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小さな国だった物語~  作者: よち


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219/219

【219.チェルニゴフ③】

チェルニゴフ。丘の上に聳える教会群から、南西に下ったところ。


「聖パラスケヴァ教会。ご存知ですか?」


入国を手助けしてくれた男性が、レンガ造りの土台を前にして口を開いた。


「パラスケヴァ……1000年ほど前に、迫害を受けながらも、布教に努めた女性? ですか?」

「そうです。東の果てにも、彼女の名は知られているのですね」


リアが答えると、奥目の瞳が微笑んだ。


「果て……」

「失礼しました。中央に住まう者の、驕りですね。『遠くまで』 と改めます」

「いえ……」

「しかし、信者であれば、知っていて当然。ですかな?」

「アレッタは、信仰してないぞ?」


すると、二人の背後から、ウィルが声を挟んだ。


「そうなのですか?」

「え……まあ……」


不思議そうに上から尋ねられて、王妃は言葉を濁した。


異端という認識は、他者によって断定されるのだ―—


「勉強中なのですが、なかなか難しい事情もありまして……」


不穏な空気を察すると、ライエルが助言した。


「事情?」

「リア様。失礼します」


言いながら、青年は王妃の頭を覆っていた麻布を剥がした。


「残念ながら、われわれ教徒にも、原因があるのです」

「……なるほど」


ライエルの瞳が鋭くなると、太い眉毛の下に備わる奥目の瞳が見開いた。


「赤い髪は、赤いベール。まさにあなたは、パラスケヴァの再来。というわけですな」

「……」


夜風が流れゆく。右腕を広げた男は、微笑みを送った。


しかしながら、リアが言葉を返すことは無かった――



「それでは、また」

「はい」


キエフへの出立を翌々日の朝と決めると、男は右手を上げて身体を翻した。


地平線に居座っていたオレンジ色は消え去って、満天の星明りが覗いている。


「バラスケって、初めて聞いた!」


宿への道を歩き出すと、ウィルが口を開いた。


剝き出しの好奇心は、止まることを知らない。


「文字は、読めるようになったの?」

「少しだけな!」

「私の手紙は、知ってるの?」

ルシード(おじさん)が、アレッタは元気だって教えてくれる!」

「そっか……」


個々の能力を理解して、画一的な教育は施さない。


義父。並びにおばさんの教育方針に、王妃は感銘を灯すのだった。



翌日の王妃は、昼前に目を覚ました。


実際は、日の出と共に目が覚めて、変容大聖堂の金色(こんじき)の移ろいを瞳に映すと、聖なる光と(はや)す心境を、少なからず享受した。


しかしながら早朝の寒威に耐え切れず、毛布を被って二度寝をしたのだ。


「お……おはょ……ござぃまふ」


扉を開けると、ルーベンが小さな椅子に座っていた。


要職の付き人も泊まる宿。監視用に備えてあるらしい。


「ウィルは?」

「ライエルさんと、外へいきますた」

「じゃあ、私たちも、出かけましょうか」

「ひゃ? ひゃい!」


思わぬ発言に、立ち上がったルーベンの声が裏返った。



「トゥーラに比べると、やっぱり暖かいね」

「そでふね」


緯度にして、約3度。300キロを南下したことになる。


小さな王妃を右に置きながら、ルーベンは適度な距離を保って行く先を任せた。


「あれは……洞窟の修道院?」

「そ、そなものが……あうのでふね……」


丘を登って四方を眺めると、南西に祠のような建造物が覗いた。


「キエフにあるのが有名だけど、チェルニゴフの洞窟も、なかなかのものらしいわよ?」

「……」


言いながら、リアの足が前へと進んだ。

丘を降りる足取りは軽いもので、神聖な場所という認識は皆無に思えた。


しかしながら、跳ねる背中を眺めると、無邪気な風貌も相俟って、ルーベンの頬は綻んだ。


「やっぱり、雰囲気あるわね……」

「き、きぉつけ……くださぃ……」


小さな松明を用意して、頭部を麻布で覆ったリアが足を踏み入れる。


洞窟の入り口は殆どが白色で、一部はレンガで補強済。

更に足を進めると、岩盤を一人が立って歩けるほどに切り開いた人工洞窟が現れた。


「……」

「ど、どか、されますたか?」


畏怖―—

たじろぐように動きが止まって、ルーベンがリアの背中に問い掛ける。


「ううん。大丈夫……」


リアの脳裏には、ロイズと二人で沈んだ、カティニの悲劇が蘇っていた――



「それにしても、アンソニーって人は凄い……というか、不思議な人だったんでしょうね……」

「こ、これを、造ったのでふから……」

「なんか、キエフまで、繋げる予定だったらしいわよ?」

「……」

「伝説だけどね。実際はありえなくても、そう思って進んでいくと、アンソニーさんの気持ちが分かりそうじゃない?」(*)

「そ、そですね……」

「1日おきにパンを食べて、水も少ししか飲まない。キエフで噂になって、崇められるようになって、弟子たちと洞窟を掘った……教会が完成したら、弟子に任せて山に洞窟を造って、そこで一人で暮らしたらしいわよ? でも、影響力を持ってた人だから、権力者から疎まれて、追放されちゃうのよね。逃げた先がチェルニゴフ。それから、ここでも洞窟掘って……って、どんだけ洞窟好きなのよ。冬眠中の熊か、コウモリの生まれ変わりなんじゃないの?」

「こ、コウモリは、群れ……まふから……」

「じゃあ、モグラで良いわ」

「……」


信徒のルーベンは、仄かに浮かぶ小さな背中を眺めながら、苦笑いを浮かべた。


要らぬ敵を生む。揶揄と受け取られる発言は、厳に慎まなければならない。


それでも神とは距離を置く王妃の発言は、市井の感覚として正しいのだろうと、従士(ルーベン)は胸に落とした。


「『あなた方は、心を尽くし……断食と、嘆きによって私に還れ』 か……こんなところで過ごしてたら、崇められるのも無理ないわね」

「……」


続いて心地よい聖書の一節に耳を傾けると、次には一転して王妃が飛び上がり、悲鳴が上がった。


「ど、どうしまったか?」

「な、何か……じ、人骨?」


石の壁面が、横に長い長方形に削られている。

松明を近付けると、明らかにそれと分かる、乾いた白色の物体が並んでいた。


「と、とりあぇず、祈りまほう」

「そ、そうね……」


視線を落としたルーベンが、胸の前で両手を組み合わせると、慌ててリアも続いた。


静かな祈りは、尊重なのだ……


故人や未来への崇拝。

両手を解くと、普段とは異なる趣を思想した―—



「アレッタ!」


下った丘を、ゆっくり(のぼ)っていくと、視線の先には残りの従士が二人いて、ウィルが右手を振っていた。


「申し訳ありません。礼拝に出ていました」


合流を果たすと、ライエルが謝罪した。


「大丈夫。って、ウィルも行ったの?」

「だって、ヒマだもん」


言いながら、最年少は両手を首の後ろに回した。


「あんた……大人しくしてたの?」

「してたよ!」

「本当?」

「本当だよ!」

「ええと……キョロキョロしてました。相当、珍しかったんだと思います」

「そっか」

「凄いんだぜ! 壁いっぱいに、絵があるんだ!」


王妃が微笑みを浮かべると、護衛の任務が軽減されて、ルーベンは胸を撫で下ろした。


「そういえば、何も食べてないな……」

「あっちに、屋台が出てたぞ!」


腹部を触ったリアの提案に、ウィルが呼応して、足の回転を早くした―—



「サーロを4つと、ヴァレーニキ、山盛りで!」(*)

「あいよ! 具材は、何でも良いのかい?」

「うん!」


教会群が見守るチェルニゴフの大広場。


リアから注文は任せると伝えられ、ウィルは店舗の前で瞳を輝かせた。


「ここまで来れば、大丈夫でしょ」

「そうですね……」


広場に備わる丸いテーブルを、3人で囲む。


キエフは目前で、路銀の心配は無くなった。


大公妃の希望に応える条件は、路賃の負担だったのだ。


トゥーラは小さな農産国家。外貨の獲得を担う輸出品は、蜂蜜や小動物の毛皮が精々で、財政事情は厳しい。

それでも最近は、黒貂(くろテン)の毛皮が高値で売れるようになり、幾らか余裕が生まれている。


一方で、輸入品は香辛料やワインが少量。宝石やイコンなどの美術品は排除して、鉄器が殆どという状況が続いている。



「いかがでしょう! この輝き!」


ある日商人がやってきて、女中頭(アンジェ)の家で袋いっぱいの宝石をテーブルに並べた。


「要る?」

「以前は、主人が大皿とか手に入れてましたけど、今は、来訪者も居ないですからね……」


椅子に座ったリアが瞳を上げると、後方で立っていたアンジェが困惑を浮かべた。


「というわけで、要らないわ」

「なんとっ! それは勿体ない!」

「そうは言ってもね……」


ため息交じりに吐き出すと、商人が言い返した。


「我々は、貿易商人です。売買の量が減ってしまっては、立ち寄ることは難しくなりますよ?」

「それは、そうなるわね……」

「困りませんか?」

「うーん……確かに。販路を狭くするのは、愚策よね……」


考えて、リアは腕組みをした。


「どうですか? 教会に、この肖像画イコン! 今なら、十字架もセットでお買い得!」

「そう言われても……ウチの教会は、木造だからね……豚に真珠を投げるようなものでしょ。欲しくないものを買っても、得にならないわ」


鼻息を荒くした商人に、リアは慣用句で返した。


「なんと……では、ご入用なものはなにが?」

「そうねえ。情報が欲しいかな……」

「情報?」

「そう。聖書じゃなくて、叙述詩や日記みたいなのが良いんだけど。ある?」

「なかなか、そういったものは、仕入れた事が無く……」


芳しくない答えが戻ると、王妃はテーブルに両肘を預けて両手を組み合わせた。


「じゃあ、あなたの日記で良いわ。立ち寄った先の噂話や、景気なんかを、教えてほしいの。書くのが難しかったら、口頭で聞かせて欲しい。どう?」

「それなら……」

「ありがとう! 商談成立ね!」


小さな要塞国家は、取り残される不安を消すために、こうして情報収集をしていたのだ—―

*アンソニー・ペチェルスク

 洞窟修道院の創設者。1069年にチェルニゴフに移動。再びキエフに招かれて、1073年に没した。

 ちなみに、キエフ ー チェルニゴフの距離は、145キロ。

*サーロ

 豚の脂身の塩漬け。胡椒をかけて食すことも。

*ヴァレーニキ

 現在のウクライナやポーランドの国民食。小麦粉に水を加えた皮で、野菜や肉、果実を包み、茹で上げる簡単な料理。


お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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