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小さな国だった物語~  作者: よち


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101/250

【101.あの日⑦】

薄暗い地下室で、折り畳んだ麻布の上に臀部を乗せた二人は、鼓膜だけを頼りに外の様子を窺っていた。


「用意できたか?」


幾頭もの馬がぶるぶると鼻息を鳴らす中、出発を告げる男の声が二人に届いた。


「ネロたちが行っても、僕たちは残るよ」

「うん……」


軽率な判断は、命を落とす。

年下の少女は、意向を素直に受け入れた。


「そろそろ、出るぞ」

「うぃす」

「へい」


前夜の酒が抜け切っていないらしい。

隊を率いる男への返答は、覇気に乏しいものだった。


「隊長。馬車に乗ったら吐きそうなんで、あっしらは、最後に見回ってから、戻りたいのですが……」

「なに? お前らか……仕方ないな。後で、報告に来いよ」

「勿論です。隊長」


含みのある会話が聞こえてしばらくすると、馬の蹄が重たそうに土を踏み、車輪がガラガラッと滑り始める音がした。


「さて、寝るか……」

「寝るの?」

「さすがに動けねえよ。昼過ぎに出ればいいだろ。おやすみ」

「……じゃあ、適当に起こすわ」

「頼む」


呑気な二人の会話が聞こえると、一人の足音がリアとロイズの頭上にやってきて、やがて消え去った。


「……」


恐らくは、ベッドに寝転がったのだ。


両親に挟まれて過ごした肌のぬくもりが。思い出となる情景たちが、一方的に穢されて、膝を抱えた少女はまたしても悔し涙を浮かべた――


「おい」


灰白色の壁の向こうから、突然男の声が響いた。


「あ、はい……」

「できたか?」

「はい」

「よし。音を立てないように、一つずつ、俺に渡してくれ」


抑えた声で、指示が飛ぶ。

ネロの母親が、相手に合わせるように低い声となって応じると、やがて刀剣の擦れるカチャっとした音色(おんしょく)が、リアとロイズの上方を、何度か移動した。


「助かったよ。水とパンくらいしかねえが、食べな」

「あ、ありがとうございます」


女性の声は高くなり、村を襲った男に感謝を告げた。


「もう少しだから、大人しくね」

「うん……」


母子のそんな会話が為されると、壁の向こうは静かになった――



「おい。そろそろ起きろ」


それから、数時間。

ぼんやりとした暖気が午後を告げる中、二人の頭上から男の声が届いた。


「うん?」

「もう、残ってるのは俺たちだけだ。行こうぜ」

「おう……」

「その前に、ちょっと手伝えよ」


増えた足音が移動して、再びの金属音がやってきた。

母子が拵えた、束ねた刀剣を、外に繋いである馬の背中に運んでいるのだ。


「これで、全部か?」

「ああ」

「じゃあ、行くか?」

「いや、ちょっと待っててくれ」


そんな会話が届いた後で、やがて男の声が壁の向こう側へと移動した。


「おい、出れるぞ」

「え? は、はい……」


まさか、案内されるとは思っていなかった。

戸惑いの中にも明るさを含んだ女性の声に、軍靴の音が三つほど下がった。


「いや、待て。先ずは、ガキだけだ」

「え?」


男の吐いた一声に、戸惑ったネロの声が確かに聞こえた。


「でも……」

「話があるんだよ」

「……」

「行きなさい……」


母親が促して、躊躇う少年の足音が、地階へと上っていった。


「お、おい! ガキが出てきたぞ!?」

「好きにしろ!」


当惑した男の声が頭上で響くと、応じた大声が、灰白色の壁の向こうから発せられた。


「好きにしろって……どうすんだよ……」


煩わしいといった声色が、やがてネロの足音をかき消した――


「物分かりが良くて、助かるぜ」


壁の向こうから、毒気を含んだ声がやってくる。


「助けてやりてえが……期待はするなよ?」

「え?」

「お前らだけ、ここまで生かしてやってんだ。その分だけでも、愉しませてくれよ」

「あ……あの……あの子は……」

「約束は、できねえな」


続いた鈍い音色(おんしょく)は、二人が床に倒れ込むような音だった。


「お願いします……助けて……」

「お前次第だよ」


更には、四肢の抵抗する雑音が、低い位置から生まれ出る。


リアは咄嗟に両耳を塞いで、怯えたように立ち上がり、一番遠くへと急いだ。


反応できなかったロイズは、彼女の姿を唖然とした表情で見送るしかなかった――


「ごめんなさい……」


両耳は塞いだままで、小さな身体が(うずくま)っている。

聞こえてきたのは、消え入るような慙悔の声――


「……」


少年は、無言で立ち上がり、リアの方へと足を進めた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


ロイズは身体に巻いていた麻布を剥がすと、背中を丸めるリアの頭部を隠した。

それでも声が漏れ出るのを認めると、二人が臀部に敷いていた麻布までをも持ってきて、更に上から重ねた。


「いや……痛い……」

「我慢しろ」

「これで……助けてくれる?」

「ああ。殺しはしねえよ」


壁の向こうでは、不気味な擦れるような音色と、男と女の息遣い。時折。短い呻き声。


「……」


ロイズもまた、リアの隣で両耳を塞ぐと、膝を屈してから、両膝を抱えて(うずくま)った――


「……」


しかしながら、耳を塞いでは、リアの声まで消えてしまう。

ロイズは左手を伸ばすと、彼女の背中を覆った麻布へと触れてみた。

続いて反応が無いのを確認すると、手のひら全部を当ててみる。


「お願いね……助けてね……」

「ああ……その十字架が、助けてくれるだろうよ」

「が、神様……」


灰白色の壁の向こうでは、引き続き、無力な悲嘆の声が漏れている。

救いを求める女性の声は、二人の願いと等しくて、ロイズの胸中は猛烈に騒いだ――


少年には、何がなされているのか分からなかったが、それが本能で、おぞましいものである事は自覚した――


恐らくは、隣で震える少女も……


「ごめ……なさい」


リアの後悔は、ますます深いところに沈んでいく。


危険を察していたにも関わらず、動かなかった……


踏み出す一歩は重くとも、伝えるだけなら、声帯を震わすだけである。


だからこそ、罪の意識は深いものとなった――


「なかなか、物分かりの良い女だったぜ? お前も、行って来いよ」

「は? お前の後じゃ、気乗りしねえな……」


男の足音が地階へ戻ると、屋外から会話がやってきて、次なる足音が灰白色の壁の向こう側へと移った。


「ひ……」


やがて、女性の引き攣った声色が、低い位置から届いた。


「お、お助けください……主よ……」

「安心しろ、楽にしてやる」

「あが……」


金属の、高い音が微かに鳴った。短い女性の呻き声。何かが床に崩れる重たい音色(おんしょく)が、一回だけ響いた――


「……」


ロイズの感覚も、麻痺をしている。


恐らくは、隣で震えるリアの背中には、今の気配は届いていない。


幾らかの安堵を、彼は沈んだ空気の中で、冷静に灯した――


「なんだ? 早かったな」

「もっと、若けりゃあな」

「……」

「昨日の夜に、四人ヤッたしな。お前の後だし、あんなので、俺のを汚すこともねえや」

「四人? そういやお前、夜には居なかったな。眠いのは、そのせいかよ……」

「まあな。女は縛って、飯だけ置いて、隠しとくんだよ」

「そんなの、逃げるんじゃないのか?」

「歳いってると、どうなるか解ってるからな。逃げるなって言っても、逃げようとするんだよ」

「……」

「そんで、見つかって殺されるんだ。アホだぜ。そういや、もう一人いるぜ? やってくか?」

「歳は?」

「二桁いったくらいかな」

「ちょっと、若いな……」

「そうか? 女にしてやるのが良いんじゃねえか。俺は夜に、もう一回来るぜ」

「……そういや、子供はどうした?」

「殺したに決まってんだろ。どうすんだよ」

「まあ、そりゃそうか……」

「お前は、優しいな……あの女は、知らずに死んだだけ、マシだな」

「……」


二人の会話が遠くなると、やがて馬の蹄の足音が、ゆっくりと離れていった――


「……」


久しぶりの、静寂が訪れた。


リアの懺悔は、声が掠れるほどに続いていたが、やがて、背中の震えも収まった。


心を置き去りにしたまま、復調しようとする自身の身体。

彼女の心身は、深い自己嫌悪に陥った――


「行ったみたいだよ」

「……」


小さな背中に手を触れて、ロイズが優しく声をかけてみる。

ゆっくりと頭が上がって、ダンゴムシのように丸まった背中を伸ばすと、リアはそのまま、ごろんと床に転がった。


「水……飲む?」

「……」


ロイズの問いかけに、答えは返らない。


捨てられた、人形のよう。

琥珀色の瞳だけ、空しく天井を見上げている……


「どうしようか……」

「……」


返ってこないと理解しながらも、それでも少年は、自身の平静を保つ為に、小さな声を発した――



それから、三度目の朝を迎えた。


部屋の隅。リアは無言のままで、相変わらず膝を抱えて(うずくま)っていた。


「……」


ここには、誰もいなくなった。


昨晩は、たった一度だけ、男の恫喝するような声が届いて、少年は、咄嗟に両方の鼓膜を塞いだ――


「……」


風に揺らぐ草木たち。時折り鳥獣の激しい鳴き声が、鼓膜に触れる。

きっと血肉の匂いに誘われて、物色しているのだと思考した――


感覚が、鋭くなっている。


迎えが来ると確かに告げられた状況下。

その者を待つと同時に、警戒を怠るわけにもいかない。


徒歩でやってくるのか。馬に乗ってくるのか。


そもそも、本当に迎えは来るのか……


発芽した不安の種が育つなか、外から届く違和感だけは決して逃すまいと、少年は神経を尖らせた。


同時に、地下室にいつまでも留まる訳にはいかないと、呆けたままの少女を眺めながら、ロイズは二人だけでの逃避行を覚悟した――

お読みいただきありがとうございました。

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