1話 攫われた花嫁
それは、まったく予想だにしなかった乱入だった。
そして――あの日から運命は変わり始めた。
◇
おとぎ話のような、最高の結婚式になるはずだった。
――そう、誰もが信じていた。
平民の美しい乙女が、貴族の青年と恋に落ち、その結婚は、運命の恋愛の結末だと語られていた。
大商会の娘エミスと、子爵家嫡男トルト。
平民から貴族へ――街中が羨む玉の輿婚は、湖畔の教会で執り行われていた。
二人の明るい未来を祝うように、白い花びらが風に乗って舞い、雲一つなく澄み渡る青空と、降り注ぐ太陽の光に湖畔が煌めく。
大勢の祝福に包まれた教会で、厳かに式は進んでいた。
純白のベールの奥で、恥ずかしそうに俯いてはにかむ花嫁、その傍らで真っ白なタキシードに身を包み堂々と胸を張る美貌の新郎は、いつものように優しく微笑み花嫁に手を差し伸べる。
「なんて素敵な二人なの」
「ほんとうに、幸せそうな花嫁だわ…」
参列者たちはうっとりとため息をつきながら、微笑みを交わしていた。誰もが二人に、惜しみない祝福の視線を向けている。
パイプオルガンの音色が教会を満たし――誓いの時が迫る。
「それでは、誓いの口づけを――」
神父の言葉に、新郎がベールを上げ、新婦と口づけを交わそうとしたその時だった!
バァァン!!
荒々しく教会の扉が蹴破られ、突然教会内に光が差す。
「その結婚!!ちょっと待ったーーー!!!」
響き渡る、場違いな声。
差し込む光を背に現れたのは――息を呑むほど美しい、一人の年若い男だった。
「きゃあああ!!!!!」
「なっ、なんなんだ!?」
「誰だ!!あの男は!?」
祝福の音色は途切れ、参列者たちの混乱と悲鳴が響き渡る。
男は周囲の混乱など意に介さず、一直線に花嫁の元へ駆け寄った。
「行くぞ!!」
戸惑う花嫁の華奢な手首を、男は強く掴んだ。
「えっ? ええっ!? ちょ、ちょっと!」
驚いて腕を引き戻し、花嫁は抵抗する。
「俺は!こんな結婚!認めないっ!!!」
「えっ!?待って、あんただっ…きゃぁ!」
驚きに目を見開く花嫁の言葉を遮り、男は花嫁をひょいと担ぎ上げた。
「きゃぁぁぁ!」
「絶対に認めなぁぁぁい!!!」
最後にそう叫ぶと、そのまま教会から全力で走り去った。
参列者たちは、「花嫁の強奪!?」「元彼!?」と騒然としている。
そんな中、愛しいはず花嫁を目の前で奪われた花婿は、乱入者の勢いに腰が引け、とっさに一歩後ずさった。
怒りに震えることも、花嫁を取り返そうと必死に後を追うこともなく、ただ、ただ呆然とその場に立ちすくんでいた。
「……何だ、あれ?」
事態を受け入れられない花婿が、やっとの思いで絞り出した声はひどく薄っぺらで間抜けなものだった。
◇
「――で、あんた誰なのよぉぉぉぉぉーーーーーっっっ!!!」
湖畔の美しい景色が遠ざかる。
ものすごい速度で上下に揺れる視界の中、エミスは自分を担いで全力疾走している不審な男の背中に向かって、この日一番の大声を張り上げた。男も負けじと大声で返事をする。
「俺か!?覚えているか、エミス!昔、悪ガキどもから助けてくれただろ!」
「助けた!?」
「ケローネだ!!」
「名前じゃわかんないわよっ!!!」
青年は大真面目に、どこか感極まったような横顔で堂々と言い放った。
「亀だ!!!!!」
「はぁぁぁ?かめぇぇぇぇ!?!?!?」
自分はなぜ、見知らぬ男に結婚を反対され、連れ去られているのか。
その混乱の中で受け止められた事実、それはどうやら自分は亀と名乗る変態に連れ去られているということのみ。
「離してよ!降ろしてよ!!」
ポコポコと男の背中を叩いてみても、逃れようと身体を動かしても男の強い力の前にはビクともしない。
「いてて、ちょっとエミスやめて」
「名前呼ぶなぁ!!この変態!!」
見知らぬ男に、気安く名前を呼ばれたことに苛立つ。
「へ……変態って」
どうやらダメージを与えられたようだ。
この男、誘拐なんて大胆なことするくせに、意外と打たれ弱い。
「……うっ」
大きな声を上げたことと、振動が重なって吐き気に襲われる。
「ええっ?!大丈夫?!」
その声は明らかに上ずっていた。
走る速度が一瞬だけ落ちた。
「……そう思うなら降ろしてよ」
「ごめん、今は無理」
「なんでよ……」
それには、答えてくれない。
一体、自分はどこへ連れて行かれるのか。
結婚式はどうなったのか。
(お父さん……お母さん……)
不安と恐怖が、洪水のように押し寄せる。
「もう嫌。なんでこんなことに……」
担がれた身体が滑り落ちそうになる度、男は、「うわっ!」と声を漏らし何度もエミスを抱え直す。
それでも決して足を止めずに、必死に走り続けている。
背中越しに男の激しい動悸と、汗ばんだ身体の熱が伝わってくる。
(……何でこんなに必死なの?)
視界が歪み、意識が遠のく。
連日の緊張と疲れ、そして混乱に襲われ限界がきた。張り詰めていた糸が、ぷつりと切れる。
エミスの意識は、そこから暗闇へと沈んでいった。
◇
ポチャン……水の跳ねる音が聞こえた。
(ああ……そうだ変な夢みてたなぁ)
陽の光を感じる、意識がはっきりしてきたがまだ眠りから覚めたくない。目を瞑ったまま、もぞもぞと動く。布団とシーツが心地よい。なんだか、いつも使っているものより上質に感じる。
(結婚式の最中に見知らぬ男に連れ去られるなんて……)
あの夢は願望がみせるものだったのだろうか…だとしたら、亀男ではなく白馬の王子様が良かったのに。王子様が現れないところが、平民の残念なところなのだろうか。
(今回の婚約で貴族の嫌なところを見たものね。王子様は貴族のさらに上だもの。現れないはずよね。……はぁ、そろそろ起きるか)
エミスは、やっと重い目を開けた。
「………」
天井には見覚えのない模様がある。
ゆっくりと起き上がると、手元の布団も見覚えの無いものだと気づく。
「……どこ、ここ?」
誰に向けるでもなく、エミスは呟いた。
そこは、見覚えのない部屋だった。
あれは、夢ではなかった。
エミスは間違い無く、見知らぬ男に攫われていた。
それが現実だと分かり、じわじわと身の毛がよだつような恐怖に襲われる。
はっとして、着衣を確認する。
純白のドレスのまま乱れはなかった、思わず両腕で体を包んだ。
恐怖で体が竦むが、幸いあたりに人の気配がない。
誘拐犯の目的は気になるが、今はここがどこであるか、逃げ出す隙はあるのか、それを確認しなければ。エミスは意を決して、そろりとベッドから降り立った。
室内を慎重に見渡せば、そこがどこかの安宿などではないと気づいた。
生活感がありつつも、非常に洗練された誰かの居住空間のようだ。
エミスの眠っていたベッド、小さなキッチンスペースやダイニングテーブル、ぎっしりと本が並んだ本棚やデスク。
(……あれ?この家具)
テーブルにソファ、敷かれている絨毯。
それらは、南国の名のある工房でしか作られない、一流の品だった。
田舎とはいえ大きな商会の娘として父の仕事を手伝い、目利きを叩き込まれてきた。
それらは、一品でも平民ならば一年を余裕で暮らせるほどの金額になるはずだ。
お金に困っての犯行、では無いのだろう。
ならば、身代金目的ではなく……商売敵の嫌がらせ?トルトの怨恨?
さまざまな憶測が、頭を巡る。
……間違っても、助けた亀の恩返しなんて、おとぎ話みたいな理由ではなさそうだ。
震える胸を押さえながら、エミスは深く息を吐き出した。
読んでくださりありがとうございます!
助けた〇〇と言えば、鶴か亀だよなぁ……と思って、亀になりました。
助けた亀の恩返しです。
一話目、全く恩返しっぽくないのですが……。
どうぞ、最後までお付き合いいただけると嬉しいです!
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