【127.解答】
夏の戦闘時。槍を交えた二人の将官が互いの健闘を讃えて別れの挨拶を済ますと、スモレンスク公国の三人の使者は小舟に乗り込んで、緩く流れるオカ川の向こう岸へと漕ぎ出した。
「大丈夫なのか?」
「任せて下さい!」
漕ぎ手は童顔の将官、カプスである。
浮ついた心も手伝って、童心に帰ってみたくなったのだ。
「ありがとうございました」
「愉しい時間だったか?」
「はい」
両手で櫂を握って船を操る男が、兄貴分に心からの感謝を表した。
自身でさえ胸の奥に仕舞い込んでいた子供の頃の場景を、彼は辿ってくれたのだ。
「これは、俺の勘というか…予測なんだがな」
「はい」
「お前が惚れた相手は、小さな国の王妃様だ」
「……は?」
ブランヒルは、トゥーラの城内で捕縛された場面で、「親玉は他にいる」 と放った国王の発言の解答を、カプスに対して披露した。
教会は木造の貧相なもの。他国に誇るような華美は見当たらない。
慎ましい人々の生活に加えて、神が認める争いすらも忌諱する感情が、確かに在る。
それらを女性的なものだとするならば、辿り着いた答えには確信があった。
「彼女が、ですか?」
「信じられんか?」
「いえ…」
再びの出会いを果たした浅瀬を見つめながら、カプスは幾つかを思い出していた。
頑なに距離感を保っていた事も、差し出した右手を拒んだ事も、王妃という立場を考慮した危機管理だと思えば合点がいく。
常に半身の体勢で、身体の後ろに隠れていた右手には、恐らく護身用のナイフが握られていたのだろう。
だからこそ、皆の前では一歩を進み出て、自ら右手を差し出してくれたのだ――
「……」
最初の出会いは、憐れみであったかもしれない。
それでも彼女の優しさは、最後まで彼の心を満たした――
(お元気で)
高みへと登った初恋の相手を誇らしく思いながら、両手を休めたカプスは暫くの間、穏やかな夕陽が降り注ぐオカ川の東側を眺めてみるのだった――
「あの人、誰なんですか?」
一方で、宿に向かうトゥーラの王妃は、瞳を大きくさせたマルマから冷やかしを受けていた。
「内緒」
「ええ!? つまんないですよ!」
つれない返答に、マルマがぴょんと前に跳ねて振り返ると、口を尖らせた。
「話せない事なんて、誰にも一つや二つあるでしょ? 聞くのは野暮ってものよ」
「むー」
「あ、ロイズには話すから。安心してね」
要らぬ誤解を生まないよう、王妃は膨らんだ両頬に釘を刺した。
思わぬ告白は、素直に嬉しいという感情を連れてきた。
落ち込んでいた少年に対する好意が、大人になって戻るとは、あの時の自分もまさか思わなかっただろう。
別れの挨拶もないままにカルーガを去った少年に対して、少女は虚無感に似た寂しさを思ったが、一番心苦しかったのは彼だったに違いない。
恐らくは、大人の都合で立ち寄ることもできなかったのだ――
「明日、戻るんですね」
ぽつりとライラが呟いた。
楽しかった二泊三日の行程も、終わりである。
「楽しかったね。ちゃんと戻って、また来ようね」
ライラとは対照的に、明るい声をマルマが発した。
帰る場所がある――
彼女にとっては、そんな現実が喜びであったのだ――
その日の深夜。藁を敷いたベッドの上で、マルマに抱き枕のような扱いを受ける王妃が目を覚ました。
せがまれた初日に続いて、二日目も三人一緒に朝を迎えることになってしまったのだ。
ベッドが二つありながら、どうして一つに川の字になって眠る選択をしたいのか…
寝相の悪さを自覚するリアにとっては、川の字の真ん中というポジションは非常に居心地の悪いものであった。
「リア様と一緒に寝たいです!」
初日の部屋割りを決めた後、隣家を割り当てられたマルマがやってきて、無邪気な要求を吐いたのだ。
「……」
逃れられないと悟った王妃は、渋々ながらも認めてしまった。
それでも今夜はローリの家にラッセルとメルクが泊まった事により、監視役を担ったライエルたちに温泉宿をあてがう事が出来たので、リアの心は清々しいものとなっていた――
翌日の午前中。往路と同じく、復路でも3人の女中が前を歩いて、荷馬車を引き連れた護衛のメルクが後から続いた。
「質問、いいですか?」
一仕事が終わったと、枯れ葉を踏み鳴らしながら歩く陽気な背中に向かって、マルマが問いかけた。
「なに?」
「これで、スモレンスクは攻めて来ないですか?」
「…無理でしょ」
「……」
無邪気な質問に、あっけらかんとした口調でリアが答えた。
ハナから期待しないといった趣で…
覇権を掲げる国家が協定など守る訳がない。
古今東西、どんな国でも自覚しなければならないこと――
「じゃあ、なんで約束なんてするのですか?」
「さあ? 慣習みたいなものじゃないの?」
「……」
重ねて疑問を呈すると、吐き捨てるように答えが戻った。
「過去に交わした条約って、読んだことある?」
「いえ…」
「私は、聞いたことがあります」
王妃が尋ねると、二人はそれぞれに答えた。
「何度も神に誓って、『未来永劫』 とか『この世の終わりまで』 って大層に記してあるのよ? 笑っちゃうわ!」
二つの手のひらを上にして、リアが皮肉を口にした。
「条約を交わす理由があるとしたら、破った奴らを後世に伝える為よ!」
「……」
「それでもね、離れた国との約束は、守られる事が多いかな。攻めるのも大変だからね」
「でも、スモレンスクは隣ですよね…」
「そう。おまけに国力は圧倒的に向こうが上。だいたい国民に向かって覇権を叫ぶ国家が、停戦協定なんて守るわけがない。矛盾してるもの!」
遠交近攻は、外交政策の基本である。
怒りを含んだ王妃は、更に一つを加えた――
「どうせ守る気なんてないんだから、いつ破ったって同じって考えなのよ!」
「……」
女性陣の会話は、後ろを歩く小柄なメルクと荷馬車を操るラッセルの耳にも届いた。
「あの女性の方は、なんとも教養が備わっているのですね」
スモレンスクとの会談の席で見惚れた小さな背中を見つめながら、メルクが感心を口にした。
年下に思えるが、職場では先輩なのだろうか。他の二人は敬称を付けている。
「メルクさんは、ご存じないのですね…」
「何がですか?」
御者のラッセルが平たい声を発すると、メルクの視線が尚書に向けられた。
「王妃様ですよ。あの方は」
「ええ!?」
突拍子もない答えがやってきて、瞳を大きくしたメルクはもう一度前を見据えた。
「……」
少女のような華奢な背中が、二人の女性の間で揺れている。
不思議なもので、尚書の情報を含むと、彼女の後ろ姿は随分と頼もしく映った――
「そろそろ、馬車にお移りになってはいかがでしょうか?」
それから小一時間も経った頃、緊張を宿したメルクが伺いを立てると、姦しい声を上げていた女中たちは素直に従って、往路と同じように荷馬車へと乗り込んだ。
「げ。なんでアンタが居るのよ!」
荷台の先には手綱を持ったラッセルの姿があって、マルマが思わず声を出す。
「な、なんでって…御者がいないと困るだろ?」
小さくなった背中をビクッとさせてから、男は怯えたように口を開いた。
「残念だったわね。往路はリア様が手綱を取ってらしたのよ。アンタは歩きなさいよ!」
「な、なんでだよ!」
「何でって? リア様の裸を覗いたからに決まってるでしょ!」
返ってきた返答に、マルマは威嚇を発しながらラッセルの背中を踏みつけた。
「り、リア様のは、見てない!」
「……」
「じゃあ、誰のは見たって言うのよ!」
丸まった背中からの言い訳に、一瞬だけ時間が止まると、察したマルマがラッセルの背中をガシガシと蹴り始めた。
「リア様! 今すぐこの人、死刑にしちゃいましょう!」
「ひぃ。お、お助けを…」
「そうよね…この辺りで鹿と一緒に過ごして冬を越したら、許してあげるわ」
奴隷のようになった尚書からの懇請に、荷台の後方で腰を下ろした王妃は瞼を閉じると、ギリシャ神話の一節を参考にして、冷たい声を渡した――
「王妃様、ありがとうございました」
どうして脱衣の確認をしなかったのか? から始まって、普段の業務ミスにまで及んだマルマの叱責を浴びるラッセルを横目に、耳が隠れるくらいにまで伸びた金髪を陽光に輝かせたライラが、隣に座る王妃に改めてお礼を述べた。
「私は、何もしてないわ」
「そんなことはございません。国王様の意向ではなくて、リア様が会談の席に向かうのを望んだと伺いました。リア様がこの場に居なければ、私達がこうしてトゥーラを離れるなんてことはできませんでした」
「それは、そうかもね…」
重ねてやってきた感謝の言葉に対しては、素直に応じた。
出立時には緊張していた彼女だが、やがて距離が縮まった。
一つ屋根の下で一緒の夜を過ごすというマルマの提案は、固くなっている後輩への処方箋だったのかもしれない。
「一生償えバカ!」
「そ、そんなの嫌だ!」
「何だと! 今すぐ地獄に堕ちろ!」
腰回りの厚みが取れて女性の魅力を増したマルマは、足蹴に続いてラッセルの首に両手を掛けていた。
(考えすぎかな?)
しかしながら、目の前で繰り広げられている下僕とのじゃれ合いを瞳に入れて、貂皮の上着を羽織った王妃は考えを改めた――
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「親玉」の話は【54.勝利の条件】参照




