表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小さな国だった物語~  作者: よち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

221/221

【221.チェルニゴフ⑤】

キエフへの往路の最終日。


王妃の赤い髪を、夜明けの光が照らす中、一行は宿屋の主人と衛兵に別れの挨拶をして、デスナ川に向かった。


「ねむ……」

「おはようございます」


髪を麻布で覆った王妃が不満を零すと、背後から聞き覚えのある声がやってきて、振り返る。


「おはようございます。今日はキエフまで、宜しくお願いします」


リアは微笑みを作った。


「出航まで、もう少し掛かります。朝食でも、どうですか?」

「良いな!」


縮れた金髪も、朝の光を浴びている。


ミハルコが微笑むと、最年少のウィルが元気に応えた。



「あれが、乗船する船になります」


デスナ川を望む丘の上。

丸テーブルに案内されたところで、ミハルコは眼下の帆船を示した。


「でっかいな!」

「はい。安全が第一ですから」


ウィルが駆け寄って、柵に両手を預けた。


周囲では、同じように乗船前の食事を愉しんでいるグループが、それぞれの丸テーブルを囲んでいる。


「ところで……」

「はい」


一同が席に座ったところで、王妃は頭部を覆っていた麻布を外した。


「ご存じかと思いますが、私たちは、トゥーラから参りました。それなりの身分の方と、お見受け致します。お名前を、伺っても?」


折り畳んだ麻布を膝に乗せると、王妃は改まって正面に座った男に尋ねた。


「さすがに、隠し切れませんね。いつから?」


両の手首がテーブルの上に置かれると、男の目尻が下がった。


「最初に声を掛けられたとき……水夫の恰好でしたけど、汚れていなかったので……」

「なるほど」

「あと、水夫にしては、傷痕の数が多いので……」

「それは……長袖にしておけばよかった……」


頬が綻んで、男は小さく頷いた。


「ミハルコ・ユーリエヴィチと申します」

「ミハルコ……」

「ご存じなのですか?」


王妃が繰り返すと、右側に座るライエルが尋ねた。


「キエフの、守護者……」

「守護者……」

「スーズダリ大公の、弟……」

「え?」


返答に、青い瞳がミハルコに向かった。


「でもね。ミハルコさんは、キエフ側……ということで、宜しいですか?」

「そうですね……」


当然ながら、宗主国(リャザン)とトゥーラは同じ立場。


キエフやノヴゴロドへの遠征を繰り返し、その度に派兵を求めるスーズダリには、辟易している。


「何故、ここに?」

「いやあ……あの大公が政治的に惹かれる(かた)。しかも、女性ということで、興味がありまして」

「……」


王妃が尋ねると、ミハルコは両手を組んで身体を前にした。


「えと……それは、大公妃では?」

「え?」

「お誘いを受けたのは、大公妃です」

「……」


ミハルコを、大きな瞳が突き刺した。


「いや……そうなのですか? 私はてっきり、大公が呼んだのかと……」

「私は、大公妃だと思います」

「え? いや……私は、大公妃様とは、会話が無くて……」

「でしたら、認識を改めた方が宜しいかと」

「……」


強気の発言が、ミハルコの眼前から届いた。


(ジミルヴィチ)の軍事行動を、自身は何度も止めている。


妻から見れば、恨むべき存在――


「一方からの視点では、全体は映りません。(こちら)のライエルも、リャザンで一緒でした。あの人は気安く近付いて、要求だけは高いのです」

「そうなのですか?」

「まあ……こちらの王妃様と同じで、明るいのは確かなのですが……」


会話の対象は、大公妃。

ライエルは、苦笑するしかなかった。


「ヴァレーニキ、お待たせしましたっ!」

「やっと来た!」


ミハルコが王妃の発言を含んだところで、朝食がやってきた。


ウィルが諸手をあげて喜ぶと、店主からトレーを両手で受け取った。



一時間後。

自己紹介を終えた一行は、ミハルコに案内されて、帆船に乗り込んだ。


「すげえ。全然揺れねえぞ?」

「お願いだから、大人しくしててね?」


きっと、大国(リャザン)の使節と見做されている。


ウィルが興奮を表すと、リアの眉尻が下がった。


「わ、わたすが、見てまふので……」

「お願いね」


ルーベンが子守を買って出て、リアはため息を吐き出した――



たっぷりの水を湛えたデスナ川を、流れに任せて南下する。

頭部の麻布を剥いだ王妃は、船の(とも)に足を置き、離れていくチェルニゴフの教会群を眺めた。


「大公の治世を、どう思いますか?」

「……」


人影が近付いて、王妃に尋ねた。


予想通りの展開に、リアの足は向きを変えなかった。


「どう……とは?」

「思ったままを、話してください。お世辞を言えるような方なら、あの大公が招くとは思えない」


リアが答えを濁すと、ミハルコの奥目の瞳が微笑んだ。


「正直、今の状況は、信じられません。だからこそ、私は、ここに居るので……」

「危険を承知で?」

「殺すまでは、しないと思うので……」

「なるほど」


納得をしたミハルコは、リアの横顔を見るかたちで、艫のへりに腰掛けた。


「高い評価の理由は?」

「第一に、大公就任に当たって、遊牧民の襲撃がありません」

「確かに……何しろ、一緒に襲っていた側ですからね」

「そうですね」


大公の過去に触れると、二人は思わず吹き出した。


「恐らくは、遊牧民に労いの品でも贈っているのでは? 大公妃がハンガリーの公女ですから。遊牧民も、背後から討たれたくはないでしょう」

「確かに」

大公のお父様(ムスチスラフ様)は、それも見据えてハンガリーとの結びつきを強くした……考えすぎでしょうか?」

「どうでしょうね……ただ、結果として、今が在るのですから、評価しなければなりません」

「……」


ミハルコの兄であるスーズダリ大公(アンドレイ)にとって、ジミルヴィチは、(ユーリー)の代から続く仇敵のはず。


にも拘らず、穏やかな表情で功績が認められ、リアは静かに頷いた。


ジミルヴィチ(あの人)を大公に推したのは、ミハルコ様と聞きました」

「そうですね」

「でしたら、相承したのではないですか?」

「……考えすぎですよ」


王妃が瞳を合わせると、ミハルコは嫌って視線を下にした―—



「ところで、あなたが描く治世とは、どのようなものですか?」


しばらくの時間を置いてから、ミハルコが尋ねると、頭上に広がる帆布(はんぷ)が、風を捉えた。


「争いの、ない世界……」


赤い髪が広がった。王妃は前を見据えて呟いた―—


湖のようなデスナ川の水面には、淡い陽光が走っている。


「できそうですか?」

「……わかりません」


彼の口調には、嘲笑は含まれない。それでも、リアの瞳は陰った。


「ですが、争いばかりの世界にも、今は、光が射しています」


リアが続けると、視線はミハルコに向かった。


縮れた金髪が、陽光を浴びている。


「……何が、言いたいのですか?」

「いえ……」


問われると、王妃は答えを濁した。


その先は、無責任な要望で、軽々しく発言できるものではない。


「実は、大公から、あなたの話を聞きました。ロスチスラフ様の治世を、讃えているとか?」

「はい。せめて、あと一年。生きていらしたら……」

「そうですね。施策としては、アリですね」

「……」


ミハルコは、戦場の部外者をあしらった。


リアが語るのは、遊牧民(ポロヴェツ)の監視に諸侯が当たった、1166年の政策のこと――


「それでも、新たな治世の形を示すことは、できた筈で……」

「確かにそうですが、力なき正義は、ただの空論です。従わせるだけの威光があってこそ、人は動くのです」

「……」


ミハルコの正論が、リアの声帯を貫いた。


「それよりも、権力の移譲こそ、最大の課題なのですよ」

「……」


続けると、緑を含んだ奥目の瞳が、真っすぐに向けられた。


大公の跡目争いを、排除する―—


遺恨の残る相手にも拘わらず、ルーシの習わしに戻した彼の功績を、リアは改めて胸に落とした。


現在(いま)だけではない。未来に繋がる治世。


それこそは、彼女が願う世界の形――


「それで……ミハルコ様の、評価は?」


時間を置いてから、今度はリアが尋ねた。


「よくやってるんじゃないですか?」

「……」


縮れた金髪が、僅かに風に泳いだ。


「長く続くかは、怪しいですけどね……」

「そうですね……」


言いながら、ミハルコが足下に視線を落として、王妃は微かな違和感を覚えた―—

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ