あたふたと挙動が怪しくなりながらも、運んできた水筒を両手で掴んだライラは、頬を赤くしてロイズに木筒を差し出した。
「大丈夫です。いただきました」
それを認めた国王は、優しい微笑みを覗かせて、既に受け取っていた新しい水筒を、顎の辺りに掲げた。
「あ……申し訳ありません」
ライラは被っていた麦わら帽子を両手でパッと剥ぎ取ると、胸に抱えて俯いた。
「一つ、お願いがあるのですが……」
「はい」
ロイズが跪く二人に声を掛けると、先輩が強い声を返した。
「あちらの方々に、先に渡してやって下さい。彼らの方が、朝早くから、やってくれています」
ロイズが身体を捻って後方へと腕を差し出すと、指の先には幾人もの上半身裸の男達が、こちらを向いて立っていた。
その中には、スモレンスクの副将もいる。彼らの足首同士は太い麻縄で繋がれて、歩幅の制限を掛けられている。
「……はい」
彼らが敵国の捕虜だと察するも、アビリは気丈に声を返した。
「ありがとう。誰か、護衛を頼む」
「それでは、私が」
ロイズの声に一歩を踏み出したのは、美将軍。
国王の指令に、ごくりと喉を鳴らしたアビリをよそに、憧れの人が更に近付いて、ライラの胸がきゅっと締まった。
「あれ?」
無造作な短い金髪の、背丈の高い女性。
見覚えのある容姿に気付いたライエルが、ライラに穏やかな声を送った。
「あなたは……あの時の?」
「あ……はい。あの時は、助けて頂いて……ありがとうございます!」
潰れた麦わら帽子を胸に抱えたまま、ライラが勢いよく頭を下げた。
「無事だったなら、何よりです。女の子も、大丈夫でしたか?」
「はい。今は、事情がありまして……私の家で、過ごしております」
「そうですか。それでは、行きましょうか」
「は、はい!」
晴れやかな笑顔に促され、二人の女中は慌てて膝を伸ばした――
トゥーラの軍務を担う将軍と、女中を束ねる彼の妻は、戦いの後始末に追われて多忙な身。
よって、二人の愛娘は現在、ライラの家で預かっている。
これは、王妃の看病に奔走する、アンジェを気遣ったマルマの提案だったが、グレンの耳には娘の情報が入ることは無かった。
「私達。これから忙しくなるから、メイは預かってもらう事にしました」
「そうか……」
妻からは、突然に。事後承諾という形で告げられたのみである――
(ど、どうしましょう……ら、ライエル様と、一緒に歩いてる……)
玉砕して醜態を晒した、城壁での告白。
逃げ出すしかなかったあの時が地獄なら、今は天にも昇る気持ちだ――
粗相があってはいけない。何かを運んでいる訳でも無い。
歩くだけであるのに、ライラは普段とは違うぎこちない足取りで、右側で足を進める想い人に歩幅を合わせるようにして、前方で足を進めるアビリの背中についていった。
「あっ」
チラチラと、ライエルに見惚れていたライラが躓いた。
「おっと! 大丈夫ですか?」
そんなライラの細腕を、ライエルの左手がむんずと掴んだ。
「あ……あ……ありがとうございます……」
「いえいえ」
ライラが思わず顔を上げると、少年の面影を残す整った顔立ちと目が合った。
ニコッと浮かべた微笑みは、ライラの瞳だけに拡がっている――
釜茹での刑があったなら、こんな風になるのか。
恥ずかしさと嬉しさで混濁したライラは、表皮の全部を赤くして、そのまま意識が飛んでしまいそうになりながら、いや、ここで倒れたら。更なる迷惑を掛けてしまう―― と崖っぷちで踏ん張って、支えてくれた男に身体を任せることにした。
「ちょっとライラ! なにやってんのよ!」
見かねたアビリが振り向いた。
我を忘れていた乙女はハッとして、やっと正気に戻った。
(た、倒れている場合じゃない。こんな時間、もう。無いかもしれないんだから!)
ぺこりと頭を下げたあと、ライラは強く掴まれた右腕の感触を残しながらも、背筋をしっかりと伸ばして、青空に目を向けた――
アビリが先頭。一歩遅れてライラとライエル。二人の後ろにグレンとロイズが並んで、最後に護衛の兵が荷車を牽いている。
「そういえば、ラッセルはどうした?」
そんななか、右手に杖代わりの槍を持って歩く将軍が、疑問を口にした。
「あ……ラッセルさんでしたら、大広間で療養中です」
ライラが足元に目を配りながらも、意識だけを後ろにやって答えた。
小さな民家での戦闘……
気絶したまま担架に乗せられて、そのまま城に運ばれた――
「大丈夫なのか?」
「意識は、戻っております。ただ、あばら骨がいくつか、折れているみたいで……」
「重症だな」
「はい……」
「でも、あの人は、逃げませんでした」
戦闘の様子を思い出す。ライラが俯くと、右を歩くライエルが、件の男を讃えた。
心の破片に光が当たって、ライラが思わず仰ぎ見る。
「そうですよね?」
「は、はい!」
不意を突かれた微笑みが、またもやライラを襲った。
今度は見惚れる訳にはいかないと、頬を赤くしながらも、彼女はしっかりと対峙した。
「あの人は……恩人です」
「そうなのか……戻ったら、見舞いにでも行ってやるかな?」
ライラが感謝を発すると、四角い顔の将軍は、槍を右手に、満足そうな微笑みを浮かべた――
「ブランヒルさん。皆さんも、昼食をどうぞ。粗末なものしかありませんが」
労役を課せられた捕虜たちが集まると、ロイズが荷車の方を右手で示した。
「お前たちも、食べていないだろ……」
長年の従軍。身体に染み付いた観察眼。
呆れた声で、鍛え上げた強靭な身体が口を開いた。
「ぼくらは、このあと、休みますから」
「そうか……」
ほんとかよ。
脳裏に浮かびながらも、ブランヒルは柔らかな微笑を受け入れた。
「ど……ど、どうぞ」
「すまねえな」
「どうぞ」
「嬢ちゃん。助かるよ……」
彼らは侵略者。しかしながら、足首は繋がれている。
上半身裸の捕虜たちに、アビリは震えながら、一方ライラは微笑みを浮かべながら、パンと干し肉。水の入った水筒を、一つ一つ手渡していった。
女性が配った方が、温和な気持ちが生まれ出る――
それは、ロイズなりの気遣いだ。
国王と重臣。敵国の捕虜たちが、同じ場所で食事を摂る。
前日まで、二日間に渡って殺し合いをしたにも関わらず、穏やかな演出が平然と行われている――
(アホなのか?)
手にした干し肉にかぶりつき、引き千切って目線を上げたブランヒルが、改めて想いを巡らせた。
(ナイフが荷車にあるな……手にして襲いかかれば、命だって奪えるかもしれんな)
当然、ロイズの近くには護衛の兵。
しかしながら、一瞬の隙でも生じれば、やれない事もない。
それほどに、この国の国王は、不用意に近付いてくる――
「……」
トゥーラの大将軍が、不穏な視線に気付いた。
ブランヒルも気配を察すると、二人の視線は緊張を交わした――
「……」
それでも、やがて四角い顔が、ふっと表情を緩めた。
(そうだな……)
ブランヒルも、敬意を払う。表情を緩めると、こうした奇妙な体験も、貴重なのだと甘受した。
(危うさもまた、魅力という事か)
木筒の蓋を開けてみる。彼の乾いた喉元に、冷静な水分が注がれた――
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