うそだろ・・・
後半、日本代表とUAE代表ともに選手交替はなし。キックオフの笛が、埼玉スタジアムの夜空に再び響いた。
『ふ〜ん。あいつ、いい顔したままだな』
ピッチに散ったオマンは、結木を見てそうつぶやいた。結木はフリーキックを引きずることなく、むしろより士気が高まった表情を見せていた。
「チヒロ」
そんな結木に、竹内は一言ささやいた。
「気楽にな」
「・・・。ふっ、サンキュ」
しかし、試合の流れは基本的に前半と変わらなかった。ただ、四郷監督はハーフタイムで、最終ラインにはオマンのパスの受け手である前線の選手をマンマークで対応させ、中盤の選手にはパスコースを封じるポジション取りを指示したことで、前半と比べてUAEから自由を奪った。
そしてオマンのパスが次第に日本の守備の網目にかかることも増え、日本代表のチャンスも増えた。
そして、そのときは来た。
「もらい!」
『なっ!』
後半15分、南條に代わって送り出された内海が、UAEのパスをインターセプト。バイタルエリアの加賀美に楔のパスを託す。受けた加賀美はそれを左サイドに流し、本条がゴール前にクロスを放つ。ニアの尾崎にはわずかに合わなかったが、その背後から竹内が飛び込んでいく。
「届けえっ!!」
懸命に走りこんだ竹内は、最後に右足を伸ばす。思いが通じたか、ボールは竹内の伸ばした右足のつま先にあたり、キーパーとポストのわずかな隙間を縫って転がり、ゴールネットを揺らした。
それは間違いなかった。キーパーが慌ててボールをかきだすが、ボールはすでにゴールラインを完全に割っていた。サイドネットが、内側から跳ね上がっているのが、何よりの証拠だ。
だが、信じられないことが起こった。
主審はホイッスルを吹かない。つまりノーゴールだ。これにはスタジアム中が絶叫し、四郷監督が第4審判に問いただし、ベンチの選手たちも騒ぎ立てる。だが、抗議に来た日本代表の選手たちに取り合うことなく主審は試合を再開させる。線審があっけにとられているが、UAEは躊躇なくプレーを再開。ゴールキックからの強烈なカウンターを浴びせる。ノーゴールの誤審に気持ちがキレた日本代表になすすべはなく、そのままマムクートが勝ち越しのゴールを決めたのである。
騒然とするスタジアムは、一拍の沈黙の後にブーイングの大噴火。日本陣営も穏やかでない中で、もくもくと牙を研ぐ男がいた。
「おう。お前こんな雰囲気で試合に出たいか?」
友成は聞いた。
「出てえに決まってんだろ。トシのあれがゴールじゃねえってんなら、それ以上の、文句の出しようのねえやつをぶちかましゃいいだけだ。エリアの外からのロングシュートとかな」
「できんのか?そんなことがお前程度に」
友成の問い返しに、剣崎はニヤリと笑った。
「朝飯前だぜ。つーか、俺しかやりようがないってことぐらい、おめえでも分かっだろ」
「なら、この雰囲気を、変えてくれないか」
そういって四郷監督が直々にやってきた。
「点差は1点だが、この試合はもはや壊れてしまっている。お前の力で、どうにか空気を変えてくれ」
剣崎は自信満々に言いきった。
「おう!任せてくれ」
剣崎は後半25分に、尾崎と交代でピッチに立った。同時に四郷監督は、桐嶋も左サイドバックのポジションに投入しサイドを活性化。剣崎の決定力にかける作戦を取った。
(やっと出てきたか得点王。ブラジルで暴れまわったその力、見せてもらおうか)
本条は剣崎にそう視線を送った。
そして剣崎は、最初のプレーでその期待に答える。右サイドで竹内がボールを持ったとき、剣崎はアイコンタクトでメッセージを送る。応じた竹内は、剣崎が動き出したタイミングに合わせて、UAEの最終ラインの裏にクロスを放った。
あまりにも素早い抜け出しに、UAEのDF達は為す術がなく、剣崎は完全フリーでシュート。右足から放たれた一撃は、対角線にゴールを貫いたが、これはオフサイドとの判定。護身の余韻が未だにくすぶる中での際どい判定に、スタジアムの空気がますますおかしくなる。
それでも剣崎は怯まず、最前線で積極的に動き回ってボールを呼び込み、ところ構わずシュートを放つ。なかなか枠を捉えなかったが、それまでの攻撃と比べれば、その奮闘ぶりは「何度外せば気が済むんだ」という苛立ちから、「もうすぐゴールを決められるんじゃないか?」という期待感に変わった。
そして後半アディショナルタイム直前。本条とのワンツーで攻め上がった桐嶋からの折り返し。走り込んだ剣崎がDFの背後からのタックルで倒されたのだ。
誰もがPKを確信したが、ここでも信じられない判定が下る。
「何でや!後ろから行ってるやろ!」
「ちょ、審判いい加減にしろよ!何で今の何もねえんだよ!」
さすがの本条も、ノーファールの判定にレフェリーに詰め寄る。これに追従した形の桐嶋にはイエローカードが出され、火に油を注いだようなブーイングが360度から放たれた。
だが、当の剣崎は意外なほど淡々としている。抗議をするでもなく、むしろ「早く再開してくれ」と味方の抗議を咎めた。この態度に、加賀美は剣崎に詰め寄る。
「剣崎、お前それでいいのか!?あんな派手にやられたのに、黙って引き下がるのかよ!」
「別に。だったら誰も手出しできねえ一発をぶちかましゃいいんすよ。入っちまえばゴールはゴールだ」
ニヤリと言い返す剣崎の眼光は鋭かった。
そして、有言実行の一撃を放ってみせた。
「くそ!ゴール前だいぶ固めてやがる・・・」
結木が舌打ちしたように、リードを奪った後のUAEは守備的な交代カードを次々と切り、バイタルエリア周辺を着実に固めた。
しかし、剣崎には見える瞬間があった。
「チヒロ!くれ!」
最前線からポジションを下げてきた剣崎が、結木にボールを要求。結木はさすがに戸惑った。
「け、剣崎・・・お前、代表でもやる気か?」
「シュートに代表戦も練習試合もねえよ。ほら、さっさとよこせ」
結木は戸惑いながらも、剣崎にパスを出す。それを見て、竹内と桐嶋は思った。
(あの神経はすごいな・・・やっぱこういうときは頼もしいやつだ)
(剣崎、ぶっこんでやれ。訳わかんねえカードのうさをはらしてくれ!)
「裏に抜けたらオフサイド、倒されてもノーファール、これなら文句ねえだろ!!」
反転と同時に左足から強烈な一撃を放った剣崎。エリア外からのロングシュートは、うねりを上げながら選手たちの合間を縫うように飛ぶ。
が、現実は非情だった。
ボールはポストの外側を掠めて、ゴール裏の電光の広告版に直撃するにとどまった。
頭を抱えて悶絶する剣崎を見て、友成は嘲笑を浮かべた。
「ハン。世の中甘くねえんだよ」




