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小さな国だった物語~  作者: よち


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133/249

【133.新たな任務③】

「なんだか、居心地が悪いです」


国王執務室。

暖炉を背中にして座る王妃にマルマが訴えた。


「最初だけじゃないの?」


環境が変わったなら、普段の自分で居る事は難しい。

涼しい顔で当たり前のことを語った王妃が、両手で支えた丸椀を口元で傾けた。


「そうかもしれないですけど! なんて言うか、上品な感じの人とは合いません!」

「それって、私が粗暴だってこと?」


丸椀をことりとテーブルに戻すと、大きな瞳と笑っていない笑顔がマルマを覗いた。


「いえ、そういう訳ではなくて…なんて言うか、使用人の私が、気遣われている感じが嫌なんです!」


あれやって、次はこれ。次々と指示が飛んだ方が動きやすい。

仕事なんだと割り切って過ごしたいマルマが、動きのない時間をどうにかしたいと訴えた。


「あなたがそんなだったら、他の人はもっと委縮しちゃうわよ? 諦めなさい」

「うー」


溜め息交じりにリアが突き放すと、怒りを抑えられないマルマが嚙みつく直前の狼のようになって呻いた。


「歓迎されたんでしょ?」

「……」

「私には、アンジェさんがあなたを選んだ理由、分かるけどな」


固くなったマルマの心を解すように、僅かに首を傾けて王妃が声を送った。


「私には、分かりません!」


目の前に座る王妃の言う通り、歓迎されたのだ。

だからこそ、このまま上司の思惑通りになることは癪に触る。

どうしてもやりたくないといった意志を言い放つと、マルマは丸っこい顔の頬をぷくっと膨らませた。


「あなた次第で良いから、とりあえず続けなさい。夜になっても愚痴は聞いてあげるから、上がってきていいわよ」

「え? 良いんですか?」


膨らんだ頬を元に戻すと、瞳を大きくさせたマルマが言質を取ろうと訊き返した。


「良いわよ。但し、常識的な時間にしなさいよ」

「はい!」


夜の読書時間が減ろうとも、マルマが齎す話も面白そうである。

他人の家を覗き見るようで心は曇ったが、ことを円滑に進める為には仕方がない。割り切った王妃は溜め息交じりに釘を刺すのだった――




翌日の朝早く。薄曇りに遮られた星明りの下。同僚が出勤してくる前に城の南門をこっそり抜け出して西へと向かったマルマは、泥棒のように周囲を警戒しつつ一本裏道に入ってから、勤め先の家の裏口を目指した。

すれ違う同僚の疑問の声を、躱す言葉が見つからなかったのだ。


「誰ですか!」

「ひっ」


民家の隙間をカニのように縫って裏口を目指したところで、視線の先から若い男の鋭い声が飛んできた。


「ま、マルマリータです…」

「は?」


先に居るのは美将軍であった。マルマが細い声になって隙間の向こう側へと名前を届けると、不審者に向かって槍を構えたライエルが眉尻を下げて怪訝そうな表情を浮かべた。


「す、すみません…」


ライエルの視線が注ぐ中、マルマがようやく家屋の隙間を抜け出すと、麻の衣服の太腿辺りに付着した汚れを両手で払った。


「なんでそんなところから? 迷ったのですか?」


城の西側30メートル。

発言自体に違和感を覚えながらも、普段通りを装ってライエルが尋ねた。


「あ、いや、裏口の方から入れるのかな? って思いまして…」


二人が足を置いている場所は、付近の家屋たちの裏庭である。

前日は新たな仕事場の外周に気を取られて気付くことはなかったが、裏手の家屋との間には、立派に育った楓が枝葉を広げられるくらいの空間が設けられていた。


「はあ…」


お腹の前で指を組み、居心地悪そうに右下に視線を逸らす女性を前にして、ライエルは怪訝な声を発した。


「ら、ライエルさんこそ、早いですねっ」


冷たい空気が纏う中、東の空がようやく明るくなってきた頃である。

丸っこい顔を上げたマルマが取り繕うようにして、浮かんだ疑問を口にした。


「日課なんですよ。薪割りの前に、槍の素振りを行うんです。みなさん未だ、お休みになられているので」


右手に持った槍の穂先をすっと上に向けてから、少し得意気になってライエルが答えた。


「マルマリータさんも、充分に早いと思いますよ? 母も未だ、寝ております」

「そ、そうですよね。早すぎますよね…」


朝食を作る必要はなく、毎日洗濯をする訳でもない。

それでも朝早くから足を向けたのは、完全なる自己都合。

心意気をライエルが労うと、マルマは頬を赤くして俯いた。


「寒いですし、中にお入りください」


息をほうと吐いたなら、白いものが視界に浮かぶ。

底冷えする寒さを気遣って、左の手のひらを上にしたライエルが自宅に入るよう促した。


「あ、はい。ありがとうございます」


ぺこりと頭を委縮して、マルマはそそくさと一歩を踏み出した。


「あ、ちょっとお待ちを」

「え?」


右手に槍を持ち、背筋が伸びた威圧感を放つ若い男性の前を緊張しながら進んだところで、マルマの足が思わず止まった。


「背中の方も、汚れてますよ」


立ち竦むマルマの左側、すっと身体を寄せたライエルが背中を覗くように視線を下げると、左手で麻の衣服に付着した灰塵を何度か払い落した。


「あ、ありがとうございます…」

「いいえ、素敵な女性を、汚したままには出来ませんから」

「……」


緊張しながら口を開くと、耳に心地よい優しい声音が、茶褐色の髪に隠れたマルマの鼓膜を揺らした。

歯の浮くような台詞に耐性の無い彼女の心臓が、思わずきゅっと持ち上げられた。


「はい。綺麗になりました。大丈夫です」

「あ、ありがとうございますっ」


背筋を戻したライエルが満足そうな声を発すると、頬を赤らめたマルマは小走りになって裏口へと足を動かした。


(かまど)でも良いですし、暖炉でも大丈夫です。温かくしてください」


裏口を開けようとしたところで声を掛けられて、マルマは振り向いた。

視界の中に、夜明け前の空を背景にした逞しい男の輪郭が浮かび上がった――


「はい…」


暗がりで顔の表情は確認できなかったが、想像に難くない。

それでも一瞬だけ胸が詰まったマルマは、確認できなかった彼の表情を求める自身の瞳を、確かに自覚するのだった――


「……」


裏口から家屋に入って木製の扉を閉めたところで、背中をどんと扉に寄り掛ける。

緊張で顔の表皮を固くしたマルマは、胸の谷間に右手を当てて大きく一息を吐き出すと、そのままずるずると腰を落とした。


恐らく暖炉の残り火が灯っているのだろう。視線の先は暗がりであったが、右側から仄かな明かりが窺えた。

あとから起床する母親の為に、美しい顔立ちの一人息子が種火を起こしたのだろうか。


「ふんっ!」


背中が触れる扉の後ろから、ライエルの気合の入った低音と共に、朝の空気を切り裂く短い響きがやってきた。

一呼吸を置いて、もう一度。

更にもう一度。

続いてもう一回…


「……」


鍛錬は延々と続くように思われた。

その場で膝を回したマルマはそっと扉を開けると、僅かな隙間から彼の姿を覗いた――


「……」


冷たい空気の向こう側。仄かに白む空を背景にして、麻の衣服を剥いで逞しい鋼のような上半身を覗かせた漢が、敵と対峙する鋭利な姿勢となっていた。


男の素肌が上気して、上半身の輪郭が淡い白色(はくしょく)となって浮かび上がっている――


昨夜の帰宅当時の姿からは想像ができない…

呆けたマルマは時間が止まったように固まって、やがて室内で動きが起こるまで、彼の姿を瞳の中に刻むのだった――




「失礼します」


太陽が天頂に昇るころ、国王執務室に姿を見せたのは長身のライラであった。

しずしずと足が運ばれて、肩まで伸びた金髪の上部を麻の頭巾で覆った立ち姿は、前任者と違って石壁に囲まれた執務室の雰囲気を静穏(せいおん)なものへと変えていた――


「紅茶でございます」

「あ、ありがとう」


読書を愉しむリアの手元、暖炉前のテーブルに無音で紅茶が運ばれた。

白い丸椀の下には麻の端切れが備えられ、上品な心遣いが感じられた。


「マルマリータさんに、リア様の好まれる淹れ方を教わりました。いかがでしょうか?」

「あ、うん。大丈夫。美味しいわ」

「よかった…」


両手に備えた丸椀を、ゆっくりと口に運んだ王妃が感想を述べると、長方形のお盆を胸に抱えたライラがほっと胸をなでおろした。


紅茶と呼んではいるが、クワスと呼ばれる発酵飲料水を温めて、蜂蜜と柑橘系のジャムを混ぜた簡単なものである。

採取の季節や製法によって味が変化するのは当然で、香りや粘り気、ジャムの種類によって分量を変えていた。

トゥーラは小国で、ピザンツ方面との交易は確立しておらず、砂糖は入手困難な高級品であった――


「用務は、他にございますか?」

「ん? 今のところは大丈夫かな」

「畏まりました。それではまた、夕方に伺います」


ぺこりと頭が下がると、細身の背中が扉の方へと足を進めた。


「失礼しました」


続いて振り返って小さく頭を下げると、ライラは開いた扉の細長い取っ手を掴んでゆっくりと閉めたのち、音を立てることなく螺旋階段を下りて行った。


「なんか、マルマとは正反対の女性ですね…」


壁沿いの机で書類整理をしていた尚書(ラッセル)が、猫背の背後で行われた二人のやりとりを見届けて、率直な感想を漏らした。


二人の間には因縁がある。

夏の攻城戦。上司の愛娘であるメイを抱えたライラを、ラッセルが助けようとしたのだ。


結果的にはライラの憧れる美将軍の手柄となったが、彼女自身にも負い目があって、ラッセルの見舞いに足を運んだ――


しかしながら当時のラッセルは、己の無力を嘆くばかりで余裕はなく、向けられた感謝を適当にあしらってしまっていた――



「そうね…」


マルマの後任と決まったわけではない。

王妃のお付きとしてカルーガに同行したという経緯もあって、アンジェさんが派遣したのだろう。


二泊三日の旅行では、年下の先輩と王妃から一歩を引いて、眺めるような立ち位置に長身のスラリとした身体を置いていた。

彼女が意志として決したわけではないだろうが、結果として正解である。


会談の内容に興味を示す事はもちろん、マルマに感化されて王妃の身の上話を尋ねる事も無かった。


「素直な子だし、信用できるんじゃないかな」

「そうですね…」


側仕えとしては重要な資質である。

閉じた扉の向こう側を眺めたリアが声を発すると、薄い顔の尚書は心に仄かな寂しさと物足りないといった感情を灯しつつ、王妃の評価を受け容れるのだった――




新たな任務がマルマに下って、一週間が経った――


食堂で行われた朝礼で、アンジェによって皆に周知されたとき、当然ながら女中たちの表情は曇ったが、それ以上にマルマの顔が泣きそうになっていて、彼女たちは一様に口をつぐんだ。


あくまでも将軍職を務める者を支える為の奉公であり、対象が母親である事。

出向するのが週2回。時間帯が昼前から夕方で、美将軍は当然不在。加えて極寒の時期に水仕事や掃除が主な役割とあっては、同情の声すら上がった。


それでも食堂の最後方。金髪を肩まで伸ばした長身の女中だけは、やりきれない思いを抱えて俯いていた――


次話より、物語は大きく動きます。

付いてきてください(汗


お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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