ジョシュア・ジス・ロールウェル
明かりに照らされ琥珀色のお酒が反射する。
ハルバート公爵家当主のヨハンは国王に呼ばれて城でお酒を酌み交わしていた。
「ヨハン、今日私のところにエルリックがきた。」
酒を一口煽った後、国王、今は国王の衣を脱いだジョシュアが口を開いた。
「今までの謝罪と今回の後処理、それと今後どんどん仕事を回してほしいとそう願い出てきた。」
「…カイルもここ数日とりつかれたように己の仕事を増やし、手伝いまでしております。…ここ半年程の腑抜けが嘘のようです。」
「まったく…仕事は出来るのに恋愛に関しては駄目なやつらだ。あの年で王族とはなにか説かなければいけないとは思わなかった。」
くくっとジョシュアは喉の奥で笑う。
それから目の前の燭台の灯りを優しい眼差しで見つめる。
「目を覚ますきっかけは何かわからないものだな…あんなに注意し ても目覚めなかったのに。…これもサシェーナのおかげか」
「そう、ですね。」
「私は、あんなに愛国心のある子がいたことを誇りに思うぞ。」
「…ありがとうございます。」
パチパチと暖炉の薪の焼ける音が耳元に届く。
「しかしなぁ、お前がサシェーナを切り捨てたのは不思議だった。何故ここで養子であったカイルを側に残したのだ?遠縁で血はあるとはいえ、本来であれば自分の血を家に残したいと、そう思うだろう?」
ヨハンは一口酒を飲み込んだ。
ゆっくりと飲み込んだ後、口を開いた。
「…娘から初めて"わがまま"を言われたのです。」
「ほお?」
「娘は幼い頃から言い聞かせていたせいかよく理解しておりました。私は父であるとともにハルバート公爵家の当主であることを。己が公爵家の娘であることを。まぁ小さい頃は多少やんちゃなところもありましたが」
当時のことを思い出しヨハンは口元を緩める。
「しかしそのせいか幼い頃から私にわがままは1度も言ったことがなかった。」
テーブルに置いた酒がゆらりと揺れるのを見る。
「そんな娘が初めてわがままなお願いを私にしました。それを親として叶えたくなっただけですよ。」
それに散々娘と言い合いをし、お互いの意思をぶつけあいましたしね。初めて喧嘩もしました。とヨハンは付け足す。
「…女の子のわがままか…可愛いだろうなあ。」
「ええ、娘にわがままを言われるのも悪くないものです。」
「私もサシェーナは娘のように可愛かったからな。私自身承諾したとはいえ寂しさを覚えるな。…特に王妃はサシェーナを可愛がっていたからな。未だ悲しがっている。賭けを受けた私を頭ではわかっていても恨みがましい目で見るし、エルリックのことは息子とはいえ当分許してやるつもりはないらしい。…だが新しい婚約者候補がくれば彼女も気持ちを切り替えるだろう。まぁ、騒動で当分は難しいと思うがな。」
「王妃様には悪いことを致しました。ジョシュア様にも娘のわがままに付き合っていただき申し訳ない。」
「いや、こちらは感謝しているのだぞ。なんせ愚息が沼から這い上がってきたのだから。」
「沼ですか。」
「そう、底無しの恋の沼だ。あそこまで沈むとは思っていなかった。ここまで周りを巻き込むのも、な。弟のヒューズはなぁ…悪いやつではないし仕事もできるんだが…いかんせん優しすぎる。今回のことを抜きにすれば王とするのはエルリックが向いている。ただ、あいつは何でもこなせていたせいか今まで"失敗"をしたことがなかったからな…逆にそれが心配だった。どこか危ういと感じてはいたのだ。少しの挫折も後悔もないやつが本当に大丈夫だろうか、と。今回のことはあいつにとって何よりの成長に繋がるだろうな…」
今回のことは王子にしつこく接触する男爵令嬢がいる、という報告から始まった。
学園内は主に子どもが"社会"だ。子ども同士の問題を大人がやたら口を出すものではない。それに自分もその年頃の時にそういう輩はいたのだ。軽くあしらってもらわなければ困る。
しかしその後それが不穏な動きを見せてきた。ジョシュアはおもしろい、と思った。彼らももうすぐ成人となる。今も家の仕事や公務を手伝ったり行ったりしている。謂わば片足を社会につっこんでいるということ。ならば彼らのことを試してみようと思い至った。報告を聞く限り少しでも冷静な気持ちがあればおかしいことに気づくはず。彼らがこれからこの国を治めていくのだ。成人する前に自分自身で処理できるか、まっとうに動けるか見てみようと思い至った。ここで堕ちてしまえばそれまでの人間だったのだろう、そう判断がつく。
ジョシュアはヨハンや王子の側近候補たちの親に話しを持ちかけ承諾するもののみ手を出さなかった。
仕事と恋愛は別である。ただ国を動かす人間が恋や愛にうつつをぬかしすぎるなどあってはならない。冷静な判断ができなくなり国に影響を及ぼすからだ。
結果は一部の人間を除いて目も当てられない惨状だった。
それは彼らの仕事に支障をきたし始める。注意をしても聞く耳を持たない。いい加減目を覚ませ、と怒っても響かない。
注意や怒りを向ければ益々その熱を障害として燃え上がらせた。
元々能力が高いものたちだけに惜しいとは思った。
だが無能に成り下がり、このままいけば国に損益しか出さないものはいらない。
二人や上位の貴族たちはそれぞれ手を打とうとした。
婚約破棄をエルリックが生徒の前で宣言するらしい、という情報が入ってきたからだ。
そこに待ったをかけたのがサシェーナだった。
彼女はヨハンを説得し、ジョシュアの元へ謁見を求めた。
『彼らを諌められなかったこと。婚約者として、一人の臣下として本当に申し訳ないと思っております。…ですが彼らに最後の機会を与えて欲しいのです。』
そう言って今回の賭けを持ち出した。
『サシェーナ。婚約破棄を大衆の前で宣言などエルリックが行えば一番の被害に合うのはそなたではないか。お前は自分が可愛くないのか?』
ジョシュアはサシェーナに問う。
国のことを抜いても皆自分が可愛いはずだ。今の地位も生活も捨てるには余りにも惜しいであろうに。
サシェーナは寂しそうな目を一瞬向けた。
『陛下…私にはエルリック様のような発案からの展開力も、カイルのような機動力も、二人のような判断力もございません。また、友人たちと協力したときそれは更に強力なものでしょう。私の力は到底そこには及びません。この国に対して誰が有益かそれを判断するのが陛下だと思っております。』
強い意思を秘め国王を見つめる。
『私も自分の身は可愛いです。それでも…エルリック様に誓ったのです。この愛すべき国に貢献し更に民を豊かにしよう、と。その誓いを私は己の身以上に尊重したいのです。』
彼女の持ち出した取引の内容も、彼女の意思もおもしろい。そう思ってしまった。
ジョシュアは応じることにした。
結果、彼女が身を呈したことで見事この惨状に終止符を打とうとしている。
「…サシェーナはお前の子だな。頑固なところも、1度決めたことをやりきる意思もそっくりだ」
「…そうですか。あの子は私以上の頑固ものですよ。」
そう言うとジョシュアはソファに座ったまま、向かいに座るヨハンに向けて頭を下げる。
「お前の大事な娘を利用し切り捨てた。一人の父として、息子の婚約者の親として、本当に、申し訳ないと思う。」
サシェーナを利用した。
賭けは婚約破棄の宣言があった後1週間の間にエルリックが来なかった場合、来ても改心の兆しがなければ当初の予定通り処罰する予定だった。
情報はすでに持っている。
どうせ婚約破棄の宣言の場でこちらが処遇を決めようが、1週間後に決めようが"大して"変わらない。事前にこちらで問題にならないよう手を回し、下準備をしておけばいいのだ。もしサシェーナの内容が上手く行ったらそれにこしたことはない。
王は常に国に利になるものを。少数より大多数を。そうやって選ばなければならない。寛容にも非道にもならなければいけない。打算も疑いも持たなければいけない。王とはそういうものだとジョシュアは思っている。
「頭をおあげください。ジョシュア様。こちらこそ娘の意思を尊重してくださり、ありがとうございました。」
そこには二人の父親がいた。
「私のところはヒューズがいるが、カイルが今回の賭けに失敗したときはどうしたんだ?お前のことだ。ちゃんと保険をかけていたのだろう?」
「…さて、何のことか。」
「とぼけるか。ふふっ、まぁいい…そういうことにしておこう。」
お、そういえば、とジョシュアが言葉を続ける。
「件の横領の件だがな、どうも男爵を追っていったら大物が釣れそうだぞ。」
「…大物…ですか?あれは男爵の独断では?」
「いや、あいつは小者だ。あんなに狡猾に大金を横領するようなやつではない。この件男爵のほうはエルリックに任す。大物はお前に任せようと思っている。後日任命書と調査書を渡そう。早急に更なる調査、対処せよ。絶対に捕まえろ。」
ジョシュアはヨハンに顔を向ける。その顔に王の顔が表れる。その目は獲物を見つけた獣の様にギラギラした目だった。
「男爵を泳がせていた甲斐がある」
にやりと笑う顔にヨハンは思う。
この方はどこまで先が見えているのか。
どれだけ爪を隠すのがうまいのか。
ただおもしろいと思ったらそれを実行してしまうところに苦労してしまうが。
「御意に」
ヨハンも口に笑みを浮かべ答えた。
「王族という肩書きがなければ、息子の恋も応援してやれるのだかな…」
「そうですね、カイルにもです。」
父親の本音は大いに恋愛を楽しみ失恋もし、人に裏切られたりしながら人間として成長してほしい、と思う。だが時に肩書きがそれを律する。彼が王子でなければ、公爵の息子でなければ、せめて身分も器量も問題ない相手であれば、ないものを願ってしまう。
「本当はエルリックがサシェーナに恋をしてくれれば一番ありがたかったのだが…」
「幼い頃からの付き合いでしたからね。もはや彼らにとって恋人ではなく家族だったのでしょう。」
「恋愛とは時に恐ろしいな」
「…あなたも痛い目をみてますからね」
その言葉にジョシュアはきっとヨハンをみた後にやっと笑う。
「お前のアイサの時も面白かったがな」
今度はヨハンがキッとジョシュアを見る番だった。
王は一口でグラスの酒を空けると自分で新しくいれる。
ヨハンのグラスにも継ぎ足した。
「若者たちが本当にこの国を豊かに出来るか。せいぜい身を粉にして働いてもらおう。…これからのこの国の未来と若者に」
ジョシュアがヨハンの目の前にグラスを上げる
「…この国の未来に」
二人は国を担う若者に向けて乾杯した。
ただかっこいいおっさんたちが書きたかっただけなのにとんだ腹黒い狸と狐になりました。