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小さな国だった物語~  作者: よち


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200/219

【200.ブルガール遠征②】

当小説の、主な描写地(この項は、主に右上)

挿絵(By みてみん)

小雪の舞う中を、ワルフは200の手勢でヴォルガの支流を北に向かっていた。


彼が知るところではなかったが、簡易な囮は効果を発揮して、ブルガールの軍勢を半数に割っていた。


「このまま、ゴロデツに?」

「いや、オカ川を目指す」

「できますか?」

「……分からんな」


北に向かったと思わせて、自身は西に向かいたい。


降雪量は減っている。橇の航跡は残る筈。

部下の問いかけに、ワルフは正直な思いを口にした。


「林を通るぞ!」


白樺の林や松林を目に入れて、ワルフは氷結した河川から一旦外れる形で馬頭を向けた。


やがて林の中で西に向かう一隊を設けると、自身は北に向かって、更には航跡を消すために木の幹を蹴ったりしながら進んだ。


林を西に抜けた一隊は、再び北に向かってワルフと合流を果たした。


「オカ川は、左ですよ?」

「分かっている」


部下の忠告を退けて、ワルフは再び林の中に隊を進めると、同じ動きを繰り返した。


「次の林で、西に向かう。数人はゴロデツに行ってから、ヴォルガを下れ」


ゴロデツの砦には少数が残っている。囲まれては全滅必至。

ワルフは仲間を逃がすべく、糧食と空の橇を積んだ一隊を派遣した。


「リャザンの人は、優しいですね」

「ん? そうか?」


北西に向かう一隊が離れると、スーズダリの従士から声が掛かった。


ワルフにとっては当然の配慮だが、彼らは違和感を起こすらしい。


正面からの粉雪を受けながら、明確なる相違に彼はまたもやトゥーラの幼馴染を想った――



ワルフの思惑通り。ヴォルガ川の支流を北に向かったブルガールの軍勢は、橇の航跡を追っていた。(*)


「他に、航跡は無いか?」

「見当たりません」

「囮かもしれんな……」

「どうします?」

「だが、金品を運んでいるかもしれん」


どうやらヴォルガを西に向かった軍が本隊だ。


それでもブルガールの軍団長は、構うことなく北へと馬を走らせた。


「川を外れて、林に向かってますね……」

「何かあるな……」


白樺の林の中に踏み込むと、航跡の分岐を認めた。

加えて意図的な降雪が、行く手の判断を遅らせた。


「お頭! 北で合流してます!」

「ち。時間稼ぎの罠かよ」


軍団長は顔をしかめると、再び北へと向かった。


「今度は、松林です!」

「これは……西に向かっているのか?」


航跡は、再び枝分かれ。

しかしながら、比重は明らかに西側に傾いていた。


隊を分けると、軍団長は自ら西へと馬を進めた。


「ちっ。結局北かよ……」


林を抜けると、またもや航跡は北を向いていた。


苛立ちを覚えた軍団長。オカ川は既に南西方向となっている。

どうやらゴロデツに入ったのち、クリャージマ川を伝ってスーズダリに戻るらしい。


「ゴロデツに向かうぞ!」


襲撃を受けた集落は、ゴロデツの南側。

情報とも合致して、軍団長は次の松林では惑うことなく北へと馬を導いた—―



一方で、ヴォルガ川を西に引き返したスーズダリの司令官は、焦りの中に居た。


ヴォルガの緩やかな登り傾斜。深い侵攻が仇になり、更には攫った女子供が加わって、馬の疲労が蓄積されている。


「あと三日。いや、せめて一日……」


勇み足を自覚して、ボリスは神に願うしか無かった。不本意ながらも捕虜を置いて戻ることさえ考えた。


リャザンの軍師の忠告は、正しかったのだ。


敵の姿は見えないが、不穏は明らかに漂っている。

粉雪が流れる東から、今にも松明の薄明かりがぽつぽつと浮かびそうなのだ。


「野営だ!」


それでも馬の限界を認めると、ボリスはヴォルガの南岸。林の中で一夜を過ごすことにした。



「司令官! 雪がまた強くなってきました! 動かずに、追っ手をやり過ごすのはどうでしょう?」

「なに?」


一人の従士が意見を述べると、ボリスの眼光は鋭くなった。


「このままなら、航跡を消してくれます! ヴォルガを進んでは、追いつかれます!」

「……」

「または、スーズダリではなく、ムーロムに向かっては?」

「貴様! ムスチスラフ様を、見捨てるというのか?」

「このままヴォルガを進んだら、敵を引き連れて戦う事になります。どちらが危険ですか? お考え下さい!」


ムーロムに最短で向かうなら、ヴォルガを外れる事になる。


「ん……む……お前の意見は分かった。一晩、考えさせてくれ」


焦りが渦巻くも、長い夜を前にして、ボリスの頭は冷静を取り戻した――



「我々は、ムーロムに向かう!」


翌朝を迎えると、雪が航跡を消していた。


数的劣勢は明らかで、ボリスは総大将(ムスチスラフ)の成長を祈念した。


「おい! お前!」

「はい!」

「途中で、オカ川との合流部に向かえ」

「分かりました」


ボリスは進言した従士に任務を与えると、並走することを許した―—



「なに? ムーロムに向かった?」


オカ川の合流部。

ボリスの派遣した従士が戦況を伝えると、総大将(ムスチスラフ)の頬が引き攣った。


「私が提案いたしました! 目的は、戦う事ではありません!」

「……それで……ボリスは、呑んだのか?」

「はい!」

「そうか……分かった……」

「あ、ありがとうございます!」


自尊心を満たした従士は、直立となって声を張り上げた。

面食らった総大将は、一旦冷静になってから、戦況を頭に描いた。


「……では、お前に任務を与える」

「はい!」

「対岸で、囮になれ」

「……え?」


自信に溢れた従士の顔は、みるみる蒼白となっていった。


金言であろうとも、怒りの対価は払うべし――


「おい……俺は、バカだと思うか?」

「いや、お前は英雄だ。間違いない」


こうして勇気ある若者は、防寒の一式を仲間から受け取ると、吹雪の中を単身で北に向かった――



ヴォルガを西に進むブルガールの軍勢は、吹雪を正面に受けていた。


「敵は近い! オカ川までに追いつくぞ!」


橇の航跡は見えずとも、雪原には歪みが覗いている。


軍団長は明確な目標を掲げると、目の前の馬尻を鞭で叩いた。


「何か見えます!」


右前方。従士の一人が黒い違和感を認めると、軍団長は右の手綱を引っ張った。


「おい! 生きてるか!?」


一人の男が雪洞の中に居て、暖色の毛布が雪洞の上に載っていた。

軍団長が若い男の頬を叩くと、瞼が僅かに開いた。


「よう……遅かったな……」

「仲間は、どうした?」

「俺だけ、(はぐ)れちまってよ……」

「……」


意図したものだろうか。男の消沈が、時間の経過を装った。


「どうしますか?」

「引き返すか……」


従士が尋ねると、立ち上がった軍団長が呟いた。


こうしてブルガール人は引き返した。

雪洞の中。冷たくなった男の口角は、僅かに上がっていた―—



ムーロムに着いたのは、総大将(ムスチスラフ)が先だった。


意図したもので、軍司令官(ボリス)はムーロムの手前に陣を敷き、総大将の通過を待ったのだ。


「ムスチスラフ様! やりましたな!」

「俺は、何もしていない!」


ムーロムの城に入るなり、ボリスが笑みを浮かべて作戦の成功を讃えると、客間の椅子に座ったムスチスラフの眼光は鋭くなった。


「何を言いますか! あなたの下に必ず戻ると、我々は吹雪の中を走ったのです!」

「……」

「リャザンの軍師など、我々を生かすために、北へ向かったのですよ!」

「北へ?」

「そうです! 無事なら、三日で戻るかと」

「お前はそう言うけどな……寒い中、俺だって散々待ったんだよ!」


怒りを両の拳に乗せると、ムスチスラフはテーブルを叩いた。


動けぬままの鬱憤は、彼の自尊心を裂いたのだ。


「……あなたより、ノヴゴロドの者たちは、何の成果も無かったのですよ?」

「……」

「彼らの犠牲は、我々の比ではありません!」


しかしながら、ボリスは怯まなかった。

アンドレイの腹心として、俯瞰の視点で訴えた。


「……ところで、私が遣わした者は?」

「さあな」


労いと昇進を伝えたい。

幕舎を覗いたが、見出した若者の姿は無かった。


ボリスが居場所を尋ねると、視線を下にしたままで短い答えが戻った。


「私の部下ですよ?」

「お前のじゃない! 親父のだ!」

「……」


視線を変えぬまま、ムスチスラフは吐き捨てた—―



「おい! 俺が遣った伝令は、どこ行った?」


翻ったボリスは再び吹雪の中に足を戻すと、幕舎で従士たちに尋ねた。


「死にましたよ」

「……は? ……なぜ?」

「虫の居所が悪かったんでしょう。ブルガールの餌になりましたよ」

「餌……」

「ボリス様」


返答に固まると、ボリスの元に一人の従士がやってきて、あらましを届けた。


「そうか……ありがとう……」


軍司令官は従士の左腕に触れてから、肩を落として吹雪の中へと戻った—―


*ヴォルガの支流 =ケルテネツ川


お読みいただきありがとうございました。

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