【142.言霊】
登場人物紹介
リア … トゥーラの王妃。主人公。
ラッセル … 国王付きの尚書。
ライラ … 経験半年の長身の女中。国王夫妻の側仕えを命じられた。
「やっと晴れたね!」
「良かったあ」
重たい曇り続きだったトゥーラの空に、白い太陽の光がようやく射し込んだ朝のこと。
市中の女性たちから歓喜の声が上がる中、城内で働く女中たちの動きも慌ただしくなっていた。
「おはようございますっ」
「お、おはよう」
簡素な立方体のトゥーラ城。国王執務室。
ノックと同時に振り向くと、肖像画のモデルを思わせるスラリとした金髪女性が視界に入って、壁沿いの机に向かっていた尚書のラッセルが思わず声を発した。
「王妃様は、起床されていますか?」
先輩の後釜として螺旋階段を登るのも四日目。
普段は麻布で覆っている金髪を露わにしたライラが、新米からの脱皮を図るべくラッセルに尋ねた。
「え? まだだと思うけど…」
「そうですよね…」
右へと腰を捻ったままでラッセルが答えると、寝室の方へと視線を向けたライラから、覚悟の宿った声が返された。
「なんで?」
「マルマリータさんに言われたんです。リア様を起こせるようになりなさいって…」
「あー」
ほっそりとした身体から明確な目的が告げられて、細目の尚書は納得の表情を浮かべた。
「やっと晴れたんです。シーツは全部洗って、毛布は外で干したいんです」
「そうだよね。分かるよ。僕も干して来た」
使命を授かったライラの願望に、ラッセルが得意気な相槌を挟んだ。
「意外ですね…」
「そ、そうかな?」
見下ろすライラが丸い目になって驚きを伝えると、ラッセルの頬が緩んで謙遜を表した。
彼が住んでいる住居は城から近い。
毛布やシーツは支給され、交換も任意で受け付ける手筈になっていたが、洗濯や掃除は自らで行っていた。
木桶の中に水を張り、暖炉の前で腕を動かしながら自身を顧みる時間は、本人の気付かないうちに成長を促していたのだ――
「じゃあ、行ってきます!」
「頑張って」
冬のトゥーラに快晴が訪れることは殆ど無く、一週間のうちに晴れ間が覗くのは約二日。
洗い物を剥ぎたいマルマとミノムシ王妃との攻防を何度も観戦しているラッセルは、両手を握った長身の女中を素直に励ました。
「王妃様! 起きて下さい!」
ノックを3回。
寝室へと続く木製の扉を押し開けて、ライラが努めて強い声を発した。
「寒いから嫌」
「お願いします。シーツ洗いますから。剥ぎ取り指令が出てるんです!」
「別に、洗わなくてもいいわよ…」
「よくありません!」
ベッドに両手を置いて、王妃の耳元でライラが嗜める。
左側から聞こえてくる喧噪に、机に向かっているラッセルは思わず苦笑いを浮かべた。
「わかりました。マルマリータさんからは王妃様を床に転がして、力づくでも剥がしてきなさいって言われましたけど、私は別の方法を取らせて頂きます!」
決意の言葉が飛び出して、蚕の繭となった王妃に幾らかの緊張が走った。
「暖炉の火を消させていただきます。水で」
「…え? ちょ、ちょっと待って!」
平坦となった声色の予想外の宣言に、片肘を使ってむくりと起き上がった王妃から一方的な停戦が告げられた。
「ほんとにやる気?」
「はい」
「……」
「おはようございます。王妃様」
赤みの入った髪の毛はボサボサのまま、動かなくなったリアに向かって、ライラは腰から曲がって起床の挨拶を発するのだった――
考え抜いた最終奥義を発動し、王妃からシーツと毛布を獲得したライラは荷揚げの紐を手にして梯子を登ると、両膝をついて網に入れた洗濯物をゆっくりと引き上げた。
「ふう…」
先輩から言われた通りに梯子を登ったが、箱入り娘のライラには厳しいもので、荷揚げも加えると息を荒げるほどの運動量であった。
「……」
膝立ちのまま改めて周囲を見渡すと、屋上の胸壁の四方には木製の旗竿だけが残されて、ライラを囲むように麻紐で繋がれていた。
目標とする年下の先輩女中が拵えたものである。
洗濯物を2階の浴室で洗った後に、階下へ降りるのではなく屋上を使えば良いとリアに提案をして、承認されたのだ。
(私は、下で干しますね…)
時間は掛かっても、螺旋階段を下って屋外に出る方が性に合っている。
網から毛布を取り出したライラは立ち上がり、北東方向に張られた麻紐に近付いて、毛布をぱふっと両手で広げた。
(あ、ライエル様…)
視界の下部に覗くのは、北側の練兵場。
久しぶりの晴天下に凛々しい想い人の姿を認めると、ライラは瞳を見開いた。
女中となった切っ掛けは、彼である。
恋に恋する箱入り娘のままで告白をして、砕け散って心を入れ替えたのだ。
絶対にもう一度、相応しい女性になって前に立つ。
彼女の母親も後押しをする、ライラが心に誓った目標であった――
「……」
しかしながら、ライラの心は泡立っていた。
目標であり親しく接している年下の先輩が、任務の一環とはいえ想いを寄せる男性の自宅に通っている――
女中頭のアンジェから、王妃様の側仕えを命じられた初日のこと。
清掃のために二階へ上がって窓から外を見やると、対象の家屋が視界に入った。
本来なら小躍りする衝動が湧き上がる筈なのに、秘密の領域に足を踏み入れた先輩の姿が同時に浮かんで、悦びも窄んでしまったのだ――
先輩に悪意があるわけではない。
一つ屋根の下で暮らすようになった訳でもない。
与えられた任務を遂行しているだけであり、引き受けた彼女も周囲の視線を気にしてか、苦悩している様子が窺える。
しかしながら、先輩の口から想い人に関する話題は出てこない。
守秘義務が有るのだから当然だと納得をしようとする一方で、普段の姿や彼の秘密を先輩だけが知っている――
時折り明るい表情を覗かせる彼女に対して、嫉妬という認めたくない感情が、ライラの胸には灯っていた――
「……」
眼下では、憧れの男性が近衛兵の一人と対峙して、槍の調練を行っていた。
二人を囲むように輪が出来て、身振り手振りを交えながら、戦闘時の動きの確認をしているのだろうか――
「……」
先輩と彼は同い年――
浮かんだ瞬間、若くして将軍となった彼の隣という存在が、とてつもなく遠いものに感じた。
舞台の客席から、憧れとして眺めていた彼女が本気で彼に恋をして、振り向いてくれると夢を見た。
挫折を乗り越えて同じ舞台に立ったは良いが、実際のところは舞台袖の人垣の後ろから、憧れの対象を眺めているだけである――
相応しい人になりたいとは思ったが、どれほど頑張れば叶うのか…
「……」
それでも、都市城壁の外側では肩を並べて歩いたり、身体を支えてもらったりもした。
王妃様の側仕えとなったなら、彼との時間がやがて訪れて、近付くことができるかもしれない――
目標とする、年下の先輩のように――
「待っててくださいね」
もやもやを吹っ切って、自分自身を励ますように、ライラは冷たい西風に精一杯の言霊を乗せてみた――
「誰を、連れていこうかな…」
国王執務室。昼下がりの昼食時。
暖炉前のいつもの席に座った小さな王妃は、テーブルを挟んで正対する国王に向かって呟いた。
「もう、決めてるんじゃないの?」
疑問の発言でない時は、およその考えを持っている。
テーブルの上、紅茶の入った丸椀に手を伸ばすリアに対して、ロイズは思慮の続きを促した。
「今の状況を考えると、お付きがマルマで、護衛がライエルかな…」
「まあ、そうだろうね」
「ターニャさんは、アンジェさんの家で過ごしてもらえば良いと思うの。部屋もあるしね」
トゥーラに赴任して半年も経った頃、二人は夕食に呼ばれたことがある。
王妃は当時の場景を思い起こしながら口を開いた。
「グレンさんの方が頼もしいけど、リャザンにはワルフが居るしね」
「まあ、そうだね」
「それにしても、何の用事なのかな…」
皆目見当がつかないと、小首を傾げたリアが呟いた。
指名を受けたのは王妃のみ。
ワルフがいくら内情を知っているとはいえ、国王を差し置いて王妃だけをリャザン公に謁見させるとは思えない。
さらに言うならば、私信としてリアだけを誘うというのも考えにくい。
「僕の方じゃなくて、リアっていうのがね…」
「うん…」
夫妻が揃う必要があるのかとの疑問には、それには及ばないとの返信がやってきた。
「行くしかないんだから、行くしかないか…」
「嫌なの?」
「だって寒いもん」
小さな白い足裏をぷらぷらと暖炉に向ける寒がり王妃は、澄ました表情でぷくっと膨らんだ唇を尖らせた――
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