マリアナ諸島防衛戦
マリアナ諸島防衛戦
日本軍はソロモン諸島・ニューギニア方面で遅滞戦闘を行い、反攻のため少しでも時間を稼ぐべく奮戦していた。
補給は十分届き、負傷兵の後送や増援も行われ頑強に戦っていた。
そんな面で防御し連携した防衛戦が展開できるソロモン諸島やニューギニア方面と違い、マーシャル・ギルバート諸島は点でしか防衛できない孤立した戦いとなり、米軍に各個撃破を許してしまうことになった。
両諸島は奮戦するも物量差は覆せず、闇毛玉輸送船により撤退していくのだった。
マーシャル・ギルバート諸島が失陥したことで、次の米軍の目標はトラック島、マリアナ諸島、パラオ諸島のいずれかと予想された。
1944年2月にはトラック島が空襲された。トラック島は海軍の重要拠点であるため、多数の光毛玉が配備されており、空襲時も射界に入った米航空機を攻撃し、光線で照射できた敵機を撃墜していった。同2月、マリアナ諸島も空襲され、同様に光毛玉が活躍した。
トラック・マリアナ空襲では、米航空機の数が多すぎて半数にも満たない数しか撃墜することは叶わなかったが、性能に劣る直掩機や高射砲だけではとても出せない戦果を挙げていた。
湾内の輸送船は闇毛玉で隠蔽されており、米航空機の標的にはならなかった。闇毛玉を載せていない小型艦艇は、米航空機の標的となり損害を被っていた。
陸海軍が闇毛玉を育成調教していったことで、昼間や晴天時の輸送船の損失が減り、海上護衛総司令部は米潜水艦の捜索と撃破に力を注いでいた。
米潜水艦は夜間や雨天などの視界不良時に電探を用いて雷撃を仕掛けてきており、闇毛玉で姿を消そうとも狙われるのを防ぐことはできなかった。また、米潜水艦の魚雷の不発も1943年後半より減って来ており、輸送船の被害は無視できないものになっていた。
1944年4月頃から、米潜水艦の電探雷撃を逸早く察知し魚雷を回避するため、電波探知機の配備が進んでいった。
また、同時期に航空機搭載の磁気探知機が配備されていき、対潜哨戒に用いられていった。
米潜水艦に掣肘されながらもトラック・マリアナ・パラオの防備は強化されていき、水際撃滅主義に基づく水際配置の防衛線が構築されていった。
特にマリアナ諸島には、決戦に向け大規模な航空戦力が集結していた。
1944年6月。大規模な米艦隊の出撃を確認し、トラック・マリアナ・パラオの民間人の退避が行われた。兵力は十分であったため、老若男女全ての邦人が各諸島を離れていくことになった。
各諸島に物資を届けた闇毛玉の輸送船は、退避する民間人を乗せ姿を消して日本本土へ向かっていった。
米艦隊の動きは、海軍の闇毛玉搭載二式飛行艇晴空改などによって追跡されていた。
偵察・輸送を任務とする二式飛行艇晴空改は、闇毛玉を載せ姿を消して米艦隊の全容と目標を明らかにした。
上陸船団を含むと思しき米艦隊の目標は、マリアナ諸島である可能性が高いと判断され、マリアナ諸島は厳戒態勢が敷かれた。
しかし、米機動部隊の艦載機による奇襲攻撃が成功してしまったのである。
攻撃は昼から開始され、その日はもう来ないと思っていた矢先の空襲であった。
マリアナ諸島は奇襲攻撃を受けながらも応戦し、直掩機を上げ対空砲を放ち、主に光毛玉が米航空機を撃墜していった。
迎撃に上がれた直掩機はF6F艦上戦闘機に性能で及ばず、奇襲されたことで数においても劣勢であり、米艦上爆撃機や艦上攻撃機に手を出すことができなかったのである。また、日本機動部隊による反撃に合わせて航空攻撃を行う予定であったため、基地航空隊は温存されたのであった。
空襲において光毛玉が米航空機を撃墜してはいたものの、その数の多さから大半は取り逃がしており、しかも投弾後に撃墜することが多く、サイパン島には多くの被害が出ていた。
水際の陣地は特に狙われ、相当の爆撃を受けていた。
空襲に続いて米艦隊による艦砲射撃が行われ、水際撃滅のために準備していた陣地に砲撃が集中した。
特に米戦艦部隊による砲撃は凄まじく、強固に構築し自信を持っていた水際陣地は大損害を被った。
艦砲射撃が終了後、米上陸用舟艇が殺到し、米上陸部隊との戦闘が開始された。
続々と押し寄せる上陸部隊を水際で打ちのめしていたのだが、日本軍火砲の射点に米艦隊の砲撃が集中し、徐々に水際陣地の火力が弱まっていった。米航空機も飛来していたが、そちらは主に光毛玉が対応していた。
戦艦を主力とする艦砲射撃の威力の前には、強固に構築されていた水際陣地も破壊され、十分な戦力であったはずの日本軍守備隊主力は、短時間の内に力を失っていったのである。
M4中戦車なども続々と上陸し、橋頭堡が築かれ、サイパン島日本軍守備隊はじりじりと押されていったのであった。
日本機動部隊による反撃の行動も開始され、闇毛玉によって隠蔽された機動部隊の各艦艇は米機動部隊に向け距離を詰めていった。
隠蔽された艦同士が視認できる闇毛玉の数が十分ではないため、各艦には1体のみが配置されていた。主に米偵察機から隠れるため、昼間に隠蔽を行う予定であった。
日本機動部隊は、計画通りに第一次攻撃隊と第二次攻撃隊を発艦し、再び姿を隠した。
空襲により基地航空隊に損害は出ていたものの、マリアナ諸島の基地航空隊も機動部隊と連携するため攻撃隊を出撃させた。
日本海軍の反撃は予定通りに進んでおり、戦闘機・爆撃機・攻撃機の合計1000機を超える攻撃で、米機動部隊撃滅を確信するに至っていた。
機動部隊を率いる連合艦隊司令長官もまた、自信を持っていた。
米機動部隊に攻撃隊が迫ると、米直掩機が上空から攻撃を仕掛けてきた。即座に護衛戦闘機が応戦し、攻撃隊は直進。さらなる米直掩機の攻撃を受けつつも攻撃隊は米機動部隊に辿り着き、高角砲の猛射を受けたのである。
米機動部隊の高角砲弾は効果的に炸裂し、攻撃隊に損害を与えていった。さらに肉迫すれば40mm機関砲が待ち受けていた。
日本機動部隊と基地航空隊の連携による過去最大の攻撃は、米機動部隊に少なくない損害を与えた。撃滅には及ばないものの、離着艦能力を失った正規空母を複数隻出す事にも成功した。しかしそれは、当初の予想とはかけ離れた結果であった。
機動部隊の姿を隠蔽しての接近は成功した。しかし、米直掩機に対して護衛戦闘機が不足していた。さらに戦力を十分と見込んで米機動部隊4群への満遍なく行われた攻撃は、対空戦闘能力の高い米機動部隊に対し不十分な攻撃となった。
米機動部隊の護衛艦艇には、撃沈確実な艦や大破した艦もあり、中破や小破した艦が多数確認できた。
しかし、肝心の空母は10隻程度健在だったのである。
発艦作業中に米偵察機に発見されていたのか、日本機動部隊にも米機動部隊の艦載機が来襲した。当然機動部隊は姿を消しており、2派に渡る米攻撃隊を見事やり過ごしたのである。
後は攻撃隊を回収し、第三次攻撃隊を出す予定であった。
第一次・二次攻撃隊が帰還するも、数が激減しており、しかもほとんどの機体が損傷していたのである。
日本機動部隊はこの日の再出撃を断念し、十分に整備し可動可能な機体を増やして攻撃を行うことを決定した。
翌日、再び基地航空隊と連携し、米機動部隊への攻撃が行われた。
戦力は前日の三分の一以下となっており、攻撃目標は再編されていた3群の米機動部隊の内の1群に搾られることになった。
結果は、惨憺たるものであった。
攻撃隊は米直掩機の迎撃を次々と受け、米機動部隊に辿り着いた攻撃隊は僅かであり、戦果らしい戦果は挙げられなかったのである。
日本機動部隊の艦艇は闇毛玉の隠蔽により無傷で済んでいたが、可動可能な艦載機がほとんどなくなり、撤退を余儀なくされたのであった。
また、基地航空隊も稼動機はパラオなどへ向かわせ、搭乗員や整備兵の撤退が増援と入れ替わるようにして進められていった。
日本軍はマリアナ諸島の航空戦力を全て撤退させ、増援と補給物資を闇毛玉輸送船で運び込み、米軍によるマリアナ諸島完全制圧を防ごうとした。
サイパン守備隊は北部で抗戦を続け、テニアン・グアムなどでは密林に潜み抵抗していくことになった。
持久戦であり、いつか来るであろう奪還の日まで耐え抜く構えであった。
耐え抜く上で毛玉が役立ち、光毛玉は米軍の航空攻撃を退けることができ、火毛玉は居住性を上げ、水毛玉により清潔な水に事欠くことはなかった。
停車中のM4中戦車に対して光毛玉の光線照射が度々行われ、当たり所が良ければ装甲に穴が開き、燃料槽に達することができれば撃破も可能だった。
毛玉は脆弱なため、光毛玉を運用する場合は長距離からの狙撃となった。光毛玉にM4中戦車の模型を見せ、狙いを定めたのである。
制空権と制海権を失ったマリアナ諸島への闇毛玉輸送船による補給は、米軍に気付かれぬよう慎重を期して行われることになり、マリアナ諸島への補給は滞りがちとなってしまった。
それでも守備隊は粘り強く抵抗を続けていった。
しかし結果として、米軍によるマリアナ諸島の事実上の制圧は防げなかったのであった。
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