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215/217

【215.傍観者】

大地が緑を示す前。


大仰な護衛たちの中心で、キエフに向かう一行は馬車に揺られていた。


「軍勢を率いてるみたいだな!」


広漠な大地を進むほどに数は増していき、今では300くらいか。ウィルが興奮気味に口を開いた。


周囲の雰囲気は穏やかで、それぞれが馬上で談笑しながら西に向かっている。


「ウパ川は渡れない。北へ向かうが、良いか?」

「お願いします」


キエフを最短で目指すなら、渡河をして西へ行く。

カモサが荷台に近付いて、ライエルが頷いた。


ルーシの縄張りは、いくら護衛であろうとも、足を踏み入れない。


徹底した管理もまた、彼ら(ヴァティチ)の安全を担っている―—



やがて、オカ川への流入部に辿り着く。


「では、お気を付けて」

「ありがとうございました。帰りにまた、立ち寄ります」


ウィルとカモサが槍術をライエルから習う傍らで、トゥーラの王妃はヴァティチの族長と一時の別れを交わした。


「スモレンスクとチェルニゴフは、大丈夫だと思いますか?」

スーズダリ大公(アンドレイ)(そそのか)されても、ロマンは動かなかった。チェルニゴフとキエフ大公は繋がりが強い。キエフに向かう使者を襲うことは、無い筈だ」

「そうですね」


族長の微笑んで、リアは小さく頷いた。


情報収集が、彼らの最も秀でた掌理。

当然ながら、義父(ルシード)を通してトゥーラへと伝わっている。


やがて一行は、北風に助けられながら、小舟でオカ川を遡上した。



「止まれ!」


20メートル弱の川幅を進むこと一時間。


右側の茂みから馬頭が覗くと、船は停滞を余儀なくされた。


「大丈夫です」


襲撃ならば、声を掛けずに撃って来る。


素早く槍を手にしたライエルが、盾を構えたルーベンとウィルを制した。


咄嗟に(うずくま)った王妃の背中を、幼馴染が(また)いでいる。


「久しぶりだな」


現れた人物は、膨らんだ上腕筋をひけらかした。


「人が悪いですよ。ブランヒルさん」


聞き覚えのある声。

口を開いたライエルの、目尻が下がった。


「誰?」

「さあ……」


足の位置はそのままで、呆然となったウィルが尋ねると、ルーベンも立ち上がった。


「あ……」

「知ってるの?」


ウィルの股下から、王妃の高い声。


やがて4人を乗せた帆船は、緑が芽吹く川岸で、下馬をした男に近付いた。


「人数は、これだけか?」

「はい」

「お人好しだな。相変わらず」


尋ねると、戻った女の声にブランヒルが呆れた。


「外交の基本は、信じることですから」


ライエルの手を借りて船を下りると、王妃の双眸が男を見上げた。


「危ういな」

「当然。相手は選びますので」

「それは……光栄だな」


瞼を閉じてから、王妃は再び瞳を上にした。


怒りに震えた別れから数か月。停戦協定を結ぶと、大国(スモレンスク)からの干渉は無くなった。


背景には世情の変化が在るにせよ、平和な時間を享受している―—


「何故、ここに?」


支配地の南端で、見たところ、単独行。ライエルが尋ねた。


「様子を見に来たんだよ。頼まれてな」

「……」


送る文書の宛名は、彼の弟分。


ブランヒルが見据えると、カルーガで受けた告白を思い起こして、リアの頬が紅くなる。


「それは、ありがとうございます」

「ああ。そのうち、会いに行ってやれ」


リアがお礼を述べると、ブランヒルは視線を横にした。


「改めて、お礼を述べたいのですが……帰りは?」

「わからんな。お前らに付き合う義理は無い」

「そうですね……」

「ウパ川を、使うのか?」

「はい」

「話だけは、しといてやるよ」

「ありがとうございます」

「……」


(しお)れた大きな瞳が見開いて、ブランヒルは看板娘(ニーナ)が大人になった姿を思い起こした。


「アレッタ! どうするの? 良い風が吹いてるよ?」

「あ、うん」

「そうだな。早く行け」

「はい」


待ち(あぐ)んだウィルが催促をして、やがて4人は船上に戻った。


(惚れるなって言う方が、ありゃあ無理だな)


数分後。土手の上。

流れていく帆船を眺めながら、ブランヒルは弟分の心情を馳せてみた—―



「チェルニゴフ。初めて来たな!」


北風の恩恵を受けながら、オカ川を遡上する。


集落と思わしき建物が現れて、ウィルが身体を前にした。


丸太で築かれた一番高い建築物の屋根には、十字架が掲げられている。


「やはり、キエフに近づくと、空気が違いますね」

「そうか?」

「わ、わかりまふ……」


ライエルが南西を眺めると、ウィルが振り向いて、ルーベンが頷いた。


ヴァティチの牧歌的な雰囲気は薄らいで、整然と整えられた黒い畑や牧柵が目に入る。


「なんか、出てきたぞ?」

「祈りが、終わったのでしょうか……」

「祈りってなんだ? 『雨よ、降ってくれ』 とか願うのか?」

「恵みを祈るのですから、間違ってはいないですね」


教会から出てくる人の羅列を認めると、ウィルの疑問がやってきて、ライエルが答えた。


「なんで、教会(あの中)でやるんだ? 光だって雨だって、空から来るんだぞ?」

「それは……」

「ウィルは、偉いね」

「ん? 何が?」

「不思議だなって思うこと。それが大事なの。忘れないでね」

「そうか? えへへっ」


唐突に褒められて、ウィルの頬は綻んだ。


「あの……ロイズ様は、神の信奉者ではないのですか?」

「マルマから、何か聞いてるの?」


トゥーラには、築城と並行して建てられた、古びた教会が一つだけ。


前の統治者(ブルンネル)に深い信仰心は無かったが、それでも記念日には教会に赴いた。


対して今の国王夫妻には、宗教に対する忌諱すら感じるのだ。


「いえ……特には……」

「私もあの人も、ウィルと一緒だからね。水や大地に感謝と祈りを捧げてきたのに、いきなり神様なんて言われても、信じることは難しいわね……」

「そうですか……」


988年。

洗礼を受けたウラジーミルは、キリスト教を広めるために、土着の信仰を破壊した―—


集落を眺める王妃に視線を移しても、リャザンで生まれ、信仰が身近にあったライエルは、不思議な別の世界を思い描くことはできなかった。


「神様がやってきて、ルーシは平和になったの?」

「それは……どうでしょうか……」

「神様に救われた。神様に殺された……いったい、どっちが多いの?」

「……」


大きな双眸が、ライエルに向かった。


「神様がいなければ、殺された人は生きていた。じゃあ、救われた人は、全員死んでたの?」

「それは……」

「違うでしょ? 他の何か。家族。恋人。食事。書物に救われたんじゃないの? だったら、神様ってなんなの?」

「……」


思いを吐き出すと、王妃は背中を()()に預けた。


西で暴れる十字軍。

宗教は、多大な災いを齎している―—



「そろそろ、何か見えませんか?」

「あれ……でふか?」


ルーベンがライエルの声に応えると、松林の向こう側に、ぽつんと白い旗が現れた。


親子だろうか。二人の遊牧民が土手に座っていて、こちらに気付くと、年長者が立ち上がった。


「キエフまで、宜しくお願いします」

「……確かに」


下船したライエルが、キエフとチェルニゴフの紋章の入った、割札替わりの麻布を男に手渡した。


連水陸路を利用して、デスナ川へと向かうのだ。


傍らの松の木々には、4頭の馬が繋がれている。


「人手が足りん。手伝ってくれよ」


年長者が指示すると、麻のロープを結んだ船を全員で土手の上に引っ張り上げて、更には丸太を船尾に括りつけ、舳先を持ち上げて、斜めになった馬車の荷台に船底を預けた。


「ご苦労さん」

「なかなか、きついですね……」


普段使わない筋肉が、悲鳴を上げている。


3人が腰を落とす傍らで、立ったままのライエルが服を脱ぎ、上半身を露にした。


「どうする? 出発するか?」

「お願いします」


年長者が尋ねると、王妃が答えた。


やがて船を引き摺る二頭立ての馬車が先を往き、船主を荷台に乗せた馬車が監視を兼ねて後から続いた。


「そ、そぅぃえば……」

「なに?」


丸い乾パンを皆が持つ中で、ルーベンが口を開くと、リアの顔が向けられた。


「トーラにも、キリット教を学んだ人が、た、たくさんいまふ。気を付けまふように……」

「それ、いつの話をしてんのよ……」

「も、もすわけ、ありません」

「ぷっ。くくっ。いいわ。ありがとう」


思わずリアが吹き出した。


「ルーベンさん、面白いな!」


地平線に接する夕陽の中で、4人の笑い声が沸き起こった――

お読みいただきありがとうございました。

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