【51.光の背後】
「敵が侵入! 警戒してください!」
侵略者の守備線突破を認めると、若き美将軍は左側の居住区に向かって叫んだ。
侵略者が狙うのは、南の都市城門に違いない。
背中を追っても止められないと判断したライエルは、居住区の外周からの先回りを選んだ。
彼の読み通り、トゥ-ラの市中へと侵入を果たしたスモレンスクの副将は、10名の集団を率いて南に向かっていた。
先頭を率いるのがブランヒル。その後ろに童顔の副将が続き、動きに呼応した兵士7名を間に挟み、長身の副将が最後尾を走った。
二本目の筋で左右に視線を動かすと、どちらの方向にも複数の負傷したトゥーラの兵士と、看護を担う女性の姿が確認できた。
投石器からの砲弾で、右側にある救護所の水瓶は割れている。
動けなくなった中年の負傷兵が、住居の壁に背中を預け、蔑むような目つきで一団を見やった。
「……」
お前ら……何しに来たんだよ……
戦場へと赴くたびに聞こえてくる目力は、ブランヒルの心を今でも揺らす。
傍らで看護を担う女性の前掛けは、濁った血糊がべったりと張り付き、抱える傷病者の多さを物語っていた。
負傷兵の視線に気が付くと、手当をしていた女性の瞳が、一回だけ侵略者を見やった。
しかし直ぐに視線を戻すと、黙々と自らの与えられた仕事に戻った。
斬り掛かるならどうぞ――
そう言わんばかりの立ち姿に気圧されて、一団は再び南へと進路を取るしかなかった――
規模の違いはあれど、トゥーラは毎年のように戦火に見舞われている。
故に住民は、やれやれまたかといった、不幸なことではあるが戦時体制には慣れていた。
市中の住居には、戦いへの参加を許されなかった子供や老人が、一部屋に集まって小さく震え、戦闘の終息をひたすらに願っていた。
「約10人! 西の一つ目を、南です!」
そんな中、敵が市中へ侵入したとの知らせが届くと、元兵士である老齢の男がスッと立ち上がり、2階の窓から顔を出して敵兵の一団を確認すると、家族すら驚く、若い頃を彷彿とさせるハッキリとした声音で周知した。
「む」
三本目の筋は、ブランヒルがライエルと初めて顔を合わせた場所である。
微かだが、小さな女の子のむせび泣きが聞こえた。
左右に目をやると、トゥーラの槍兵が城壁前へと通じる道を、数人がかりで塞いでいるのが目に入る。
「ち。警戒されてるな……」
「援護に向かうのは、難しそうですね」
「……仕方ないな」
ブランヒルの舌打ちに、並び立ったカプスが意見を挟むと、一同は息を整えた。
「だったら、一気に向かうだけだ!」
監視の兵を配置できる余裕が有る――
ブランヒルは敵の情勢を踏まえた上で、敢えて最短距離を進むことにした――
南へと足を進めると、やがて開けた場所に出て、眼前に三階建てのトゥーラ城が姿を現した。
城の北側は、広くはないが、練兵場になっている。
城壁には大きな訓練用の的が5つ並んでいて、そのどれもが破損し、射撃の矢によって抉られたと思われる石造りの城壁が、無残な姿を覗かせていた。
「……」
どれほどの鍛錬を積んだのか――
スモレンスクの者たちは、敵の覚悟を今更ながら認知した。
開戦当初、壕の手前に辿り着くと同時に降ってきた正確な射撃も、これらを見れば合点がいった――
「右に入るぞ!」
進路を変えずに南へ向かうと、城の脇を通ることになる。
前方で槍を手にした兵士がパラパラっと出てくるのを認めると、さすがに分が悪いと踏んだのか、ブランヒルは右へと進路を変えてから、再び市中に足を踏み入れた。
「くらえ!」
「ぐおっ……」
その刹那。一人の老兵の持つ槍が、侵略者の脇腹を襲った――
路地裏に隠れた状態で、一行を待ち構えていたのだ。
殺すまでには至らなかったが、装着していた帷子を破った槍の穂先には、じわりと赤の体液が滲んだ。
「ダイル!」
一団の最後尾を任されていた長身のベインズが、思わず声を発した。
「こいつ……」
そして怒りに任せて頭上にまで掲げた槍を振り下ろすと、穂先は老兵の肩を切り裂いて、鎖骨を叩き砕いてそのまま地面にまで達した――
「があっ」
「きゃあああぁぁ!」
「おじいちゃん!」
ババッと赤い飛沫が飛び散って、膝を崩した老兵は前のめりに倒れた。
それを視界に入れた家族であろう叫び声が、周囲に響き渡った。
「ダイル! 付いて来い!」
「……はい!」
負傷しようとも、前に進むしか選択肢は無い。
ブランヒルは右の脇腹を左手で押さえたダイルに一目をやってから、確固たる意志を示すように背中を向けた。
「立てるか?」
「ああ……」
長身のベインズが、背中から腕を腰に回した。
しかし彼自身も左脚に矢傷を負っていて、とても支えられる状態ではなかった――
「先に、行って下さい……」
一度は行けるかと思ったが、思った以上に傷が深い。助けを借りたなら、一団から取り残されてしまう。
ダイルは覚悟を持って伝えると、支えてくれたベインズの手首を掴んで、自ら助けを放棄した。
「分かった……」
見捨てる訳では決して無い。
託された想いに応えるべく、前を向く。
ベインズは静かに呟くと、仲間の背中を追いかけた――
「なに……したの?」
「うっ」
背後から、地面に転がった祖父の槍を拾い上げた女性の声が聞こえると、怒りの籠った穂先がダイルの背中を襲った。
決して力強いものではない。しかしながら、彼の戦意を奪うには十分なものだった。
「殺せぇ!」
「死ねっ!」
膝をつき、戦いの色を失った男に対して、老齢の元兵士たちが次々に石や棒きれを持って襲い掛かる。
ダイルは地面に打っ伏して頭を両手で庇うと、ただただ怒りを受け止め、あわよくば、鎮まる事を願った――
「止めなさい!」
ダイルにしてみれば、大事な血縁を奪った代償。
家族を奪われた者からすれば、当然の報いを与えている――
しかしながら、傍から見れば、無抵抗な人間を集団で襲っているだけである。
無慈悲な行動を止めるべく、決して大きな声量では無かったが、強い意志が市中の乾いた空気に響き渡った。
「ロイズ様?」
「国王様……」
一同の目線が向かうと、10名ほどの近衛兵を引き連れたロイズが立っていた。
「もう、抵抗できないでしょう。捕えなさい」
「はっ」
指令を受けて、3名の近衛兵が進み出た。
背中を向けて地面にへばり、動けなくなったダイルの後頭部に置かれた両手を掴むと、腰の辺りで手首を重ね、麻縄を使って縛り上げた。
「うう……」
蹴られ、叩かれ、踏まれ。散々な仕打ちを受けた無抵抗な男は、身体を起こされると小さな呻き声を発した。
「どなたか、手当をお願いします。絶対に殺さないよう、お願いします」
「……」
滴り落ちる赤い体液を脇腹に認めたロイズは、その端正な顔を歪めることなく左右に首を振り、集まった住民に訴えた。
しかしながら、見渡す先にある住民の視線たちは、一様に抵抗を表した――
「……」
無理からぬこと。
ロイズはそれを理解した上で、大きく一息を吐いてから、諭すように言葉を続けた。
「気持ちは分かります。ですが今、私達が戦う相手は、この人ではありません。この場で一人を殺したところで、皆さんは満足をするのですか?」
「……」
問いかけに、肯定する者は誰一人として居なかった。
しかしながら、今は正論が通用する状況に無い。
真っ直ぐに国王を見据える一同の視線には、どうしたってやり切れない、抵抗の感情が宿っていた――
「お嬢さん」
ロイズは改めて彼らの感情を認めると、穂先を鮮血で濡らした槍の近くで、乾いた地面に四肢を預けて無気力となって頭を垂れる、細身の女性に近付いた。
紅茶色の短い髪を備えた彼女は、今しがた目の前で祖父を殺されて、仇とばかりにダイルを背後から突き刺した女性に他ならない。
「……」
男の声に気が付いて、沈んだ瞳をやっとの思いで戻すと、彼女の頭がおもむろに上がった。
続いてロイズは両膝を地面に接すると、視線を等しいものにした。
「お願い……できますか?」
「え?」
「なっ……」
冗談では無い。
端正な顔立ちに浮かぶ、澄んだ瞳を真っ直ぐにカデイナへと向けた国王は、厳しい声だと理解しながらも、彼女に思いを託した。
「……」
理不尽に、女性が無言のままで小さく口を開けると、住民だけでなく、彼に従う兵たちも、辺りにざわっとした空気を生起させた。
「国王様! カデイナにやらせるのは、あまりにも酷です! 私がやります! やらせて下さい!」
動きの止まったカデイナ。
見兼ねた中年女性が住民の輪から飛び出すと、寄り添うように膝を崩し、彼女の細い両肩に手を沿えながら訴えた。
「……それでは、お任せします」
当然ながら、意図した発言。
国王の言動を無碍にはできないだろうと、思い通りになるよう仕向けた。
ロイズは駆け寄ってきた肉付きの良い中年女性と真っ直ぐに視線を合わせると、静かに立ち上がった。
「ここは、すぐに戦場になります。急いで家の中。または、城へと避難して下さい」
時間が無い。
ロイズは右腕を大きく左から右へと振って住民に発すると、もう一度カデイナと、瞳を合わせる為に片膝を屈した。
「カデイナさん。申し訳ありません。ですが……必ず勝ちますので……」
「はい……」
勇敢にも、現役を退いた身でありながら、皺だらけの両手で槍を取り、敵に一矢を報いた老兵の孫娘であるカデイナは、華奢な女性であるにも関わらず、その手を自ら血で染めた。
彼女は真摯なロイズの言葉に失っていた瞳の力をようやく戻すと、小さくとも確かな声を返した。
「ありがとう」
気丈を認めたロイズは、紅茶色の瞳を見つめながら、はっきりと感謝を伝えた。
「さて、それでは敵を追うことにしましょう。あと、皆さんにお願いがあります。絶対に外へは出ないように。鍵も掛けて。もう一つ、敵の位置を教えて頂けると助かります」
スッと立ち上がった国王は、自らが率いる近衛兵に指示を送ると、次に自宅に戻ろうとしていた住民に願い出た。
やり場のない鬱積した感情が、少しは和らぐかもしれない――
ロイズの自立。
壕でも柵でも都市城壁に設けた足場でもない。
それは屋台骨である王妃を欠いた現状で、一番の変化であった。
城主として赴任した頃の彼であれば、右往左往した挙句、全てを将軍に一任し、居住区で戦いの行方を傍観していたに違いない。
それが今では自らの頭で考え、先を読み、己の言動で他者を動かしている――
数日前に行われた軍議の場で、ロイズの覚悟を目の当たりにした尚書が、自身の不甲斐無さに忸怩たる思いを宿した――
それら総ては、小さな王妃が伴侶の成長と自覚を促すために働きかけた事に起因する。
リャザンとの同盟を結ぶ際、調印式に同行しなかったのはそのためだ。
城主のままであれば表立った外交を行う必要も無く、リアの進言するままに内政だけを担えば良かったが、国王となってはそうはいかない。
ロイズが表立って指揮を振るようになったのは、農作業を住民総出で行った、国王になると決まったあの日からなのだ。
しかしながら、前提として、素養が無ければ適わない。
小さな頃から、リアと同じ時間を過ごした。思考や言動に影響を受けない筈がない。
光の背後に光が在っても気付く者は少なく、リアという強い光が前面に在っただけ。
ロイズもまた、彼なりの光を持ち合わせていたのだ。
そして何よりも、伴侶は資質に気付いていた――
それだけの話である。
強い光を放つ為政者は、前だけを見据え、後方や足元に光を当てない者が少なくない。
その結果、時を経て、自身の光が乏しくなったころ、組織の弱体化を招く例が多いのだ。
現代では形は違えど合議が行われ、市民の活発な往来により比較される機会が増した結果、悪政は周囲の圧力によって正される機会が増えている。
しかしながら絶対君主、絶対王政とは行かぬまでも、この時代の為政者は、今日に比べると圧倒的に強い権力を手元に置いていた――
そんなものに拘らず、先を見越して伴侶を促したリアの一連の行動は、不本意ながら自身の退場をきっかけにして、正しく実を結んだと言えよう――
「国王様……私、負けたくありません……」
「はい」
眼下で膝を崩したまま、顔だけを上げ、力強い瞳で訴えたカデイナに、ロイズは端正な顔に微笑みすら浮かべると、自信に満ちた表情で頷いた。
お読みいただきありがとうございました。
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