偽りの聖女はその座を奪う
聖女選抜のその日、女神像に祈りを捧げたアンネローゼの御許には光の柱が突き立った。
三年前にも六年前にも、そのまた前の聖女にも起こり得なかったそれに、見守る関係者たちが騒めくのが分かる。
王の名代として同席していた王太子が聖堂の椅子の最前列から立ち上がって迷わず檀上へと駆け寄ろうとしてくれたあたり、優しいところはちっとも変わっていないな、と面映ゆく思った。
「―――『神託』です。今から二年ののち、魔王が目覚め、世界に再び厄災がやってきます」
けれど危険は一つもない。演出のためにアンネローゼ自身がそうしたからだ。身の内に貯めた聖の魔力を意図して暴発させればそうなる。二年ほど前、まだ市井の学校で自身の理論が認められないことをくさして不貞腐れていたころから仲間に引き込んでいた魔法の天才・ジュリオに手伝わせ、早々に術を完成させ、改良を重ねて見た目だけは派手に取り繕った。
聖なる光に包まれた力の奔流のただなかで、アンネローゼの声だけが響く。
「魔王は北方から来ます。封印された地下深くに、魔族の国を作って侵攻の日を待っている。それを留めることは難しいでしょう」
女神からの神託を騙った。
聖女として許されざる行為だ。けれどもはやアンネローゼにそれを気にするつもりは少しもない。
騒めく聴衆を前に、アンネローゼは宣言をする。
「けれど魔王復活ののち、女神は『真なる聖女』をこの地に遣わし―――、彼女は五つの聖武具を手にした勇者たちとともに、世界を救うでしょう」
あと二年。もう二年。まだ『ルナクエ』のはじまりの地点は遠いけれど、ようやくここまでたどり着いたのだ。
―――白く塗り潰された地獄から飛び起きたアンネローゼが何もかもが始まる前の世界にいるという信じがたい事態を把握してから三年。
長いようで短かった。出来ていないことの方が多い気もするが、『フラグ管理』はユズキの得意であって、アンネローゼには完璧には熟せない。だから代わりに出来ることをするのみだ。かつてアンナローゼが、必死で聖女選抜に選ばれようとしていたように。あるいは友の傍らで、彼女を安心させようと微笑みを絶やさずにいたようにして。
「―――アンネローゼ!」
神殿兵たちの制止を振り払い、光の柱が噴き上がる儀式の檀上へとレオンハルトが駆けてくる。その瞳は高らかに魔王の復活を宣言した聖女を止めるものというよりも、昔馴染みの少女の身には過ぎる存在が降りているのではないかという心配から来る焦りに滲んでいる。
その尊い身分など気にせず危険を顧みず飛び込んできてくれる、優しいひとだ。今も『昔』も。
微笑んで、かれを制した。光の鎖はかれの足をその場に縫い留める。それではっとしたように神殿兵たちが躍り出て、すぐさま王太子殿下を得体の知れない光のそばから引き剥がす。
「その際は。―――『真なる聖女』を支える剣の勇者『アンネローゼ』に、王家の秘宝、聖剣を下賜されますよう」
レオンハルトが見上げる先、白銀の髪を光のなかではためかせる少女は、まっすぐと王太子を見据えていた。長い睫毛を伏せ、ふと微笑み、アンネローゼ本人が己の名を挙げてそう告げる。
それを最後に光の奔流は止まり、大神殿には音のない静寂が満ちた。
「―――アンネローゼッ」
真っ先に気を取り直したのは神殿兵たちに抑え込まれていたレオンハルトだ。今度こそ少女に駆け寄って、その華奢な肩を揺さぶる。
「アンネローゼ、大丈夫か!」
「……ええ」
何度か瞬いたのち、アンネローゼは数年かけた渾身の仕込みを無視して自分を気遣う王子の姿に、つい肩の力を抜いて笑ってしまった。だってあまりにも彼がいつも通りだったので。こういうひとだ。だから好きになったのだ。だから支えたいと思った。かれが治めるこの国は、きっともっと素晴らしい国になるだろうと思った。ずっと昔のことだから、忘れてしまっていた感情だった。
「大丈夫よ。……『神託』の量には、少し驚いてしまったけれど」
大神殿の奥の奥、この儀式の場よりも奥の間で、これからアンネローゼが静かな過ごすこととなっただろう場所で『真なる聖女』と過ごした日々のことを、アンネローゼだけは覚えている。
遠い異世界からこの世界を救うためにやってきて、それでも助けを求めてアンネローゼの手を握り締めた小さな手を覚えている。
何もかもが期待と違ったというのにこの世界を愛してくれた、彼女が愛した世界への旅立ちの前に死んでしまった彼女のことを覚えている。
絶望と憤怒に染まるには彼女と過ごした日々は眩かった。魔王にだけは与してなるものかと思う新鮮な憎しみもあった。『闇堕ち』などするものかと、ユズキと二人で決めたのだから。
だからアンネローゼは出来る限り手を尽くして彼女を待つことを決めた。そうして彼女の愛した世界で、笑って彼女を迎えるのだと誓った。聖女になるよりも前に遡ったのは、きっとそのためなのだろうと確信をして。
うまくいくことばかりではなかったが、魔王に手も足も出ないあの絶望を思い出せばいくらでも活力が沸いてくる。アンネローゼの身体がユズキと過ごした日々、『レベリング』のことを覚えていたことも大きい。まだ魔物がいない平和な世界で腕を磨くのはなかなかに難しかったが、それでもやっておけることはたくさんあった。
「―――魔王の復活……? まさか……」
「しかし、あの光は……」
「アンネローゼ嬢、『神託』はほかにないのか」
「剣の勇者とは一体、……あなたが聖女なのではないのか?」
未だレオンハルトが腕に抱き抱えるようにしていても、あれだけのことを聞かされてはただ未来の王太子妃がお飾りの聖女に選ばれるところを見に来ただけの王国の重鎮たちも黙ってはいられない。
矢継ぎ早に問いかけが飛んでくるのにアンネローゼが周到に用意していた回答で応じようとしたところで、背に回るレオンハルトの腕の力がぐっと強くなる。
「―――陛下に事態を報告する。方向性が定まるまで今見聞きしたことは口外無用だ。大神官殿、ここに居る人間をこのまま外部と接触させるな。私の護衛の近衛騎士をこの場に置いてゆく。何か漏れれば首が飛ぶと思ってほしい」
「殿下!」
「きみもだ、アンネローゼ。他の『神託』も今は話さずにいてくれ」
アンネローゼにはいつだってとても優しいけれど、かれは優れた王太子殿下なのだ。すぐさま飛んだ指示とそれに従って動く近衛兵、そして神殿兵を見てそれを思い出し、かれの腕のなかでアンネローゼは長い睫毛を瞬く。
「……はい」
「魔王の復活? きみが『剣の勇者』? ふざけている。……きみは聖女になるんだろう」
婚約者と目されていたとはいえ、こんなふうにかれと密着したことはない。ひとつ遅れて封印したはずの初恋が勝手に心臓を騒がせるので、慌てて身を捩って距離を取ろうとしたがかれの腕の力が存外に強かったのでうまくいかなかった。
「このまま来てくれ。……しかし二年後、二年後か……」
平和な世界ではあまりに荒唐無稽な話だ。聖女候補の気が触れたと言われても無理はない。
だからあれほど大々的に光の柱を打ち上げて、神殿の外からでも何かが起きたらしいと知れるようにしたのだが、王家がこの『預言』をどう取り扱うかについては自信がなかった。頼もしい共犯者が色々とアドバイスをくれてはいるものの、相手は国家であるので。
そのまま彼に手を引かれ、ともかくとばかりにレオンハルトと一緒に王家の馬車に押し込められて大通りを最高速で駆け抜ける。最上級の馬車をもってしても揺れが激しく、話していると舌を噛みそうだ。
「ええ、ですから備えが必要です。北の帝国、あれほどの大国があっという間に魔に呑まれるだなんて……」
『弓の勇者』シオンの故郷が滅ぼされてからでは備えの時間が短すぎる。魔王が復活すればユズキをこの世界に再び招く準備が整うが、あのときのデルモ砦の戦いのような体たらくでは不安が残る。
アンネローゼだけが強くなっても意味がないのがもどかしかった。五つの武具で魔王を弱らせないと歯が立たない。そのためにも、『メインキャラ』には強くなってもらわなければならないのだ。セルゲイも鍛えられるだけは鍛え、アンバーの実力も確かめたはいいけれど、ユズキとともに重ねた『レベリング』とはわけが違う。
「それに、きみが『剣の勇者』? 聖剣のことか。あの剣は王族にのみ使えると聞く。私たち王家の者が代々封印を続けるあの剣だろう」
「……私のひいおばあ様は王妹殿下でしたでしょう。それよりもっと前にも王家の血が混ざっております。それに―――『女神の神託』でそう決まっているのですもの」
「きみは……、二年ほどまえからきゅうに武術に興味を持ち始めたな。聖魔法の訓練だけではなく。……まさか、以前から何か知っていたのか」
察しの良いレオンハルトがはっとしたように顔を上げてアンネローゼの顔を覗き込むが、アンネローゼはつんと顎を上げて堂々とかれの顔を見返した。
―――あんなときに死ぬと分かってアンネローゼのもとへ駆け戻ってくるようなひどい王太子殿下のことなんて、除け者にするに決まっている。
こんどこそ決して仲間になど入れてやるものか。 『トゥルーエンド』に必要なのは『剣の勇者』だ。それでもどうしてもかれが必要だというのなら、魔王を倒したあとでその功績などいくらでもくれてやる。
「聖女でもない私がどんな夢を見ようが、ただの小娘の戯言に過ぎません」
ユズキとの交流を夢だと思う気は少しもないが、言い逃れの手段としては十分に作用するだろう。自身に致命の咎がないよう、それでいて益は確実に得るために賢く立ち回るのは貴族としての定石だ。実際に、アンネローゼはそれですでにアンバーを手中に収めている。
「アンネローゼ……、きみは、ほんとうに、ずっとひとりで……」
魔王が復活してから『メインキャラ』が一堂に会せば例の『旅立ちのイベント』が始まってしまう恐れがある。『メインキャラ』の一角をアンネローゼが奪い、自身が王都を遠く離れることが出来るようになっても安心はできない。王太子たるレオンハルトが何かの折に『剣の勇者』と認識されてしまうかもしれないからだ。
―――あの惨劇の夜がそうだったようにして。
それらを回避するためには、この二年―――アンネローゼが聖女になってからユズキをこの世界に招くまで、つまり魔王復活までの二年間に『レベリング』をやりきる必要がある。復活もまだの魔王がこちらの出方を伺いに来ることなど出来るはずもないからだ。
「……ひとりではありませんでしたよ」
「アンネローゼ……!」
アンバーとの接点を早めに作ったのも、かつては彼が王都に到着したその日に魔王が攻めてきたから。本来ならばもっと奮えただろう彼を志半ばで死なせてしまったからだ。
『杖の勇者』ジュリオは今やアンネローゼの頼れる共犯者である。あの世界の全てを斜めから見ているような態度は魔王が復活していてもしていなくても変わらないのだといっそ愉快な気持ちになった。
ユズキと再会するまでにやれることはすべてやる。やってきたつもりだ。今度こそ万全に、ユズキが愛した『ルナクエ』の世界を作る。『ご都合主義ハッピーエンド』の優しい世界で彼女を待つ。
それが、アンネローゼが考えた魔王討伐の鍵だった。
「―――私に道を示してくれる、真なる聖女がついていますから」
変わらぬ優しさを向け続けてくれていた彼を見るたび、アンネローゼの胸には固い決意が宿った。レオンハルトががっくりと肩を落としたのをよそに、アンネローゼはこれから王のまえで何をどう説明しようかと思案を巡らせる。
ユズキはアンネローゼを信頼して『ルナクエ』に関わることなら何でも話してくれたけれど、それは彼女が平和な国からやってきた無防備な『ジョシコーセー』だったからで、その相手が彼女を助けると決めてその通りに立ち回った、周囲と競い合い聖女の座を射止めた公爵令嬢のアンネローゼだったからうまくいっていたに過ぎない。
彼女の爛漫さを、『ルナクエ』の世界への憧れを守るため、アンネローゼは『前』の世界でも出来得る限りの努力を続けていたのだから。
それはアンネローゼの自惚れではなく客観的な事実だろうというお墨付きだ。『預言』とは恐ろしいものだ、というのを、アンネローゼも自らがそれを操る立場になってようやく知った。
彼女が語る中には一国の主に知らせることは出来ない情報も山ほどあった。彼女の語る『ちょっとした設定』ですら王国や神殿を揺るがすようなものがいくつもあった。信用を得るために開示していく必要があるものも多いが、当然に、明らかにする順番やタイミングを考えなければならない話ばかりだ。『昔』から自分なりに色々と整理をしてきたつもりだが、果たしてすべてうまくいくだろうか。
―――いや。
うまくやるのだ。あんな悲劇はもう二度と引き起こさせない。異世界から来たユズキがあんなに懸命になっていたのに、この世界で生まれ育ったアンネローゼが手を抜くことなど許されない。
決意を新たに、アンネローゼはかつて彼女と過ごした神殿の奥深くへの道へと身を翻した。
剣だこの出来た固い手は、あの時震える少女の手を握ったものとは違う。この手はこれからどんな傷を、罪をも厭わず進むだろう。
「―――ユズキ」
偽りの聖女は、きっとあのときのようにそれまでただ祈るのだ。二年後、友に―――あの心やさしい少女に手を差し伸べるために。
「ユズキ。私は聖女アンネローゼ。第212代聖女アンネローゼ。あなたの『剣の勇者』。あなたの……、あなたの親友です」
祈るのだ。何も知らない平和な世界で目覚めてからずっとそうしてきたように。
奇蹟のひとつも起こしてはくれない、物言わぬ微笑むばかりの女神像にではなく。
「だから、ああ。早く―――……、私の手を取って。ユズキ……!」
アンネローゼを救ってくれた、アンネローゼが次こそ守らなければならない、たったひとりのために。




