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040 積み上がる心の壁

 幼い頃、ヴィレイナは両親に捨てられた。


 ある日、街へ買い物に出掛けると言って家を出た両親は、その日を境に家に戻ることはなかった。


 何かあったのかと心配したヴィレイナであったが、両親の余所余所しい態度が記憶を巡り、普段持ち歩かない大きなトランクを持って出掛けたことを思い出させた。


 入るなと言われていた両親の部屋の扉を開けると、物一つ無い空虚な空間だけがあり、その時幼いながらに理解した。


 ああ、捨てられたのだなと。


 家には、三つになったばかりのユミナと二人だけ。

 その時の絶望感を、ヴィレイナは忘れることはないだろう。


 幼い二人では、どうすることも出来ない状況だった。


 だからヴィレイナは村中を駆け回り、仕事を求めた。だが、幼い彼女に手を差し伸べてくれる者は居なかった。


 両親の付き合いが悪かった所為もあるだろう。

 だがそれ以上に、力も無い。料理も作れない。読み書きはもちろん、計算も碌に出来ない。お荷物にしかならない幼い少女に仕事を与えられる程、この村は豊かではなかったのだ。


 それでもなんとか漕ぎ着けた、厠の汲み取りの仕事で僅かな食料を得て、ヴィレイナはユミナと二人なんとか生きていくことだけは出来た。


 辛く苦しい日々だった。


 遊ぶことも出来ない。美味しいものを口にすることも叶わない。優しい言葉も掛けてもらえない。


 一日掛けて村中を回っても、二日分の食料を分け与えられるだけ。

 安く使われている事に気が付いてはいたが、唯一の仕事に不満を漏らす事は出来なかった。


 そんな日々の中で、妹のユミナだけはヴィレイナのことを慕い、励ましてくれた。

 疲れて家に帰ると、ユミナは拙い言葉で「お姉様、お姉様」と言ってヴィレイナに抱き付いて来た。


 我儘を言わず、ヴィレイナの言うことはしっかりと守り、二人で眠る時だけはお話して欲しいと可愛らしく強請ってくる。


 話などあまり知らないヴィレイナだったが、唯一人伝に聞いたことのある英雄の話を思い出しながら一生懸命に話すと、ユミナは楽しそうに聞いてくれたのだった。


 毎夜寝る前に強請られる英雄の話。


 思い出しながら、つぎはぎだらけの話をする中で、気付けば自分たちを救い出してくれる誰かを想像し重ねていた。


 そんな誰かは居ない。


 そう思い、ヴィレイナが悲しそうな表情を浮かべると、ユミナは無垢な瞳を向けて言うのだった。


「それなら英雄は、お姉様のところにも来てくれるね」


「私じゃなくて、ユミナを幸せにしに来て欲しいな」


「ううん。ユミナは、お姉様が居るだけで幸せだもん」


「私もユミナがいれば幸せよ」


「ほんと!?」


 そんなことを言う妹が愛おしくて、ヴィレイナは折れそうになる心にいつも喝を入れて立ち上がった。


 それでも、生活に必要な物は何もかもが不足しており、その生活が何れは破綻することが目に見えていた。


 だから、ヴィレイナは毎日神にも祈った。


 生活が改善されますようにと。


 病に侵されませんようにと。


 妹が幸福な人生を歩めますようにと。


 祈るだけではなにも解決しない。


 幼いながらにそれを理解していたヴィレイナは、日々新しい仕事を求め、より良い生活が送れるようにと努力もした。


 その甲斐があってか、農家の手伝いや、飲食店の皿洗いなど、少しずつではあったが給金の出る仕事を貰えるようになった。


 そして、日々の生活に祈りを欠かすこともなかった。


 ヴィレイナはただ己の為に祈っていたわけではない。


 妹の―――ユミナの幸せだけを祈り続けた。


 己の心を支える、大切な家族の為だけを想った。


 その願いはやがて神に届く。


 ある日、目覚めと共にヴィレイナは己の内に宿る暖かな熱に気が付いた。

 その熱をそっと抱き締めると、優しい光が包み込み、重かった身体がどこか軽くなったような気がした。


 そして、自身の両手を見て驚いた。


 擦り切れて、傷だらけになっていた手が艶のある瑞々しいものへと変わっていたのだ。

 直ぐに隣に寝ている妹の唇にそっと触れてみる。すると、栄養が足らずひび割れていたユミナの唇に艶が戻った。


 ヴィレイナは神に感謝した。


 この力があれば、今より裕福な暮らしが出来る。

 妹を幸せにすることができると。


 そして、その日からヴィレイナは村人たちを癒して回った。


 食料や金銭を対価に治療を行い、ヴィレイナの暮らしは日に日に豊かになっていった。



 そんなある日、ヴィレイナの家に一人の男がやって来た。


 叔父を名乗るその男は、借用書を見せ付けヴィレイナたちの家に居座った。

 叔父の主張は、ヴィレイナたちの両親が残した借金の代わりにこの家を貰い受けるとのことだった。


 家を追われそうになったヴィレイナは必死になって、家に置いてもらうこと頼み込んだ。


 幼いユミナを連れて、家を出るわけにはいかなかったのだ。


 なんとか家に置いて貰えることが出来たものの、ヴィレイナの暮らしは再び苦しいものとなった。

 稼ぎの殆どを持っていかれ、碌な食事も摂れない日々が続いた。


 叔父はいつも家に居て酒を呷って、罵声を浴びせて来た。

 怯えるユミナを抱きしめ、英雄の話でなだめる日々。その日々が何年も続いた。


 ある日、ヴィレイナが家に帰ると妹のユミナが顔を腫らして泣いていた。


 ヴィレイナの中に怒りが湧き起こる。

 ユミナの赤く腫れた頰を癒しの力で治し、叔父に詰め寄ろうと家に入ると、見知らぬ男たちが叔父と共に酒を酌み交わしている姿があった。


 恐ろしい目で睨まれヴィレイナは僅かに怯んだが、それよりも妹を傷付けられた怒りが勝った。


 問い詰めるように言うと、殴られ何度も蹴りを入れられた。

 苦しげに呻く自分の姿を見て、叔父たちが下卑た笑いを浮かべたのを忘れない。


 その日、なかなか治らない痛みを堪え、ヴィレイナは震えるユミナを抱きしめて長い夜を過ごした。

 痛みで寝付けなかったヴィレイナは、いつまでも酒を飲んでいる叔父たちの会話に聞き耳を立てた。


 そして、その会話の内容に衝撃を受けた。


 家に居座っていた男はヴィレイナの叔父でもなんでもなく、赤の他人だったのだ。


 癒しの力を用い、子供だけで生活している家があると聞きつけ、容易に騙せると思った男は偽の借用書をチラつかせて、我が物顔で居座っていただけなのだ。


 両親に限らず、大人は本当に汚い。


 苦しい生活を送っているヴィレイナのことを下に見て、手を差し伸べるどころか安い賃金で使い倒そうとする。


 そんな苦しい生活をようやく抜け出したと思ったら、ささやかな日々さえも奪い取ろうとしてくる。

 ヴィレイナは怒りに震え、心の底を冷やす感情が内に積もっていく感覚がした。


 その次の日、ヴィレイナはユミナを連れて村を出た。


 どんなに怒りに震えたとしても、大人の力には太刀打ち出来ない。あの村では助けてくれる人など誰も居ない。

 妹が幼いことが心配だが、ここに居ては何をされるかもわからない。

 そう思ったヴィレイナは、街に行くことを決断したのだった。


 そうして、僅かに隠し持っていた金銭で馬車を乗り継ぎ、ようやく辿り着いたのがゲネードの街であった。


 ヴィレイナはその日の内にミリアム教会の門を叩いた。


 痩せ細った少女ではあったが、神気を扱える少女を教会が受け入れないわけもなく、その日からヴィレイナは教会の神子見習いとなったのだ。



 生活は安定したものの、教会に入った後もヴィレイナたちを取り巻く環境は好転しなかった。


 成人も迎えていない少女が神気を扱え、神子として重宝されている姿をよく思わない神官たちも居たのだ。


 陰口を叩かれるだけなら我慢は出来た。

 嫌がらせを受けるのも許容した。


 そんな連中を無視して、ヴィレイナは取り憑かれた様に色々なことを学んでいった。


 文字を覚え、計算を覚え、魔術を学び術式をおこした。料理、作法、地学、歴史。学べるものは全て貧欲に学んでいった。


 徐々に優秀な神子となっていき、教会本部からも評価されつつあるヴィレイナのことを嫉妬する者たちは多かった。


 そして、度重なる嫌がらせに全く動じないヴィレイナに焦れたのか、遂には妹に手を上げる者たちが居た。


 様々なことに耐え忍んで来たヴィレイナであったが、それだけは許容出来なかった。


 何故、そっとしておいてくれないのか。

 何故、自分の大切な者を奪おうとするのか。

 嘲るばかりで誰も助けようとはしない。

 当時の神官長も見て見ぬ振りである。


 底冷えする感情に支配され、ヴィレイナの中に積もる憎悪は日に日に凝り固まっていった。



 そんな環境においても、唯一救いだと言えたのがユミナの成長であった。


 辛い環境で育ったにも拘らず、擦れていない優しい少女になった。

 これならば、自分の傍らにいなくても大丈夫だろう。


 そう思ったヴィレイナは、あまりしっかりと管理されていなかった孤児院へとユミナをやった。

 性格の捻じ曲がった神官たちがいる館で生活するよりも、孤児院の方がいいだろう。そう考えてのことだった。


 そして、ヴィレイナは孤児院の管理を引き継ぎ現在の状態を作り上げていったのだった。



 そして月日は流れ、二年前の出来事である。


 クリュアゼル・トーレスという貴族が、ヴィレイナのことを囲いたいとやって来た。


 会ったことも聞いたこともない貴族だ。

 当然のことがら、ヴィレイナはその申し出を断った。


 周囲からはその行動を悪く言われたが、ヴィレイナはその程度のことは気にならなくなっていた。


 だが、断った筈の貴族からは、再三に渡り申し入れがあった。

 一度会いたいという願いを断り切れず、ヴィレイナは一度その貴族と会うこととなった。


 晩餐の席で出会ったトーレス伯爵は、爽やかな印象を受け、悪い男の様には見えなかった。

 しかし、ヴィレイナはその仮面の裏に見え隠れする感情を敏感に感じ取った。


 昔、ヴィレイナたちの家に居座った叔父を名乗る男。

 その男の瞳に宿る悪意の眼差しが、トーレス伯爵の瞳の奥にも見え隠れしたのだ。


 そして、この晩餐でヴィレイナの予測を裏切る出来事が起きた。


 トーレス伯爵との晩餐でユミナが給仕をしていたのである。


 使用人として見習いになったことは知っていた。

 だが、大事な貴族との晩餐で見習いの給仕を扱うなどということがあるもわけもない。どんな粗相を働いてしまうかわからないのだ。


 誰の仕業かは知らないが、その悪意に対しても燻る様な怒りを覚えた。


 そして、ヴィレイナが心配した通り、緊張したユミナは、貴族の横で食器を取りこぼし割ってしまった。

 ヴィレイナは慌ててユミナを庇おうとしたが、意外にもトーレス伯爵は柔らかな対応をしてくれた。

 しかし、その時、割れた食器で指を傷付けてしまったのだ。


 それがいけなかった。


 慌てたユミナがトーレス伯爵の指を両手で掴むと僅かな光が灯り、その傷口を癒してしまった。

 そのことに気が付いたのは、トーレス伯爵とヴィレイナの二人だけだった。


 その時ヴィレイナは、トーレス伯爵の口元が歪に曲がるのを目にした。



 晩餐のあと、ヴィレイナはユミナを問い詰めた。

 そして知った。


 ヴィレイナを真似て毎日祈りを捧げている内に、気が付いたら神気を賜っていたということだった。


 ヴィレイナは嬉しさと不安との、ないまぜになった感情が湧いて来た。


 命を繋いだ神気。けれど、虐げられ利用される原因ともなった神気。

 その神気を妹までもが賜っている。


 重く悩み抜いた末に、ヴィレイナはユミナに神気を扱うことを禁じた。

 希少な力に目をつけられ、妹が誰かに利用されることを恐れたのだ。そんなヴィレイナの言葉を疑いもなくユミナは直ぐに聞き入れた。

 ヴィレイナは愛しさのあまり、ユミナを強く抱きしめるのだった。



 その日を境にだった。


 ユミナが暴漢に襲われそうになったり、誘拐されそうになる事件が相次いだ。


 幸い、ヴィレイナがユミナにプレゼントした人避けのお守りが効いたのか大事に至ることはなかったが、それでも不信感を募らせるには十分な出来事だった。


 そして、ヴィレイナは終に我慢の限界を迎えた。

 成人を迎え正式な神子となったヴィレイナは、教会の本部へと幾度となく手紙を送った。


 やがてヴィレイナの訴えが通じたのか、教会はトーレス伯爵を牽制する意味も含めて、聖騎士を送り現在の状況が成り立ったのであった。


 己の力で妹を守る為にようやく手にした力。


 他人は誰も手を差し伸べてはくれない。


 近付いてくる者は、悪意ばかりを抱く。


 全て自分の力で耐えて来た。


 努力だけで守り抜いて来た。


 だが、今、またしても運命の悪意がヴィレイナに牙を剥いた。


 力を貸して欲しいとやってきた、苦労とは縁遠い程美しい身なりの聖女。

 その聖女の付き添いをして居た、優しげに図々しく近付いて来た黒髪の冒険者。


 それらが、ヴィレイナがこの世で最も大切にしている者を奪った。


 何度目になるのだろう。


 鬱積した闇が、心に壁となって積み上がっていくのを、ヴィレイナはまた感じるのだった。

読んで頂きありがとうございます!

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