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小さな国だった物語~  作者: よち


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201/218

【201.未来】

ブルガールへの略奪遠征に成功した軍司令官(ボリス)がムーロムに戻って三日後。

白銀のヴォルガを北から下ってオカ川に入ったリャザンの軍師が姿を現した。


「無事でしたか!」

「上手く行ったようですな。良かった……」


ボリスが笑顔で迎えると、疲労を隠せないワルフと固い握手を交わした。


「ヴォルガの陣は、どうなってましたか?」

「荒らされた様子は、ありませんでしたよ?」


青年の安否を真っ先に問われると、ワルフは不思議そうに答えた。


「人の姿は?」

「いや、誰も?」

「そうですか……」

「何か、ありましたか?」

「いや……」


ワルフが落胆を認めて尋ねると、ボリスは思わず視線を逸らした――



ムーロム城で夜を迎えると、ボリスは改めてワルフを自身の客間に招いた。


「ワルフ殿は、ゴロデツにも伝令を送ったとか?」

「ええ。送らなかったら、今頃は少ない手勢で孤立して、全滅ですよ」

「……流石ですな」

「いやいや。敵を招いたのは私です。当然ですよ」

「……」


手にしたマグに酒が注がれると、ワルフは謙遜を口にした。


「そういう意味では、ゴロデツの者が戻っていないので、未だ戦いは終わっておりません」

「……あなたのような気遣いが、我々には足りませんな。兵の扱いが軽すぎる」


ボリスは幕舎から聞こえてくる戦勝の宴に耳を傾けると、思ったままを吐き出した。


「この戦い。ノヴゴロドの者たちが、一番の被害者です。ですが恐らく、出兵すら無かったことになる……」

「……失礼ながら、それを含めての遠征なのでは?」


アンドレイの思惑を、恰幅の良い身体を椅子に沈めるリャザンの軍師が口にした。


「お見通しですか……」

「我々も、例外ではありません」

「はっきり仰いますな」

「はは……」


ボリスが複雑な笑みを浮かべると、ワルフは苦笑いで返した。


「どうしても、不安なのですよ」

「……」

「敵が増えるばかりです。若い臣下も、育ちません」


ボリスは悔しそうに吐き出した。

有能に対する嫉妬心。恐らくは、国が滅びる根源である。


「臣下の事は、分かりません。ですが、スーズダリには有能な、手長公のご子息が居る。スーズダリ大公。キエフ大公。後にはミハルコ様。フセヴォロド様が控えます」

「そうですな……」


実働部隊である臣下の立場の向上は、怠ってはならない—―


それでも、血族による支配には抗えない。


忸怩たる思いを抱えた軍司令官には、ワルフの慰めも効果は薄かった。



それから二日を数えると、ゴロデツの従士がムーロムに姿を現した。


「生きてたか!」


決戦前。二週間ほどをスーズダリの従士はゴロデツで過ごした。


再会に、幕舎では歓喜の声がこだまして、ブルガール産の発酵酒で酒宴が開かれた。


「追っ手の姿が見えたんだ! お前ら、危なかったんだぞ!」

「ほんとかよ……」

「だったら、神の加護が宿ったんだ!」

「おお! 違いねえ!」


極寒からの解放も手伝って、従士たちは思い思いに神への感謝を口にした。


「ボリス司令官! リャザンの軍師は、どこですか?」

「彼らは……お前らが戻ると聞いて、帰ったよ」

「え?」

「ここは狭いからな。リャザンは遠くない。いつか、赴くとしよう」

「はい……」


幕舎を訪れたボリスは、落胆した従士を慰めた――




ムーロムを出立したリャザンの一行は、二日の行程で帰還した。


「よくぞ戻った!」


オカ川を望む高い土手。(そり)が麻縄によって引き上げられると、リャザン公(グレプ)が出迎えた。


「申し訳ありません。やはり、何も持ち帰れませんでした……」

「それは良い。兵はどうした?」

「失ってはおりません。一兵たりとも」

「十分だ! グレヴィも、頑張ったな」

「はい!」


目尻の下がった父を前にして、出陣の度に成長を自覚するリャザンの後継者は、精悍な顔つきとなっていた。


「しかしグレプ様。喜んでばかりもいられません」

「む?」

「勝利して、取り分が無い。兵の不満は、きっと溜まるでしょう」

「褒美など、こちらで出せば良い」

「そういう話ではありません。アンドレイの良いように使われている。兵だけじゃなく、民衆だって、思うでしょう」

「……では聞くが、どうすれば良かったと言うのだ?」

「私は、出陣は控えるべきだと申しました!」

「そうは言ってもな……」

「そうです。終わったこと。仕方ありません。しかしながら、『次は無い』。これだけは、心に留めますように」

「……分かった」


キエフとの絆は保ったままで、スーズダリとも握手を交わす—―

八方美人とまでは言わないが、事あるごとに双方に擦り寄っては、疲弊を招くに違いない。


頬の肉を幾らか削ったワルフは、強い視線で訴えた。



「ワルフ殿が正しい……今では、そう思います」


暖炉の前。別室に移ったグレヴィは、ソファに肘を預けると、隣のソファに腰を落とした重臣に伝えた。


戦場で、軍師を残して引き返した。

危機感を覚えた撤退は、次の領主という自覚を促していた。


「……それだけでも、遠征の価値はありました」


二人の間には、酒の入った陶器と二つのマグが置かれている。


ワルフは陶器を手にして酒を注ぐと、グレヴィに手渡した。


「ですが、父の言うことも分かるのです。チェルニゴフやスモレンスクを間に挟んで、キエフは遠すぎる……踏まえて、リャザンはどう動くべきだと考えますか?」


マグを受け取ったまま、グレヴィが軍師に尋ねた。


「西からの移民が増えて、永らくリャザンの民であった者たちの考えは、薄くなっています。遠征が領地の安定のためだと考えず、他国と同様に、戦利品を求める過激な行動に変わっていくでしょう。ですから先ほど『次は無い』 と申したのです」

「……」

「それでも戦いは訪れて、グレプ様は同じ結論に至るでしょう。そのたびに国力を削いでゆく。今の現状は、変えなければなりません」

「どうやって?」

「農政に舵を切るのです。交易商人の力も借りて、リャザンは懲りたと広めるのです」

「……」


トゥーラの政策を、大国リャザンでも。

ワルフの脳裏には、リアの得意げな表情が浮かんでいた―—




トゥーラの3階。国王執務室。リャザンからの手紙が開かれてリアの視線が走ると、僅かに口角が上がった。


「嬉しそうだね」


暖炉前。小さなテーブルを挟んで椅子に座るロイズが微笑むと、二人を見守る形で足を置いたラッセルも、ほっと胸を撫で下ろした。


宗主国(リャザン)の軍師との繋がりは、残さなければならない。


つまらぬ戦いで、絶たれるような事があってはならないのだ。


「これは、リア様の描くものと、合致するのでは?」

「そうね。生きていく根幹は、食べることだからね」


受け取った手紙に目を通すと、ラッセルの細い視線は王妃に向かった。

しみじみと、瞼を一回閉じてから、リアの赤い唇が開いた。


「大体ね。リャザンもスモレンスクも、スーズダリも、領地はいっぱいあるじゃない!  トゥーラでさえなんとかしてるんだから、なんとかしなさいよ!」

「……それ、ワルフに言ったの?」

「言ったわよ! グレプ公にもね!」

「……」


ロイズが尋ねると、回答は怒気を含んだ。


灯った思いは伝えるべき――

幼少期の後悔が、今の彼女となっている。


初見とのギャップも相まって、強気な姿勢が届く事は多いが、実践されているとは言い難い。


ロイズは改めて、彼女の支えを自覚した。


「楽な方に靡くのは、仕方ないのでは?」


世情から、ラッセルが口を開いた。


遊牧民は勿論。領主さえ、略奪遠征に向かうのが習わしとなっている――


「誰かの落涙を、代償として?」

「……」


生き残った者は、神に選ばれし者。

戦って命を落とす者もまた、神の祝福を受ける者―—


書物でも。カティニでも。リャザンでも耳にした大いなる疑問の根源を、椅子に座った小さな王妃は口にした。


「そうやって、我々(ルーシ)は生きてきたのです……」

「これからも?」

「……」


先祖の声を代弁した尚書は、戻った問いに押し黙った。


()めるべきなのよ。でもね、手段が分からないの……少しずつ、少しずつ、広めていくしか無いのかな……」

「さ、三圃制が広まれば、糧食に困ることも無くなります! きっと、争いも減るのでは?」


悩む王妃を励まそうと、尚書が明るい見通しを語った。


「豊かになれば、争いは減ると思う?」

「え? ど、どうでしょう? ……減るのでは?」

「そうなのかな? なんとなく、そんな風には思えないんだけど……」


漠然とした感覚を、ため息交じりに吐き出した。


恐らくは、間違っていない。


木の実を採取。狩猟生活のころを思えば、格段の進歩である。

それでも争いは終わらない。むしろ文明の発展に比例して、戦禍も過大なものになっている――


「止めないとな……」


未来はきっと暗い。


小さな国の小さな女性は、焦りを含んで呟いた―—

お読みいただきありがとうございました。

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