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小さな国だった物語~  作者: よち


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220/221

【220.チェルニゴフ④】

チェルニゴフ。教会群が見守る石畳の大広場。


「サーロ。できたよ!」


両手でトレーを支えた食いしん坊(ウィル)が、丸テーブルを囲む3人の元に戻った。


豚の背脂を塩漬けにしたものがスライスされて、ライ麦パンの上に載っている。

白と黒。コントラストが美しい。


かなりの高カロリー。

しかしながら、12世紀の世界では、庶民が口にすることは稀であったのだ。


「お待たせ! ヴァレーニキの山盛り! おまけしといたよ!」

「おっちゃん! ありがとう!」


サーロを頬張るウィルの背後から、威勢の良い店主とともに肩幅以上のトレーが現れて、木皿にそれぞれの具材別に盛られたヴァレーニキが運ばれた。


餃子のような食べ物で、生地に包んで茹でるだけ。


調理方法が簡単で、トゥーラでも主食の一つだが、具材に地域差が現れて面白い。


「俺は、肉から!」

「じゃあ、私は魚で」

「わ、わたすは、は、葉物から……」

「デザートから、行っちゃおうかな!」


それぞれに、故郷の味と比較する。


「ふむ。大きな魚の切り身。下処理が違いますね。少し大味ですが、塩の塩梅が絶妙です」

「さ、さすがれす。こえ、湖沼の味がすます……」

「このベリー、食べたこと無い……やっぱり暖かい方が、果実の種類が多いのね……」

「うめえ!」


3人が具材を眺める傍らで、ウィルはヴァレーニキを次々と喉に流し込んでいた。


「ちょっと! 落ち着いて食べなさい!」

「だって、美味いんだもん!」

「おかわり、させないからね!」

「ええ?」


一気に平らげてしまいそう。

王妃が声を荒げると、途端にウィルの肩幅が狭くなった。


再注文は二品。

主食は下処理をした鶏肉や魚肉をタマネギと蒸したもの。希少品である胡椒と、塩の塩梅が食欲をそそった。


デザートは、定番のチェリーや柑橘系のジャムを包んだもの。備え付けのサワークリームを付けて食す。


「食ったぁ。久しぶりに、腹いっぱい!」

「私も、夜は食べられないかも……」


ウィルが背中を椅子に預けると、王妃は前屈みになって腹部を触った。


残りの二人は、苦笑いを浮かべている。


「このあと、どうする?」

「俺はもう、動けねえ」

「あんたね……」

「とりあえず、宿に戻りますか?」

「そうね……」

「他に、何か?」


王妃が幼馴染に軽蔑の視線を送る中、ライエルが尋ねた。


「お城に行って、イリーナさんに礼を言わないと……」

「そうですね」

「感謝を伝えるのは、外交の基本だからね。付いてきてくれる?」

「はい」


こうして二手に分かれると、王妃はライエルを伴って城に向かった。



「イリーナ様?」

「はい」


チェルニゴフ公の弟。ヤロスラフの奥方への面会を申し出ると、衛兵から怪訝な声が上がった。


「あんたら。昨日、着いた者か?」

「あ、はい!」


次いで、衛兵の足が城門の奥に向かうと、詰所から、別の顔が覗いた。


「ヤロスラフ様とイリーナ様は、揃ってグルーホフに出掛けた筈だ」

「グルーホフ?」

「母君が、お住まいなのだ」

「そうですか……」

「心配するな。アガフィヤ様からの申し渡しには、『構うことなく、好きにさせろ』 と書いてある。好きに過ごせ」

「あ、ありがとうございます!」


不在を知って伏し目になったところで、色良い返事がやってきた。


恐らくは、キエフ大公妃の発言が、そのまま伝わっている。


大きな双眸を覗かせて、王妃は二人の衛兵に感謝を告げた――



チェルニゴフ公(スヴァトスラフ)公の弟(ヤロスラフ)その妻(イリーナ)。更には公の母親(アガフィア)への手紙を衛兵に託して、トゥーラの王妃はチェルニゴフの公邸に背を向けた。


「あれは?」


街の全体を見渡してみよう。

丘の上まで足を延ばすと、遠方の平坦で、蠢く集団が目に入った。


「兵の調練? でしょうか……」

「みたいね……ああやって鍛えるのは、なんのため……かしらね……」

「……」


ライエルが答えると、王妃が呟いた。


「女性や子供を攫うため?」

「え……それは……」

「そうとしか、思えないんだけど?」 

「……」


青い双眸は、憂いを浮かべる王妃に向けられた。


「すべての国が、守ることに徹すれば良いのに……」

「……」


専守防衛を掲げるトゥーラの王妃は、大いなる理想を口にした—―



宿に戻ると、衛兵から入浴を勧められ、一行はデスナ川の直轄地に向かった。


「良かった……言い出せなかったんだよね」


リアが配慮に感謝した。


水浴びと焚火でワンセット。退屈な道中では唯一の癒しだったが、都市部に入ってからは不可能だったのだ。


「公衆の……バーニャ?」


短い青草を間に挟んで、幾つかの丸太小屋が並んでいる。


どうやら女性用の小屋もあるらしく、王妃の足は軽くなった。


「じゃあ、一時間後ね」


衛兵から渡された身分証を女性の管理人に提示して、3人に手を振った王妃は、いそいそと丸太小屋に身体を隠した。


「一時間も風呂に入るのか? あれ、熱いんだろ? 蒸し野菜になっちゃうよ!」

「ウィル君は、初めてですか?」

「う……うん」

「入りますか?」

「す、少しだけな!」


こうして手荷物を預けると、素っ裸になった3人は、白い湯気を発している丸太小屋の中に入った。


「熱っ!」

「こ、これは……なかなかですね……」


白い湯気で視界が塞がって、3人は思わずたじろいだ。


「やっぱり、俺は無理だっ!」

「待ちな! 坊主!」


ウィルが踵を返すと、湯気の中から男の声が飛んできた。


「な……なに?」

「そこは、入口だ。出たきゃ、出口から出るんだな!」

「で、出口?」


ウィルが困惑して固まった。男の姿も見えないが、出口の扉も湯気の中。


「冷えるだろうが! さっさと扉を閉めやがれっ!」

「す、すみまへん……」


更なる怒号が違う方向からやってきて、慌てたルーベンが扉を閉めると、熱気が肌に付着した。


「と、とりあえず、座りましょう」

「そ、そですね……」


上方に備わる採光口からの光は弱々しい。

どうやら部屋は縦長で、左右の壁沿いには腰かけ用の丸太が設置されている。


「俺、こんなところ、絶対に無理だ……」


右側に腰を下ろしたところで、ウィルが弱気を吐き出した。


「少しの我慢です。足元が見えないのは危険です。出口が開くまで、待ちましょう」

「う、うん……」


人の気配は、十人くらい。


出口に近い側に座っていたライエルが立ち上がると、ウィルに場所を譲った。


「ぐ……でも……もう駄目だっ!」

「あっ」


1分も経たないうちに、ウィルが立ち上がって駆け出した。


咄嗟の出来事で、ライエルも止めることができなかった。


「うわっ!」


湯気の中からすっころんだ音がして、ライエルとルーベンが下を向く。


「うるせえって言ってんだろ!」

「ガキが! 入ってくるんじゃねえ!」

「素人は、すっこんでろ!」


次々と、怒号とともに、足蹴にされる鈍い音が湯煙の中で響いた―—



「もう、バーニャには、絶対に入らねえ……」


数分後。

全身の痛みに耐えながら、洗礼を受けた青年はデスナ川の水に浸かっていた。


「まさか、あんな猛者が集う場所だとは……」

「さ、殺気が……す、すごかったでふ……」


助けに入ったライエルも、皆の怒りが収まるまでは、動けなかったのだ。


「どうやら、入っちゃいけない小屋だったみたいですね……」


女性用の小屋は一つだが、男性用は3つ用意されている。


不用意に足を踏み入れて、ライエルは後悔を口にした。


「でも、気持ち良いな!」


しかしながら、熱波からの冷感を享受して、額に青あざを作った青年は、明るい声を発した。

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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