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A級昇格編:餓狼の森と、那の津の黒船


「……陸と、海。これを同時に、だと?」

王宮の宰相執務室。謹慎期間を終えたばかりのシオジを待っていたのは、叔父である宰相が机の上に叩きつけた、二枚の緊急招集状であった。

那の津が海の国の実質的な支配下となり、大陸、沿海州、瑞穂の国を結ぶ交易が爆発的なハブとしての繁栄を見せ始めたのは良い。だが、急激に集まりだした巨万の富は、自然界の飢えた獣たちと、海に巣食う貪欲な人間の目を同時に引き寄せてしまったのだ。

一枚目の書状には、大規模な物流によって山の生態系が乱れ、凶暴化した「大ツノ狼」の群れが関所を襲撃したという【陸の獣害】。そして二枚目には、富を乗せた商船を狙い、大陸の武装密輸船――すなわち海賊が商船を拿捕したという【海の危機】。

ギルドに舞い込んだのは、本来ならば別々のA級パーティが命がけで挑むべき、同時並行の絶対不可能クエストだった。

「これらを一挙に解決せよ。さすれば、ギルドからも我が王宮からも、文句なしに『A級冒険者』の称号を与える」

厳しい眼差しで甥を見据える宰相。これは試練であると同時に、これ以上ない大人たちの「賭け」でもあった。手綱を締め直された若き英雄たちが、正真正銘の国家の盾として機能するかを測るための。

「なるほど。陸と海の同時調和ですね。お任せください、伯父上」

しかし、シオジは深くため息をつくと、哀れみすら混じった目で叔父を見つめ返した。

「相変わらず王宮の皆様は、物事の表面しか見ておられない。陸の狼が吠えるのも、海の賊が商船を襲うのも、本質は同じ。彼らの内なる均衡が崩れ、『欠乏』という負のエネルギーに突き動かされているに過ぎません。ならば、我が『万物不変の定理』をもって、その状態を正常へと化合させるまでです」

「……お前、那の津で謹慎していた間に、少しは反省という言葉を覚えたのではなかったのか?」

「大いに覚えましたとも。だからこそ、今回はより完璧に、かつスマートに解決してみせます」

不穏な自信を漲らせる次期賢者に、宰相は胃のあたりを抑えて呻くしかなかった。

だが、どれほどシオジが脳内で大言壮語を並べようとも、現実に動くのは彼一人ではない。魔法が廃れ、生身の人間としての知恵と力が試されるこの時代において、シオジの無茶な大号令を完璧な現実へと落とし込む仲間たちの存在こそが、このパーティの真の恐ろしさだった。

まず動いたのはサクラだ。

陸の関所に押し寄せる「大ツノ狼」の群れを無血で退けるため、シオジは『那の津の魚のハラワタと沿海州の強烈な香辛料を混ぜた特製・超音速お粥』を積んだ無人馬車を先行させた。だが、野生の獣がそんな怪しいものに易々と食いつくはずがない。

「まったく……! あの馬鹿の突飛な思いつきを形にするのが、なぜいつも私の役目なのよ!」

サクラは毒づきながらも、関所の防壁の上に立ち、聖職者としての知識――すなわち、教会に伝わる古代の『香学(調香術)』を実践していた。彼女がその白皙の指先で焚いたのは、獣の警戒心を解き、強烈な空腹感を刺激する特殊なハーブの燻煙スモークである。

サクラが風を読み、完璧なタイミングで放った煙は、押し寄せる何百匹もの大ツノ狼の鼻腔へと、シオジの作ったスパイスお粥の匂いを優しく、しかし抗えない誘惑として誘導した。

聖職者としての厳かな佇まいと、計算され尽くした薬草の香りに惑わされた狼たちは、次々と設置されたお粥を貪り食った。そのマズさとスパイスの刺激に悶絶しつつも、腹を満たした獣たちは戦意を喪失し、次々と大人しく山へ帰っていく。サクラの現実的な「科学と演出の技術」があって初めて、陸の獣害は「一匹も殺さない無血開城」を果たしたのだ。

* **海の危機:**

そして舞台は、海へと移る。

激しい波を蹴立てて現れた大陸の武装密輸船――通称『黒船』。

その甲板から、筋骨隆々の海賊船長が、分厚い青竜刀を大仰に振り回しながら下卑た笑い声を響かせる。

「ハハハ! 海の国のひよっこどもが、小遣いでも握りしめて這い出てきたか! 命が惜しければ、那の津の利権をすべてここに置いて失せな!」

一触即発の緊迫感の中、シオジが優雅に一歩前へ出た。風に髪をなびかせ、「お前たちがここで我が国の商船を襲えば、巡り巡って大陸側の流通が滞り、お前たちの故郷の家族がこの冬を越せなくなる」という、独自の『交易不変の定理』を延々とドヤ顔で語り出す。

「な、何をわけのわからん屁理屈を……! 俺たちは力で奪うだけだ!」

困惑しつつも気勢を上げようとする海賊たち。それを、一瞬で絶望へと叩き落としたのが勇者候補ジダンだった。

「力、か。それなら、あちらのジダンが一人で十分だよ」

シオジがパチンと指を鳴らす。

「おう、待ってました!」

ジダンがニカッと爽やかに笑い、その背に背負った身の丈ほどもある大剣を抜いた。

魔法の強化などない、純粋な筋肉と鍛錬が生み出した、人間離れした圧倒的な怪力。ジダンが護衛船の船首から思い切り跳躍し、海賊船のわずか数寸横の海面へ向かって大剣を垂直に振り下ろした。

ズガガガガァンッ!!

大剣の質量と、ジダンの腕力が生み出した凄まじい風圧が海面を文字通り真っ二つに叩き割り、天を突くような巨大な水柱を爆発させた。黒船は激しい波に木の葉のように揺れ、海賊たちは甲板に激しく叩きつけられる。もし今のが船体に直撃していれば、木造の黒船など一撃で圧壊していたのは火を見るより明らかだ。

「ひっ……! に、人間の力じゃねえ……! 船を一振りで……!?」

海賊たちの顔から一気に血の気が引く。

魔法が消え去った世界において、これほど原始的で圧倒的な「暴力の頂点」を見せつけられること以上の恐怖はない。そして、その化け物を顎で使いながら、相変わらず冷然と見下ろしてくる無限の自信を持った青年シオジ

(こ、この小僧……。ただの書き役じゃない。あの怪物を従え、いつでも大陸の物流を止められる、海の国の『若き最高権力者』か……!?)

恐怖の沈黙が甲板を支配する。ジダンの見せつけた「絶対的な力」の恐怖と、サクラが醸し出す聖職者としての威圧感、そしてシオジの迷いのない言葉のオーラに、海賊たちは完全に戦意を喪失していた。

「安心するといい。我が国の『正規・海上警備隊(給与・美味い飯付き)』として雇い入れてやってもいいが……どうする?」

シオジが、懐からそれっぽい国家の紋章が刻まれたスタンプをドヤ顔で提示する。

「降伏だ! 俺たちを、あなたの軍門に下らせてくだせえ!」

バタバタと甲板に跪き、涙ながらに臣下の礼を取る海賊たち。

「フッ、賢明な判断だ。これぞ化合の定理、悪徒が良民へと移行した瞬間だな」

ふんぞり返るシオジの横で、サクラは香草の調合による疲労を堪えながら、顔に手を当てて深く、深くため息をついた。

(またよ……。あの馬鹿、魔法なんて使わなくたって、ジダンの規格外の筋力と私の薬学を背景にして、言葉の刃だけで海賊を丸ごと自分の私設軍隊にしちゃったわ……)

ジダンだけが、大剣を器用に背中に戻しながら、「よくわかんねえけど、戦わずにみんなで仲間になれて、美味い飯が食えるなら最高だな!」と、いつも通り爽やかに笑っていた。

数日後、王都のギルドおよび王宮。

「陸の大ツノ狼の群れは、聖職者の調香術と謎のスパイス粥により無血撤退。海の武装密輸船にいたっては、勇者の圧倒的な怪力による威嚇と、シオジのハッタリ一つで丸ごと我が国の『私設警備隊』として帰順……だと……?」

報告書を読み上げたギルドマスターの手が、ガタガタと震えていた。

王宮の宰相もまた、文句のつけようがない大戦果(しかも自軍の損害はゼロ、むしろ海賊船という一級の軍備が増えている)を前にして、椅子から転げ落ちそうになっていた。

「あの若ぞうども……。ジダンの無尽蔵の武力とサクラの知恵、そしてそれを束ねて猛獣や海賊の精神を侵略するシオジ。魔法なきこの時代に、これほどの連携を見せるなど、国を持たせてはならん怪物の集団ではないか……!」

恐怖を交えた大絶賛。

大人たちの「じわじわと英雄に育てる10年計画」は、仲間たちの完璧な現実的サポートと、シオジの斜め上の大正解によって、爆速で進むこととなった。

こうして、ジダン、サクラ、配置された次期賢者シオジのパーティは、特例中の特例として、燦然と輝く**【A級冒険者】**の金バッジを授与される。

王都の民衆が「無血の英雄たち!」と彼らの卓越した役割分担に熱狂し、外征への世論がこれ以上ないほど沸騰する中、シオジだけは実家の厨房で、「フッ、すべては万物不変の定理の通り。俺がやらかさない限り、世界は平和さ」と、どこまでも爽やかに勘違いを深めていくのであった。


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