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214/217

【214.言伝】

白樺の林を左右に眺めながら、キエフに向かう一行は、春を迎えて水量の増したウパ川を、西へと向かっていた。


チラチラと、時おり人馬の姿が目に入る。

風上に向かう船足を、馬に乗ったヴァティチの居住者が、のんびりと見守っているらしい。


その度に、足元の弓を掴むライエルの隣で、ウィルがにこやかに右手を振っていた。


「ねえ。交渉して、オカ川まで運んでもらったら?」

「確かに、その方が早そうですね……」

「できそう?」

「聞いてみる!」


リアの提案を発端に、ウィルが船から川岸にジャンプした。


土手を駆け上がっていく青年の背中を眺めながら、ライエルの両足が川岸に収まると、王妃の手を取って下船を助けた。


「アレッタか? 大きくなったな……それに、綺麗になった……」


頭を覆っていた麻布を剥がすと、赤い髪が風に泳いだ。

土手を上ってリアが近付くと、ヴァティチの中年男性が上から賛美した。


「ありがとうございます……」

「ルシードには、世話になったからな。条件次第で、引き受けよう」


伏し目になったリアが瞳を戻すと、男はにこやかに微笑んだ。


認識は無かったが、恐らくは集落の(おさ)である。


「私たちが向かう先は、ご存じですか?」

「キエフだろ?」

「私たちは、招かれました。ここに、大公からの手紙が有ります」

「それで?」


小さな右手が胸元を抑えると、男の口角が上がった。どうやら交渉を愉んでいる。


「見ての通り、貢ぎ物を持っている訳でもありません。路銀もギリギリです。後払いでお願いできますか?」

「仕方がない。それは、飲んでやろう」

「ありがとうございます。それでは、お金で買えるものを一つと、お金では測れないものを一つ。持ち帰ります」

「ほう」

「ご入用のものは、ございますか?」


両手を広げると、最後は上目遣いで尋ねた。


「これといって、思いつかないな。任せるとしよう」

「……わかりました」


指定された方がありがたい。

それでも表情だけは変えないように、王妃は伏し目になって答えた―—



その日の夜は、ヴァティチの集落で過ごすことにした。


円形の髪飾りを付けた女性たちが、酒と食事の用意を始めると、方々で焚火が起こされて、男たちが囲んだ。(*)


ルーシの国家が興る以前から、彼らは大地で生きてきた。


西からやってきたヴァイキングに屈することなく、分散した集落に築いた強固な絆と、地形を生かした戦術によって営みを繋いできたのだ。


聖公(ウラジーミル)が記した『教訓』にも、「二年続けてヴァティチの支配を目論んだが、敵わなかった」 と記されている―—


「余興の相手を、お願いします」


トゥーラの客人は、焚火を囲んでの食事中。


木椀に入ったスープを愉しんでいたライエルに、ヴァティチの若者が話し掛けてきた。


「喜んで」


歳は同じくらい。右手には、槍を持っている。


察した美将軍は、足元の槍を手に取ると、立ち上がって一番大きな篝火の前に向かった。


「お! 始まるぞ!」

「開けろ開けろ!」

「俺は、カモサに10枚!」

「乗った!」


即席の闘技場が現れて、同時に賭場が開かれた。


集計係が湧き出して、木の札を証紙代わりに手渡している。


「どっちが勝つと思う?」

「ライエルに決まってるでしょ」


王妃の護衛たるもの、負けは許されない。


興奮気味にウィルが尋ねると、リアが短く答えた。


「構えて!」


両者の間で立会人が腕を掲げると、空気が張り詰めた。


「行きます!」


ライエルより背丈は低くとも、腕の太さは同じくらい。


頭を低くして、カモサは正面から突っ込んだ。


「はあっ!」


鋭い三連の突きを繰り出すも、見切ったライエルは左に動いた。


すると追い掛けるようにして、槍が昆となって空気を横に切り裂いた。


「くそっ!」

「これは……ありがとうございます」


通常より細い槍。それでも軌道変更には相当な腕力が必要だ。

腕のしなりが独特なのだろうか……


紙一重。後ろに跳ね飛んで躱した美将軍は、初見の武芸に微笑んだ。


「美しいわね……」


しばらくすると、ヴァティチの女たちも、足を止めていた。


力量差は明らかで、ライエルは穂先を下げたまま、小刻みな重心移動を繰り返す。


眼差しは真剣で、礼儀を欠いている訳では無い。


「はあ……はあ……」


カモサの肩が揺れている。仲間の前。無様は晒せない。


なんとか穂先を。せめて、触れるにはどうしたら……


会場の空気は決着の行方に移ったが、裁く決め手を逸した立会人は、焦りに襲われた。


「では」


数歩を後ろに刻んだライエルが、穂先を初めて前にした。


「へ?」


警戒心。

カモサが肘を畳んだ刹那。美将軍は一気に足を運んで、槍を大地に突き刺すと、同時に跳ね上がり、空中で体勢を入れ替えると、カモサの背後に降り立った。


「……」


ヴァティチの若者は、動けなかった。


「勝負あり!」


立会人が右手を掲げると、輪になった観客から歓声が起こった。


賭けに負けた者でさえ、演舞に諸手を上げている。


「ラィエルさんは、槍が似合いまふね」

「すげえ……」


ルーベンが呟くと、リアの隣で、ウィルの瞳は見開いた。


「くそっ!」

「立て。人は敗れた時にこそ、真の姿が見えるのだ」


カモサが腰を落として悔しがる。

届いた声に見上げると、族長の顔が覗いた。


「……」


癇癪は起こさない。それでも自身に対する怒りが残る。


不貞腐れながらも、カモサは自らの足で立ち上がった。


「お見事。手抜きナシ。恐れ入りました」


賞賛に戸惑っているライエルに、カモサを背後に従えた族長が近付いた。


「ありがとう。勉強になりました」

「……」


初見の武芸には驚いた。世間は面白い。


ライエルが右手を差し出すと、下がっていたカモサの右手がゆっくりと上がった。


「息子よ。顔を上げろ」


指先が触れたところで、族長が囁いた。


カモサが視線を上げると、対峙した男は微笑んでいた。


「また、お願いします……」


武芸を追及する姿勢―—

感服を宿すと、ヴァティチの青年は伏し目になって呟いた。


「喜んで」


勝者が成り立つのは、敗者があってこそ。


賞賛と拍手に包まれる。

顔を上げたカモサの頬に赤みが差すと、やがて高揚が訪れた—―



歓迎の宴が続いた翌朝。

ウイルが目覚めると、そこらじゅうに男の体が様々な体勢で横たわっていた。


「起きましたか?」


顔を上げると、馬車の車輪に背中を預けたライエルから声が掛かった。


馬は荷台から外されて、のんびりと草を食んでいる。


「おはようございます」

「おはよう」


瞼は半開き。ウィルが口を開くと、整った顔立ちが微笑んだ。

朝日を浴びる美男子は、彼から見ても絵になった。


「ずっと、起きてたんですか?」

「いやいや。早めに眠ったんですよ」

「……」


そういえば。

宴の主役だったのに、いつの間にか抜け出して、部族の相手はルーベンさんが務めていたような……


吃音を揶揄われるようなことはなかったが、酒を次々に勧められていた。


「アレッタは?」

「中ですよ」

「……」


美男子の瞳が上に動くと、ウィルは護衛としての未熟を悟った。


昨夜のアレッタは、酒の気配から退避して、女性たちの中に居た—―


しかしながら、その後の記憶がない。


一方で、ライエルは護衛の対象を追っていた—―


「でも、よく起きれたね……」


果たして、睡眠は足りているのか?


不思議に思って聞いてみた。


「え? 寝る時に、『起こしてください』 って、リア様に伝えただけですよ?」

「……」


それが、浮かばなかったのだ……


返答に、ウィルの口は開いたまま固まった—―

*円形の髪飾り(ヴィソチノエ・コリツォ)

女性の装飾品。部族を判別するために、模様や様式がそれぞれで異なっている。

また、この時代、男性でも耳飾りを付けていて、文様の複雑さ。材質によって身分の上下を表した。


お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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