【112.命令】
「リア様は、おいででしょうか?」
「ん?」
トゥーラ城の2階で行われた会議の後。
螺旋階段を上って居住区に向かおうとしたロイズの背中に、尚書のラッセルから声が掛かった。
「居ると思うけど? なんで?」
夕刻とはいえ、普段の仕事場である。
薄い顔立ちをした男の改まった発言に、振り返ったロイズは訝しんだ。
「ロイズ様もリア様も、変わりなく接してくださいます。ですが、心苦しいのです」
「……」
「臣下として、王妃様の命を危険に晒した罪は、受けなければなりません。大袈裟だと思われるかもしれませんが、信賞必罰というものは、ないがしろにしてはならないと考えます」
薄い表情にも陰りと緊張を浮かべたラッセルが、ロイズの瞳を見据えて訴えた。
「……」
侵略者を退けて、次に進もうという段階にある。
彼なりに自問自答を繰り返した結果、現在の状況を甘んじて受ける訳にはいかないと決めたのだろう。思ったよりも真面目な男である。
「お二人の優しさは、大きな長所では御座います。ですが、一国の王ともなれば、厳しさも無ければ下の者が緩みましょう」
「……」
罰を与えるにしろ、論功行賞を為すにしろ、リャザンからの通達を読み上げるだけで済んでいた数か月前とは違うのだ――
ラッセルは、自らが率先する覚悟で訴えた。
「不器用な奴だね」
己を律する態度には、感じ入るものがある。
苦笑いを浮かべながら、ロイズは短い言葉を返した。
「でも、それは僕が決める事じゃないな。罰の内容は、リアに決めてもらえばいい。ナイフ投げの的になるかもしれないけどね」
「え…」
ふたたび階上へと足を進めると、ロイズは要求を丸投げする案を出してみた。
「大丈夫。板を持って、立ってるだけだから」
「……」
続いて横顔を覗かせた国王が、涼しい顔で口を開いた。
体験したのですか? と尋ねそうになって、ラッセルは愚問であると口をつぐんだ。
鍛錬に励む二人の姿が、容易に浮かび上がったのだ――
「お疲れ様。方針は伝わった?」
国王居住区の扉を開けると、いつもの席に小さな王妃の姿がちょこんと覗いた。
「そうですね。敵の総大将の処遇だけは、グレン将軍に預ける形になりました。何度か牢屋を訪れては、酒を酌み交わしているみたいです」
「そうなの?」
ラッセルの返答に、書物を膝に預けた王妃は意外そうに瞳を丸くした。
「グレン将軍にとっては、良い話し相手かもしれないね。あの人に見合うだけの人材が、ウチには居ないから」
「そうかもね…」
美将軍は息子のような存在で、部下と一緒では気遣われるだけであろう。
酒豪の多い土地柄でありながら、国王夫妻は酒に弱い。
グレンの心情を慮って、ロイズの発言をリアは受け容れた。
「仲間に引き入れるか、リャザンに預けるか、処刑台に送るか…返答次第って話だったよ」
「処刑?」
続いたロイズの発言に、リアの高い声が飛び出した。
「ライエルにも言われた。僕らは甘いってさ」
「……そんなの、わかってるわよ」
両肘をテーブルに預けると、組んだ両手の甲で顎を支えた王妃が拗ねるように吐き出した。
「それでもね、無抵抗な相手を殺すような真似だけは、したくないの」
「ですが、私でもグレン将軍の言われるところは、理解できます」
「……」
「進んで捕虜となった者は勿論、負傷兵に治療まで施してやったのです。敵の総大将が斬首を望んで実行しても、配慮は充分に伝わりましょう」
「……」
ラッセルが、細い瞳で訴えた。
「だいたい、リア様は完璧を求めすぎです。春先のような勝ち方を、今回も出来ると思っていたのですか?」
「それは何? 求めちゃダメって言いたいの? 仲間が死んでも、仕方がないって事?」
拳を作ってテーブルに預けると、大きな瞳が語調を強めた。
「私が言いたいのは、求める一番の結果が何であるのかを、明確にするべきという事です。完全なる勝利を課して、論功行賞の場でロイズ様に叱責をさせるのですか?」
「……」
「上を求める事は否定しません。ですがやり方、伝え方というものがあります。先ずは勝利を受け入れて、その上で反省点を挙げるべきです」
「……」
満点の解答を求めても、基準の点数を明確にして、結果を受け入れて、誤りは後から正せ――
そういう事である。
「…確かにそうよね。わかった」
尚書の発言を、リアは素直に受け止めた。
「私が言うべきでは無いかもしれませんが、慰霊式は一つの区切りです。前を向かなければなりません」
「そうだね。心配しなくても、ラッセルの言ってる事は分かるよ。代弁してくれて、感謝してる」
未来に向かう発言に、ロイズが一歩を踏み出して優しく声を渡した。
「いえ……国王様にお仕えする立場ですので。当然の事です」
「……」
心境の変化と言うべきか…
殊勝な言葉がラッセルから飛び出して、両手を膝に戻した王妃は安心を灯すと同時に、小さな寂しさを同居させるのだった――
「ギュースの話だけど…」
ラッセルの淹れた紅茶がテーブルの上に置かれると、王妃はお気に入りの白い丸椀を両手で支えながら、唇に寄せたあとで、一つの話題を口にした。
「死刑っていうのは、誰かの復讐を国家が成り代わって行うってことよね…」
「……」
「それでも断頭台に送るのは、その人が絶対に悪であり、生かすことが誰の利益にもならない場合に限ると思うの…憎しみを持って殺すのではなくて、慈悲によって殺してあげる…そのくらいでないと…私は命じられない…」
「……」
「甘いかしらね?」
自虐を認識しながらも、小さな王妃は正面に座るロイズに瞳を預けた。
「間接的ではあっても、手を下すって事だからね。気持ちはわかるよ」
「……」
テーブルの上に両手を置いたままで、ロイズは静かに口を開いた。
「でもね…少し思うのは…もう少し周りに任せても良いんじゃないかな?」
「え?」
「国王は僕なんだから、リアが難しいと思ったことは、任せてくれたらいい。みんなで考えて、結論を出すよ」
「……」
「分かってくれる?」
「…うん」
念を押すようにロイズが促すと、観念したようにリアが伏し目になって同意した。
「……」
先頭を譲るような状況に、確かな抵抗が湧き出した。
しかしながら、復帰を果たしたばかりの現状では余裕が無い。仕方の無い事である――
葛藤が渦巻く胸中を、彼女は抑えようと意識した――
「任せたからには、ギュースの件は諦める事。分かった?」
「……」
「返事は?」
「…分かった」
負担を減らす為でもある――
伴侶の気遣いに、リアは一つの決断を受け容れた――
「さて、僕はちょっと下に行ってくるよ。ラッセルが、話したいことがあるってさ」
身体を清めるためにロイズが立ち上がると、カタッと椅子が音を鳴らした。
「え?」
「ラッセルも、ちゃんと区切れよ」
一つを告げて、ロイズは細身の男の前を横切った。
「……」
「何かあるの?」
離れていく伴侶の背中を眺めた後で、見当もつかないといった感じでリアの瞳が尚書を覗いた。
「先ほど、信賞必罰は行うべきだという話をしていたのです」
「まあ…当然よね」
「それで私は、リア様の命を、危険に晒した罪があると訴えたのです」
「……」
ラッセルの緊張を含んだ発言に、部屋の空気が引き締まった。
「私は、処罰を通達する側の人間です。甘んじる訳にはいきません。罰を与えて頂かないと、前に進むことができません」
譲れない考えが、彼の心から飛び出した。
「…それで、ロイズにはなんて言われたの?」
「『リア様に決めてもらえ』 と…」
「……」
そこまでを訊き出すと、王妃は椅子の背もたれに小さな背中を預けた。
「前にも、そんな事を言ってたわね…」
療養中の寝室で、マルマの依頼で謝罪を受けた一件である――
不快な状況を思い出して、王妃は溜め息交じりに吐き出した。
「あれは、私にも驕りがあったの…気にしないでいいわ」
「そういう訳にはいきません」
「……」
「私としても、けじめを付けたいのです。小さな罰でも、お与え下さい」
背中をピンと伸ばして、ラッセルの細い瞳が小さな王妃を見下ろした。
「そんなことを突然言われても…今は思いつかないから、後で良い?」
「…はい」
有耶無耶になる事だけは避けられた――
リアの返答を引き出して、ラッセルは一先ず引き下がる事にした。
「でもね…」
「はい」
溜め息を含んだ穏やかな声質が、やわらかな花弁の唇を通り抜けてゆく。
「私は、元気になった。それでいいでしょ?」
「……」
細い両肩の上。上目遣いの朧な笑顔がラッセルに向けられた。
彼女自身が解消することの無い憂いを抱えながらも、愚かな臣下に対しては最大限の慈悲を与えてくださる――
(私は、この人に救われてばかりだ…)
凹凸に乏しい顔の表皮に寂しげな表情を浮かべると、小さな国の尚書は無力を胸に灯した――
「罰じゃないけど、一つ命令をしてあげる」
「はい…」
普段の明るくなった声色に、ラッセルは思わず襟を正した。
「わたしと、未来を見なさい」
「……」
いったい。何度目のことだろうか…
真っ直ぐに注がれる大きな瞳に、彼の心はまたしても撃ち抜かれるのだった――
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