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小さな国だった物語~  作者: よち


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173/249

【173.簒奪】

12世紀ルーシ / 描写地.勢力図

挿絵(By みてみん)

1170年を迎えると、スーズダリ大公アンドレイによってキエフを追われたムスチスラフは、キエフ奪還を目論んだ。


手始めに狙ったのは、キエフの西側ドロゴプージ。

しかしながら、領主のアンドレエヴィチは病に侵されていた――


ムスチスラフは軍勢を二手に分けると、自身はアンドレエヴィチに降伏を促して、一方では周辺の城市を襲って出方を窺った。


「キエフに助けを求めよ!」


ドロゴプージの従士たちは軍議も早々に、キエフに援軍を求める早馬を送った――



「助けると伝えよ!」


お飾りのキエフ大公グレープは、高らかに右手を前にして、従弟(アンドレエヴィチ)の従士に伝えた。


「ありがとうございます!」


感謝を伝えた従士が軽やかに背中を向けると、傍らに立っていたキエフの司令官(ヴワディスワフ)が寄ってきた。


「なんだ?」

「ドロゴプージは、遠すぎます。キエフの疲弊を考えると、難しいかと…」

「……」


前年3月に灰となり、一年経って初夏を迎えると周辺の城市は遊牧民(ポロヴェツ)に襲われた。


軍資金も糧食も足りない状況で、出兵すればキエフの守りが危うくなる――


グレープは、援軍を派遣すると伝えたままで、苦渋の決断をせざるを得なかった――




1月28日。

ドロゴプージを治めていたアンドレエヴィチが逝去した。


ムスチスラフはドロゴプージの城市を包囲していたが、領主に温情を与える形で、惜別の言葉を送って引き返した――


「死んだか…」


一方で、約90キロ南東。ハゲワシのように従弟の死去を望んでいたジミルヴィチが、ポロニィの城市でほくそ笑んだ。


「行きますか?」

「当然だ」


出兵の準備は出来ている。

ドロゴプージは元領地。従士の声に答えると、キエフを狙う野心家は北西へと軍を進めた――



「アンドレエヴィチが亡くなったと伺った。彼とは馬を並べた仲である。お悔やみの言葉を申し上げたい」


ジミルヴィチは軍から離れ、単身でドロゴプージの都市城門に向かうと、衛兵に訪問の理由を伝えた。


「ならぬ!」


訪問者の意向が伝わると、ドロゴプージの城内がざわついた。

鎮まらない空気を、従士長のスラヴェンが振り払った。


「魂胆は明らかだ! あんな奴にくれてやるくらいなら、ムスチスラフに明け渡した方がマシだ!」


二人の従兄。キエフ大公(グレープ)には見放され、ジミルヴィチは簒奪者となって現れた。


濃厚な血縁よりも、血の通った人情を表す好敵手――


ドロゴプージの従士たちが、スラヴェンの言葉に頷くのは自然なことであった――



「どうしますか?」


申し出を断られたジミルヴィチが泰然たる態度で戻ってくると、従士が次の手段を伺った。


「放っとけ。威勢が良いのは、今だけだ」


楔は打ち込んだ――

狡猾な男は深藍の瞳を光らせて、自信満々に未来を予測した――



一週間を過ぎてから、ジミルヴィチはスラヴェンに対して再び使者を送った。


「どうする?」


ドロゴプージの城内では、改めて軍議が開かれた。


城市は包囲されている。

日に日に糧食は減っていて、士気は低下するばかりであったのだ。


そして何よりも、領主の遺体がそのままであった――


「このままにしておくのは、あまりにも不憫です…」


季節は厳冬期。腐敗は遅い。

それでも棺の傍らで、アンドレエヴィチの伴侶は頭を垂れ下げた。


「ジミルヴィチは、なんと言っている?」

「『悪いようにはしない。皆の前で十字架に接吻をして、平和を誓います』 などと申しております」

「……」


援軍の来る気配はない。


誰もが不審を宿しても、選択は一つに絞り込まれて行くよりなかった――



「賢明な判断です。スラヴェン殿」


開いた城門を潜ると、ジミルヴィチは冷笑を含んで従士長を労った。


「そんなに警戒しないで頂きたい。ここは、私の領地だったのです。リューリク朝の同じ血族である私が後任に就いたところで、誰が遺憾に思いましょう」

「……」


冗談じゃない。

闘病の見舞いにも来なかったのは、今は亡き領主様から委任を受ける自信が無かったからであろう――


スラヴェンは心の中で舌打ちをした。


「顔を上げて下さい。公妃様。先ずはあなたの夫。天に召された私の盟友を、弔ってやらなければなりません」


やがて城内に足を踏み入れて、棺の前で頭を落とす公妃を視界に入れたところで、ジミルヴィチは穏やかな声を送った。


「ありがとうございます…」


事態が停滞から変化した。


悪しき方へと転がる予感を抱きながらも、公妃の心は安堵に包まれていた――



夜を迎えると、ドロゴプージの従士以外ではジミルヴィチだけが参加して、弔いの席が設けられた。


皆が献杯を捧げると、故人との思い出話が盛んとなった――


「思えば20年も前になる。時のキエフ大公であった兄の元にアンドレエヴィチがやってきて、共に南へ向かったのだ。その時の出発の地が、ドロゴプージ(ここ)であった」(*1)

「おお…」

「我らルーシの軍勢と、義父(ちち)の血縁であるハンガリー王ゲーザⅡ世が共闘したのだ。負けるわけがない。鮮やかな勝利であった…」


故人の伴侶と共に上座に座った客人は、赤ら顔で従士たちに主君の活躍を披露した。


「こんな事もあったぞ? キエフ大公(兄貴)と共にガーリチに攻め込んだ時だ。旗色が悪くなったと思って、俺はアンドレエヴィチと一緒に戦場から離れたんだ。仕方ねえよな。他の兄貴と息子までもが逃げ出したんだからな!」(*2)

「セレト川で戦ったやつですね? 公から聞いた事がありますよ? でも、その戦いは勝ったのでは?」


従士長のスラヴェンが、饒舌となった男に相槌を放った。


「おう、知ってるか。それがな。俺たちはサッサと逃げ出して、旗頭のキエフ大公(兄貴)だけが戦場に残っちまったんだよ! ぽつんとな」

「なんすかそれ!」

「ひでえな大将!」

「鬼の形相であいつは戻って来たけどな」


故人の側近たちも、この話には笑顔になった――


皆が酔い潰れた頃。アンドレエヴィチの伴侶は、夫の最期の宴を明るいものにしてくれた盟友に、心からの感謝を伝えたのだった――



朝を迎えると、ドロゴプージの城市は慌ただしいものとなっていた。


深夜まで続いた宴は酒の枯渇を生み出して、客人の兵糧を運び入れる事となったのだ。


「酔い覚ましに、俺も働くか」


運搬を眺めていたジミルヴィチが城外へと足を運ぶと、ドロゴプージの従士たちは慌てて飛び起きた。


「おい、起きろ!」

「んが?」


たらふく馳走になったうえ、身分の高い客人に労働までさせては申し訳ない。


我先にと動ける者は立ち上がって、都市城壁の外へと足を運んだ。


「随分と離れたところに、幕舎を置いたんだな…」

「そりゃそうだ。近くに置いたら、お前らビビるだろ?」


300メートルは離れているだろうか。

ドロゴプージの従士が発した疑問には、客人の従士が皮肉を込めて理由を述べた。


「まあ、そうだろうな…」


戦うつもりはなかったのだ――


高貴な身分が一人で参加した宴を思い起こして、ドロゴプージの従士たちは取り越し苦労だったと苦笑いを浮かべた――



「さあ、どんどん運ぶぞ!」


粉雪の舞う空の下、荷車を牽いたジミルヴィチが鼓舞をして、従士たちを促した。


城外に居た者が糧食を抱えて城内へ。城内で動ける者が城外へ――


「おい! 何をする!?」


突然に起こった喧噪は、示し合わせたものだった。


開いていた都市城門が閉められて、ジミルヴィチの従士たちは荷車に隠していた刀剣を手に取った。


酒を酌み交わした昨晩は、愉しい時間であったのに――


「ジミルヴィチ! 謀りやがったな!」


都市城門の外側を叩きながら、スラヴェンが悔しさを前面に表した。


「言っただろ? 『悪いようにはしない』 ってな。大人しく待ってろ!」

「……」


故人の伴侶が人質となった――


城内からの得意気な声色に、ドロゴプージの従士たちは一縷の望みを託すしか無くなった――



やがてドロゴプージの小さな北門が開くと、アンドレエヴィチの棺を載せた馬橇と共に公妃が姿を現わした。


「公妃様。あなたの伴侶と私は、神の啓示のままにドロゴプージを治めてきたのです。彼が天に召された今、この地を誰が治めるべきか、あなたは理解しているでしょう」

「……」


従士を引き連れて、ジミルヴィチの軍門に降る訳にはいかない――


正面から吹き付ける粉雪の中、衣服を着込んだアンドレエヴィチの伴侶は頷くこともなく、夫と共に城外へと進み出るしかなかった――


*1 サン川の戦い。ここでのキエフ大公は、イジャスラフⅡ世

*2 他の兄貴と息子=スヴァトポルク(ジミルヴィチの直近の兄.1154年死去)

   と ムスチスラフ(イジャスラフⅡ世の息子。冒頭のムスチスラフ)


リューリク朝 略系図②

1170年1月現在、キエフ大公はスーズダリ大公アンドレイの弟グレープ(グレプ)

挿絵(By みてみん)


お読みいただきありがとうございました。

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