承2
振り返ると15歳くらいの少年が立っていた。
「おう坊や。どうしてやめた方がいいんだい?」
「お仲間と同じ扉にはたどり着けないからさ、おっさん。よく見てみな、あんたの言ってた『あいつら』ってのが向こうに視えるかい?」
目を凝らしてみるが、あるのは向こう側の扉だけだ。そしてそこまでの距離はどう見ても30メートルほどにしか思えない。
「先に行った……とかではなさそうだな」
「……あんたら新しく見つかった人達だろ?どの色を踏んづけたのか知らないけど素人がこの廊下に踏み入るべきじゃないぜ」
「なんだって?まったくどうなってやがる」
「簡単に言えばこの廊下はあってないような物なんだよ。本当に存在しているのはここと、あちらだけ。この廊下は始まりと結果を繋げるだけなんだ。つまり――」
「講釈たれてるところすまないが、俺たちは急いでる。この廊下の使い方を知っているなら教えてほしい。置いてきてしまった人がいるんだ」
「あっちの方が安全だから戻るんじゃなかったのか?まったく、いい大人だな」
どうやらこの少年は俺たちが飛ばされる前からここにいたようだ。
「残念だけど俺には使い方が分からない。さっきの講釈も受け売りでさ。……ところであんたら猫に会わなかったかい?」
「あったぜ。思えばよく鳴く猫だったな」
「なるほどね……。いいぜ、使い方を知ってる人の所まで案内する。ついてきなよ」
少年は片手で背後の扉を開き手招きする。
どうやらあの男たちとは違う集団のようだ。
「……行こう」
「そうだな」
扉の向こうは大きな広間だった。
壁には腰の高さに紋様があり、帯のように広間を一周している。そこからこの空間が円柱形であることが理解できた。紋様以外は白一色に塗りつぶされている。
そして広間の真ん中に背の高い男が背中を見せて立っていた。男の前には青い球体が支えなしに鎮座している。
「なぁ、なんでこんなに明るいんだ。どこにも照明らしきもんはねぇのに」
「そうだな。そこらじゅう明るくて高さがよくわからん」
「考えても無駄だよ。絶対わかんないから」
「おやっ、新しい住人だな。ようこそここへ」
話し声に気付いたのだろう。男はこちらに振り返るとにこやかに挨拶した。
「僕の名はムントという。そちらは?」
不思議な雰囲気の漂う若い男だった。
ミルクと共に名を語った。
「タケモトはどこで彼らと出会ったんだ?部屋に帰るところだったろ」
「丁度帰ろうとした時に飛んできたんだ。道を踏み外したみたい。あと、こいつら猫に会ったらしい」
「ほう!あのカルト集団に会ったか。猫は君たちに何か話したかい?」
まるで猫が何か話したかのような口ぶりだった。
「あの男たちがカルト?いや何も聞いていない」
「熱狂的な信奉者の集団?どういうことだ」
ミルクがカルトという言葉を言い替えて答えた。
「おや?ふむ『カルト』をさす言葉がなかったとみえる。まあいい」
ムントは青い球体に腕を沈める。するとそこに波紋が集まって行った。
「普通は触れたところから波紋が広がるもんじゃないのか?……さすがにさっきので慣れたな」
「同じく」
ミルクの賛同を得たところでムントが球体から『腕』を取り出した。
「うっ!?」
「おいおい……」
ムントが手に持っているのは人の腕だ。つま先から肩までそろった血の気のある人の腕。
今にも動き出しそうな生々しい腕なのだが血は出ていない。
無理やり引き剥がされたのだろうか。肩の傷口は布を引き裂いた後のようになっていた。
指の爪はすべて剥がされておりぶつぶつとした肉芽がむき出しになっている。
そして親指の先から肩にかけてひと筋チーズを割いたように、もしくは彫刻刀で彫ったように器用に削り取られていた。
いくらかの異常なら受け入れられると思っていたが、さすがに気分が悪い。なにもない胃から酸っぱいものが逆流しそうだ。
いきなりこんなものを見せて何のつもりなのか。
「これはあの猫の教団に殺された我々の仲間の腕だ」
「殺された!?どうして!?」
「……俺たちはここに来れてラッキーだったのかもな」
「けどハルカが危ない!」
ハルカは今も奴らと共にしているのだ。
「おや?新しく見つかったのは3人だったのか。心配しなくともすぐに殺されるようなことはない」
「どうしてそう言える?明らかに普通じゃないぞこの腕は!」
「そうだな。ただ殺されたわけじゃない。死んだ後か前かは知らんがこりゃ拷問を受けた痕だろう。そんな輩の近くに女おいてじっとしとくなんて俺にもできんぜ」
ミルクの言う通りだ。あのおとこおんなの側にいつまでもハルカを置いてはおけない
「その通りこれは拷問の痕だ。大丈夫、彼らからすれば背教者を罰しただけ。その女性が禁を破ろうとしない限り彼らは手厚くもてなすだろう」
「じゃあその禁ってなんだ?どうせ奴らと同じ信徒でなくとも破れば罰するんだろ」
「その通り。大丈夫、それをそれと知らなければ禁を犯すこともない」
「それを知っちまったらどうすんだよこのアホゥ!!」
「うーむ。昨日今日見つけたばかりの人間に教えるとは思わないけど。まぁ可能性が無いわけではないか。ではお教えしよう……」
ムントは取り出した腕の手のひらを指先で優しく撫でた。
「彼らの信じている神の装置。それに触れようとする事。それが彼らの唯一の禁なのだ」
神。ここで目覚めて初めて聞く単語が飛び出した。この気の狂った場所を説明するのには便利な言葉だ。
「神なんざいねぇよ。奴らがこの空間にいることを納得するために都合のいい言葉を見つけただけだろ」
「おや?僕と同意見だ。その通り、神などいない」
どうやらムントとミルクは神を頭から信じていないようだ。
「だがこの不可思議な空間は我々の前に存在している。受け入れがたい事実に対し、彼らはここを神の作った神聖な場所だと定めたのさ。そして自分たちを神聖なこの空間に選ばれし者と位置づけた」
「……」
「自分たちの絶望から逃れるため、過去に折り合いをつけるためにね」
そして窓も出口もない空間で生きていくことを受け入れた。
「ところがこの空間を知ってるって人間をみつけちゃったんだよねー」
いままで会話に参加していなかったタケモトが口を挟んできた。
ここを知っている人間……。
「……」
ミルクは黙っている。
「そう。その通り。ここには君たちみたいに時折新たな人間がやってくる。その中にいたのさ。『俺はここに居た人間を知ってる』って人がね」
「えっ?それってつまり……」
「はいその通り。『帰る方法がある』ってわけだ」
「ならみんなさっさと帰ればいいじゃないか。どうしてこんな所に留まってるんだ」
帰ることが出来るのなら、過去に折り合いをつける必要もなくなるだろう。
「いやぁそれがそうもいかない。……なあエディ君、ここにきてどれくらい経つ?」
「……まだ目覚めたばかりだ。2時間も経ってないと思う」
ミルクも同意するように頷いた。
「あー。それは運がいい。いやむしろ悪いのか?まあいいや。……じゃあここから話そうか、僕はね、もう500年近くここで暮らしているんだ」
「へ?」
頭に理解が追い付けず素っ頓狂な声がこぼれた。
もしやムントの世界ではそれが普通だとか。
「おい、ふざけるのはよしてくれ。人間がそんなに長く生きていられるはずないだろ」
ミルクは冷静にムントに言い返した。
「いや、おふざけならどんなに良いか。あぁ、僕のいた世界ではみんな長生きとかそんなことはないよ。……ここは時間と空間の概念がおかしくなってるのさ」
そのままムントは話を続ける。
「さっき君たちはカラフルな廊下で足を踏み外しただろう?その時急加速したはずだ。そして瞬く間にそれまで一緒にいた仲間は消え、向こう側の扉が見えるだけ。あの螺旋の廊下は空間も時間も歪んでいる」
それは確かに身をもって経験した。虹の渦を思い出して少し吐きそうになった。
「さらに君たちのように新たな人間がやってきた場合、元からある部屋に君たちが現れるのではなく新たに部屋が作られるのさ。この空間は増殖しているんだ」
「……にわかには信じられんぜ」
「しかし事実だ。そして初めに話したように、人間の寿命いや人間の生きる時間も同じく歪んでいるんだ。つまりね……」
「俺さ、15くらいに見えるだろ?けどもう40年くらいはここにいる筈なんだよな。不老なんだよ」
タケモトが答えた。
「そう、不老。残念ながら不死ではないけど」
そう言ってムントは手に持った腕を胸の位置まで上げ振ってみせる。
「オーケイ。わかった。不老ね。ここにいる限り不老。で、それがなぜ帰らない理由になる?」
「……その帰る方法が分かったのが遅すぎたんだろ」
「その通り。200年くらい前だったかなあ。もう僕たちがこの空間に納得して随分たった頃さ」
「僕たちだと?」
「ああごめん。はじめは僕と猫だけだったんだこの世界。もしかしたら見つかってないだけで僕らより古い人がいるのかも知れないけど」
どおりでここを良く知っている筈だ。先ほどから死人の腕を軽々しく扱っているのも納得だった。今まで多くの死体を見て感覚がマヒしているのだろう。
「……その男が現れてから教団内で大喧嘩さ。ここに来てまだ日の浅い人はいいけど、もう何十年何百年とここで生きている僕らのような人間には帰る世界なんてあるかどうか分からないでしょ?」
「えーとつまりは、ここと元の世界の時間の流れが一緒だったら、知り合いとか死んでるしもう帰っても意味ないじゃんってことだよ」
知る人のいない世界は元の世界だとしても同じ世界ではない。
「そうその通り。けど僕は当時から帰るべきだと思っていたんだよ。ものは試しってのもあるし、何より僕らが老いることが無いのと同じように、元の世界はそれぞれ止まってくれているんじゃないかと思ってさ」
「ここでの事は一夜の夢のようなものに過ぎないと考えているのか」
「そう。そして僕はこんな所でいつまでも生きていたくはないのさ。けど彼らは違う」
「長くここで生きている間に、いつまでも生きていたくなったのか?」
「まっ、みんな死にたくないよね。で、残りたい教団側と帰りたい人たちとで完全に分裂してしまったのさ」
「そんであんたらは帰りたい側ってことか」
ミルクが尋ねた。
「その通り」
ここでひとつ疑問が残った。
「……なら帰りたい奴だけ帰ればいいだろ?なんでそうしないんだ」
「ははは。あいつらさぁ、誰か一人でも帰ればこの世界が終わると信じちゃってるんだ。バカだろ」
タケモトが腹を抱えて笑いながら答えた。




