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小さな国だった物語~  作者: よち


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【39.金髪の娘】

「よっしゃ、いくぞ!」


トゥーラの南側。

幾つかの防御柵が、壕の中へと沈んだ。


歯抜けとなった視界の先には、トゥーラに唯一の都市城門がハッキリと浮かんでいる。

当然ながら、侵略軍の士気は上がった。


二本の壕の上に、即席で作った梯子や板が次々と架けられていく。

その間にも大量の矢羽が降ってきて、呻き声と共に多くの者が屈したが、彼らに開戦当初のような恐れは無い。


「先ずは、あいつらだ!」


壕の向こうには黒土の畑が広がって、その先に見える新しい防御壁の裏手には、数十名の射手の姿が窺える。

高揚したスモレンスクの兵士から、気合の篭った声が飛び出した。


「……」


盾を前に翳して矢羽を防ぎつつ、壕に架けられた梯子に足を置く。

その刹那、梯子の隙間から、嫌でも先発隊の無残な姿が目に入る――


「後は、任せとけ……」


色褪せた甲冑に身を包んだ一人の兵士が、梯子を渡りながら、新たな決意を胸に刻んだ。



「何か、妙だな……」


頭髪を綺麗に剃ったスモレンスクの大将が、戦場の南側、白樺の林で呟いた。


厄介だった柵を引き倒し、ついに目標を視界に捉えた。


しかしながら、幾多の戦場を潜ってきた者だけに備わる、感度のようなものだろうか。

士気は上がっている筈なのに、何かしらの違和感が身体に纏わりついている――


「何か、感じますか?」

「ああ……」


前に立つブランヒルが太い首を捻って尋ねると、バイリーは右足をじりっと前に踏み出した。


「あ……」


刹那。

梯子を渡って、壕の向こう側へと辿り着いた兵士の姿が、一斉に視界から消え去った。


「落とし穴だ!」


前方より、慌てふためく怒号と共に、事態が告げられる。


「しまった……」


バイリーは、唇を噛んだ。

敵の備えはそもそも厳重であったのだ。警戒せよと一言でも伝えるべきだった――


後悔を振り払って前を見る。

壕の手前で固まっている兵士の背中は狼狽えて、前進を命じる状況には無かった。


「引き返せ!」

「将軍! 落とし穴です!」


士気の落ち込みを嫌ってバイリーが叫ぶと、兜を外した兵士が、汗だくになった顔の表皮を晒した。


「大きさは?」

「それが……深く、大きなものです!」

「……」


兵士の言葉に前を向く。戻る部隊の向こう側。巨大な崩落が獲物を捕らえんと、口を開いているのが窺えた。

100メートル以上の距離でも確認できるモノ。

バイリーとブランヒルの、長い絶句を誘うに十分なものであった――



「ふう……」


トゥーラの、一番高い場所。

城の屋上で、一人で戦況を見つめていた小さな王妃が、長く、大きな安堵を吐き出した。


「キツイなあ……」


掲げられた旗の柄を、小刻みに震える両手で握り締め、なんとか身体を支えていたが、眼前で起こった想像以上の惨い光景に、血の気が引いて、その場で足腰を崩した。

大きな瞳が、無意識の中で、殊更に大きなものとなっている――


トゥーラの南側。

都市城門の前での農作業は、巨大な落とし穴を造作(ぞうさく)する為の口実だったのだ。


良い農地は、大地を深く掘り起こす。

しかしながら、いくらなんでも掘り過ぎだろうと声が出たところで、作業に関わった者たちに、緘口令を布いた上で意図を伝えたのだ。


掘り終えたところから、木材、薄い板、布などを使って穴を覆っていった。


「これで、終わってくれないかな……」


時間と労力を費やした大掛かりな仕掛けは、敵の戦意喪失を狙うもの。

背中に赤い髪を垂らした王妃は、瞳を震わせて、心の底から一つだけを願った――



「こりゃ、(こっち)だけじゃ無理だな……」

「そうだな……」


東西の様子を見て回ったスモレンスクの総大将が南に戻って呟くと、頭髪を綺麗に剃った将軍(バイリー)も、観念したように同意した。


「だがな、あんなものは恐らく、南側(ここ)だけだ」

「ほう?」

「土の色が違う。それに、奴らの人数を考えたら、無理だ」

「確かに……」


東西の土の色。畑に似せた南の黒色(こくしき)とは明らかに違う。

バイリーの見解に、今度はギュースが同意した。


「では、他からも攻めるとするか……」


王妃の願いは届かない。

ため息交じりに発すると、ギュースは西側を担当する童顔の副将(カプス)。同じく副将を務める東側の長身(ベインズ)に、配置に就くよう指示をした――



「正面だけは、通れるみたいだな」


大将バイリーを差し置いて、総大将のギュースは、自身の背後に立った副将(ブランヒル)に同意を求めた。

彼が受け持つ北側の出陣は、もう少し先である。


「はい。ですが、そう易しい話では無いかと……」

「そうだな……」


改めて兵の退いた痕跡を見やると、幅3メートル程の道が真っ直ぐ城門に伸びていて、その左右には断崖の落とし穴。

突撃を図ったところで、先ずは矢羽の餌食に。更には槍や投石によって叩き落とされるのは容易に想像できた。


「お主なら、どうする?」


総大将は振り向いて、副将(ブランヒル)に意見を求めた。


「危険を承知で、攻める必要はありません。ここは一旦、目先を変えたいと思います」

「そうだな」


ブランヒルの返答に、総大将は城に視線を戻して小さく頷いた――



夜明けと共に始まった争い。

薄雲りの向こうで眺めていた太陽は、そろそろ頂に達しようとしていた。


「水をくれ」


気温の上昇と共に、体力の消耗も激しくなる。

一方では城壁に立つ兵士が緊張を和らげるために水を求めると、もう一方では攻撃に参加した弓兵が、疲労回復のために水分を求めた。


「配置に就け」


しばしの停滞を挟むと、態勢を整えた侵略軍が再び動き出す。

頭髪を綺麗に剃った重心の低い大将が命じると、先ずは南の林から、ずらっと多数の兵が姿を現した。


「来るぞ!」


一方で|四角い顔の将軍(グレン)が動きを知らせると、トゥーラの弓兵は都市城壁の上で一斉に弓矢を携えた。


緊張感が、再び戦場を支配した――



「よし、掛かれ!」


バイリーの腕が前に伸びると、兵が一斉に林から飛び出した。

先頭は重装歩兵。大きな盾で矢羽を防ぎ、背後の弓兵を援護する。


「撃ってくるぞ! 気をつけろ!」


膝を落とした重装歩兵が並んで盾を翳すと、その合間から弓兵が狙いを定めた。

すかさず南西の見張り台から、グレンの大声が防御壁に向かって響いた。


都市城門から壕までの100メートル。

戦いの行く末は、この一点に集約されているかに思えたが……


「こっちも来たぞ!」

「慌てないで! 壕に付いてからで良い!」


朝から動きの無かった東西の軍勢が、同時に攻め入ってきた。


南東の見張り台。国王(ロイズ)が叫んだ。


「む?」


続いて、南西の見張り台に立つグレンが敵の変化に気付いた。

西でも重装歩兵の後には弓兵が続くと思ったが、姿を現したのは、長さ2メートル程の梯子を手にした部隊だったのだ。


南側の攻略は難しいと考えて、東西からの侵攻を図るらしい。


壕を認めてから、作り続けたのだろうか。その数がどれほどか、今は想像すらできない。圧倒的な戦力差が、目の前に形となって現れた瞬間でもあった。


「やる事は一緒だよ! 少しでも、削っていこう!」

「生きて酒を飲むぞ! 慌てるな!」


防御柵を巡る攻防が、東西でも始まった。


攻略方法を取得したスモレンスクの士気は高い。

ロイズとグレンはそれぞれの言い方で、冷静になるよう努めた――



空に広がる薄曇りの向こう側。太陽が頂に達した。


東西の壕の上、やがて一本、また一本と梯子が架けられていく。


「よし!」


手前の壕を渡った軽装の兵士が、柵同士を繋ぐ麻紐を剣でぶった切ると、持参した太い麻縄で柵を縛ってから、ぴょんぴょんと跳ねながら自陣へと戻った。


「引け!」


続いて掛け声と共に数人の手によって麻縄が引かれると、白旗を上げた防御柵は滑り出して、ついには壕の中へと引きずり落ちていった――



最初の防御柵を失って二時間。残った柵は半分ほどになっていた。

誰も無傷で終わるとは思っていないが、確実に削られているという実感は、嫌でも瞳に映り込んでくる。


「疲れたら、正直に言って! みんなで守るよ!」


それでも、抗う術はたった一つ。

国王(ロイズ)は端正な顔を崩すこと無く、努めて冷静に鼓舞をした――


「そこ、代わろう!」

「いえ、大丈夫です!」


一本の勢いが衰える。悟ったロイズが交代を命じると。兵士は抗った。

国王自らが指揮する東の現場。弱音は吐けない。

そんな意識が働くのは、当然のこと。


「いや、交代しよう。どうせまた、撃ってもらう事になる!」


それでも士気の低下と疲労を嫌ったロイズは、(のち)の憂いを断つために、明確なる意思を兵士に伝えた。



「カプス様!」

「なんだ?」

「こちらにも、落とし穴があります!」

「何? そんなバカな! ちょっと待ってろ!」


西の林で戦況を見つめていた童顔の副将は、兵士からの報告に、思わず瞳を丸くした。


「あれか? だが、大きなものでは無さそうだ」


自らで確認すべく、カプスは太い麻紐で腰を支えてするすると松の木を登っていくと、見通しを語った。


一部の土色が変わっている。それでも都市城門前にあるような、巨大な落とし穴には見えなかった。


「大丈夫だ! 城壁までのルートを確保しろ!」


犠牲は厭わない。

同じころ。東の攻略を任されたベインズも、変わらぬ指令を発した――



『突撃!』


東西で、ほぼ同時に号令の声が踊った。


進軍する軍靴。甲冑の擦れる音。兵士の声や息遣い。それらが混然一体となって、トゥーラを飲み込もうとしていた――


「さあ、忙しくなるよ!」

「は、はい!」


トゥーラ城の大広間。

異変を察して袖を捲ったのは、総大将の妻である。


普段は家庭に潜む女たちも、後方支援に回っている。

戦時下の澱んだ空気に覆われまいと、アンジェは高い声を発した。


「マルマ、指示をお願い! 食べ物は二階! あとは、水の確保! 止血用の布も要る。この部屋は、救護に使います!」

「はい!」


続いた指令には、ツヤのあるまるっこい顔が元気に答えた。


失敗を怖がって、顔色を伺い、指示を待ってばかりの古参より、若くとも率先して働く彼女を、アンジェは買っていた。


「先ずは、これから運ぶかな」


呼称して確認。マルマは目の前のテーブルに並んだ小さなパン生地たちを眺めた。


兵士は勿論のこと、支援に回る者の食事も用意する。

先程まで、大広間のテーブルはパン生地で埋まっていて、焼き窯はフル回転の状態だったのだ。


パン生地を薄い板に移すと、よいっと持ち上げて廊下へ向かう。

穏やかな空気すら流れる螺旋階段を登って二階に足を置いた途端、兵士達の声が嫌でも耳にやってきた。


「ラッセルさん、大丈夫かな……」


どの方角に居るのだろう。


窓越し。曇天の空を見やりながら、マルマは不安を表した――


「おおっ?」

「あ、すみません!」


突然に、パン生地を載せた板を持つ女性が背中にぶつかってきた。

ドンという衝撃に、マルマの茶褐色の細い髪の毛が、ふわりと揺れた。


「あ、私の方こそごめんなさい。ありがとう。重ねておいて。次もあるから」


板の四隅には低い足が設けられている。

言いながら、膝を落としたマルマが廊下に板を預けた。


(ぶつかったのが私だったら、この娘、倒れていたわね……)


細い背中を覗かせて、小麦粉の付いた華奢な指先で板を重ねる彼女を眺めると、腰に両手をあてながら、マルマは安堵の息を吐き出した。

麻布で覆った頭頂部から、短く無造作に切った金髪が、ところどころで輝いている――


「あなた、ちゃんと食べてる?」

「あ、はい。でも、緊張しちゃって……昨日は、あんまり食べる事ができなかったです……」


歳は同じ20歳くらい。

普段から食の細いであろう娘が言うのだから、マルマにしてみれば、殆ど食べていないのと同じである。


「これあげる。少しでも齧っておかないと、倒れるわよ」


得意気に口を開くと、マルマは薄い茶褐色のエプロンに付いたポケットから焼き菓子を取り出して、立ち上がった娘に差し出した。


「あ、ありがとうございます……」

「あなた、名前は?」

「あ、ライラと申します」

「じゃあライラ、今日は、私に付いて動いてね」


高身長の細身の身体は覇気がない。見るからに末輩(まっぱい)の娘。

マルマは明るい声を発しながらポケットから焼き菓子をもう一つ取り出すと、ポイと自分の口の中へと放り込んだ。


「さ、戻るわよ!」

「あ、はい……」


マルマの指示に応えると、ライラはふと、窓から覗く西の空を見やった――


「気になる?」


視線に気付いたマルマが、優しい声をかけてみる。


「あ、はい。父も、参加しているので……」

「そう……」


眉尻を下げたあと、王妃の姿を思いながら、丸顔に笑顔を作って励ました。


「でも、大丈夫よ。私が尊敬する人が、『大丈夫』 って言ってたから!」

「え?」

「本当なんだから! 大丈夫よ!」

「……あは。なんか、そう思えてきました」


全く根拠は無い。それでも自信に満ちている――

ライラは思わず吹き出して、緊張を緩めた。


「それ、早く食べちゃいなさい」


安堵を灯したマルマはライラの細い指先が掴む焼き菓子を指差すと、くるっと背中を翻した。


(ライエル様に、神の御加護がありますように……)


手指を組んだライラはもう一度、窓から覗く西側の低い空を見やって願いを捧げると、手にした焼き菓子の一片を齧って、先輩の背中を追いかけた――

お読み頂き、ありがとうございました。

評価や感想いただけると、励みになります。


名前は出していませんが、ライラは過去にも登場しております。

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