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小さな国だった物語~  作者: よち


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158/249

【158.報い】

「キエフに進軍したのは、何故ですか?」


キエフを見限ったと口にしたにも拘らず、ルーシの中心を灰にした…


初春を迎えたウラジーミルの大地で、(アンドレイ)に対する遺恨を消した弟は、父ユーリーの命じるところではなく、自らの意志でキエフを襲った理由を問い掛けた――


「相変わらず、ルーシの大地を穢しているからだよ」

「……」


30歳ほど年の離れたスーズダリ大公は、当然の行いだと口にした。


約8年に渡ってルーシを治めたロスチスラフの逝去から、またもやキエフは同族同士の争いを引き起こしている――


「勘違いするなよ? 俺は親父の意志を、放棄した訳じゃあない。ルーシの大地に神の祝福が授かるよう、ずっと願っているんだからな?」

「キエフの蹂躙が、祝福なのですか?」


語気は抑えるも、兄の所業を弟が問い質した。


「総ては、神の御心だ。あれは結果ではない。後に訪れる、祝福の過程なんだよ」

「……」


やむを得ないこと――

冷静に語ったひし形の表皮には、責任や後悔といったものは微塵も感じられなかった――


「あなたは、ムスチスラフ(あいつ)を総大将にした。務まらないと、考えなかったのですか?」


背後には、年の近い本人が黙したままで座っている――


構うことなく、キエフの南側を治めてきたミハルコは、経験の浅い者を総大将に指名した兄の誤りを指摘した――


「他に、誰が居たんだ?」

「……」

「弟が、兄の代わりを務めることは、可笑しいことなのか?」

「……」


直近の弟はキエフを見守るようにペレヤスラヴリを治めているし、腹違いの弟はキエフの守護者となっている――

期待していた長男は4年前の秋に亡くなって、信頼できる血縁は次男しかいなかったというわけだ――


「……」

「気に病む必要はない。総ては、神の思し召しだ」


左に腰を捻って背後を覗いたスーズダリ大公は、目の前の語らいを耳にして、忸怩たる想いを灯している息子を慰めた――


「つまりあなたは、キエフがどうなろうと、構わなかったと?」


ルーシの中心を想うミハルコの、奥目の瞳が鋭くなった。


「そうかもな。キエフが燃えたって聞いても、俺の中には『当然の報いだ』 って思いが、確かに在るからな」

「報い?」


灰燼となった城市が浮かんで、ミハルコの瞳は大きくなった。


父が目指したキエフの椅子を、息子が狙うというなら理解する。

しかしながら、椅子が燃えても構わないとする見解を、彼は到底受け容れることができなかった――


「親父は、キエフで何かしたか?」

「え?」


戻ってきた問い掛けに、奥目の瞳が更に開いた――


「キエフを狙った遊牧民を追い払ったあと、親父はお前を人質に出してまで、スモレンスクを頼ったんだぞ? 全ては、キエフを守るためにだ!」

「……」

「そんな親父が死んだあと、キエフの奴らは何をした? 裏切ったでは無いか!」

「……」


大公ユーリー・ドルゴルーキーが逝去すると、彼の遺体はキエフの郊外、名君であり父親であるモノマフによって建てられた、且つ本人が眠るベレストヴォの救世主教会に埋葬された。(*)


キエフの市民はユーリーの遺体が城市を出ると、ドニエプル川の近くに建てられた彼の居館に押し入って、更には渡河をして、彼が愛した別邸をも打ち壊して略奪を働いた――


キエフの城市でも略奪は行われ、ユーリーの息のかかったものは根こそぎ奪い攫われた――


「親父は、親父なりにキエフの治世を行ったはずだろ?」

「……」


悔しそうな兄の発言に、弟は返す言葉が見つからなかった――


「俺の息子がキエフを襲ったのか? 違うだろ。ベレンディ人(異教徒)を引き入れたのは誰だ? スモレンスクの息子たちだろ!」

「……」

「だから『報い』 だと言ったんだ! 総ては、神の思し召しなんだよ!」

「……」


父への敬愛――

スーズダリ大公アンドレイの(はげ)しい鬱憤が、ウラジーミル、ボゴリュービィの静かな大地に響き渡った――




雪解けの大地。遥か広がる地平線。

キエフが灰燼と化すのを眺めていたリャザンの一行は、スーズダリの要請に応じて馬を並べるという義理は果たしたと、遠征軍の総大将(ムスチスラフ)に一声掛けてから、初春のひんやりとした空気の中を、旅路を愉しむように帰途についていた――


武器は馬車の中。一様に普段着となった歩兵たちは、野草を摘んだり水辺に向かったり。思い思いに自由な時間を愉しんだ――


「褒美は、要らないと言うのか?」

「はい。私たちは、キエフの守護のために来たのです。キエフ(市民)から賜るものでなければ、受け取れません」


ムスチスラフの申し出に、リャザンの軍勢を率いてきたグレヴィが、軍師であるワルフの進言を容れる形で固辞をした。


スモレンスクのロマン。リューリクやダヴィド。アンドレイの血縁者たちと比べては、リャザンの威容など無きに等しい。


少量の褒美で気を遣わすくらいなら、アンドレイに恩を売っておいた方が得策だとワルフは考えたのだ――


願わくば、スーズダリが引き起こす今後の紛争に、関わらないことを期待して――



「父上が、そなたの想い人の事を褒めていたよ」


二つ並んだ馬の上。

愛馬の動きに合わせて肩を揺らしながら、リャザンの小柄な王子が一つの話題を送った。


「え? ああ…アレッタ…トゥーラの王妃の事ですか?」


今さら隠すようなこともない。

嘲笑の見えないグレヴィの発言に、馬の腹回りと同等の体躯を揺らしながらリャザンの重臣が訊き返した。


「『不躾な態度が気に障る事もあるが、何より裏がない』 そんなふうに言ってた…」

「まあ、昔から、ずけずけと言いたい放題でしたからね…」


カルーガに居た頃を漠然と想い起こして、ワルフは恐縮を口にした。


思うところを包み隠さず披露して、相手の態度によっては改める――


意見がぶつかるのは当たり前。一方向の結論はあり得ない。

硬軟織り交ぜた議論を行いながらも、俯瞰の耳目で折衷案、並びに双方の共通点を見出して、同一の着地点。或いは相違とそれぞれの問題点を挙げる事によって、納得を図るのが彼女の常だった――


とても有意義な語らいであったし、非常に尊い時間であった――


「異教徒相手の遠征に、反対意見を述べたとか…」

「らしいですね。私も、アレッタ(あいつ)のああいった見解は、初めて耳にした次第で…」

「そうなのか?」


過去を知っている重臣の発言に、麻色の髪を持つ小柄な男は意外そうに尋ねた。


「はい。私の知っているあいつは、もっとこう…好戦的な思考だったように思います」

「……」


ヴァティチの森林を左に眺めながら、一行は緩やかな起伏が続く丘陵地帯を東へと進んでいる――


初春の強い風が時おり大地を掃うように吹き抜けて、二人はそのたびに右腕を眉間にまで掲げて冷気を防いだ――


「あいつは、先代のキエフ大公が、商人の護衛を諸侯に頼んだ件を讃えていましたが、実際問題、受けは良くなかったのです」

「……」

「リャザンの中枢と通じていなかったあいつには、分かる筈もないですが…」


キエフ大公ロスチスラフの善行は、リアとロイズがリャザンに移った翌年春のこと。

一方は官吏の下っ端の職を得たばかり。もう一方はリャザンの周辺を、春の風に誘われて歩き回っていた頃であった――


「ですが、彼女(あいつ)の思考がどうしてああいったものになったのか…自分は、なんとなく解りますけどね」


馬の進む方向に瞳を向けたままで、ワルフは一つの推論を口にした――


「ご存じかもしれませんが、私たちは、ヴァティチの小さな集落で育ちました」

「カルーガ…だったか?」

「そうです。ルーシの起こる以前、スラヴ民族(我々の祖先)の一つが、今ではヴァティチと呼ばれている地域に定住したのです」

「……」


3人が過ごした故郷の成り立ちを、ワルフはおもむろに語った――


「森は耕作地が少ない。各地に集落が造られた結果、それぞれが連携して部族全体の領地を守るという仕組みが生まれました」

「そうだな。名君であるモノマフ大公が、二年続けて攻め込んでも、屈しなかったって話だからな」

「ご存じでしたか…」


モノマフが記した『教訓』 の中の軍歴を、グレヴィが確認するように口を開くと、ワルフは意外そうな声を返した。


「おいおい…お前がどう思っているか知らんけどな。俺は将来、リャザンを任される予定なんだぞ?」

「失礼いたしました」


歳の近い重臣の力量は認めるが、侮ってもらっては困ると小柄な男は得意になった。


それを受け、ワルフは膨らんだ顔の表皮に穏やかな微笑みを浮かべた。


「…続けてくれ」

「はい…」


沈黙を嫌ったグレヴィが続きを促すと、恰幅の良い軍師は要望に応えた。


「ヴァティチの民族は、森の中で畑を耕して、ルーシの紛争には殆ど関わることが無かったのです。キエフやチェルニゴフの勢力には抗っても、自らで武器を取る事は決して無かった。だからこそ、リャザンの歴代の公たちは、彼らには敬意を払って接してきたのです」

「…そうだな。砦をトゥーラに造るという話も、彼らの了承を得てから定礎したと聞いている」


信頼する軍師の発言を、グレヴィは補足した。


「ヴァティチの考えを、あいつはトゥーラでもやろうとしているのです」

「……」

「リャザンを後ろ盾にして、防衛力を維持。外圧には徹底的に抗って国を守る。そんなところでしょうね」

「……悪い話では、無いと思うのだが?」


ワルフの見解に、リャザン公の長男は浮かんだ印象を口にした。


「政策は、正しいかもしれません」

「…何か、問題でも?」


含みのある発言に、グレヴィは先の意見を求めた。


「トゥーラは小さな城砦に過ぎません。周りの国が、同じ考えでは無いのです。不作の年に『我慢しよう。耕作地を増やして種を蒔こう』 と考える者も居れば、『馬を集めて村を襲おう』 と考える者も居る。一族を率いる者として、どちらが正しいか…答えは出ません」

「……」


時代は12世紀。食料の保存方法には乏しい。

我慢の結果、飢えて死んでしまっては意味がない――


「ヴァティチの森は豊かです。故にモノマフ大公もスモレンスクも、トゥーラを狙ったのです。アレッタ(あいつ)の考えは解っても、外圧の中で独立した状態を維持できるのか…不安に思う者もおりましょう」

「……それなら、リャザン領に戻してやれば良いのでは?」


スモレンスクとの争いは治まった。任を解いてはどうかとグレヴィが口を開いた。


「任せておいて、取り上げる。あいつは怒ってリャザンから出ていくか、二度と官吏には就かないでしょうね…」

「そうか…」


遊具を取り上げられた子供のように――


「それでもあいつなら、なんとかするんでしょう」


お手並み拝見。


リアの才覚を認める大国の軍師もまた、舞台を眺める観客の立ち位置を求めるのだった――


*1 ベレストヴォの救世主教会

 現存するのは遺構のみ。1つの洞窟と、3つのドームが備わっていた。

 ロシアの首都の創始者は、ウクライナの首都の郊外に眠っている――


お読みいただきありがとうございました。

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