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小さな国だった物語~  作者: よち


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166/219

【166.内側】

人物紹介等/解説

ルーシ = 中華などと同義。現在のウクライナ~ロシア西部の辺りを指す。

ベレンディ人 = 遊牧民。主にキエフの南側で活動。同地区の領主ミハルコとは繋がりが強い。

ペレヤスラヴリ = ドニエプル川沿いの都市。トグリィ討伐軍を派遣中。


遊牧民(ポロヴェツ)の首領トグリィは、一騎打ちを装って戦場から逃れた――


首領の逃亡に気付いた者は、総兵力の凡そ半数。

残ったうちの半数は大地に転がって、残りは乱戦模様の中にいた――


「女を守れ!」


集落の中でルーシの歩兵と共に戦っていたヴワディスワフは、トグリィの背中が遠ざかっていくのを認めると、川辺で遊牧民に追い立てられている女たちに視線を移した。


「あいつら…」


真っ先に飛び出したのは、ペレヤスラヴリの若い兵士だった。

放馬した一頭を捕らえると、拙いながらも飛び乗って、強大な意志だけで荒馬を川岸へと導いた。


「どきゃあがれ!」


全身からの叫び声。

滑り降りるも肩から地面に転がり落ちて、それでも顎を上にした。


無防備な女性たち――


裸体が大地に打っ伏して、甲高い声はどこからも聞こえなくなっていた――


「お前ら!」


気合だけで立ち上がる。ズキンと肩が痛む。


敗退を悟っても、なお戦利品だけでも得ようとする異教徒を、青年は追い払おうとした――


一歩を踏み出して、彼は前のめりに崩れた。

足首を捻ったか。それでも槍の持ち手を支えにして、男はなんとか立ち上がろうとした――


「く…」


川面を挟んだ向こう側。助けると声にした女性――

殴打によってか意識は無く、衣服は引き裂かれ、片方の乳房が覗いている――


異教徒は商品を縛り上げ、馬の背中に乗せようとしていた。


「やめ…」


悲痛が漏れる。同時に背後から、地響きと共に軍馬の群れが彼の絶望を衝き抜いた――


「逃がすな!」


ヴワディスワフの声より早く、矢羽の群れが川を越える。


弾道は低いもので、意図を察した異教徒は、女を大地に突き落とすと、南に向かって駆け出した――



「おい! 大丈夫か!」


白濁とした意識の中で、声がした。

部隊長の声。音を捉えると、地面に伏していることに気が付いた――


風に揺れた青草が、痛みを顔の表皮に走らせる。

刹那、瞳を開くと同時に上半身をガバッと起こして、青年は悪夢を見定めた。


「あ? 助かっ…た?」


目の前に、麻の衣服で上半身を隠した女性が横たわっていた。

僅かな胸の上下動を認めると、脱力した青年は視線を落とした――


「おい」


不意に頭上から、聞き慣れない声が飛んできた。思わず仰ぎ見る。


「お前が運んでやれ」


黒褐色の髪。柔らかい笑顔の中で涼しい瞳が覗く馬上の男は、労いの言葉を高圧的に吐き出した。


「ヴワディスワフ様。こいつは、馬には乗れませんよ?」

「なに? さっきは乗っていたではないか」

「あれは、しがみついてただけですよ。あと、足首が腫れてます。乗馬は無理でしょう」

「仕方ないな、一緒の馬車に乗せてやれ」

「……」


ヴワディスワフ。ミハルコ様の盟友。キエフの司令官。

雲の上の存在を仰いだままで、青年は一連のやり取りを耳にした――



「ママ…ママ…」


数メートルも先。深い緑の上で、陽光に照らされた白い大小の肢体が視界に入った。


残されている。ということは…


水しぶきを上げて、はしゃいでいた女の子…

繋がれていた筈の小さな左手が、動かなくなった白い上肢に触れていた――


「……」


戦場を初めて経験した青年は、疲労と混濁の中で、残されている残酷を悟った。


この場所を後にする――


即ち最後には、二人の手指を引き剥がすのだ――



4倍の異教徒を相手にした平原の戦い。


奇蹟の代償として、ミハルコに従ったベレンディ人の族長が天に還った――


軍旗を背中に飛び出して、混戦の中で命を落としたのだ――


「……」


荷車の上。

引き千切られた軍旗が勇敢だった父の遺体を覆っている。


並走する形で、馬上の息子は精悍な顔つきとなって未来を見据えた――



軍を率いたミハルコは、刀傷を負っていた。

両の(もも)と左腕。足はぷらんと垂れていて、右腕だけで愛馬を御している。


「大丈夫か?」


ヴワディスワフが心配そうに口を開いた。


「さすがに、無茶でしたかね…」


異教徒を1500人捕まえて、捕虜となっていたルーシの民は故郷へと帰した。

家を焼かれた者たちは、軍列に加わってキエフを頼ることにした。


「やるだけの価値は、あっただろ?」

「そうですね…」


荷馬車の上で揺れている。肩を寄せ合って眠る若い男女の姿を眺めた二人は、頬を緩めて健闘を称え合うのだった――



――――――



晩秋に、赤髪の王妃がリャザンに向かって二か月も経った頃――

トゥーラ城の最上階。かつて国王夫妻の居住区だった場所――


がらんとした静謐の漂う空間に、毛布を肩に掛けた細身の尚書が猫背となって佇んでいた――


「また、ここに居るのですか? 身体が冷えてしまいますよ?」


背後から声を掛けたのは、肩越しに伸ばした金髪を首の後ろで縛った女中のライラだった。

王妃の側仕えを命じられるも、対象の人物は想い人、更には尊敬する先輩を伴って東へと発ってしまった。


それでも解任されたわけではない。

ライラは献身であろうと王妃が出立した翌日も普段通りに階段を上って、暖炉の消えた冷厳の中で前日以上の清掃を(こな)した。


そして国王様が地階に自室を移しても、毎日階段を上って拭き掃除を行っている。


「寂しい…」

「え?」

「あ、いや、王妃様は、寂しくされていないだろうか…」

「……」


心の声を吐き出して、ラッセルは咄嗟に誤魔化した。

当然ながら長身の女中は気付いたが、後から訂正された発言に言葉を合わせることにした。


「マルマリータさんが、一緒ですから…」

「そうだよな…」


尊敬する先輩の存在は、暖炉の炎のように暖かく、周囲を明るいものとする。

そんな彼女の姿が無くなって、厨房や女中の控室では雑談の時間すら消えていた――


女中頭のアンジェが城に立ち寄ることは稀になり、城内の仕事は古参のアビリが中心となって指示を送っているが、雪に閉ざされて人の往来の消えた冬の仕事量は限られたもので、国王ロイズと護衛の兵士、文官数人の食事。加えて薪の運搬と暖炉の清掃くらいで終わってしまう。

故に午後に入れば女中は真っ直ぐに帰宅して、城に居るのはロイズを含めて10人未満という事も珍しくなかった。


「ライラさんは、寂しくないのですか?」

「え?」

「マルマに、ライエルもいなくなって…」

「え? え? なんで? ライエル様?」


ラッセルの左側に足を伸ばしたところで、唐突に名前が飛び出した。思わずライラの声が上ずって、身体を捻って訊き返す。


想い人の行方が気になっているのは当たり前。当然ながら、心の行方も――


「え? だってアイツ。人気あったんじゃ?」

「あ…そう。そうです! 寂しくしてます! みんな…」

「だろうね…」


心の動揺は、伝わったか?

この人なら、気付かない気がする…


それでも願望だけが根拠の発言は、羞恥の解消を為していないと自覚した――


「俺から見ても、凄いもんな…」

「……」


正面に戻った細い瞳が遠くを眺めると、薄い顔には哀愁すら漂った。


尊敬する先輩が吐き出す彼に関する不愉快は、適当に受け流していた――


「そうですね…」


立場は違っても、同じ想いが灯っている――


猫背の心の内側を、ライラはこの時初めて探ったのだった――

ルーシ<略地図> 描写地.勢力図

挿絵(By みてみん)


お読みいただきありがとうございました。

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