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最終話<番外編 母・静香> 愛し子よ、涙の川を下って行け

美也子の母、静香視点の話です。

 あれは、美也子が小学校四年生の時だった。

 急な休日出勤の決まった静香に向かって、ひどい癇癪(かんしゃく)を起こした。


 もともと休日出勤はかなり稀な職場だった。ゆえに、美也子が物心ついてから初めての土曜出勤。それでも、まさか今更こんなふうに我が儘を言われるとは思ってもみなかった。


「家にいて!」


 と地団駄を踏んで叫ぶ美也子に苛立ちを感じた。

 どうして今日に限って。


 もうそんなことをしていい年齢ではないのに。そろそろ分別のついていい年頃だろう。

 もう一人で買い物もできる。お米も炊けるし、包丁と火を使って簡単な料理だってできる。お風呂もトイレもきれいに掃除ができるのに。


 そんな子がどうして、今日に限って泣き叫ぶのだろうか。


 なだめすかせることを放棄し、無理に家を出た。車に乗り込んだあと隣県に住む母へ電話して、来てくれるように依頼する。

 『美也子もまだ子どもやからねぇ』と呑気な母にも苛立った。


 悶々としながらエンジンをかけ、少し走らせたところで――不意に涙があふれた。

 運転を不可能にするほどの嗚咽がこみ上げ、手近なコンビニに駐車してしばらく泣いてしまった。


 そう、あの子はまだ子どもなのだ。

 自分が四年生の時はどうだったというのか。母にべったりだっただろう。

 平日は誰もいない家に帰って、一人で留守番して。きっと、静香のいる土日だけを糧に生きているのだろう。その生き甲斐を奪われた子どもの当然の反応ではないか。


 午後にいつもより早く帰宅すると、美也子は祖母の背に隠れて仏頂面をしていた。

 さっさと家を出た静香に怒っているわけではないようだった。

 泣き喚いた己への羞恥と、静香への罪悪感にそうなっているのだ。


 土産にシュークリームを渡すと、大輪の花のような笑みを見せた。

 




 その美也子が今、自分の目の前に座っている。

 にこりともせず、ただ真剣な眼差しでこちらを見ている。


 自宅のダイニングテーブルに向かい合って腰掛け、母娘は視線を交錯させていた。

 当時泣き喚いていた九歳の子はもう十歳も年を取り、明日成人を迎える。

 それでも、四十半ばの静香からすれば、二十歳など小娘に過ぎない。まだ大学生で、養ってやっている身だ。


 その子が恐ろしいほど真摯な顔をして言うのだ。

 『将来を誓い合った子がいる』と。

 『この先、その子と生きていきたい』と。


 そしてその相手は、家族のように過ごしてきたエイミだと。

 

 何となく想像はついていた。

 わだかまりがないと言えば嘘になる。

 居候の分際で、家主の娘に手を出した。自称下僕の分際で、仕えるべき主人に手を出した。そんな暗い思考が胸に渦巻く。


 それでもエイミを追い出す気にはなれなかったのは、静香も彼女に深い感謝の気持ちがあったからだ。


 自分の代わりにずっと美也子の側にいた。彼女がやって来てから、美也子は間違いなく明るくなった、間違いなく大人になった。

 ひどく思いつめた顔をしていた時もある。それでもそれが終わった時、一皮むけた顔をしていた。

 静香は何もしていない。

 エイミが寄り添ってくれていたから、すべて乗り越えられたのだ。


「エイミちゃんは部屋にいるの?」


 尋ねると、美也子は少しだけ肩を震わせた。だが目を逸らさずに答える。


「うん、同席したがったけど、まずは私が話をするからって止めた」

「そう……」


 怒りや悲しみを感じないと言えば嘘になる。

 エイミはいい子だが、人間ではないし、この世界の住人ではないし、何より女だ。

 美也子の花嫁姿を見ることもできない、孫を抱くこともできない。

 何より、東京の義両親が落胆するだろう。亡夫・義孝(よしたか)は一人息子だった。都内にあるあの立派な家を継ぐ者は途絶える。


「呼んでらっしゃい」

「でも……」


 首を振る美也子にあえて鋭い目を向けた。

 そして拳を振り上げ、強くテーブルを殴打する。

 凄まじい音と共に天板が揺れ、調味料が倒れた。眉を吊り上げ、腹の底から声を出す。


「お前なんかに娘はやれん!!」

「ひっ」


 美也子が怯えて腰を浮かせる。

 恐怖で固まるその顔に、にっこりと微笑みかけてやった。


「なんてね、そんなこと絶対に言わないから、連れてらっしゃい」

「は、はい!」


 美也子は慌ててリビングから出て行った。


 冗談などではなかった。胸の深奥から湧き出る怒り、まごうことなき本音。それを噴出させただけ。

 だからもう大丈夫、ここからはずっと笑顔で話ができる。

 

 すぐにエイミはやって来た。美也子に手を引かれ、断罪を待つ罪人のような顔をしている。

 静香が無言で見つめると、美也子の手を振り解いてこちらへと駆け寄ってきた。


「この度は申し訳ございません!」


 静香の足元で、エイミはフローリングの上に膝と手をつき、こうべを垂れた。美也子が助け起こそうとするが、身をよじって抵抗する。


「わたくしのような者がお嬢様を……。何とお詫びすればよいのか――」

「やめなさい」


 静香は峻険な声を掛けた。

 美也子が戦々恐々と静香を見る。エイミはただ華奢な肩を震わせている。


「エイミちゃん」


 話しかけると、獣耳を伏せたまま少女は『はい』と返事をした。

 そのふわふわした頭に向かって語り掛ける。


「美也子と添い遂げる覚悟があるのなら、二度とそんな真似をしないで。私の娘の伴侶だという自覚を持ちなさい。あなたが他人の前に跪く時、同時に美也子の地位も貶めているのよ」


 あえて厳しい言葉を選んだ。

 獣耳の少女は弾かれたように顔を上げる。静香は立ち上がり、その細い肩に触れた。

 美也子は目を伏せ、口元を押さえていた。まったく、泣き虫なのは変わらない。


「かつてあなたは『下僕』だと言っていたけど、もう違うでしょう。私の娘が選んだ、私の家族」


 エイミの細い腕をつかんで立ち上がるように促す。少女は潤んだ瞳で静香を見てきた。

 柔らかく笑いかけ、言ってやる。


「エイミちゃん。改めて、これからよろしくね」

「……お母様」


 エイミは手で顔を覆う。美也子も緊張の糸が解けたように咽び泣いていた。


 こういう時に限って、食卓のティッシュは空だった。





 落ち着いたところで、改めてダイニングテーブルに三人で腰掛ける。

 コーヒーを用意しようとしたエイミをすかさず制し、美也子にやらせた。『これからは双方平等に』と。


 娘が入れたコーヒーを飲むのは久しぶりだった。いささか薄いが、まぁ許容範囲だ。


「エイミちゃんはともかく、私は美也子が心配だわ」


 明るい調子でそう言うと、眼前の二人は疑問符を浮かべながらこちらを見てきた。

 ふふ、と笑ってから娘へ言ってやる。


「だってあなたモテるんだもの」

「へっ」


 美也子は目をぱちくりさせた。

 やはり自覚がないのかと呆れたが、順繰りに説明してやるとしよう。


「ほら、この前遊びに来た愛奈ちゃん。明らかに真由香ちゃんとあんたを取り合ってたでしょ」


 すると美也子は頬を掻いた。


「いや……別に愛奈はただの友達で……」


 なるほど、愛奈という子からの友情を超えた好意には気付いていないらしい。一方で、真由香からの気持ちには自覚があるようだ。我が娘ながら分かりやすい。


「あと、去年の夏にスーパーで『ヘレナ・イシカワ』って外国人に声を掛けられたわよ。『ご令嬢には大変お世話になった』って。頬を染めながら」

「へっ、ヘラーさんが!? 何でお母さんの顔が分かったんだろ!?」


 美也子は椅子から転げ落ちんばかりに驚いているが、さらなる追い討ちを掛けてやる。


「それだけじゃない。あの悪魔の子……リューちゃんだって。『貴女の魂が輪廻の輪に還った後は、わたしが娘御の面倒を見るから安心召されよ』って」

「お母さんに向かって『貴女』なんて言ったの!?」


 とうとう美也子は立ち上がった。

 にやりと笑ってやると、脱力したように座り込む。


 ふとエイミを見れば、般若のような顔をしていた。なんだ、いつもニコニコしているこの子もこんな顔ができるのか、と可笑しくなってしまう。

 美也子も遅れてエイミの嫉妬に気付き、ひどく慌てふためいた。どうしたらいいのかまったく見当もついていない、間抜けな顔をしている。

 その様子に既視感を覚え、大笑してしまう。


「あははっ、あなたって本当にお父さんそっくり!」


 目尻に浮かぶ涙を拭う。


「あの人ったら、バレンタインなんて毎年チョコ大漁で! しかも結婚したあとなんて倍に増えたんだから!」


 当時のことを思い出すと、未だに血管が切れそうになる。

 夫とは職場恋愛で、女どもは静香の存在をよく知っているはずなのに。しかも夫も、断ることさえせずに『モテる男はつらいよ』と言わんばかりに持ち帰ってテーブルの上に広げた。

 静香が冷え切った目を向けるまで、己の行いの愚かさに気付きもしなかった。


 エイミも似たような憤怒と嫉妬を味わってきたことだろう。そしてこれからもずっとそれが続くのだ。何と哀れなこと。

 ここは同士として助言をしてやるべきだろう。


「だからエイミちゃんも気を付けなさいね。意中の人が他人の物になったからって、引き下がる女は少ないのよ。みんなますますヒートアップするんだから」


 するとエイミはおずおずと聞いてきた。


「あの……お母様はそういう時はどうなさったのですか……?」


 よくぞ聞いた、と言わんばかりに腕組みし、美也子の方にも視線を向けつつ答えてやる。


「チョコは全部没収して、メッセージカードはびりびりに破いて、ホワイトデーは私が選んだものを返させた。『妻が選びました』って言わせてね」

「ええ~……」


 それはやり過ぎでは、と引いている娘のことは無視をして、エイミに向かって拳を掲げる。


「寄ってくる虫は叩き潰すのみよ!」

「はい!」


 目を輝かせ満面の笑みで返事をするエイミとは対照的に、隣の美也子は『うへぇ』というような顔をしていた。

 それも、亡夫そっくりだった。


 鼻の奥がツンとしたが、ぐすりとすすってなかったことにする。

 きっと今夜は晩酌しながら泣くだろう。娘がまた一歩遠くへ行ってしまったのだから。


 いつも明るく朗らかだった夫の顔を思い出す。


 ――あなたが先に死んだから、あなたの分まで涙を流さなくてはならない。


 でもそれはきっと、嫌な涙ではない。

 二人の船出のため流す涙だ。流れた涙は川となり、船を大海原へと導くだろう。それが親の務めだ。


 大切な私の娘。

 今後の人生に幸多からんことを。





【JKだけど、前世は異世界の大魔導師(♂)だったらしい 完】

これにて最終話とさせて頂きます。

品評会の詳細な様子や、美也子が優勝したかどうかはあえてボカしております。


その他、語り残しがないといえば嘘になりますが、「物語をまとめる」ことを優先し、ここで幕を閉じることにしました。

ここまで読んで頂いた皆々様には、心の底より感謝致します。

初投稿作品でありながら、たくさんの感想やブックマークを頂けたことは、作者の今後の人生において大きな自信と励みになりました。

本当に素晴らしい経験をさせて頂くことができました。


恐縮ではございますが、下記フォームより感想、評価を頂きますととても励みになります。


「小説家になろう」ユーザーの皆様、本当にありがとうございます!!!

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