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小さな国だった物語~  作者: よち


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135/249

【135.ミハルコ】

ルーシ<略地図> 及び 主な描写地

挿絵(By みてみん)

キエフ大公(ムスチスラフ)の暗殺を企てた男は、キエフから南西に120キロほど離れたコテルニツァに飛ばされた。


ルーシの地の殆どは、起伏の緩やかな草原が広がる大地である。

概ね大陸性の気候で、南部は温帯、北部は寒帯、中央は乾燥したステップ帯に属している。


季節は夏の終わり。

コテルニツァの大地には、(くるぶし)をところどころで隠すほどの緑の草原が広がっていた――



キエフを追われた男の元へ、土着の遊牧民であるベレンディ人がやってきた。

地平線の向こうから懇意の集団が現れたと知ったジミルヴィチは、一時でも行き場のない怒りと悔しさからの解放を願って、彼らの首領を草原に拵えた幕舎へと招いた。


「モナチェク! 久しぶりだな」

「よう、ジミルヴィチの旦那。キエフでやらかしたらしいな」


突き刺した丸太が等間隔で幕舎を囲っている。

気品のある顔立ちに歓迎の笑い皺を浮かべたジミルヴィチが、モナチェクを出迎えた。

麻の衣服に絹のローブを纏ったジミルヴィチの衣服には、金銀の装飾品が肩や胸元で輝いている。


次期キエフ大公の継承権を持つ男が右手を差し出すと、草の汁や土で汚れたモナチェクの太い手指が重なった。


「さあさあ、中へ。他の者にも、酒を出そう。馬乳酒ばかりじゃ、士気も上がらんだろう」(*1)


右手は握られたままで、左手を使って奥へと促すと、モナチェクを先に行かせる形でジミルヴィチも後から続いた。

彼は衣服のポケットから綺麗な麻布を取り出すと、手指に付着した汚れを丁寧に拭い落した。



「勿体ねえなあ! 大公に旦那がなってくれりゃあ、俺たちも貴族の仲間入りなのによ!」


垂れ下がった白い天幕を背景にして、頬を赤くしたモナチェクが残念そうに訴えた。


「すまなかったな。春にお前らを呼んでたら、来てくれたか?」

「当たり前だろ! 俺だけじゃねえよ。チェクマン、シマンの兄弟も、旦那からの使者を今か今かと待ってたんだぜ!?」

「本当か?」

「本当だよ! キエフから金と女を持ち帰るって、シマンは息巻いてたんだぜ?」

「実は、ヴィシェゴロドに入った時に、お前たちに使いを送ったんだよ。途中で捕まったんだな…」


木製の低いテーブルを間に挟み、麻布で覆われた藁のソファに腰を下ろしたジミルヴィチは、手首を膝に預けると、無念の想いを吐き出した。


「そりゃ、残念だったな」


遊牧民の彼らにとっては、一国の貴族の身分より、一時の糧の方が重要なのだ。

各地の村や行商人を襲って収奪を繰り返すよりも、キエフの城市を襲った方が実入りが良いのは明らかである。


「なんで、来なかったんだ?」


目線を上げたジミルヴィチは、モナチェクを見やって恨めしそうに訴えた。


「チェクマンの兄貴が、だいぶ南に行ってたんだよ。シマンと俺だけが向かったら、兄貴に怒られちまうよ」


状況的に仕方が無かった。弁明をして、モナチェクは酒の入ったマグを傾けた――


新しい大公(ムスチスラフって奴)は、随分と気に入られているらしいな?」


モナチェクが低いテーブルにマグを戻して、目線を落としたジミルヴィチに確認をした。


「いけ好かねえ野郎だよ! あいつはスモレンスクで、大公になる機会を窺っていたんだ!」

「……」


ジミルヴィチの見解は、間違っていない。


次の継承権は手中にある。

ムスチスラフは見越した上で、叔父であるロスチスラフに大公の座を譲り、自身はキエフに隣接するスモレンスクに身を寄せた――


そして表立ってスモレンスクを治めずに、大公の息子であるロマンに多くの権限を渡したのだ。


キエフに事変が起こったら、いつでも駆け付ける――


名門リューリク朝の家柄としての責任を果たすべく、崩れ始めたルーシの土台を守る事こそが、ムスチスラフ()の最大の願いだったのだ。


「8年もか?」

「……」


癇癪に対しては、冷静な意見をモナチェクが渡した。


叔父を8年間も影から支える芸当など、なかなかできる事ではない。

遊牧民が外から見ても、現キエフ大公の行動には感嘆を覚えるのだ――


「けっ。俺だってなあ、兄貴を立てていたんだよ!」

「……」


いやいや、年の離れた末っ子のお前は、甘やかされて育った挙句、兄貴の地位を利用して、好き勝手やってきたじゃねえか――


ソファの背もたれに背中を預けたモナチェクは、威勢良く吐いた後に肩を落としたジミルヴィチを見やりながら、辟易の心を灯した――



「旦那にとっては、最後のチャンスになるのか?」

「……」


しかしながら、キエフが抱える女と財産は魅力である。

モナチェクは改めて心を探った。


「目の上のたんこぶが、二つ有ったら難しいだろうがな。一つだったら、目はあるんじゃねえのか?」

「…何が言いたいんだよ」

「旦那にその気はあるのか? って事だよ」

「あるに決まってるだろ! 聞くんじゃねえよ!」


心を叫んたジミルヴィチは、右足で地団駄を踏んだあと、水差しを掴んで直接喉へと酒を流し込んだ――


「チェクマンの兄貴に、聞いてやろうか?」

「何をだよ」

「キエフを襲う気はあるのか? って事をだよ」

「……」

「どうだ?」

「……頼む」


こうして洞窟修道院の中で(ひざまず)いた男は、神への誓いもすっかり忘れてキエフに向かう準備を始めた――



二人の密談の内容は、以下のようなものである。


モナチェクは南へと走り、チェクマンとシマンの兄弟を説得してローシ川の支流で待つ。

ジミルヴィチはキエフの北に根を張る懇意の貴族に声を掛け、襲撃の際には呼応するよう密約を結んで挟撃を図る。

更には甥であるヤロスラフ、ダヴィドの二人を再び仲間に引き入れて、大軍勢で以ってキエフに向かう――


「ロスチスラフの兄貴でさえ、大軍勢で襲われた時にはキエフから逃げたんだ! ムスチスラフの野郎だって、逃げ出すかもな! キエフが戦場になるって選択を、あいつが選べるわけがねえ。覚悟が足りねえんだよ!」(*2)


ジミルヴィチが(くだ)を巻く。


「そうなりゃ金も女も取り放題だな!」

「そういう事だ。戦わずして勝つ! これが俺の戦い方よ!」

「さすが! キエフに座る奴は一味違うねえ」

「おうよ! 俺はキエフ大公になる!」


神に逆らった男は水差しを掲げて立ち上がり、テーブルに右足を乗せて勇ましく叫んだ――




一方で、ジミルヴィチを追放したキエフ大公(ムスチスラフ)は、ミハルコなる人物を、キエフの南80キロ付近に広がる草原地帯に派遣していた。


(ミハルコ)はモスクワの礎を築いたユーリー・ドルゴルーキーを父に持つ、20歳を過ぎた若者で、スーズダリ大公を名乗り始めた腹違いの兄であるアンドレイによって生誕の地から追放されるという憂き目に遭っていた。


追放された理由は、兄がスーズダリからウラジーミルに公都を移した際に、聖母マリアの永眠を記念する生神女就寝しょうしんじょしゅうしん大聖堂を建設するなど、キエフを軽視する行動を、強く諫めたからである。


ルーシの祖であるリューリク朝の流れを汲む者が、キエフ大公を横目にウラジーミル大公をぬけぬけと称する事態には納得できなかったのだ――



「ミハルコ様、ジミルヴィチの元に異教徒の奴らが集まっておりますぞ」


青空の下、穏やかな陽射しと初秋の風を受ける草原に幕舎を構えたミハルコの元に、少し年上と思われる黒褐色の髪色をした青年がやってきて、涼しげな瞳を覗かせた。


「ようこそ。ヴワディスワフ殿。立ち寄っていただけるとは、思っておりませんでした」


幕舎内に拵えたハンモックの揺れに身体を任せて一枚の紙片を眺めていたミハルコが、来訪者に視線を預けると意外そうな声を発した。


「遠乗りついでに、立ち寄るつもりでした。他の者がどう思っていようと、キエフを愛する者として、私はあなたを歓迎致します」


ヴワディスワフはポーランド人。ロスチスラフの時代に外交官としてキエフに派遣されて住居を構えると、能力を見込まれて軍司令官の任務を授かった。


大公が逝去しても祖国に戻らなかったのは、赴任先で育んだ愛する妻子の為でもあったが、一番の理由はキエフの崩れゆく現状を嘆いたからである。


片やミハルコは、スーズダリ大公を宣言した兄の元を離れたとはいえ、反乱分子の弟であり、キエフの人々に易々と受け入れられる立場ではなかった――


故に涼しい目をしたポーランド人は、キエフに忠誠を尽くそうとする彼に対して、同志と呼ぶような感情を抱いていたのだ。

 

「私とあなたは、外様同士。という事ですか?」

「いやいや、あなたは高貴な血筋を持っておられる。私とは立場が違いましょう」


ハンモックから下りたミハルコが右手を差し出すと、足を進めたヴワディスワフは離れていた知己(ちき)との出会いを彷彿とさせる歓迎の笑顔と共に、両手で彼の右手を包み込んだ――



「さて、いかがなさいますか?」


爽やかな風が吹く草原にそれぞれが丸太を置いて腰掛けると、ポーランド人がミハルコに尋ねた。


「明日には、大公の耳に謀反の知らせが届くでしょう。ダヴィド様は勿論、ジミルヴィチ()が声を掛けそうな方々にも、知らせる手筈になっております。事前に漏れている謀反の計画に、誰が乗りましょうか」

「え? あなたはここで、寝ていたのでは?」


早々に謀反を知らせる使者を送ったと語るミハルコに、ヴワディスワフは思わず声を発した。


「私達の幕舎には、釣り好きな者が多いのです。当然、彼らの子供たちもね」

「……」


幕舎の周りでは、草原を駆け回る子供たちの高い声が何度も飛び交っている。

ローシ川で釣りを愉しむ親子の姿が散見されたことを思い出し、ヴワディスワフは絶句した。


「幕舎に馬が多いのも、奴らの目を欺く為ですか?」

「いやいや、馬を元気に走らせる為ですよ。(かれら)にとっても、この季節は最高でしょうから」


続いたポーランド人の質問に対しては、煙に巻くように謙遜を表した――



「それで、キエフとヴィシェゴロドの様子は、いかがですか?」


青い空の下、今度は陶器のマグを手にしたミハルコの穏やかな表情がポーランド人に向けられた。


「キエフは落ち着いています。ムスチスラフ様の治世は貧しい者には施しを与え、悪しき者には裁きを与える。神の教えに(なら)った素晴らしいものです。キエフに近いヴィシェゴロドにも、動きはありません」

「そうですか。ヴィシェゴロドの周りには、ジミルヴィチの息が掛かった者たちが居るはずです。彼らには、私からの報せは届かないよう手配してありますが、漏れる可能性が無いわけではありません。司令官殿には、それらの対処をお願いしたい」

「ジミルヴィチの仲間というと、ラグイロやミハリの事ですかな?」


名前の上がった両名は、洞窟修道院で行われた醜い論争で、ジミルヴィチに(くみ)した者である。


「そうですね。他にも居るかもしれません。この機会に、彼らの仲間は一掃することに致しましょう」


縮れた金髪に涼しい風を受けたミハルコは、太い眉毛の下に覗く奥目の瞳を静かに閉じるのだった――

*1 馬乳酒

夏に遊牧民が馬の乳を攪拌して作る酒。白色で発泡性を持ち、アルコール度数は2%程度。

馬の乳は脂肪分が少なく、チーズなどの固形物は作れない。


*2 

1161年2月8日、ロスチスラフはイジャスラフ(イジャスラフ・ダヴィドヴィチ)が遊牧民族ポロヴェツを率いてキエフ北部に迫った際、従士と妃を連れてキエフから退却。

イジャスラフは2月12日。キエフに入城を果たすも、3月6日、ロスチスラフの反撃により絶命する—―


お読みいただきありがとうございました。

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