【113.処遇】
短い夏の終わりを陽射しが届ける中、トゥーラの都市城壁の外側では、少人数による防御の為の土塁造りが行われていた。
駆り出されているのは、スモレンスク公国の捕虜たちである。
総大将ギュースの投降により、早々に国へ帰す話も出ていたが、交渉のカードは残すべきだとして、王妃のリアが止めたのだ。
「捕虜たちが、ヒマを持て余しているようです」
「……」
都市城門の前の巨大な落とし穴は、畑となるべく亡骸や防御柵と共に土で覆われて、城の周囲に掘った二本の壕の整地も終わった。
次はどうするか?
ラッセルが王妃に尋ねた結果、新たな壕を造る事となったのだ――
壕の構造は、リアが紙片にて簡単な略図を描いて伝えられた。
壕の外側は垂直にして、内側には40度ほどの傾斜を設ける。掘った土を壕の外側に盛ってやると、落差は3メートルほどにもなった。
内側に傾斜を設けたのは、都市城壁からの視界を開き、標的を視認する為である。
「自分たちが掘った壕で命を落とすなんて、馬鹿げた事だって教えてあげて!」
執務室を後にする尚書の細い背中に向かって、王妃は精一杯の皮肉を飛ばした――
連日の土木作業は自由参加となっていて、暑さも和らいだ晴天の下、適度に身体を動かすには丁度良いと、殆どの捕虜たちが従事した。
「おい、戻ってきたぞ」
捕虜となった一人、長身の副将ベインズが西側の草原に現れた人馬の姿を認めると、明るい声を発した。
住居が与えられるなら、このままトゥーラに移住するのも悪くないという話も上がる中、彼の心は頑なに、捕虜の時間をやり過ごし、早々に帰国を果たして仲間の無念を晴らしたいと願っていた。
「さて、俺たちは帰れるかな?」
「…どういう、事でしょうか?」
自らが掘った壕の中。目線の上を駆け抜けていく人馬を他人事のように眺めたブランヒルが呟くと、遠い目をする彼の背後から、高い鼻を覗かせたダイルが不安そうに尋ねた。
「そのままの意味だよ。負けた俺達を、国がどうするか…明日には分かるさ」
「…まさか、帰れない?」
ダイルの隣で作業をしていた兵士が震えた声を発した。
「まあ、それは無いだろうな。ただ、お前らも分かってるだろうが、難しくはなるな…」
「……」
彼が発する「難しい」 とは、帰国した際の扱われ方――
1132年。キエフ大公ムスチスラフの逝去を受けて、スーズダリ公のユーリー・ドルゴルーキーは軍を起こした。
これに合わせるようにして、スモレンスクも周辺諸国への圧力を徐々に掛け始めた。
先ずは西側のヴィテプスク。次いでドルツク公国へと勢力を伸ばしたが、急激な領地拡大は警戒を呼ぶ。
侵攻を果たすも、政情が揺らいでは統治はままならない。
人心を掴んで足場を固める方策を選んだ結果、領主の命は残したままで、傀儡として支配下に置くことに決めたのだ――
一方で東側。
連戦連勝の勢いに水を差した春先のトゥーラとの戦いに続いて、必勝を期した夏の戦いにも敗れた兵士たちに、国家の上層部がどんな沙汰を下すのか…
少なからず先を予見できる者であれば、どうしたって胸に宿す懸念であった――
「だからといって、帰らん訳にもいかんしな」
「……」
仕方がないとブランヒルが声を発すると、二人の部下が静止した。
「なんだ? お前らは、残りたいのか?」
「いえ、そういう訳では…」
ブランヒルの問いかけに、思わずダイルの言葉が詰まった。
「否定はしない。この国の奴らは呑気だし、国王にも会ったが、ウチの国王よりも信用できそうだったぞ?」
「良いのですか? 副将ですのに…」
「構わんだろ。スモレンスクじゃ話せないことでも、ここでは自由に話せる。平民と国王が話ができる、小さな国でやり直すってのも、悪くはない」
「……」
「但し、先ずは戻ってからだな。生きている者を家族の元へ帰すのが、副将の務めだ」
「…そうですね」
副将の発言は、尤もである。
帰ってこない弟を、両親や姉はどんなふうに想っているだろうか…
家族との温かい情景が脳裏に浮かんで、ダイルは素直な相槌を返した――
「ただいま、戻りました!」
トゥーラ城の2階の一室に、小柄なメルクの滑舌の良い声が響き渡った。
「ご苦労だった」
「お疲れ様」
「は!」
上司のグレンに続いて国王ロイズが労いの言葉を渡しても、メルクは動くことなく開かれた扉と共に屹立をしていた。
「あ、入っていいよ」
「失礼します!」
ロイズの声に、小さくまとまった筋肉質の身体が一歩を踏み出した。
「とりあえず、向こうの返答を見せてもらおうか」
「は。こちらに」
言いながら、メルクは綴じて丸められた6枚ほどの書状をロイズに手渡した。
「それでは、失礼致します」
「ご苦労」
「ゆっくり休んで」
「は!」
メルクは四肢の総てを真っ直ぐにして、労いの声に応えた――
「いかがですか?」
ロイズが書状を開いてしばらくすると、グレンが中身を探った。
「まあ、予想通りだね。捕虜から聞いている通りで、ウチに負けた事を認めるのは、相当癪に障るみたいだね」
「……」
「とりあえず、捕虜は返せ。ギュースは好きにしろってさ」
「想像通りですな」
「そうだね…それでも相手の了承を取らないとね。手順を踏まないと、また難癖つけて、攻め込んできそうだからね」
「そうですな…」
「捕虜がスモレンスクに戻ったら、ギュースが投降した事は知るだろうから、戻る前には伝えようと思う。それで良いかな?」
「良いと思います。ただ、扱いには困りますな…」
四角い顔の下顎を右手で触れながら、グレンは低い声を発した。
ギュースの投降は、敵の副将ブランヒルだけが知っていて、どうやら口外していないらしい。
そんなところでも、信用というものは計ることができるのだ。
「そうだね…スモレンスクで英雄扱いになんてされたら、殺すわけにはいかなくなっちゃうね…」
「かといって、軟禁状態という訳にもいきませんな…」
「そうなったら、リャザンに送る事になるかな?」
「それも、仕方ないでしょうな…」
敵の総大将を庇護しては、やがて国民の反発が生まれるかもしれない。
味方に加えるという手札の一つを消されたようで、グレンは無念の思いを吐き出した—―
「リャザンに頼ったところで、同じ事になるわよ。そんな心配するくらいなら、戻した方が良いんじゃないの?」
ギュースの処遇は任せても、国策に関わっては黙っている訳にはいかない。
いつもの席でロイズから報告を受けた小さな王妃は、一つの懸念を表した。
「そうなるかな…」
「なるわよ。姿を見せなきゃ、弔い合戦とでも理由を付けて、やってくるわよ」
「……」
「ただ、戻ったところで彼の居場所は無いのよね…殺されるのが分かってて戻すっていうのは…ちょっと気が引けるかな…」
「そうだね…」
捕虜となった雇われの将軍が軍に戻ったところで、居場所が無いのは明白である。
二人の意見交換は、しばらくの沈黙を呼び込んだ――
「うー。後は任す事にする!」
結局のところ、答えは出そうにない。
小さな両手を膝へと戻して、リアは吹っ切るように吐き出した。
「交渉には、応じてくれるみたいね…」
一息を入れた小さな王妃は、スモレンスクからの返答を眺めながら椅子の背もたれに背中を預けて呟いた。
「そうだね。とりあえず、今年は静かに過ごせるかな…」
「恐らくね…油断はできないけどね」
小さなテーブルを挟んでロイズは安堵の声を発したが、過度な期待をリアが封じた。
「閑職の重臣が向こうは出てくる訳でしょ? こっちは誰が行くの? 人材が居ないんだから、格好の的になるわよ。向こうの重臣もろとも、消しに来たって不思議じゃないでしょ?」
「……」
「場所は、中間地点のカルーガ。捕虜を戻すときに書状を渡して、向こうに日取りを決めてもらいましょう。日取りが決まったら、周りの国に会談があるって触れ回るの。トゥーラはスモレンスクとも対等に渡り合える国だって知れるし、注目が集まれば、簡単には手出しできないんじゃないかな」
「……」
こいつはホントに抜かりが無い…
自らの伴侶でありながら、ロイズは無言になってリアの才覚に改めて感服を表した――
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