038 微笑みの合唱
審査会の出場者は全十二名である。
最初に弓を扱い、天使の羽を降らせる演出を行ったヒナミの自己表現が終了してから、順々に別の出場者の番が回っていった。
楽器を持ち込み演奏する者、独特なダンスを披露する者、複数の衣装を用意して一瞬の間に早着替えを行う者などもいた。
現在の最高得点は、ヒナミによる四百六十四点である。
これは過去に行われて来た審査会を見ても、十分女神に選ばれる可能性のある得点となる。
審査会は終盤を迎え、残すところはファライヤとマリアンの二人だけとなった。
カインは胃が締め付けられるような不安感に襲われた。
そんなカインを他所に、ユミナは終始楽しそうに歓声を送っていた。
「次はいよいよ、カインさんのご同僚さんですね!」
キラッキラの眼差しを向けられて、カインは具合の悪い胃袋を無理やり黙らせ、努めて平静を装い笑顔を向ける。
そして次の瞬間、バンッと弾ける音が鳴り、舞台を黒い煙幕が覆った。
司会進行役である、アネモネちゃんからの紹介が入る前に鳴り響いた音に会場はざわつき、何事かと舞台を注視する。
すると、吹き抜けるような風が巻き起こり、舞台上の煙幕を霧散させた。
煙幕の晴れた舞台上には、一人の女が立っていた。
胸元が大きく開いた漆黒のドレス。
引き締まった身体に沿うように滑らかな曲線を描く黒いドレスだが、腿の辺りからスリットが入り、艶かしい太腿が覗く。
膝上まである、滑るような質感のソックス。見え隠れする肌の面積は少ないが、それが逆に艶かしさを増していた。
両手に扇を開いて暝目する女の姿に、会場の男たちはゴクリと生唾を飲み込んだ。
その登場の仕方に目を瞬かせていたアネモネちゃんであったが、ハッと我に返り漆黒の女の紹介を始める。
「えと。あー、冒険者ランク、Bクラスの実力者であり、武芸、魔術、容姿と三拍子揃った妖艶なる漆黒の美女、ファライヤさんでーす!」
アネモネちゃんが近付くと、ファライヤは目覚めのように薄っすらと目を開ける。
そして、アネモネちゃんがマイクを手渡すと、ファライヤはいつにない優しげな表情でそれを受け取り、艶のある声で言葉を発した。
「私は女神に選ばれる為にこの場に立っている訳ではないの」
突然言い放たれた言葉に、会場がざわつく。
「本日私がこの舞台に立ったのは、一人の殿方に私の舞を観て欲しかったからよ」
そう言って、ファライヤは一人の男に熱い視線を向ける。
その視線の先に居るのは、当然のことながらカインであった。
会場中の視線が舞台ではなく、カインの方へと集まる。
その様子にカインは硬直し、額から汗が噴き出てきた。
「え! え! それって。まさか……」
カインのことをユミナがオドオドしながら見つめた。
逆にミーアは、哀れむような視線を送ってくる。
なんのことかわからんな、と視線を泳がせるカインを逃がさないとばかりに、ファライヤは言葉を続けた。
「私の舞が少しでも貴方の心に届いたのであれば、この想いに応えてくれると嬉しいわカイン」
あの女!
カインはファライヤを睨みつけようとして、会場の視線が自分に集まっていることに気が付き、慌てて引き攣った笑顔を取り繕った。
会場から様々な野次や応援する声が届き、アネモネちゃんが予備のマイクを取り出し追撃をする。
「おーっと! 審査会での愛の告白! これは第五十八回エントマスの街で行われて以来です! さあファライヤさんの想いにカインさんは応えてくれるのか!? それでは想いを込めて踊って頂きましょう!」
舞台の奥に控えていた演奏隊が楽器を奏で始めると、会場は静まりかえり舞台上へと視線を戻す。
カインは頭を押さえ、苦い顔をしながら舞台上に視線を向けた。
当然ではあるが、ファライヤは本気で愛の告白などしてはいないだろう。
全てはカインを弄ぶ為だけに趣向を凝らしているに過ぎない。
しかし、会場にいる者にとってはファライヤの本意など知る由もなく、カインはどう応えるかを試されているのである。
舞台で舞を踊るファライヤは優雅な動きであった。
体の芯がぶれることもなく、美しい動きを見せる。
緩やかに、そして速く。滑らかに舞うその姿は、ある人が見れば美しい舞に。またある人が見れば鋭い刃物の様にも見えるだろう。
会場の人々は息を飲むようにその舞を見つめ、やがて舞が終わりファライヤが深々とお辞儀をすると、大きな歓声が響き渡った。
拍手喝采の中、相変わらずキラッキラの瞳を向けるユミナは『百』の札を掲げて絶賛していた。
これまで全ての出場者に『百』の札を出しているユミナは、完全にザルである。
とそこで、会場が静まりかえったことにカインは気が付いた。
見れば、会場中がカインに向けてソワソワとした視線を向けている。
「素晴らしい舞をありがとうございましたー。では、お相手のカインさんから一言頂きましょう!」
ノリノリのアネモネちゃんが舞台から降りてカインの方へとやってくる。
アネモネちゃんめ! 余計なことをしやがって!
内心でそう思いつつも、カインは引き攣ったまま笑顔を向けた。
和かな笑顔でマイクを渡され、カインは覚悟を決めた。
上等だファライヤ。この程度の試練乗り越えてやるぜ!
カインは心を鎮め、取り繕った仮面をかぶる。
「素晴らしい舞だったファライヤ。何物にも代えられないが、今ここでお前に贈れる物はこれしかない」
そう言ってカインは『百』の札を掲げる。
会場からは「おぅ」とか「きゃー」と感嘆の声が上がる。
「今はまだ、道半ばでお前の想いに応えることは出来ない。だが、俺の。俺たちの目的に辿り着いた暁には、心からの言葉をお前に贈りたい」
そう。「く・た・ば・れ」と言う言葉をな!
カインが優しげな表情でそう告げると、会場からは歓声が上がった。
そして、審査員が各々の札を掲げる。
『九十五』、『八十九』、『九十二』、『九十』、『九十八』。
「おーっと! 合計点は四百六十四点だあー! なんとも珍しい同率一位です!」
舞台上のファライヤはニマニマと笑みを浮かべると、満足気に身を翻し舞台を後にした。
まさかとは思うが、心象を操作して同率一位を獲得したわけじゃないだろうな。
カインの中にそんな疑念が渦巻くが、流石にそれはないだろうと思い直す。
だが、ファライヤならそんな神業もやってのけそうな雰囲気がある。
そう思い、会場が熱気に包まれる中、カインは一人顔を引攣らせた。
「かかか、カインさん! お姉様と二股はよくないと思います!」
ユミナがどうにも的外れなことを言う。
「ユミナ。ファライヤのアレは本気で言ってない。寧ろ俺を貶めて楽しんでいるだけだ」
「あんなに熱い視線を向けていたのにですか!」
「それがアイツの恐ろしいところだ。つか、いつから俺がヴィレイナを狙ってることになった!」
「え? 違うんですか?」
「ちげぇよ!」
カインの答えにユミナはどうにも腑に落ちない様子だった。
会場が落ち着きを取り戻し、アネモネちゃんが声を張り上げた。
「さあ! 皆さん最後の出場者となります! とりを務めて貰う方はこの方、マリアンさんです! 私からは彼女の紹介は致しません! というか観て頂ければ分かるでしょう! それでは、マリアンさんどうぞー!」
雑に紹介され、舞台の裏に控えていたマリアンが、ゆっくりとした歩調で姿を現した。
ゆったりとした薄い青色のドレス。輝く長い銀色の髪。
その銀色の髪にはその名の由来でもある、マリアンの花を模した髪飾りが添えられていた。
目立つような装飾品は付けておらず、けれど全身から溢れる宝石のような輝きに会場は静まり返り、誰も物音一つ立てなかった。
ゴクリと唾を飲み込む音が何処からか聞こえて来た。
誰もが何も言わない会場で、マリアンは舞台の中央で立ち止まるとドレスの端を摘んで優雅にお辞儀をした。
その一つ一つの動作が会場全体を飲み込む。
マリアンが頭を上げて、柔らかい笑みでアネモネちゃんに視線を向ける。
一度マリアンのことを目にしていた筈のアネモネちゃんも、その姿に見惚れていたことに気が付き、ハッと我に返った。
慌ててマリアンにマイクを渡すと、マリアンは鈴音のような声を会場に向ける。
「こんにちは、皆さん。マリアンと申します」
その声を聞いた瞬間、アーマードが吠えた。
その手には既に『百』の札が握られている。
アーマードに追従するように、静まり返っていた会場に大歓声が巻き起こった。
何をしたわけでもない内から、拍手喝采のマリアンコールが鳴り響く。
その会場の反応にマリアンは可愛らしく困った表情を浮かべて、怒号のように騒めく会場が落ち着くのを待った。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻しつつある様子を見計らって、マリアンが再び言葉を発した。
「私の紹介をするつもりは特にありません」
その言葉に僅かに会場がざわめく。
しかし、そんな様子を気に留めるでもなく、マリアンは言葉を続けた。
「ですので、私の時間を使ってみんなで楽しい思い出を作りましょう」
マリアンはそう告げると、指を弾いて音を鳴らす。その合図に対して、いつの間にか舞台上に居たファライヤが頷き、舞台の端に設置されていたピアノに腰掛ける。
慣れた手つきでファライヤがピアノを奏でると、リズミカルな曲が会場を包み込んだ。
その曲に合わせて、マリアンが緩やかに口を開いた。
天使のような声色。透き通る様な美声。
うっとりとする声音に誰もが酔いしれそうになった時、マリアンが右手を上げて会場の視線を誘導する。
すると、舞台端に設置された階段を登り、五名の女性が舞台に上がった。
五名がマリアンに並び立つと、マリアンは続いて左側を指差す。
反対側の階段から、こちらも五名の女性が舞台に上がり、マリアンの隣に並び立つ。
事前に打ち合わせていたのか、突如、審査会の出場者たちが舞台上に勢揃いした。
「さあ、みんなも一緒に!」
マリアンがそう告げると、舞台の後ろに控えていた演奏隊も前に出て、ファライヤの奏でるメロディに音を合わせ始める。
そして、舞台上の出場者全員が声を上げて歌い始めたのだった。
会場を包み込む美女たちの合唱。弾けるリズムを刻むメロディ。
その歌を口ずさむ姿は誰もが皆、楽しそうな表情を浮かべた。
腕を組み、クルクルと踊りながら笑い合う姿はあどけなく、出場者全員が天使の様な輝きを放っていた。
覚え易い単調な曲を繰り返し歌う姿を見て、気が付けば各々がその曲を口ずさんでいた。
進行役のアネモネちゃんも。雄叫びを上げていたアーマードも。審査をする筈の審査員たちも。カインの隣ではしゃぐユミナも。会場にいる全ての人々が歌を口ずさみ、笑顔になっていく。
その歌は街中に響き渡り、祭りを楽しむ者たちを笑顔にしていった。
露店で店番をしている店主も、交渉に熱を込めていた商人も、街を警備していた衛兵も、はしゃぎ合う子供たちも。
中央広場から流れる歌に耳を傾け、不思議とその歌を口ずさんでいた。
会場のみならず、街中を巻き込んだ合唱。
その中央で歌う銀色の髪をした女神は、他の誰よりも楽しそうな笑顔を向けて輝いていた。
やがて、繰り返されていた曲がフィナーレを迎え、鳴り響いていた音楽がゆっくり消えていく。
そして、舞台上に立つ全員が手を繋いで、満面の笑みでお辞儀をした。
盛大な拍手と怒号の様な歓声が街を包み込んだ。
舞台の中央で花のような笑顔を見せるマリアンの姿を観て、カインは口元を緩めて拍手を送るのだった。
「凄かったです! 今までで一番盛り上がりました! 連れてきてくれてありがとうございます!」
ユミナがマリアンの様にクルクル回りながら、審査会の余韻に浸っていた。
ユミナの言う通り、中々に感動的な演出だったとカインも思った。
いつも破天荒なことばかりするマリアンではあったが、人々を笑顔にさせる姿は素直に賞賛できるものであった。
審査会はつつがなく終わりを迎え、少々有耶無耶になってしまったところもあったが、満場一致で今年の女神はマリアンに決定した。
女神に選ばれなかった女性たちも、最後まで楽しそうに笑顔を向けていたことから、何一つとして憂いの残らない結果となった。
感動が収まらないのか、ユミナは先ほどまでみんなで口にしていた曲を口ずさむ。
とそこへ、銀色の鎧を着た騎士が三名、カインとユミナの前にやって来た。
「お迎えに上がりました。ユミナ殿」
ヴィレイナの付き添いでやってきた金髪の聖騎士ではなく、焦げ茶色の髪をした厳しい顔つきの男は礼儀正しくお辞儀をする。
その姿に何を考えたのか、ユミナは小首を傾げた。
「どうしたユミナ?」
「いえ、今なにか思い付いた様な気がしたんですが、なんでしょう?」
「いや、俺に聞かれても困るのだが」
「あはは、そうですね。では、カインさん。また孤児院に来てくださいね! 今日のお礼をしなくてはいけませんから」
「そうだな。また寄らせてもらおう」
笑顔を向けて、ユミナは軽い足取りで騎士と共に帰路について行った。
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