【120.一致】
「あ、来ましたよ」
スモレンスク公国内。石畳の大広場。
童顔の男の視界に上半身を揺らして向かってくる長身の男が入った。
「お、お待たせしました」
白に塗られた椅子の背もたれを左手で掴むと、ベインズは肩で息をしながら二人に謝罪した。
「おう、思ったよりは早かったな」
掠れた声を耳にしたブランヒルが、呆れるでもなく受け入れる。
「で、何の用事だったんだ?」
続いて話題に上げようと、平たい声で尋ねた。
「城に行って、さっさと軍の編成を進めろって焚き付けてきたんですよ」
「……」
「お前なあ…」
どかっと椅子に腰を下ろしながら、ベインズが吐き捨てるように白状をした。
劣勢の立場でありながら、それでも事を為そうとする行動力には恐れ入る。
唖然とした表情を浮かべるブランヒルの隣で、カプスは懸念を表した。
「先を見越したんだよ! どうせ通らないって事くらい、俺でも分かってるよ! 名前を売っといたんだよ!」
「……」
ベインズが口を尖らせた。
戦端を再び開く際、真っ先に声が掛かるよう。という事らしい。
「意外だな。お前がそこまで考えているなんて」
「このままじゃ、置いて行かれるからな」
感心したようにカプスが呟くと、ベインズが心の内を吐き出した。
心に期するものがあった戦いで、武功をあげるどころか、敗れて負傷して、更には捕虜となってしまったのだ――
挽回の機会を望むのは、武人として当然の事であろう。
「焦らなくても、次はお前の番だよ」
並んで座る二人の会話を眺めていたブランヒルが、悟ったように口を開いた。
「俺はフリュヒト様に付いて、停戦交渉に向かう事になる。しばらくは、役人みたいなもんだ。お前の見立て通り、俺は今のところトゥーラと戦うつもりはない。フリュヒト様の意向にも、逆らうことになるからな」
「……」
現在の上司は穏健派のフリュヒトで、意向に従うべきは、組織に遇する者の務めである。
「今だけですか?」
ベインズが、兄貴分の本心をまっすぐに尋ねた。
「正直なところ、気乗りはしないな。情が湧いたって部分もある」
「……」
「あんな甘ちゃんばかりの奴らがどうなっていくのか、一人の観衆として眺めたい…そんなところだ」
「舞台に上がったら、観客じゃ無くなりますもんね」
「まあ、そういう事だな」
カプスの感想をブランヒルが認めた。
濁りを無くす本心からの意見交換は、三人の関係を澄んだものへと戻していくのだった――
「お前は、どうなんだよ」
隣に座る童顔の男に、ベインズが問い詰めるように話題を振った。
「俺は、どっちでもねえよ。ブランヒルさんの言ってる事も分かるし、将として命令が降れば、行くだけだ」
「まあ、正しい見解だな」
カプスの返答に、ブランヒルが相槌を返した。
命令が降っても、拒否することができるだろうか?
トゥーラに対する不戦を誓った彼ではあったが、家族の事を想ったなら、どうしたって心は揺れ動く。
「トゥーラの連中にしたって、まさか本当にこれで終わりって思ってないでしょう?」
国王と面識のあるブランヒルに丸顔を向けると、カプスが確認するように尋ねた。
「そりゃ、思ってはいないだろうな。落とし穴は埋めたが、壕は新たに造ってるわけだからな」
「だったら、さっさと叩きに行けば良いんですよ。停戦してる間にも、壕は深くなるし、城壁も高くなりますよ?」
「まあな。とはいえ、備えるのは当然だろう。武器も備えも無かったら、俺達じゃなくても奪いに行くさ」
「……」
トゥーラの北方では、スーズダリが機会を窺っているに違いない。
覇権を掲げる者がいる限り、この世の何処にも安全な場所など無いのである――
「バイリーさんのところには、行ったんですか?」
扁平な焼きパンと木製のマグが届けられると、会釈をした女給が離れるのを待ってから、カプスが話題を設けた。
「ああ。城から放免されたのが、ちょうど追善供養の翌日でな。おかげでゆっくりと話が出来たよ」(*)
「遺族の方へは?」
墓地へと訪れた情景が頭に浮かんで、カプスが重ねて尋ねた。
「そのまま自宅へ伺った。ヤー サバレーズヌユ… そんな言葉しか、言えなかったよ」
「……」
お悔やみ申し上げます…
情報統制が敷かれている中で、たとえ遺族であろうとも、真実を話すわけにはいかなかったのだ。
空しそうな表情を浮かべながら、ブランヒルは残された上司の家族を想うのだった――
「おかえりなさい!」
沈んだ空気を破壊する、甲高い声が三人に向かって放たれた。
一斉に視線を注ぐと、赤みの入った髪を腰の辺りまで伸ばした10歳くらいの女の子が、お盆を両手で支えながら立っていた。
「お。ニーナちゃん。勉強は終わったのかい?」
「うん!」
椅子に腰を下ろしたままで長身を屈したベインズが、ニーナの瞳を覗くようにして尋ねると、傾いた陽射しの中で少女のとびきりの笑顔が弾んだ――
東の方で事故が起こったと伝わると、人々の往来は如実に減って、遠征に向かった者たちの姿は一切見かけることが無くなった。
しばらく経ってから、ようやく兵卒だった人々の姿を見かけるようになったが、一様に重苦しい雰囲気で、広場に集う人々からは笑顔が無くなって、特に男性の顔つきは厳しいものになっていた。
時を同じくして、目つきの鋭い男達が広場の周囲を歩くようになったのだ――
「カプスさんも、ベインズさんもブランヒルさんも、みんな将官さんだからね…事故に巻き込まれていたら、さすがに耳に届くわよ」
ママからはそんなふうに慰められたけど、ニーナの心は落ち着かない。
お手伝いという名目で毎日お店にやってきては、広場の方へと視線を注いでいたのだ――
「あの…これ…」
「ん?」
ニーナが支えるお盆には、手のひら大の陶器に注がれた、華やかな赤い彩りとなった煮込み料理が3つ載っていた。
「そいつは、注文してないよ?」
「サービスです!」
透き通るような白い頬を赤らめて、ニーナがお盆をスッと差し出した。
ビーツやタマネギなどの野菜と干し肉とを煮込んだ美味しそうな匂いが、立ち昇る湯気と共にベインズの鼻腔をくすぐった。
「え? いいの?」
「はい」
お盆を差し出したままで、ニーナが小さく頷いた。
「じゃあ、遠慮なく。お母さんに、お礼言っといてな」
「はい」
言いながら、ベインズは煮込み料理の入った楕円の器をそれぞれの手で掴んで、テーブルへと移した。
「もう一つは、持って行ってやんな」
続いてお盆に載っていた3本の木製スプーンのうち、2本を左手で掴むと、小声となってニーナの乙女心に助言した。
「……」
しばらく固まった少女を、長身の男は兄のような優しい眼差しで見守った――
背中を押された気がして、ニーナは右足を踏み出した――
「カ…カプスさん」
確かな恋心を捧げるべく、少女は緊張を浮かべながら意中の男性の背後から右へと足を進めると、両手でしっかりと掴んだお盆をそろっと差し出しながら、恥ずかしそうに名前を口にした。
「うん。ありがとう」
柔らかな微笑みをニーナに向けながら、丸顔の男は煮込み料理の入った器を左手で、木製のスプーンを右手で掴んだ。
「……」
配膳係としての役目を終えたところで、気まずい雰囲気が流れ出る。
素っ気ない普段通りのカプスの対応に、ベインズもブランヒルも言葉を失った――
ほんの数秒であろう沈黙に耐えられず、思春期を迎えた少女はくるっと背中を翻した。
続いてタタッと三歩ほど駆け出すと、思い留まって振り返り、再びカプスの元へと足を戻した――
「あれ? どうかし…」
「カプスさん! おかえりなさい!」
気配に気付いたカプスに対して、両手で掴んだお盆を胸に抱えて、少し身体を前にして、ニーナは思い切って心からの歓びを伝えた――
「あ、うん…」
右手にスプーンを持ったまま…
カプスが呆気にとられて口を開くと、ニーナは赤みの入った髪を翻して、逃げ出すように母の元へと駆け出した――
「……」
そんな少女の姿を眺めたブランヒルに、一つの場景がリンクした――
トゥーラの都市城門での別れ際、お供として付いてきた小さな女中が頭巾を剥いで罵ったあと、同じように赤みの入った髪を翻した――
国王陛下と将軍が居る場所に足を置く、一人の女性。
宿泊したカルーガの村。女将の態度には、不審が灯った――
「お前も、大変なことになるかもな…」
木製のスプーンを赤い煮込み料理の中に沈めながら、弟分の未来を想ったブランヒルは一つを呟いた――
*追善供養 日本の初七日、四十九日と同様。死者を悼む供養。9日後と40日後に行う。
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