1´ 俺のトレカ、魔道具と間違われる
土のにおいを嗅いだのはいつぶりだろうか。そんなことを、目覚めて最初に思った。
暖かい陽の光を背中に感じる。なぜか、俺は地べたにうつぶせで寝ている。
地面から体を起こすと、植物の青臭さをまとった風が体を通り抜ける。
「ここは……どこだ?」
とりあえず口に出してみるが、それに答える人間はいない。
あたりを見渡すと、遠くにオレンジ色の瓦を乗せた石造りのヨーロッパ風の街並みが見える。
次に視線を落とす。
周りはどこにでもあるような背の低い雑草が生い茂っていて、雨が降ったのか水にぬれている。
周囲に人の気配はない。
風と、自分の呼吸音だけが妙に大きく響いていた。
「……は?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
脳が、完全に処理落ちしている。
状況を理解しようとするたびに、疑問符が増えていく。
俺、相原陽介の最後に残っている記憶は、たしか、就職活動をサボって昼間から近所のネカフェでソシャゲに俺の何の価値もない時間を溶かしていたことだ。
面接官の「君の強みは?」という質問に答えられず逃げ出した、あのどん詰まりの日常。
それがどうして、気が付いたら見知らぬこの地で目を覚ましているのか。
まさか、拉致?
それとも、最近流行りの地方創生を狙った大規模なドッキリ企画か?
「と、とりあえず状況整理が第一だ。こういう時は、まず現状を定義して……」
まともに自己分析すらできない俺が、柄にもなく論理的なフリをしようとした、その時。
「何してるんだ? ここはアル爺の敷地内だぞ」
「うわっ」
思わず情けない声を出してしまった。
顔を上げると、淡い緑色の髪の毛を腰上まで伸ばした華奢な美少女が、じっと観察するようにこちらを見ている。
そして、その……なんというか、華奢な体格に見合わず胸がデカい。
見ちゃいけないのに視線が吸い寄せられる。
女性に対する耐性がゼロの俺は、動揺を隠せなかった。
「え……えーっと、その、なんというか」
詰め寄る彼女の勢いに押され、俺の足は勝手に後ろへと下がる。
――その時、かかとが何もないはずの地面でつるりと滑った。
「うわっ!?」
無様に尻もちをついた俺は、痛む腰をさすりながら振り返る。そこには、周囲の雑草がそこだけ円状に避けているような、妙に整った空白の地面があった。
「情けないわね、そんなに私が怖いの?」
呆然とする俺を、冷ややかな瞳で見下ろした。
「わかった! あなた、もしかしてこの前追い払った奴らの一味ね。だからそんなに怖がってるの? 悪いけど、私たちにあの話はもう通用しないから」
ぴしゃりと言い切られる。
「違うって言いたいなら証拠を出しなさい。無いなら――帰って」
彼女は煙でも追い払うかのように、ひらひらと手をあしらう。
俺は何のことを言われているのかわからなかったが、圧迫面接を受けている時のような「ここにいてはいけない空気」を察し、遠くに見える町に向かって歩を進めた。
歩きながら考える。
さっきの美少女。
髪の毛でよく見えなかったが、耳が長かったような、長くなかったような。
ハイクオリティな特殊メイクか?
いや、俺の見間違いか?――そう思った瞬間、妙な引っかかりが残った。
いや、違う。
"見間違い"で済ませていい感じじゃない。
けど、それを確かめに戻る勇気もなかった。
「……とりあえず、街だな」
考えても答えは出ない。
今は情報が足りなすぎる。
俺は遠くに見える街を目指して、ひたすら歩き続けた。
――グチャッ
「それにしても歩きづらいな」
土が押し固められただけの簡単な歩道は雨でぬかるんでいて、歩くたびに足を持っていかれそうになる。
都会のアスファルトで舗装された地面に慣れている俺にとっては、かなりストレスだ。
ようやく辿り着いた街の入り口は、見上げるほど巨大な石造りの正門だった。
だが、その立派な見た目とは裏腹に、実際に開かれているのは隅にある小さな通用門だけだ。
せいぜい軽トラックがギリギリ通れるかという程度のその扉の両脇には、二人の男が立っていた。
「……本物、かよ」
思わず足が止まる。
彼らが身に纏っているのは、コスプレなどでは到底出せない鈍い光沢を放つ鉄の甲冑だ。
その隙間からのぞく腕や首筋は、重装備越しでもわかるほど屈強で、プロレスラーも逃げ出しそうなほどの大柄な体躯をしている。
腰に下げた長剣の柄には使い込まれた傷があり、それが単なる飾りではないことを無言で主張していた。
俺がおずおずと近づくと、右側に立っていた兵士が、兜の奥の鋭い視線で俺を上から下まで舐めるように見た。
そこで初めて、自分の格好に意識が向く。
黒いド〇キのジャージ。
就職活動から逃げて、ネカフェに行く時によく着ていたやつだ。
自分では「適当で楽な服」くらいにしか思っていなかったが、石造りの街と甲冑姿の兵士たちの前では、場違いにもほどがある。
「止まりなさい」
地鳴りのような低い声。
俺は反射的に、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「一般来街者の方ですか? ――入街審査を行います。ギルド・タグの提示をお願いします」
「ぎ、ギルド・タグ……?」
聞き慣れない単語に、俺の思考は再び停止した。
タグ。つまり身分証明書か何かだろう。
だが、ネカフェで時間を溶かしていただけの就活生が、そんなファンタジーな代物を持っているはずがない。
冷や汗が背中を伝う。
兵士は、俺が何も出さないことを不審に思ったのか、わずかに眉をひそめ、腰の剣の柄に手をかけた。
「……聞こえませんでしたか? 登録済みのタグ、あるいは一時滞在許可証です。持っていないのであれば、ここで引き返していただくか、身元照会が必要になりますが」
威圧感に気圧されながら、俺は縋るような思いでズボンのポケットに手を突っ込んだ。
指先に触れたのは、使い古した皮の財布。
焦りながら財布を取り出そうとした、その瞬間。
ポロリ、と。
財布の隙間から滑り出た一枚のカードが、石畳の上に落ちる。
カタッ、と軽い音を立てて着地した。
「……っ」
拾おうとかがんだ俺より先に、兵士が素早くそれを拾い上げた。
「……なんだ、これは」
兵士が手にしていたのは、俺がコンビニのキャンペーンで何となく引き当てたファンタジー系のトレカだった。
表面には精緻なイラストで描かれた「紅蓮の竜王」が、今にも飛び立とうとするように翼を広げている。レアリティが高いやつで、カードの表面を覆うホログラム箔が陽光を受けてあり得ないほど複雑な虹色の光を放っていた。
「こ、この光……!」
兵士は信じられないものを見るかのように、カードを太陽の光にかざした。
角度を変えるたびに竜の鱗が本物のように輝き、炎の軌跡がまるで生きているかのように揺らめく。
「この精巧な輝き……まるで竜が封じ込められているようだ……! 鱗の光が、角度によって色を変えるぞ!」
「こんな術式、見たことがない……! この竜の目が、こちらを見ているように動いている……!」
もう一人の兵士も身を乗り出し、食い入るようにカードを凝視している。
「き、貴様……何者だ? まともな装備も持たない、身なりの卑しい流れ者にしか見えんが、この竜を封じたプレートは尋常ではない。どこかの密偵か? それとも、姿を変えた高位の召喚士か!」
「いや、これはゲームの……その、えーっと……」
しどろもどろになる俺。
兵士たちの警戒心はピークに達し、一人はすでに剣の柄を握りしめていた。
まずい。
説明すればするほど泥沼だ。
「東京都中野区から来ました」なんて言ったところで、この感じだと精神異常者扱いされるのがオチだろう。
周囲の視線が集まり、空気がピリピリと張り詰め始めた、その時。
「――何を話しているの? あなたたち」
聞き覚えのある声が背後から、この重苦しい空気を切り裂いた。
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