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小さな国だった物語~  作者: よち


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55/218

【55.噂の漢】

南の救護所から、城の大広間。次に北の給水所へ――


茶褐色の細い髪をなびかせて、マルマは息遣いを次第に荒くさせながら、肉付きの良い上半身を支える自慢の快足を飛ばしていた。

向かう視線の先からは、戦闘によって生まれる空気の波動が、低い音色(おんしょく)となって耳の奥にやってくる。


(なんで……ライラが北に?)


上司のアンジェが指示を出したのか……事態が呑み込めない。

新参者。不安そうな表情が覗く彼女に声を掛けて以来、多くの時間を一緒に過ごした――


しかしながら、当然物足りない。

見知らぬ人ばかりの持ち場では、自ら指示を尋ねることすらしないだろう。

長身の女が突っ立って、オロオロと焦っている姿が容易に想像できた。


(え? こんなに?)


北の城壁が視界に入ると、視線の先では槍を交えた激しい戦闘が行われていた。


南側では見なかった、敵兵の姿。

その数は、戦いを間近で見ることが無かったマルマでさえも、多数に思えた。


(あれは?)


城壁から二つ手前の十字路。乾いた土の上。

足裏で出来たと思われる長短の戦跡が、縦横に走っているのが目についた。


敵の侵入を、ここまで許したのだ――

その場所は、トゥーラの誇る若き美将軍と、片鎌の槍を持ったスモレンスクの副将が、初めて対峙した場所であった――


「……」


十字路を左に曲がると、その先にも足裏で擦ったような痕跡が見て取れる。

違和感が頭を過ぎりながらも、マルマは走り抜け、その先にある十字路を右、次を左へと曲がって給水所に向かおうとした。


「え?」


その時だ。ふっと視界に入ってきた小さな人影と、女性の微かな嘆きの声が耳に届いた。

前にのめった身体を後方に戻すと、マルマは顔の向きだけを横にして、小さな薄暗い住居の中を覗いた。


「……ライラ?」


細身の身体。土で汚れた白い前掛け。認めた人影に、思わず声が出る。

マルマは周囲を気遣いながら、木製の戸口を踏み越えようとした――


「あ……マルマ……さん?」


固い土床に、腰を落として両脚を崩したまま、呆然と時をやり過ごしていた長身の女中は、ふっと現れた人影に気が付くと、瞳の色を無くす中、声とも呼べないような微かな音を、小刻みに震える小さな唇から発した。


「ラ、ライエル様が……」

「え?」


前屈みの長身が胸に抱えるは、背中をこちらに向けた女の子。

真っ先にその姿が目に入って声を掛けようとしたところに思わぬ名前がやってきて、マルマは訊き返した。


「ライエルさん?」

「……」


尋ねるも、憔悴しきったライラは呆然とした表情を向けている。


「う……」

「ひいっ」


そんな時。マルマの右側から、呻くような声がした。


声の方に顔を向けると、薄暗い小さな部屋の石壁に背中を預け、腰を落としてうなだれる、全身を鎧で纏った兵士の姿が飛び込んだ。


「あ……」


まだ、息がある。それを悟ったライラが兵士の方に顔を向けると、途端にポッと安堵の表情を灯した。

女の子を胸元に抱えたまま、容態を確認しようと、首だけが伸びてゆく。


「その子、預かるわ」

「あ、ありがとうございます……」


マルマが冷静な声を渡すと、瞳に光を戻したライラが感謝を述べる。

続いて女の子を抱えていた細い両腕の力を緩めると、土床に(かかと)を戻した小さな女の子の、自由となった両腕がだらんと落ちた。


「もう、大丈夫よ……」


マルマは背中を向けたままの女の子に近付くと、膝を落として、彼女の細い肩越しに両手を伸ばした。


「その人が、助けてくれたのね……」


起こった事態を悟ったマルマが、崩れ落ちた兵士の元に近付くライラに、静かな声を渡した。


「はい……」

「先ず、兜を外してあげたら? 楽になるから」

「そ、そうですね……」


マルマが諭すように口を開くと、薄暗い小さな部屋に悲し気な声がこだました。


「ライエル様……」


膝立ちのライラは、想い人の名前を発しながら、両腕を伸ばして兜に触れようとした。


「ここは、大丈夫でしたか?」


その時だ。

マルマの背後。ライラの右手。戸口の方から声がした。


若々しい声色に、マルマは女の子の両肩に両腕を置いたまま振り向いて、ライラは薄い金属製の兜を両手で掴んだ状態で、視線を向けた。


「え? ライエル様!?」


現れた身体(しんたい)に、驚きの表情を以ってライラが言い放つ。


「はい?」


唐突に声を掛けられた青年は、整った顔立ちにキョトンとした表情を浮かべると、語尾の上がった声を吐き出した。


市中に侵入を果たした一団を南から追いかけて、国王が一人を捕らえたのを認めると、そのまま北に向かって残りを追っていたのだ。


「え? じゃあ……」


両手に掴んだ鉄兜。

長身の娘は左右に首を振り、兵士とライエルの双方に視線を送った。


「もが……もがが……」


その反動で、兜を掴んだライラの腕が思わず上がると、正しい位置からズレた兜は顎に引っ掛かり、首が伸びる。

大人しかった兵士は呼吸が苦しくなって、背中を掴まれたカブトムシみたく手足をバタバタと動かし始めた。


「苦しそうです。外してあげて下さい」

「わっ! すみません!」


ライエルからの指摘に視線を戻すと、驚いたライラが咄嗟に兜から手を離す。


「ふ、ふう……死ぬかと思った……」


僅かに下がった兜の中から安堵の声を漏らすと、兵士は両手で兜を掴んで、正しい位置へと戻し、それを外そうとした。


「ラ……」

「きゃあああああ!」


兵士の正体に思わず声を上げようとしたマルマだったが、薄暗い視界の中で突然目の前に薄っぺらい顔立ちに白目を剥いた貧相な男が現れて、驚いたライラの叫び声がかき消した。

同時に拒絶反応を示すと、顔を背けながら、左の腕を勢いよく伸ばした。


『あ……』


ライラの左ストレート。バグッという綺麗な音が部屋中に響くと、マルマとライエルの口から、同時に短い声が漏れ出した。


「あれ?」


兜がこぼれ、ガランと土の床に転がって、ライラが正気に戻る。


「ぎゃああああ!」


男は、首をもたげて完全に白目を剥いて、赤い体液を低い鼻からツーッと垂らして動きを止めていた。

それを視界に入れたライラは両手で頬を押さえると、またしても大きな叫び声を発した――


「ラッセルさんは、お任せしますね……私は、援護に向かいます」

「あ、はい……」


二人の間に面識は無かったが、共に尚書を知っていることは理解した。

膝立ちのマルマの背後から、起こった事態を見届けたライエルが小さく声をかけると、彼女は首を捻って頷いた。


「あの……」


背中を向けたライエルに、マルマが口を開いた。


「何でしょう?」

「あ、ご無事で……」

「はい。必ず」


振り向いて、マルマの言葉を受け取ると、美将軍は光を背後に爽やかな微笑みを浮かべつつ、(みなぎ)る自信を眼光から放った――


そして再び翻ると、明るい戸口の向こう側へと足を向け、立て掛けておいた槍を手にして左右を確認した後に、左方向へと消えていった――


「あれが、噂のライエル様か……」


感心したようにマルマが呟いた。

女中の間でも、好感度は群を抜いている。


会合などの予定が入ると、真っ先に女中の間で確認されるのは、彼が来場するのか否か。

来ると分かると、会合の席に誰が飲食物を運ぶのか。或いは会場への案内、見送りを誰が行うのかといった配置争いが起きるので、アンジェがくじ引きを提案したくらいである――


尤も、そんな先輩方の熱気をマルマは冷めた感じで眺めていたが、会合の予定が入る事は喜んだ。

理由は明確で、意中の人が他に居たからである。


会合の準備に追われて人手不足に陥ると、マルマはひとり上機嫌となって螺旋階段を登り、昼食という名の朝食を、その先に居る寝起きの女性に運ぶ事ができるのだ――


「ほんと、かっこいいですよね……」

「そうね……そこで死んでる人とは、大違いね……」


見惚れたライラが呟くと、マルマが同意する。続いて首を半分だけ戻すと、落胆の表情を浮かべながら溜め息交じりに吐き出した――


「ふえ……」

「あ……」


マルマの胸元で、緊迫感に心を閉ざしていたと思われる小さな女の子が、微かな声を漏らした。


「頑張ったね……」


薄暗い部屋の中で起こったやり取りを、瞳に映した訳ではない。


しかしながら、それが小さな身体で受け止めるには、あまりにも衝撃的だったということは容易に想像ができた――


マルマは幼い肩に置いた両手を優しく前へと滑らすと、ふわっと膨らんだ胸の中で包むようにして、女の子を抱き締めた。


「あれ?」


そんなマルマが、ふいに声を発した。


「あなた、名前は?」

「……メイ」


見覚えのある面影に、優しく尋ねると、やがて唇が震えた。


「お母さんの名前、分かる?」

「アンジェ」

「やっぱり……」


続いて鼓膜が震えると、マルマは茶色の瞳を丸くした。


「ライラ、メイちゃんを頼んだ! ここから、動かないで!」

「あ、はい」


尊敬するアンジェの一人娘。

どうしてこんな戦場の最前線に居るのか見当もつかないが、紛れもない事実である。


立ち上がったマルマは起こった事態を母親である上司に伝えるべく、城へと向かって再び走り出すのだった――



「アンジェさん!」


西の門から城内へ。石畳の廊下を走り抜けて大広間に顔を出すと、マルマは開口一番、右腕を掲げながら上司を呼んだ。


「どうかした?」


何事か? 乾いた水袋を両手に持ったアンジェがマルマの元へと移動する。


「あの、メイちゃんが……」


向けられた仲間の視線に、マルマなりの配慮をしてか、二人の足が大広間から石畳の廊下に移るのを確認してから、抑えた声で口を開いた。


「メイ?」


ふいに娘の名前が飛び出して、アンジェが声を高くして訊き返す。


「今、北の給水所の……近くに居ます」

「え?」


続いた報告に、彼女の眉根は吊り上がった。


「なんで?」

「わかりません……でも、本当なんです」

「それで? 今は?」

「ライラと一緒に居ます」

「そう……」


アンジェの緊張が、安堵に変わった。


「ここは、私が代わります。アンジェさんは……」

「メイは、ライラに任すわ」


マルマの提案とほぼ同時。アンジェは突き放すように口を開いた。


「え?」

「あなたは北の給水所へ。分かった?」


唖然とするマルマ――

そんな彼女に重ねて指示を送ると、アンジェは何事も無かったように翻った。


「アンジェさん!」


マルマが叫ぶ。

それでも上司の背中は、多くの人が集う大広間の中へと消えていった。


(なんでなの? メイちゃんが可哀想……)


それから5分も経った頃。

茶色の瞳に泪を浮かべ、納得のいかない指令に疑問を抱きながらも、北の給水所へと急ぐマルマの姿があった――




微かに残る、幼い頃の記憶――


「ママも、一緒に来て!」


はっきりと母の顔は思い出せないが、人混みの中。掲げた右手の向こう側。

優しく微笑んだような表情に向かって、叫んだ事だけは覚えている。


それが、母との最後の記憶であった――

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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