【130.邂逅】
トゥーラの南側、静まり返った一面の雪景色。二人の猛者がお互いの武芸を存分にぶつけ合っていた――
初手は体格の劣るトゥーラの将軍であった。
戸惑いを見せる相手に殺気の籠った穂先を放つと、ギュースは槍の柄を両手で操って左へと払った。
続いて立合いを受け入れたギュースが土埃に汚れた赤い髪を振り乱して槍を一閃させると、両者の間合いが広がった。
武人の最期を演出してくれた猛者に感謝して、彼は掴んだ持ち手を握り絞った。
槍はどちらも雑兵が扱うもの。
ガチッと穂先の欠ける鈍い音色が耳元で響いても、総ては新雪に沈んでいった。
「ふう…」
小一時間は経っただろうか――
間合いが再び開いたところで、肩で息を始めたグレンが一息を吐き出した。
「さすがだな」
素直な心情であった。
三か月近くもの間、衣食を制限された牢屋で過ごしたのだ。身体のキレは本来のものでは無く、気力や体力も削がれている筈である。
それでも互角とはいかぬまでも、殺気の籠った一撃を繰り出してくる。
仮に万全の状態であったなら、恐らく敵うことはなかった――
「もう十分だ」
脚捌きによって抉られた大地に槍の穂先を突き立てると、身体全部を預けるように前のめりとなったギュースが観念をした。
「愉しかった。感謝をするよ」
続いて心の内を吐き出した。
両足の力が欠落し、踏ん張りが効かない。手が悴むように握力も落ちてきて、振るう穂先は垂れるようになってきた。
これ以上は、礼を失する――
腕に頬。穂先の擦れた箇所からは、赤い体液が滲んでいる。
対して槍を中段で構える敬譲に値する漢は、早くも息が整っている。
「さあ、殺せ」
総てを委ねると、男は両膝をすとんと大地に落として、赤髪で覆われた顔の表皮から望みの声を発した。
「そうか…」
覚悟の声を受け容れる。グレンは構えを解いて槍を足元に放ると、腰にぶら下がった鞘から銀色に輝く刀身をスラリと抜き出した。
「何か、言い残す事はないか?」
一歩を踏み出して、殺気を露わにした男が厳しい表情になって問いかけた。
「そうだな…」
無情となった瞳を落としたままで、ギュースは暫くの時間を費やすと、許しを求めるように口を開いた。
「未来に一つ。過去に一つを、尋ねたい」
「…聞くとしよう」
「俺は、春にもトゥーラに来た。出てきたのは、そなたか?」
「そうだ」
過去を問う静かな声に、グレンが素直に応じた。
「アレで躓いた。冷やかしてやろうと来てみたが、城を出てくるとは思わなかった…」
「……」
どうしてだ? といった視線をギュースが投げかける。
表情はそのままに、トゥーラの総大将は淡々とした口ぶりで回答を渡した。
「春の川は深いのでな。大軍では無いと踏んでいた。城を出た一番の理由は、備えを見られたくなかったからだ」
「…そうか」
雪解けの水により、渡河の難易度は増していた。
大きな傷痕が残る頬に落胆の表情を浮かべると、ギュースは一つを吐き出した。
「腑抜けばかりと思っていた奴らが出てきて、何かあるとは感じたんだがな。退却を命じた後で、遅かった…」
「まあ、油断だな」
「そうだな…」
勝者の見解を、敗者は認めざるを得なかった。
斥候の派遣を怠った春先の戦いを経た結果、トゥーラの西側を流れるウパ川だけでなく、カルーガに近いオカ川に於いても渡河への警戒が強固なものとなってしまった。
厚い備えを知ったなら、夏の侵攻は長期戦を視野に入れていた――
「常に戦いと共にあった。生きる事は、戦う事。そんな俺の人生は、意味のあるものだったと思うか?」
続いてギュースから、しおらしい問いが届くと、グレンが静かに前途を語った。
「それを決めるのは、ワシじゃあない。お前が未来を託した者達だ」
「……」
ふっとギュースの瞳が伏せて、脳裏には直属の部下だったカプスやベインズらの笑顔が浮かんだ――
「…そうだな」
語った刹那、鉛色の空を背景にした銀色が素早い弧を描いた。
伸びた赤い髪が舞い落ちて、スモレンスク軍の総大将は、トゥーラの白い大地で名前を亡くした――
朝方まで残っていた雲たちがすっかり居なくなって、新任の城主として二人がやってきて一年が経ったこの日の午後は、天が祝福を与えているかのような穏やかな天候となっていた。
北側に一本だけ残っている樫の木の周りでは、子供の小さな足たちが、残雪の染み込んだ大地を耕すように駆け回っていた――
「あ、お姉ちゃんが来た」
麻のワンピースを纏ったリアの姿を見つけると、アンジェの愛娘が高い声を発した。
「メイちゃん、こんにちは」
タタッと小走りで寄ってきた小さな女の子。頭巾で頭を覆った王妃は、両手を膝にして優しい声を送った。
「何やってるの?」
「おかたづけ」
「……」
リアが尋ねると、明確な答えが無機質にやってきた。
時間は昼過ぎで、遊び終えるような時間帯とは思えない。
「なんの?」
上目遣いに続けて問いかけると、メイの視線は城壁の上の方へと移動した。
「はたけ」
「え?」
予想外の単語がやってきて、視線の先を追いかけた。
トゥーラを囲む都市城壁は、スモレンスクとの戦いで大きな損害を被った。
特に西側と北側の被害は甚大で、修復作業は戦闘時に担当だった美将軍と、滑舌の拙い部下のルーベンに任された。
その際には現場の経験に基づいて、足場の広さや梯子の配置。その他の改良を含む全権を与えたのだ。
「……」
新たに設置された足場の上には、子供たちの姿が散見できた。
どうやら木箱が置いてあり、片付けと称したメイの正しい見解は、土の入れ替え作業のようである。
「何植えるの?」
「まめ」
続けて尋ねると、またもや短い回答がやってきた。
エンドウの事らしい。発芽をさせて冬を越し、晩春に収穫をするのだ。
「見に行ってもいい?」
「いいよ」
北側に足を向けたのは、修復作業を確かめるため。
梯子は等間隔に設置され、足場へと抜ける部分はくり抜かれ、足場の後方には縄を張って転落防止を図る事により、昇降口や後方を気にすることなく、存分に矢羽を放てるようになっていた。
「……」
梯子を上って足場に立つと、リアの心は満足を宿した。
しかしながら、同時に無用な労力になる事を願った――
北側の足場には城壁に沿って木箱が並べられ、子供たちは足場の上から垂らした麻紐で、土を詰めた麻袋を運搬していた。
麻袋は子供の力でも引っ張り上げられるくらいに小さなもので、一つの木箱を埋めるのに、6回程度を要していた。
並べられた木箱の数は30ほどで、半分は未だに空である。
「手伝うよ」
細腕ながら、それでも子供よりは力になれると、小さな王妃はいつぞやの少年の背中に声を渡した。
「あ、ありがとう…ございます」
足元に垂れ落ちている麻紐を掴むと、甘い香水の香りが鼻腔に触れて、少年の頬は仄かに赤を加えた。
「あの…」
「うん?」
「お名前を…教えてもらってもいいですか?」
木箱に土が注がれて、空になった麻袋が落とされる。
視界の下。少年の妹とメイによって新たな麻袋が結ばれている間に、頬を真っ赤にした少年が立ったままで尋ねた。
「リアって呼んで。あなたのお名前は?」
膝を屈したままで、今度はリアが尋ねた。
「チュミルって言います」
「宜しくね。チュミル君」
「……」
僅かに首を傾げて微笑んで、小さな王妃は上目遣いで優しい声を少年に渡した――
「ねえ、そこにある麻縄、使っていい?」
いくぶん軽くなった最後の麻袋を引っ張り上げて、土を木箱に注いでいるチュミルの背後から、立ち上がったリアが尋ねた。
「何に使うんですか?」
足場の補修用。直径5センチ程の太さに編み込んであり、一本が4メートル程の長さとなっている。
「梯子を使って降りるより、早いかなって」
悪戯っぽい声を上げると、王妃は足場の一角に積まれている三本の麻縄を手に取った。
続いてチュミルの力を借りて一本に結ぶと、先端の一方を城壁に沿って備えられた梯子に結んで、もう一方を足場の外側へと放った。
「大丈夫ですか?」
「平気平気」
心配顔のチュミルの声を、リアが軽くあしらった。
カルーガでは木登り上手なウィルと一緒に、何度も試みた遊びである。
「さて、いくよ!」
両手で麻縄を辿りながら、リアが足場の手摺を足からすり抜けると、補助として縄の上部を握ったチェミルに明るい声が届いた。
「おい! 危ないよ!」
チェミルの両手にずっしりとした力が加わると、同時に下の方から男性の叫び声が聞こえた。
「え?」
高低差はおよそ8メートル。
両手で麻縄を握りしめ、両の足裏で縄を挟んだ状態でぶら下がった王妃が視線を下に向けると、二人の女の子に交じって、若い男性の姿が自身の隙間からチラチラと覗いた。
「ごめんなさい!」
傍から見れば、随分と無茶なことをやっている。
自覚を灯したおてんば王妃は、とりあえず急いで降りる事にした。
「支えますから!」
「あ、ありがとうございます!」
振り子みたいにならないように、若い男が麻縄の先端を掴んだ。
随分と安定が加わって、足元に向かってリアは素直に感謝を口にした。
地面から身体一つ分。
着地をしようと麻縄から手を放したところで、小さな身体がふわりと横になった――
「無茶はいけません!」
軽い肩甲骨と腰の裏。
男の両腕がリアを支えると、整った顔立ちが瞳の前に現れた。
「あ、ありがとうございます…」
思わず頬を赤らめて、感謝の言葉をリアが吐く。
同時に聞き覚えのある声だと気が付いて、男の顔立ちをまじまじと見つめた――
「お姉ちゃん」
両足が優しく地面に接すると、少女の無機質な声が飛んできた。
「ん? なに?」
目尻を下げて、リアが訊く。
「下着、また見えてた」
「……」
「……」
小さな王妃と美将軍の、初めての対面であった――
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