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小さな国だった物語~  作者: よち


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100/218

【100.あの日⑥】

「ここ?」

「うん」


避難先。暗い地下室で(うずくま)っている二人の耳に、突然の話し声がやってきた。


どうにかして襲撃は逃れたが、より安全な場所に避難してきたといったところか。

母であろう女性の声の上から、少し得意気な男の子の明るい声音が届いた。


「リアって奴の家なんだけど、地下室があるって言ってたんだ」

「おじゃまします…」

「……」


少年の声には、聞き覚えがあった。

遊び場である川の浅瀬を巡って、リアと喧嘩をした事のある、ネロという名の男の子――



ある夏の終わり…


近所の少年たちが、魚を誘い込む為の仕掛けを前日から作っていたのに、上流でリアがはしゃいでしまったのだ。


魚は怯え、意図した方向へと誘う事ができなくなってしまった――


気付くだろ? 気付かなかった。

わざとじゃないのか? わざとじゃない。


激しい口論の末に、最後はリアが突きとばされてずぶ濡れとなった…


「女だからって、なんでも許してもらえると思うなよ! 異端者のくせに!」


二つほど年上の少年に、見下ろされながら吐かれた怒りの言葉。


「……」


悔しくなって、赤みの入った髪から滴り落ちる川の水と一緒になって、涙を溢した。


そんなふうに思われていたんだ――


それが、屈辱だったのだ――



思った事は、やってみる。年上の男の子に対しても、物怖じしない。


大人を真似て子供達だけで追い込み漁をやってみようとなった時、川の流れを読んで石を並べる指図(さしず)をしたのはリアだった。


大人がいない。危険だからと速い流れの場所は避ける。草木と石を使って、囲いを作った浅瀬に追い込んで、最後は川底に沈めた小さく穴をあけた布を引き上げて取り込むのだ――


物知りで、文字を読むことができる女の子。

明るく優秀な彼女に対して、周りの子供たちは一目置いていた。


しかしながら、やがて少女の心に小さな傲慢が生まれ出て、謙虚を減らしていく事となったのだ。



悔し涙は、言い負かされたからではない。図星を突かれたのだ。

天狗になっていた己を、思い知って恥じたのだ――


小さなリアの腕力では、石を運んで罠を設置する事など出来はしない。


得意気となって指示を送っても、欠けた労力では何も生み出すことはできない…


そんな当たり前のことを、川に残った彼らを土手から眺めながら小さな胸は刻んだ。



「ネロは、間違って無いよ?」


ずぶ濡れのまま、泣きべそを掻きながら家路を戻るリアの傍らで、ロイズはぽつりと言葉を届けた。


気付かなかったのではない。確認をしなかった。気付くべきだったのだ――


数人で築いた努力を台無しにした…


獲物を手にして、得意気となって親の元へと駆け寄る姿を想像したに違いない。

そんな彼らの未来を踏み躙った…


突き飛ばすまでになったのも、他の仲間の溜飲を下げる為…


追い打ちを掛けるような厳しい言葉ではあったが、ロイズはリアだからこそ、思うところを素直に伝えた。


「うん…」


涙を拭いながら、小さな言葉が戻ってくる。


「……」


悪いと思ったことは、しないようにする――


幼いリアが、親の願いだと何度も耳にして、シンプルに留めていたこと…


物事の善悪を、自分なりに判断して、心に落とし込む――


起こった事態を省みる意識の積み重ねが、やがて自信となって、大人になって生きてゆく――



「謝った方が、いいかもね…」

「……」


ロイズの呟きに、答えは返ってこなかった。


両親や友達。誠実な幼馴染からの温もりある視線たち。


リアの資質が()ったのは、当然ながら本人の器量によるものだけではなかった――



「追い込みやろう」


それから数日後、魚の警戒が緩む頃合いを見計らって、リアがネロたちを探して、自ら声を掛けて回った。


「おう」


彼はそれに対して、寛容な心でリアの心情を受け止めた。


そんなこんなで、結局ネロに向かっては、言葉を使った謝罪をリアが為す事は無かった。

それでもロイズの目から見て、彼に対して一目置くようになった気がする。


接し方の変化は年上の少年も感じたが、努めて普段と変わらぬように接した。

勝気なリアの性格と、壁を越えて歩み寄ってきた年下の女の子の気持ちを汲んだのだ。


無邪気な明るさと、人懐っこさ。

世渡り上手なリアではあったが、こうした解決の方法が重なってか、大人になるまでは言葉による謝罪は苦手であった。


本人の自覚によってだいぶマシにはなったが、ロイズも認識している、リアの欠点のうちの一つである――




「どうしよう…」


二人が地下で潜む家屋は、安全ではない。

夜になれば、襲撃した者たちが戻ってくるかもしれない――


戸惑いの低い声。薄い麻布を三枚ほど身体に纏ったリアが小さく発した。


「こっちに呼ぶ?」


灯した想いを、リアの膝辺りに向かってロイズが口にした。


「……」


卑怯な問いである。


どちらも正しく、どちらも正しくない。


正解の無い回答を、年下の女の子に委ねる事が、果たして正解なのか…


それでもロイズは、普段から魅せるリアの判断力に問い掛けた――


「……」


しかしながら、暫くの時間を置いても答えが戻ることは無かった。


仕方がない。ロイズも目元に浮かぶ膝小僧を見つめたままで、必死になって頭脳を回した――


「……」


地下室を抜け出して、暖炉を抜ける。

灰の溜まった暖炉を()けば、どうしたって痕跡は残る。消す方法が浮かばない…


今の自分たちが無事でいられるのは、襲撃を受けた際、地下室へと身体が抜けた後で、恐らくはリアの両親が、暖炉の中の不審な痕跡を消したから――


加えて暖炉の抜け穴は、子供の身体でなければ通る事が出来ない。


冷静に考えて、ネロの身体でも無理ではないかと思われた。


ましてや、彼の母親は…


「ロイ、リアをお願いね…」


リアの母親から託された重たい言の葉が、少年の頭の中で鳴り響く。


全てが台無しになるかもしれない決断は、どうしたって下せない…


「無理だね…」


ロイズの無念の声色が、灰白色の壁にぶつかった。


そもそも、一縷の望みはあるのだ――


太陽が沈んでも、奴らが戻ってこなければ良い――



「母さん、地下室あったよ。屋根裏よりは暖かいよ。ここに隠れて、朝になったら逃げよう」


ゴトっという鈍い音色に続いて、歓喜を含んだネロの声がやってきた。


仕事場の奥には蓋のような木製扉。その先には地下へと続く階段が設けられている。

どうやら仕事場から通じる地下室は、薄い灰白色の壁の向こう側にあるらしかった。


「……」


壁のどこかに通気口でもあるのだろうか。思いのほか、声が届く。

逆に捉えれば、例え小声で話しても、彼らの耳が拾ってしまうかもしれない――


リアとロイズは、より慎重な方法で意志の疎通を図ろうと、なるべく瞳で語り合う事にした――



採光口から光が消えて、夕方を知る。

ロイズが隣の気配に瞳を向けると、リアは抱えた膝の上で両手を組んで、必死の祈りを捧げていた。


少女には、一つの後悔があった。


あの日のありがとうとごめんなさいを 未だ 彼に伝えていない――




夜になる。

頭上からは昨夜と同じく男達の話し声が聞こえていた。


どうやら暖炉の存在が、彼らをこの場所へと引き寄せるらしい。


「明日は、どうするんですか?」

「一旦戻って、荷馬車を牽いてくる。戦利品を積んで帰還だ」

「狩りは、ヤメですか」

「もう残ってないだろ。隠れてるヤツはいるかもしれんが、後からでいい」

「そうですね」

「献上するもの以外は、好きなものを持って行っていいぞ。隠してる女もな」

「お、さすがはデクラン隊長、話が分かりますね」

「汚れ仕事の、報酬だと思っとけ」

「了解であります!」


大きな笑い声が起こって、ますます酒宴は喧噪を受け容れた――


「……」


暖炉から漏れるオレンジ色が、壁に反射して揺らいでいる――


じっと膝を抱えて座ったまま、精神を()り潰す事には耐えられない。

リアとロイズは寄り添って、寒さに震える身体を三枚重ねの麻布で包み込み、モソモソと口を動かして、乾いたパンをひたすらに噛み潰すのだった――



朝になる。

身体を寄せたまま、少年と少女は寡黙を貫いて耳の神経だけを尖らせた。


「行ったかな…」

「どうだろうね…」


希望の声は、灰白色の壁の向こうから。


早いよ…


遠ざかる複数の足音を鼓膜は捉えたが、全員が出て行ったとは限らない。

少年は咄嗟に腕を伸ばすと、リアの膝の上、左手の甲に右手を重ねた――


忠告を渡す必要はない。

危機感の欠如している者たちと、運命を共にする訳にはいかない。


暗い中。少女の思索が同じだったのかは不明だが、微かな声すら戻る事はなく、納得しているのだろうとロイズは理解した――



ガチャッ


壁の向こうから、金属の擦れる音が聞こえた。


仕事場の地下室は、預かった刀剣の保管場所。他にも砥石だったり、工具類も置いてある。

明かりは採光口から注ぐが、太陽が昇っても足元までを照らせるようなものではない。


リアの父でさえ、入り口を開放したうえで松明を灯して階段を降りていた。

不慣れな者が歩いたら、何かに触れるのは当然の帰結である。


「母さん、出られるよ。出よう」

「そうだね…」

「水だけでも、飲まないと…」


昨夜の会話から、やがて侵略者が戻ってくるのは間違いない。加えて飢えと渇きは更なる一晩を許さない。

朝を迎えて脱出を図るつもりだった母子にとっては、仕方ない行動であった――


やがてゴトっという音が灰白色の壁から伝わった。リアとロイズは、推移を見守る事しかできなかった。

飲料を手にして戻ってくるか、若しくは無事に逃げ切ってくれと…


重い足取りが次第に上方へと移っていくにつれ、緊張感が増していく。


「誰か、いるのか?」


天井の方から声がした。

地下室で、二人の瞳が思わず開く。


侵略者が2階に残っていたのだろう。

トントンと階段を下ってくる音がして、やがて動きが止まった。


吹雪を浴びるような寒気が体を纏った。

どこまでも心臓は高鳴って、ロイズは大きく吸った息をゆっくりと吐き出した――


「おい」

「……」

「ガキか。どこにいた?」


重低音の声色が、二人の心を圧し潰す。

どうやら扉を開けたあと、母親を待機させ、ネロだけが様子を伺う為に抜け出したのだ。


「答えろ」

「……」


ネロの声は聞こえない。

何かの刃先が向かって、恐怖のあまりに(すく)んでいるのだ。恐らくは…


「そっちか…」

「あ…」

「どけ!」


凄むような声。ガタッとした音が立つ。

首を(すく)める二人の頭上を、乾いた軍靴の響きが移動をしていった――


「なんだ、女か…ガキの母親か」

「あ…」

「そこをどけ!」

「は、はい…」

「地下室か…暗いな…お前ら、ここに入ってろ」

「……」

「早くしろ。外には仲間がいる。見つかるぞ!」

「は、はい…ありがとうございます」


ドヤドヤっと困惑の音がして、母子は地下室に戻された。


「中は暗いな…どうなってんだ? ちょっと待ってろ」

「……」


数十秒、時間が過ぎる。


「こいつで、その辺のモノ、運び易いように縛っとけ」

「……」

「人の声が聞こえたら、黙れよ。気付かれるぞ」

「は、はい…」


弱々しい、母親の声が届いた。


「教えといてやる。明日の昼頃に、俺たちは出る予定だ」

「あ、あの…」

「なんだ?」

「水と…食べ物を…」

「…ちょっと待ってろ」


貴重な情報も、今の彼女には響かない。

軍靴の音は、一旦離れると、暫くしてから戻ってきた。


「ほらよ」

「…ありがとうございます」

「じゃあな。頼んだぜ」

「は、はい…」


やがて灰白色の壁の向こうから、刀剣であろう金属の擦れる音が幾つも伝わった。


「母さん。これでいいかな?」

「うん。そうだね…」


幾らかの安堵を含んだ声がして、再びの静寂が訪れた――



男たちが戻ってくると、荷馬車に戦利品を詰め込んでいく軽快な作業の音が、四方で響き始めた。


リアの家だけではない。

周辺の家屋に押し入っては、目ぼしいものをかき集めているらしかった。


「荷馬車は、あと5台か?」

「5台です。俺たちの分が3台です」

「結構積めるな」

「大したモノはねえけどな」


聞こえてくる会話から想像できる手際の良さが、襲撃の経験値を物語っていた――


夕方を迎えると、階上では宴が始まった。


各家庭から鹵獲した、晩酌の僅かな楽しみだったであろう酒を浴びるようにして飲んでいる。


暗い地下室で、膝を抱えて固くなった丸パンを齧るリアとロイズは、一層の無念を胸に刻んだ――



翌朝になって、酔いを抱えた男たちの足音が屋外へと移動した。


脱出を図るなら、男たちが去った後で間違いはない。


しかしながら、監視の兵が留まっている可能性も捨てきれない…


恐らくは、壁の向こうの母子も同じように考えている筈だ――



「そういえば…」

「なに?」

「リアのお母さん、迎えが来るって言ってなかった?」

「言ってた…気がする…」


ロイズの低い囁きに、隣で膝を抱えたリアが肯定をした。


同時に母との別れが過ぎった――


膝を落とした母親が、真っ直ぐな瞳で訴えた瞬間、傍らにいたロイズの方が冷静であったのだ。


「ごめん…」


泣かせるつもりは無かった…


抱えた両膝の間に頬を(うず)めると、肩を震わせ始めた少女に対して、ロイズは掠れた声で謝罪の言葉を発するしかなかった――

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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