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小さな国だった物語~  作者: よち


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121/218

【121.人選】

「スモレンスクから、返事が届きました!」


都市城門の前で捕虜を見送ってから3週間。

トゥーラ城の3階にある国王執務室の扉が開くと、薄い顔の尚書の高い声が轟いた。


「いつ?」


いつもの席で読書を愉しんでいた小さな王妃が、昼食の献立を尋ねるように赤い唇を震わせた。

螺旋階段を上る足音の様子から、およその内容を計ることができるのだ。


「あ、今日から、10日後ですね」


緊迫感の無い相手に拍子抜けしたラッセルは、慌てて筒から丸められた書状を取り出すと、がさっと音を立てながら確認をした。


「妥当なところね」


こちらも準備を始めている。

赤みの入った癖のある髪を背中に回した王妃は、淡々と了承を伝えた――



「それで、誰が出向くの?」


国王執務室。二人きりの夕食の席で、小さなテーブルを挟んで温かな煮込み料理と丸パンという食事を愉しんでいた国王が、赤色の根菜スープから魚の肉片をスプーンで掬いながら伴侶に尋ねた。


「私が…行ってもいい?」

「……」


いつもと同じように有無を言わせない…といった感じではなく、機嫌を窺うようなしおらしい声がやってきて、ロイズは肉片を掬ったスプーンを器の中へと戻した。


「あなたが行くのは、ちょっと、違うと思うの…」

「そうだね…それは、僕でも分かるよ」


彼女の浮かべる表情と発言からは、悩んだ末の結論だという思いが見て取れる。

ロイズはリアの意見を促すように、穏やかな相槌を送った。


「うん。トゥーラは小さな国だけど、大国とはいえ臣下の相手をね、国王が足を運んで務めるっていうのはね…」

「うん…」


対等な会談を行うと、わざわざ周辺に広めたのだ。

自ら格を下げるような振る舞いは、厳に慎むべきである――


「それで?」


リアの見解を受け入れて、ロイズは続きを促した。


「先ず、カルーガの周辺の監視を、ライエルに頼もうと思ってる。グレンさんと迷ったけど、彼の成長を促す為にも、良い機会なんじゃないかな?」

「そうだね。グレン将軍も、異論はないと思う」


舞台となるカルーガは、二人の第二の故郷。

諸々の事情や会談の準備は養父ルシードに伝えており、既に色よい返事が戻っている。


美将軍の役割は、カルーガの西側を南北に流れるオカ川沿いに人を配置して、スモレンスクの人間が渡河をする際に、武具の一切を預かるというものであった。


従順を装った者を警戒、並びに刺客を排するためであり、これもまた、交渉相手の老臣フリュヒトの了承を得ている。


相手に丸腰を要求しておいて、自らは武具を備えて会談に臨む。


開催の条件として挙げた中では最も懸念していたものだったが、ウサギの立場に同情を寄せたのか、リアが拍子抜けするほどに狼の反応は皆無であった――


「本当は、護衛だったり監視だったり、そんなもの、無いのが理想なんだけどね」

「そりゃ 理想だけどね…」


リアがため息交じりに呟くと、ロイズが苦笑いを浮かべた。


「当然、リアが表に立つ訳じゃないんでしょ?」

「当たり前でしょ。私は付き添いの女中として、様子を窺うつもり」

「という事は…」


停戦交渉の舞台には、薄い顔の尚書が上がることに決した――



「え? 私ですか?」


翌日の昼下がり。国王執務室。

いつもの席で白い丸椀を傾ける小さな王妃から大役を命じられると、凹凸に乏しい顔の表皮に驚きが広がった。


「だって、あなたしかいないから…」

「……」


仕方がない…

消去法によって残された結果であると告げた王妃であったが、想い慕う相手から上目遣いで抜擢を受けたと勘違いをした愚かな男は、ほのかに頬を赤らめた。


「段取りも条件も伝えてあるし、そんなに難しい事じゃないわ。サインするだけよ」

「はあ…」


事前に交渉を重ねた文書の中身を、ラッセルは既に知っている。

概ねトゥーラ側が要求した内容で、合意がなされる見通しだ。


高揚感に膨らんだ彼の胸中は、急速にその中身を放出するのであった――


「それでもね、あなたのこと、ちょっとは見直してるのよ?」

「え?」


思いも寄らない発言に、ラッセルの声が上ずった。


「積極的に意見具申するようになったって言うのかな…私とは違った考えだとしても、参考にはなるからね」

「……」


大きな瞳が送った称賛の声。

惚れた上司からの存外な言の葉は、彼の心を大いに明るいものとした。


「ライエルが先に入って、安全を認めた後で、あなたが行く事になるかな。そのあとで、私たちが向かうから」

「え?」

「なに?」

「いえ…リア様も…ですか?」

「なに? 嫌なの?」

「いえいえ! そんなことは!」


喜びを秘匿する緊張を孕みながら、ラッセルは首を細かく左右に振った。


「あなた一人に、任すわけがないでしょう? ロイズが出向くわけにもいかないし、補佐役として控えるつもり。困ったら、来ればいいわ」

「はい…」


また、リア様と遠出ができる…


小躍りする心の内側を悟られぬようにと、ラッセルは短い了承を伝えるのだった――




「今度、カルーガで停戦交渉を行うんだけど、知ってる?」


西側の小窓から、オレンジを増した光が射し込んでいる。

陶器の水筒を両手に携えてやってきたマルマに対して、いつもの席から王妃が柔らかな口調で尋ねた。


「いえ。アンジェさんからは何も…」

「そう…」


10日後の停戦交渉。開催を知るのは現時点では女中を束ねるアンジェと監視役を務めるライエル。加えて先ほど交渉役を指名したラッセルのみである。


マルマが知らない事象から、情報管理の程度が見て取れる。

内示が漏れ出るようでは、機密を伝える事など出来はしない――


なんですかそれ? といった感じのマルマの返答に、小さな王妃は短い言葉を返しながら、心に安堵を灯した――


「明日、アンジェさんから伝えられると思うけど、カルーガで交渉を行うの」


寝室の水筒を換えて戻ってきたマルマに、リアが重ねて話題を送った。


「へぇ…そうなんですか…」


城に住み込んで働く役得とでも言えようか、王妃の話を聞く機会の多いマルマの耳は、時には国王よりも早くに国家の情報が届くのだ――


当然ながら、彼女は決して口外しない。


聞き流すように反応を示しては、地階に下りる頃には頭の片隅にしっかりと鍵を掛けるのだ――


「それで、私も行こうかと思ってるの。カルーガには、温泉もあるしね」

「そうですか。だいぶん寒くなって来ましたし、楽しみですね」

「一緒に行く?」

「…え?」


普段の雑談とは違うらしい。

一呼吸を置いてから、マルマはきょとんとした表情になって茶褐色の瞳を憧れの女性に預けた――


「一緒に、おでかけするんでしょ?」

「リア様…」


歩みを止めたマルマは、白い両脚を揃えて大きな瞳を覗かせる、椅子に座った王妃をしばし見つめた――


覚えていて下さったのだ…


「はい! お供をさせていただきます!」


まるっこい顔にとびきりの笑顔を浮かべた女中は、感謝と歓びの感情を真っ直ぐに伝えた――




太陽がすっかりと沈んで、冷たい空気がどこからか流れ込む。


そんな国王執務室で、肩から毛布を纏った小さな身体は、テーブルを挟んでロイズと向き合っていた――


「昼にラッセルに伝えて、マルマにも伝えたから」

「了解。アンジェさんとライエルは、在庫の確認をしていたみたいだよ」

「さすが、仕事が早いわね」


スモレンスクとの停戦交渉。

翌朝にアンジェが食堂で、ライエルが練兵場で伝える手筈だが、その後の動きを円滑にするために打ち合わせをしたのだ。


糧食(りょうしょく)を備える女中と、荷馬車や武具の整備を行う近衛兵。

通達後の動き出しを同時とする事で、目標に対する一体感を生み出そうというのである。


常に鍛錬の場とするように――

要塞国家という認識は、普段の高い意識が生み出しているのだ――


「ラッセルは、大丈夫そう?」


ロイズが尋ねた。一人で向かう訳ではない。

それでもリャザンで行われた同盟調印式以上の大役に、彼がどんな反応を見せたのか――


「なんか、張り切ってた? かな?」


言葉には出なくとも、ラッセルの踊った心は見透かされていた――


「へえ」

「ちょっと褒めたから、そのせいかしらね」


しかしながら、真実の理由には気付かないリアであった――


「ラッセルには、みんな厳しい感じがするよね…」


いじられキャラというべきか…同情するように、ロイズが素直な思いを口にした。


「そうね。最初から、立ち位置が曖昧だったっていうのはあるかもね…」


対して小さな王妃は、白い丸椀に両手を伸ばしながら後悔を口にした。


国王付きの尚書としてトゥーラに赴任したが、慣れない重責に戸惑う中、存在感をアピールしようと細かな指示を与えたり、作業の途中で口出ししたりして、女中たちの不評を買ったのだ。


加えて冴えない風貌が、可憐で素敵な王妃様の元へと足繁く通っている…


後半部分は主観も入っていると思われるが、以上がマルマを経由した、薄い顔の猫背が評価を下げた要因であった――


「褒めて伸びるのか…慢心しちゃうのか…あの人はどちらかしらね…」


温かい紅茶で弾力のある魅惑的な唇を濡らした王妃は、一人の人間の成長を見守る観衆のような立ち位置で、期待と不安を口にした――

お読みいただきありがとうございました。

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