【54.勝利の条件】
南側。スモレンスクの本陣。
「なんだ、これは……」
林を背にした総大将は、眼前で広がった目を覆うばかりの惨状に、丸太のような二本の腕をだらりと下げて、呆然となって立ち尽くしていた――
小一時間前。残っていた兵力の殆どを割いて、都市城門を正面から落とすべく、バイリー率いる主力部隊が満を持して突撃を行った。
それが今や、炎と煙の充満する真っ只中にいる――
巨大な落とし穴。罠が残る四辺の底で、黒煙に視界を塞がれては、動きようがない。
加えて投石器からの砲弾と油壺。更には炎を纏った矢羽の雨が、断続的に降り注いでいるのが見て取れた。
火の手が上がった瞬間に聞こえた断末魔は、次第にか細いものとなり、今では殆ど聞こえなくなっている――
「どうしますか……」
「く……」
指令を求める、部下の声も弱々しい。
退却を指示するまでもなく、逃げられる兵の殆どは、既に自力で脱出を遂げている。
それでも総大将は、諦める訳にはいかなかった。
「ブランヒルが、城内に居る……城門が開けば……勝機はある」
都市城壁の上に浮かんでいる四角い城は、既に濛々と広がる黒煙の向こうにその姿を消していた。
しかしながら、ブランヒル率いる遊撃隊。更には東西から侵入を果たした友軍は、内側から城門を開けようと、奮戦しているに違いない。
彼らの働きに、これまで温存していた残りの部隊が応じない訳にはいかないのだ。
「西側から攻める。隊の編成を!」
「はい!」
風は穏やかに、南西から吹いていて、視界を奪う黒煙は、東からの攻撃を塞いでいる。
ギュースは自身に近い、西側からの攻撃を命じた――
「お前たちは、西へ向かえ。敵は、恐らく、西からくる!」
「はい!」
当然ながら、トゥーラの大将軍は読んでいた。
南で配置に就く一隊を西へと回し、少ない兵力ながらも、自軍の力を最大限に引き出していた――
その頃。
侵略軍の一縷の望み。トゥーラの市中に飛び込んだ副将は、目標としていた南の都市城門を前にして、若き美将軍によって進路を塞がれていた。
「ロイズ様、お逃げ下さい!」
しかしながら、撤退を決めたところへ、棟梁がのこのこと姿を現したのだ。
降って湧いたようなチャンスを逃すまいと、ブランヒルは国王に向かって猛然と駆け出した。
「わわっ」
殺気立った、見るからに屈強な兵士が向かってくる。
ロイズは咄嗟に足を止め、踵を返してブランヒルに背を向けた。
「頼んだよっ」
「お任せください!」
棟梁を守ろうと、重装備を施した6名の近衛兵は、向かってくる敵を抑えるべく両足を前後に固め、三名ずつ二列の布陣で槍を中段に構えた。
「うおおっ!」
敵の目線を逸らす為、間合いを測ってブランヒルが跳び上がる。
そして槍の穂先に触れるか否か、絶妙な位置に姿勢を低くして着地をすると、そのまま勢いを殺すことなく右前方。兵士と丸太の住居の隙間を狙って肩から飛び込んだ。
「なにぃ!」
動きは含んだが、想像以上の速さだった。
ブランヒルは最初から、槍の穂先を交えるつもりは全くなかったのだ。
勢い余って住居の壁に身体をぶつけると、ドンという大きな重低音が響いた。
咄嗟にトゥーラの兵士が槍で追うも、間に合わない。
かくしてスモレンスクの特攻隊長は、トゥーラの国王の背中を追う機会を取得した――
「ロイズ様!」
抜かれた兵たちが、慌ててブランヒルの背中を追い掛けた。
彼らの背後では、隊長に遅れて駆け出した、童顔のカプスと長身のベインズを含む8名が、数秒遅れで続いている。
「くそっ。意外と速い……」
獲物との距離は、20メートル。縮まらない背中にブランヒルは焦った。
ロイズもまた、足の速さには自信があったのだ。
おてんば娘と一緒に、野山を駆け回っていた頃に培った脚力は、伊達ではない。
そんなトゥーラの国王が、目先の十字路を右へと入った――
(城へ、逃げ込むつもりか?)
その前に追い付き、仕留める。いや、城内だろうと、追いかける。
執念とも呼ぶべき決意を胸にして、十字路を鋭角に曲がる為にブランヒルは左足で踏ん張って、右へと跳ね跳んだ。
「なっ!」
その刹那、鋭利な柵の連なりが待ち構えているのが目に入った――
勢いは止められない。
同時に視界の脇から数本の槍が伸びてきて、柵によって膝を刈られたブランヒルは、並ぶ穂先の下へ勢いよく頭から突っ込んだ――
(やられた……)
乾いた土煙がのぼる中、自らが薙ぎ倒した罠たちとブランヒルは同化した。
ダイルが住民に襲われて、背後を見やって確認した時は、10人ほどの人影が映った。
それが今しがた、挟撃の為に現れた兵数は6人で、つまりは誘われたのだ――
悟ったブランヒルは、届かなかった喪失感に奥歯を噛み締めると、無念の拳を大地の上で強く握った。
「やりましたか!?」
「よし!」
続いて、ブランヒルをわざと抜かせたトゥーラの6名が姿を現した。
首尾よく獲物を捕らえているのを確認すると、サッと左右に3名ずつが住居の影に身を潜め、後から続く侵略者の一団を待ち構えた。
「ブランヒルさん!」
居住区の十字路。スモレンスクの一団が異変に気付いて足を止めると、童顔の弟分が焦りを浮かべて安否を叫んだ。
「俺に構うな! 行け!」
捕らえられては、価値は無い。
地面に腹部を預けるという無様を晒しつつも、ブランヒルは隊長としての意志を明確に伝えた。
「……わかりました」
ここで争っても、勝ち目は無い。
カプスは兄貴分の心を受け取ると、他の仲間が躊躇う中、北の城壁を目指して真っ先に駆け出した。
「お、おいっ!」
「いいから行け!」
長身のベインズが、カプスの判断に思わず声を発すると、ブランヒルが再び鋭い声を張り上げた。
「くっ」
選択肢は無い。ベインズもまた、カプスに続いて駆け出した――
「行ったか……薄情な奴らだ……」
「いいえ。賢明な判断だと思いますよ?」
乾いた土から頬に伝わる、遠ざかってゆく足音にブランヒルが呟くと、彼に近付いた棟梁が、立ったまま労った。
「お前が、親玉か?」
近衛兵によって、両腕を背中で縛り上げられたブランヒルは、近付いてきた鎧姿の、端正な顔つきをした若い男に鋭い眼光を送った。
「親玉は、他に居るんですけどね……」
首の後ろに右手を添え、苦笑いを浮かべながら答えると、ロイズは左後方に見える四角い箱を重ねたような、簡易な城を見上げた。
この時。南から昇っている黒い煙を視界に入れたが、居住区の辺りを覆っている訳でもなく、彼は何を思うでもなかった――
「お前らの、勝ちだ」
両腕を後ろに縛られた状態で身体を起こされて、臀部を地面に付けたブランヒルが、観念を口にした。
「そう言われましても……貴方たちにとっては敗北でも、私たちの勝利とは……簡単には言えません」
称えるような発言を、ロイズは否定した。
「どういう事だ?」
「そうですね……事後処理次第……って事ですよ」
「……なるほどな」
些末な争いを制しても、大局を変えなければ意味はない。
小さな国家を思いやったブランヒルは、ふっと鼻を鳴らすと、続けて尋ねた。
「それで、どうするつもりだ?」
「うーん……親玉次第ですね」
答えようがない。
ロイズは虚空を仰いでから、やがて肩をすくめて嘯いた――
一方で、ブランヒルを残して駆け出した一団は、退路を確保しつつ味方の反撃を待つという、隊長が描いた案を実行すべく、ひたすらに北を目指した。
「……」
表情は、一様に暗かった。
無理もない。途中でダイルを失ったばかりか、隊長までもが戦列を離れたのだ。
「どうする?」
最後尾を走る長身が、先頭を走る短い黒髪に尋ねた。
「……先ずは、進入路の確保だ」
退路と口にしないのが、せめてもの意地なのか。
背中からの問いかけに、カプスは後方を確認するために視線を預けると、自身にも言い聞かせるように短く答えて、再び視線を前にした。
「……」
追手は少数だ。
意味するところは、北の城壁までは見逃してやる。もっと言うなら、「そのまま帰れ」 という意思表示。
カプスは後ろ髪を引かれながらも前へと足を進めつつ、冷静な分析を行った。
市中を抜けて、北側に達すると、相変わらずの乱戦模様。
それでも、実際のところ、彼らに続いて市中に入った者は皆無で、状況は明らかに不利だった。
「使える梯子は、どこだ!?」
足場は崩れても、ほとんどの梯子は残っている。
それでも、使えるかどうかは分からない。
カプスは戻ったことを伝えると、恐らくは生きている、自身が侵入を果たす為に使った梯子の前で翻って、仲間の進路を確保した。
「う……」
「これは……」
南側が視界に入ると、黒煙が空を覆うほどに立ち昇っているのが飛び込んだ。
「完全に、仕切り直しだな……」
「ああ……」
北の城壁を背後にしながら、南の戦線を思いやる。
仮に突撃していたら、全滅は免れなかった。撤退命令は正解だ――
それでも、命を賭した末の撤退という状況は、精神的な負荷を重くした。
結末を浮かべる彼らの全身を、たちまちに徒労感が襲った――
「お前、足……」
並び立った事により、負傷したベインズの左足に、カプスが気付いた。
心なしか、カタカタと震えているように見受けられた。
「大したことはねえ」
「……」
「俺は……ここを守る。お前は、敵を削れ」
「……分かった」
梯子の位置は動かせない。
城壁を越える場所が同じでは、矢羽に狙われるのは当然だ。
それを防ぐには、危険を承知で切り込んで、敵の狙いを分散させるのだ。
「もう一つ、確認だ」
長身のベインズが、続けて口を開いた。
「なんだよ」
「撤退する時は、お前が先だ」
「なんでだよ!」
「この足じゃあ、梯子は厳しいからな。それに、お前にはニーナちゃんが居るだろ?」
「はあ? お前なあ……」
唐突に名前が飛び出して、童顔に怒りが灯った。
行きつけのお店の、初恋の少女の面影を残す、小さな女の子……
「そうじゃねえよ。俺が、そんな報告を、あの娘にしたくないってだけだ!」
「……」
「お前は、絶対に生き残れ!」
「元から、そのつもりだよ!」
丸顔に厳しい表情を作って吐き捨てると、カプスは前へと飛び出した。
「カプスに続ける者は、続け!」
ベインズの、援護の声。
相当の力量が無ければ単騎で突っ込む事など出来ないが、そこは城内に降り立つ部隊である。
カプスに続けと、ブランヒル隊の生き残りが中心となって足を踏み出すと、乱戦模様を拡げる為に、意図的に分散して戦うよう努めた。
「きゅ、弓兵は、壁のうぇを狙ぅように!」
北側を守るルーベンが、指示をする。
細身であっても、グレンが託す人物だ。他者に比べて視野が広く、機転が利いた。
戸惑う事が無いように。弓兵には上方の対応を。槍兵に対しては、目の前だけを相手にするよう、役割分担を明確にしたのだ。
彼の指示により、変化が生まれそうだった戦場の空気は再び引き締まり、またもや膠着状態を生み出した――
「マルマ、戻りました」
南から快足を繰り出して、城門に掛けられた橋を渡って城へと戻り、廊下を走り抜け、息を切らしながら大広間へと戻ったマルマは、左手を土壁に添えて身体を支えると、先ずは一声を発した。
「どこ行ってたの!」
たちまちに、苛立ちを隠せないアンジェの厳しい声が飛んできた。
「え……」
「ライラが、北の給水所に行ってる。あなたも行って!」
「は、はい!」
事態が呑み込めない。
しかしながら、反射的にアンジェの指示には身体が動く。
今度は西の門から飛び出して、マルマは残る体力を振り絞って、北へと急いだ――
「来ないかぁ……」
一方で、城の三階。居住区を抜けた辺り。
屋上へと続く梯子の下で、生気を失った青白い顔を浮かべた小さな王妃は、ぺたんと腰を落として石壁に背中を預けると、丸い輪の中に描かれた薄曇りの空を見上げながら、戻ることの無い親鳥を待つひな鳥のように、か細い声を放った――




