【132.新たな任務②】
「だいたい、なんで私なんですか?」
三階にやってきたマルマの憤慨は、テーブルを挟んだ王妃の正面に座ってからも続けられていた――
「だって、あなた以外だと収拾がつかないでしょ? それくらい、私にも分かるけど?」
先ずは落ち着いてもらおうと、頬を膨らませた彼女に紅茶を淹れてもらった王妃が、差し出された白い丸椀に両手を添えながら、宥めるように口を開いた。
「そんなの、くじ引きでもすればいいんですよ…」
決定は容易に覆らない。
彼女自身も解っているらしく、声の調子は落ち着いたものへと変化した。
「ライラが当たったらどうするのよ。行かせるの? 希望者を募るにしても、先ずは立候補で揉めると思うけど?」
「……」
お互いのプライドがぶつかり合って、要らぬ軋轢は生まれそうである。
「言っておくけど、相手をするのはライエルのお母さんなんだからね」
「はい…」
忠告を与えると、伏し目になったマルマは観念したように小さな声を吐き出した。
「冬の間に限った話だし、順番とか当番制だと配置を覚える前に春になるでしょ。暖炉もない使用人の部屋で過ごすより、良いんじゃない?」
「……」
「夜は冷えるし。私だったら絶対受けるけどな…」
「え? 住み込みなんですか?」
寒がり王妃から思わぬ言葉が飛び込んで、茶褐色の瞳が大きくなった。
「あれ? 聞いてない? 朝も早いんだから、通うより良いんじゃないの?」
「いやいや! そんな事したら殺されますよ!」
「…そうなの?」
いくらなんでもあり得ない。
しかしながら、針の筵状態にはなるかもしれない。
語気を強くした側使いを眺めると、王妃は他人事のように呟いた—―
王妃に愚痴を吐き出して、マルマは新たな仕事場へと向かった。
城の西側は一等地。大将軍グレンの家を筆頭に、政を担う文官の住居がずらずらっと並んでいる。
しかしながら敷地の中に厩を構える大将軍が例外で、将軍という身分でありながら、目標の家屋は2階建ての簡素な造りであった。
「城から参りました。マルマリータと申します」
「はいはい」
鉄製のドアノッカーで木製の扉をコンコンと鳴らすと、ドアの向こうから女性の声がやってきて、姿は見えなくとも急ぐ様子が窺えた。
「急な話で、ごめんなさいね」
扉がぎいっと内側に開くと、病人が自宅で羽織るような質素な服ではなく、他人の家にお邪魔する程度には着飾った恰好で、ライエルの母親が姿を現した。
「いえ…」
美将軍は父系の血を継いだのだ――
病身だとは聞いていた。それでも一目で納得するくらいの細身の身体が現れて、マルマの声は恐縮を含んだ。
「外は寒いでしょう? さあ、上がって」
「あ、はい。お邪魔します」
他人の家に入るのは、子供のころ以来である。敷居を跨ぐと、胸の奥底に残る家屋の記憶が蘇った。
マルマは空気の違いに改めて心を軋ませながら、促されるままに一歩を進めた。
「最初に、言っておくわね」
「はい」
猫背になって歩む細い背中から、重たい声がやってきて、マルマは思わず背筋を伸ばした。
「あなたには、自分の家だと思ってもらいたいの」
「……」
恐らくは、上司から身の上話を聞いたのだ。
初対面の場で意図するところを速やかに通達する背中は、その身に纏う空気感は違っても、間違いなく将軍を育てた母であり、尊敬する上司の友人なのだとマルマは理解した。
「勿論、あなたの気持ち次第なんだけどね」
「あ、私がやります」
竈の方へと細かい歩みが向かうと、マルマが咄嗟に行く手を阻んだ――
「冬の間だけですけど、何でもお申し付けください」
やがて小さな暖炉の前に置かれたテーブルに、白湯の入ったカップをことりと置くと、マルマは椅子に腰掛ける新たな雇い主に決心を伝えた。
「どうぞ、お好きにご覧になって」
続いて仕事場を見学したいと申し出たところで、快い返事がやってきた。
雇い主が暖炉の前に腰を据える中、マルマは真っ先に玄関から飛び出して、家屋の外周を確かめた。
(2階の窓際…)
灰白色の城は堀を挟んで目の前だ。彼女の目的は、窓の配置。
3階の居住区は奥まった東側なので確認できないが、2階に設置された窓は視界に入って、こちらの窓を開けたなら、覗かれてしまう可能性を考えた。
続いて外周を確認。
炊事場へと繋がる勝手口が裏手にあり、使い込まれた斧と束ねられた切り口の新しい薪たちが、整然と積み置かれていた。
「あれは?」
裏庭で目に付いたのは、不均一にぶら下げられた7枚ほどの手のひらサイズの木片であった。
板の上部がくり抜かれ、頭上で横へと伸びる楓の枝から麻縄によって繋がれている。
板の一枚一枚は抉られたような傷跡が無数に残って、足元の地面はぶら下がった板の集団を中心に、円の形で削られていた――
「……」
鍛錬の跡。
歴戦の兵士が若い将軍に従うは、父親の威光だけではない。
夏の戦いでの自信に満ちた振る舞いも、当然ながら日々の努力の賜物なのだ。
「……」
私たちは、守られている――
マルマの脳裏には、練兵場で教官として声を張り上げる美将軍の姿が浮かんだ――
玄関から室内に戻ると、左奥に備わる暖炉の前で、変わらず椅子に腰かけるライエルの母親の姿が目に入った。
中央には勝手口へと繋がる通路があり、右側には竈の置かれた炊事場が覗いている。
「二階は、行かない方が良いでしょうか?」
二階へと続く階段は右手の奥。見るからに急角度。
当然ながら手摺は備わるも、病身の母親が行き来するには少々危険だと思えた。
「大丈夫よ。二階は息子が使っているから、訊いてみて」
「はい」
穏やかな声がやってきて、生活の一部を思った。
右側に置かれた藁のベッドで母が就寝。美将軍は二階の自室で寝るらしい。
毎朝起きては階段を下りてきて、暖炉前に置かれたテーブルで朝食を食べるのだ。
立ち上がったマルマは階段の方へと足を向けると、左手で手摺を掴んで上を見た。
トントンと小気味よいリズムを鳴らしながら、やがて2階へと足を置く。
続いて彼女はその場で膝を屈すると、手すり子の一つを上部から人差し指でなぞった。
「……」
綺麗に拭き掃除がされている。
急な階段を行き来して、病身の母親が二階の拭き掃除もしているのだろうか。それとも武芸に優れ、女性からの好感度ナンバーワンの美男子が、家庭内に於いても献身的な姿を見せるのか――
散らかす事が得意だった自身の子供の頃を思い起こしたマルマは、にわかには信じられないといった心を灯して、彼の真の姿に関心を示した――
「なんにも無いでしょう?」
2階から戻ってきたマルマが暖炉の前へと足を戻すと、瘦身の母親が感想を求めた。
「そうですね…」
正直な思いを口にして、雇い主から左の手のひらで着座するよう促されたマルマは、彼女を右前に見る形で4人掛けのテーブルに備えられた椅子に腰を下ろした。
細腕からは、どうやっても力仕事は無理そうに思えた。
やはり息子の美将軍が水の入った桶を持ち、急な階段を上っているということか。
「スッキリしていて、掃除も行き届いています。竈も綺麗ですし、私が使って汚したら、申し訳ないです。あまり得意じゃありませんので…」
洗濯や力仕事は得意でも、気合ではどうにもならない料理は苦手である。
マルマは正直に力量を伝えた。
「アンジェから聞いてるから大丈夫。炊事場は、触らなくて良いからね」
「はい」
調理道具の扱いや収納。窯の使い方にも個性が出る。家主の領分には立ち入るな。
そんな意味だと理解して、マルマは懸念を払拭してくれた上司に感謝した――
それからは仕事内容の話となり、続いて世間話に花を咲かせた。
厳しい上司の態度。王妃様とのカルーガへの小旅行。雇い主の息子の活躍――
時間を忘れて語り合った結果、窓の外側はすっかりと暗くなっていた。
「戻りました」
ぎいっと音が立って玄関扉が開くと、ライエルが姿を現した。
厚手の衣服を着ていても、鍛え上げた筋肉質の身体は隠せない。
寒いねえなんて言いながら、猫背になって両手を摩っている姿は、自宅でしか見られないものだろう。マルマは凛々しい普段の姿とのギャップに、思わず見入ってしまった。
「あ、今日から来てくれたんですね」
左右に垂らした金髪の間から覗く整った顔立ちがマルマを捉えると、安堵と歓迎の声が飛んできた。
「あ、本日からお母様のお世話をさせて頂きます。マルマリータと申します!」
ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、マルマが改まって茶褐色の細い髪の毛を下へと揺らした。
「宜しくお願いします」
顔を上げたマルマに足を寄せた美少年が、スッと直立したかと思うと、右手を胸にして頭を下げた。
ライエルの瞳が閉じるのを見上げる形となったマルマは思わず見惚れて、彼の真摯な態度に恐縮せざるを得なかった。
「いやいや、こちらこそ。お邪魔します!」
何を言ってるんだか自分でも分からなかったが、両手を腰の前で広げたマルマはとりあえず言葉を発した。
「ちょうど今、あなたの話をしていたのよ?」
「え? 悪い話だったら困るなあ。母さん、変なこと吹き込まないでよ?」
微笑む透き通った横顔も、満点の出来である。
毛色の違いを思ったマルマは、二人のやりとりを眺めるしかなかった――
「あ、夕飯の支度、忘れてたわ。今から用意するわね」
「急がなくていいよ。僕は、身体を拭いてくるね」
立ち上がった母親を気遣うと、ライエルは炊事場の方へと向かった。
「あ、じゃあ、私は戻ります!」
ここからは家族の時間。察したマルマが声を出す。
「あら、そんなこと言わずに、食べて行って?」
「いえいえ! 食事はお城で用意されていますので!」
退散以外に道はない。
城の食堂が用意する賄いの時間はとっくに過ぎている。
絶対に姿を見せる食いしん坊が見当たらないと、不審を抱かれているに違いない。当然ながら、降って湧いた任務については秘密である――
「明日また、伺います!」
逃げるように足を進めると、マルマは扉の前で振り返り、ぺこりと頭を下げた。
「はい。また明日」
穏やかな雇い主の微笑みが、マルマの態度を救った。
失礼しますと声を発すると、マルマは扉を引き開けて、温かな家庭の空気から逃げるように寒空の下へと飛び出した――
(予告)
連載開始から約3年。次話を以て、序章は終了です(え
第134話から、ルーシ諸公国の世界へと物語は広がっていきます。
お読みいただきありがとうございました。SNS等で拡散いただけると嬉しいです。
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