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小さな国だった物語~  作者: よち


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156/218

【156.手長公】

ルーシの北東。クリャージマ河畔の城市ボゴリュービィ。


融雪の汚泥が広がる大地に盛られた約30メートル四方の土塁の上で、椅子を並べたアンドレイは30歳ほど年の離れている異母弟(いぼてい)ミハルコとの対面を8年ぶりに果たしていた――



「キエフを巡っては、3つの勢力がある。チェルニゴフを中心とするスヴァトスラフ。スモレンスクを中心とするムスチスラフ。そしてスーズダリを中心とする、俺達だ」

「……」

「とはいえ、ムスチスラフとジミルヴィチ。俺と親父の意見が合わなかったように、一族の中でも、(いさか)いは在るけどな」


初春の冷たい風が靡く中、面長を黒褐色の髭で囲ったスーズダリ大公は、ルーシの現状を訥々と語り始めた。


「……元を辿れば、リューリク朝の系譜の中です」


愚かな権力争いである。ミハルコは断じた。


それでも統べる誰かが居なければ、人民は纏まらない。

統治する方法には違いがあって、亀裂が生まれ出る――


しかしながら、それらは愚かな事象だろうか? 

より良い選択の過程とすれば、悪くない。彼は達観とも取れる柔軟な思考を有していた――


「ノヴゴロドのように、民会(ヴェーチェ)によって決する治世も、悪くないとは思いますけどね…」


ノヴゴロド。


スーズダリの西側。「新しい街」を意味する貴族共和制の国家である。


キエフやスモレンスクの民会は権力者の台頭によって衰退したが、ノヴゴロドに於いてはキエフとの繋がりを維持する中で、貴族や主教の参加する民会によって官吏の任命のみならず、キエフから派遣される公ですら、民会の決定によって招かれる、或いは罷免されることが多かった――


現在の民主主義にも繋がる政治体制は15世紀後半まで続いたが、暴帝とも称されるモスクワ大公イヴァン3世によって滅ぼされる事になる――


「意思決定の速さには、劣るけどな」

「そうですね…」


民会の意思決定。纏まる話なら問題ないが、意見が割れた時には分断が生じてしまう。

実際にノヴゴロドの公を巡っては、述べ100人以上の名前が歴史に記されている――


混沌を生むならば、力を誇示する優れた統治者が断じる方が、民のためであろう。


春の空にぽっかりと浮かぶ雲の下、優れた統治者である兄弟は、珍しく意見を共にした――


「それに、ノヴゴロド(あそこ)は特別だ。キエフからは遠く、北の海が近い。デンマークやスウェーデンと交易できる利点はあるが、諍いが起こっては分が悪い。俺たちは陸の民だからな。ヴァイキング相手に神の審判を仰ぐ訳にはいかんのだ。ルーシの枠の中に、無理に組み入れる事はない」

「……」


干渉はするが、統治はしない。


デンマーク、スウェーデン、リトアニア。そしてルーシのキエフやスーズダリ。

権力者に囲まれた中にあって、ルーシの一員としての体裁を保つなら、民会を尊重し、独自の政治体制を維持した方が有益だというわけだ――


「……」


しかしながら、他国の介入は許さない。

ルーシの大地を統べるのは、あくまでもリューリク朝の者でなければならない――


決意を述べた兄貴の横顔を、年の離れた弟は冷たい初春の空気の中で眺めた――



「それで、お前がキエフを統べるという事か?」

「……」


覚悟を問うように、スーズダリ大公はミハルコに尋ねた。


「一時であれば、或いは…」

「無理だな」


希望の声を、アンドレイは掻き消した。


「お前には、後ろ盾がない。野心の無かったヴェチェスラフ(叔父さん)とも違う。あの人は、イジャスラフを共に据えることで、キエフを治めたんだ。お前はどうするんだ? キエフから逃げ出したムスチスラフを呼ぶのか? 一族の年長者でも無いお前が、対等だと認めさせることができるのか?」

「後ろ盾は、兄さんが…」

「嫌だね。俺は、キエフを見限った」

「……」


スーズダリ大公を称したからには、未練はない。

キエフの椅子を、彼は聖母を救うと同時に放棄したのだ――


「何故ですか?」


父が拘ったルーシの大地を、スーズダリとキエフから息子たちが統治する――


現状を踏まえるなら、決して荒唐無稽な話では無い。


膨らんだ目袋を兄貴に向けたミハルコは、ため息交じりに吐き出した結論の理由を、単刀直入に尋ねた。


「疲れたんだよ」

「……」


短い一声は、ゆえに翻意の拒絶を表した。


「俺の初陣の相手は、リャザンのロスチスラフだった。キエフを狙った親父が、背後の憂いを断つために、兄貴に命じたんだ。20年以上も前の話だ」(*1)

「……」

「それからは、戦いの連続だった。親父がキエフ大公に就いたは良いが、リャザンとムーロムは奪い返されて、キエフも結局失ったからな…」

「……」


空しい過去の争いを落胆で表したアンドレイは、しばしの静寂を設けてから、続けて口を開いた――


「俺はな、ヴェチェスラフ(叔父さん)から学んだんだ。ルーシを統べる方法は、神に剣を捧げるだけじゃあない」

「……」

「キエフから退いた親父が、もう一度キエフを狙った際に、叔父さんは何度も諫めた。『ルーシのために諦めろ』 『キリスト教徒の間で争う事はない』 叔父さんは、15歳以上も年上だ。それなのに、傲慢な親父は結局折れなかった…」

「……」

「俺は思ったよ。長年争ったイジャスラフでさえ神に誓って叔父さんを父と呼んでいるのに、なんでウチの親父は正しい事を言ってる血縁の兄貴と争ってんだ? ってな」

「……」

「それでもな、俺は親父に従った。ルィペジ川を挟んで、イジャスラフと戦ったんだ」

「……」

「その時だよ。川を渡ろうと構えた時に、ポロヴェツの奴らが手綱を引っ張って、俺を止めたんだ。分かるか? 神に仕える者同士の争いを、醜い異教徒が止めたんだ。まったく、恥ずかしい話だ…」


自戒を込めた、アンドレイの過去――


やがてそれは、キエフを眺めるヴィシェゴロドの城市から、聖母のイコンを奪い去る物語へと繋がる事になる――



「ルィペジ川で敗れた俺達は、ベルゴロドに向かった。そしたらな、町の子供たちに言われたんだよ。『キエフを統べるのは、お前たちじゃない!』 ってな」

「……」

「当然、キエフからも狙われて、更にはハンガリーからも軍が来た。万事休すだ。それでもな、親父は戦う事を諦めなかった…」

「……」


ぽっかりと浮かぶ春の綿雲が、陽射しを遮った。


短い時間ではあったが、3人が浮かぶ土塁には影が生まれて、語るに熱くなるばかりであった空気を確かに冷ました――



「俺はあの時、なんで戦ったんだろうな…」

「……」


ぽつりと、アンドレイは空を見上げると同時に両手で顔を拭った――


「兄貴が死んだばっかりで、親父の後継者として、気負っていたんだろうな…」

「……」(*2)


続いて吐き出すと、だらんと下がった両腕は腿の内側で動きを止めた――


「叔父さんは、戦う気なんて無かった…それなのに、俺は向かっていったんだ…」

「……」


1151年5月4日。ルート川の戦い。

両陣営は激しく戦って、血気に逸ったアンドレイは一騎打ちを挑んだが、槍を折られて敗走をした――


「結局最後は叔父さんに諭される形で、俺も親父もスーズダリに戻った… とはいえ、俺はさっさと戻ってきたが、親父はゴロドクに立て籠もって、無駄な争いを続けたけどな…」


そこまでを語ると、再びの苦笑いを浮かべた――



「それで、やっとスーズダリに戻ったと思ったら、親父のやつ、今度はリャザンに援軍を頼んで、もう一度キエフを狙ったんだ」

「……」

「当然ながら、負け戦。ルーシの大地を踏み荒らして、何やってんだって話だよ…」

「……」

「その次は、覚えてないか? 凝りもせず、親父は二年経って、もう一回キエフに向かったんだぜ?」

「なんとなく、覚えています。春になって出掛けたと思ったら、すぐに戻ってきたような…」


右からの問い掛けに、ミハルコは子供の頃の記憶を思い起こした。


「想えば、神の啓示だったんだな。多くの馬が病気になって、ヴァティチの森に入ってから引き返したんだ。もうこの時は、どいつもこいつも呆れていたよ…」

「……」


肩を落としたアンドレイは、両の手のひらを上に向けると、当時と変わらぬ呆れた表情をしてみせた――



「秋になって、イジャスラフが死んだ。残された叔父さんは、大公を継がせるために、スモレンスクのロスチスラフをキエフに呼んだんだ。感心したって、さっき話したな」

「はい…」

「叔父さんは、ルーシが荒れる事を畏れたんだ。ロスチスラフはキエフの市民に愛されていた。歓迎ぶりは、俺にも分かった。市民が望む大公であるなら、それ以上の人材は何処にも居ない。キエフに居たお前なら、分かるだろ?」

「そうですね。善良なる治世を、民に愛される大公が与える。理想でしょうね…」


暴君だと思っていた兄が描く治世は、自身と相違ないものだった。


スーズダリの健やかなる大地は、紛れもなく兄によって築かれたものだと、ミハルコは認めざるを得なかった――



「だけどな…キエフを執拗に狙っていた親父が、見逃す訳がねえ。冬にはキエフに出陣。ロスチスラフの失敗もあって、この時は親父に風が吹いたんだ」

「……」

「ロスチスラフは、年長者である親父にキエフを明け渡した。叔父さんを倣ったんだな。何年も血を流したのに、最後はあっさりとしたもんだ」(*3)


こうして1155年3月20日。

キリストがエルサレムに入城した記念日を選んだユーリー・ドルゴルーキーは、2度目のキエフ大公の椅子に座った――


モスクワの礎を築いた彼が手長公と称される理由は、遠くスーズダリの大地から、何度もキエフを襲った事に由来する――



そして息子のアンドレイは、キエフの北方15キロ。

丘の上の城市ヴィシェゴロドを再び与えられ、父の正統なる後継者として周知されるようになっていった――


*1 1146年。兄と共にリャザンを包囲。

当時のリャザン公は、息子グレプと共に遊牧民エリトゥクの元へと逃れた。

その後1148年にリャザンを、1151年にムーロムを奪還。

*2 アンドレイは3男。

次男イヴァンコは1147年2月23日。長男ロスチスラフは1151年4月に死去。

*3 実際はチェルニゴフ公のイジャスラフがロスチスラフを破ってキエフの椅子に座ったのち、ユーリーが来るというので明け渡した。



【手長公のキエフを巡る道のり――:年表 アンドレイの生誕後のみ】


1146年 息子たちに命じてリャザンに進軍。(*1)

1146年- イジャスラフ vs ユーリー → ユーリー勝利

1149年  9/2 1回目のキエフ入城

 ユーリー vs イジャスラフ → アンドレイの和解勧告

1150年   ユーリー vs イジャスラフ → イジャスラフ勝利

1151年  イジャスラフ vs ユーリー → ヴェチェスラフの和解勧告

    4/30 ルィペジ川の戦い 5/4- ルート川の戦い → イジャスラフ勝利

1152年12月 リャザン勢を率いて進軍 → 敗退

1154年 4/23 スーズダリから進軍 → 馬の疫病により撤退

    冬 イジャスラフの死を知って出陣  → ロスチスラフの禅譲(*3)

1155年 3/20 2回目のキエフ入城


お読みいただきありがとうございました。

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