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28 朝日

 気持ちの良い水しぶきをあげて顔を出すと、眩しい朝日が目を突き刺した。

 まぶしさに目を細め、カイはおいしい朝の空気を胸に詰め込む。

「死ぬかと、思った………」

「馬鹿が、それはこっちの台詞だ!」

 突然のどなり声に、カイは目を丸くして振り返った。

「あれ、ヨウ。何でお前」

 そこにいるのは頭から水をかぶり、肩まで湖に浸かったヨウの姿だった。

 コートはたっぷり水を吸い込み、見るからに重たさそうな色になっていた。

「誰の仕業だと思ってる! いきなり氷を融かすから…」

「反応しきれなくて落ちたのか? お前ドジだな」

「お前、」

「あ、お前もか!」

 ヨウがカイに掴みかかろうとしたとき、獣がその間に割って入ってきた。

 ちゃぷちゃぷと音をたて、獣は犬かきをしている。

「ホント泳ぎ上手いよな」

 カイは頬に擦りよる獣の頭をわしゃわしゃと掻き撫でる。

 嬉しそうに笑うカイを見て、ヨウは掴みかかる気も逸れ、ほぉっと一つ息をついた。

 朝日が昇って行くにつれ、湖の水中は魔法が溶けていく行くように消えていった。


 *


 陸に上がり、カイもヨウも服を絞る。

 その隣で獣が大きく身震いするものだから、二人はまたびしょぬれになってしまった。

「私泳げたんだな」

「は? わけわかんねーよ」

 ヨウは早足で森の中を歩く。

 その後ろ、カイと獣は軽い駆け足で赤の背を付いていく。

「お前、道覚えたのか?」

 カイは前をずんずんと進むヨウに尋ねた。

「知るか。適当だ」

「旅人の勘って奴か? ずいぶんと頼もしいもんだな」

 カイはケラケラと笑う。

「皮肉のつもりか?」

「いやいや、違うって。ただ、…旅も面白そうだなと思って」

「ふん。付いてくるとか言ったら殴り飛ばすからな」

 「ケチだなお前」とつぶやいたカイの横を、小さな炎球えんきゅうがかすめていった。

「何か言ったか?」

「いや、なにも」

 水色は乾いた笑いを浮かべ、冷汗を一筋流して赤の後を追う。

 やがて町が見えてきた。

 木々の向こう。まだ人の姿はない。


「ちょっとまてよ、もう少しゆっくりでもいいだろ」

 街に出るなり駆けだすヨウの後、カイは普段なら何とも感じないはずの速さで疲れを感じた。

 ぜえぜえと息を切らすカイを見て、ヨウは一度足を止め、呆れたような苛立つような表情を浮かべる。

「おまえ、それでも男かよ」

「は?! え、ち、ちょっと待て、お前、今なんて」

 騒ぎ立てるカイを無視し、ヨウは家々の向こう側へと消えていった。

 カイは少々苛立つ瞳を赤の消えていった道へと向ける。

「なるほど、だからあいつ今まで………」

 その表情は明らかに怒という感情をともしていた。



 *



 家につくなり、カイはミネに抱きしめられた。

 ミネの後ろには椅子に深く腰掛けた町長の姿がある。

 カイは驚きに声を上げたが、町長は彼女に怒鳴ることもなければ労いの言葉をかけるわけでもなかった。

 だが、様子を見るに、彼は状況を全て把握しているらしい。

 カイは曖昧な気持ちで町長を見る。

 その視線に、町長は唯一言、「風呂に入ってこい」とだけ答えた。

 カイは言われたとおり、着替えを持って風呂へと向かう。


 ***


 カイが戻ってくるより先に家についていたヨウは、シャルゼ――お手伝いのおばさん――に町長の部屋へと行くように指示された。

 部屋には治療と着替えを済ませたミネと、椅子に座ったこの町の長の姿がある。ヨウは黙ってミネから一歩離れた場所に立ち、一言告げた。

「いわゆる『依頼』って奴は終わりましたよ」

「本当ですか」

 町長は身を乗り出すと、安心したように体を椅子に埋めた。

「依頼?」

 ヨウの言葉に、ミネはいぶかしげに眉をゆがめる。

 それを見下ろし、ヨウは何も知らないミネへと事の内容をぶっきらぼうに教えてやった。

「お前の父親、つまりこの町の長から頼まれてたんだよ。あの男をどうにか始末する様にってな。もちろん成功すればそれなりの報酬がもらえる。だから受け入れた」

「それは、つまり、」

 父の顔を茫然と見つめるミネへ、更にヨウは言葉を付け足す。

「だから、わざわざここの“お嬢様”が夜に抜け出さなくったって事は片付いていたってことだ」

 ヨウの言葉に、町長は苦虫でも噛んだような表情で我が娘を見た。

「父様、これって」

「私の読みが甘かったな。お前が無茶をする前に事が済むのではないかと思っていたが、」

「あぁ、あなたの娘はあなたが思っていた以上に気が短かったみたいですね」

「全くだ」

 町長は大きく息を吐く。

「まぁ、お前に大事がなくて良かったよ」

 「アレにもな」と付け足し、町長は疲れたように部屋から出ていった。

 ミネは茫然としていたかと思うと、突然立ち上がり「カイ!」と言って飛び出していった。

 ヨウもため息をつき、疲れたようにその部屋から出ていく。

(まぁ、予想していた通り、あの女がまっ先に餌になってくれたおかげで、あの男を引きずり出せたわけだが………)

 彼が戸を閉めるとともに、中にともされた蝋の火は“ふっ”と消えた。


 ***


 カイは風呂から出ると、さらしを撒かずに下着を身につけ服を着た。

 そして、一番にまず、彼女はヨウの部屋へと向かう。


「私は、オンナだ!」


「………、」

 ヨウは、突然部屋に現れるなり意味のわからないことを言いきるカイに茫然とした。

 何が何だか理解できず。だが、この間まで無かった水色の胸の丸みと、その手に握られた晒にようやく気付き、表情を変えた。苦虫を噛んだような顔、とでも言おうか。

 カイはその表情を見て更に怒る。

「なんだよその顔!」

「いや、お前がややこしいからいけないんだろ」

 ヨウは負けじと、自分に非の無い事を主張する。

「ややこしいって何だよ! しかも『私』って言ってる時点でおかしいだろ!」

「おかしくねぇよ! 旅してりゃ自分を『私』って言う男位いくらでもいる!」

「でも流石に何日間も顔合わしてれば気づくに決まって、」

 パンパンパン、と元気の良い打ち手が響いた。

 ヨウもカイも、視線をドアへと向ける。

 そこにはにこやかなミネがにこやかな目を持ってヨウを熱く見ていた。

「な、んだよ」

 ヨウはしどろもろにその視線に訪ねた。

 だがミネはニコっと微笑み、無言でカイの隣に座った。

 ヨウは不愉快だと言わんばかりに顔をしかめる。

「さて、あの後何があったか、ちゃんと話していただきますよ」

 ミネの楽しげな言葉とは裏腹に、ヨウは一瞬、確かに殺気のようなものを感じた。

(ヨウ、私を差し置いてカイと楽しくお喋りとはいい度胸ですね)

 ヨウの感じた殺気は気のせいではなかった。


 *


 話はまず、例の『鍵』のことから始まった。

「鍵は、俺の村に代々伝わる“呪いの力”の古書だ。お前達も知ってるだろ、あの昔話を」

 ミネはやんわりと頷き、カイも少々表情をこわばらせながら頷いた。

「俺達の一族は、昔話に出てくる英雄の血を引いてると言われている。そして、その英雄が化け物の毛皮を神に献上し、その代りに神から贈られたものとして、あの『鍵』が伝えられてきた」

「『鍵』………何の鍵何だ?」

 カイは尋ねる。

ちからの鍵だ」

 ヨウは、それはもうつまらなそうな声で答えた。

 その存在自体を「くだらない」とでも言うように、彼は後ろに手をつき、天井へと視線を向ける。

「何があったんだか、シンはそれを手に入れた。俺が5つの時だ。あいつは老長ろうちょうと村長を殺し、村を焼き払った。草一本残らないまでに」

 誰も口を挟まなかった。

 朝の風にカーテンが揺れる。

 おばさんの「朝食置いておきますよ」というドア越しの声が、やけにこの場に不似合いだった。

 ヨウは話を進める。

「力は確かに手に入ったらしい。けど、どうやったかは俺は知らない。あの本は古い文字で書かれていて、読むことができるのは老長と何人かの考古学者だけだった。…あいつは、本が好きだったし頭もよかったから、読めたとしてもおかしくはないんだろうけどな」

 だが、ヨウは昔、老長から鍵について話を聞いたことがあった。

 あの本は読むだけでは何の意味もなさないと。

 読むだけでは足りない、もっと、重要な何かがあるのだと言っていた。それは簡単には手に入らず、そして手に入れようとは思ってはいけないものなのだと。

「シンは、そのまま姿を消した。そして、どうやらその2年後、あいつはここに…と言うより、この町の隣の村に訪れたらしい。そこで俺はあいつの印を見つけ、伝言を聞いた。カイって奴がシンと鍵のありかを知っていると知ったのもその村でだ」

「村って、………もしかして、焼け焦げた民家があった村か?」

「あぁ」

「なるほど」

 カイは納得した。何故ヨウが自分を探していたのか。なぜシンを恨むのか。

 だが、その眼にはまだ溶け切れていない疑問もあった。


 確かに、カイがシンと出会ったのは7歳の頃だった。そして、どういう偶然か、彼女が家族と族を共に殺したのは、ヨウが村を失ったのと同じ5歳の時。

 家を失ってから、村長に預けられた。だが1年と少しして、村長の家を飛び出したカイは南の森に迷い、あの湖にたどり着く。そこであの獣と出会ったのだ。

 それから1年弱、森で生活をした期間もあった。シンに出会ったのはその期間の終わり頃だ。いや、シンに出会ったから、あの野生じみた生活に終わりを迎えたのだろう。

「私がシンと知り合ったのは南の森の近くだった」

 ただしくはあの家。

 今はもう黒くすす焼けた、あの炎によって弔われた、記憶の場所。

しばらく私は、シンと一緒に行動していた。暫くっていっても、本当に少しの間で1週間位だったんだけど、でも、」

 カイはヨウを見て不思議そうに言う。

「私は、シンが嫌な奴とは思えなかった。確かにあの人は強い力を持っていたけど、」

 それこそ、2年間も溶ける気配がなかった氷をあっという間に溶かしてしまうほどの。

「シンは力とか、そう言うのじゃなくて、…なんて言ったらいいかわからないけど。でも、強かったと思う」

 ヨウに怒られるのでは無いかと思ったが、余計な心配だった。

 ヨウも、ミネも、黙って水色の話に耳を貸してくれていた。

「でも、たまに辛そうな表情をしていた気がする。………私に、頼みごとをした時も」

 この話はミネにもしたことがなかった。当たり前だ。つい最近まで蓋をされていた記憶なのだから。

「シンは、私の頼みを聞いてくれた代わりに、私にシン自身の頼みを持ち出して来たんだ」

 ―――約束だ

 彼の悲しげな表情。

 それは、自分の身を思ってのことより、幼い子供へ辛い思いをさせてしまうであろう罪悪感と、謝罪の気持ちを飲み込んだもの。

「シンは、私の目の前で自分の体にに火を放った」

 燃え盛る炎の中、焼けていく彼の面ざしを思い出す。

 焼ける肌。焼ける髪。その中、いっそうひときわ赤く輝いていたのは、優しい赤の瞳だった。

 彼は最後、『ありがとう』と言っていた。

 そして、どうか自分のことを覚えていてくれとも。

 自分の犯した罪の償いを最後までやり通さずに逃げた、この弱い自分を、覚えていてくれと。

(なのに私は忘れてしまった)

「私がシンに頼まれたのは、とどめを刺すことだった。シンが炎に包まれた時、私は鍵を、持っていた短剣で刺した。その時本は消えなかったけど、でも、確かに本の中の何かが消える感じはわかったよ。きっと、それが封印ってことだったんだろ?」

 カイの視線での疑問に、ヨウはちらりと視線を返し「yes」であると答える。

 カイの手には、今もあの時の感覚が残っていた。本を貫いたというより、それはまるっきり、誰かの心臓を突き刺したかのような感触だった。

 そう、その心臓とはきっと、他ならぬシンの物。

 そして、実際には何も無かったはずなのに、突き刺した本から、血が吹き出るのが見えた。その匂いも、温かさも、現実にあるそのものとまったく違わない。

 泣きそうな少女の目の前で、シンは後ろにあった湖へと、その身を燃やしながら沈んでいった。その後を追って、あの本も、シンとともにあの湖で眠りを始めたのだ。

「私はヨウが来るまで、このことを忘れてた。シンと出会って世話になったことなんかは全部覚えてた。けど、その死に関する記憶は全部なかったことにしていたから、ヨウが来るまで、今でもシンはどこかで旅をしてるんだって、そう信じてた」

「そりゃ悪いことをしたな」

 まったく悪いとは思っていなさそうな言葉に、カイは苦笑して「全くだよ」と答える。

 ミネはその横で「ほう、」っと息をつく。

「これで話がつながったわけですね。それで、鍵はどうなったんですか?」

 この問いに、カイが単刀直入に答える。

「燃えた」

「あらまぁ」

 ミネは全く大事ではなさそうに口に手をあてた。彼女にとってはどうでもいい分類の話だ。当たり前な事なのだろうが反応がさばさばしすぎている。

「それはまたなぜ」

「さぁ。湖が凍ったんだ」

 ヨウの声があざけて答えた。

 ミネはまた尋ねる。

「湖と言うと、南の森の湖ですね?」

 カイの夜の散歩が、あの場所へとつながっていることをミネは気付いていた。そして、カイと共にいる獣も、ただの獣ではないと、ここ数年の間に悟っていた。

「うん。まぁ…なんかいろいろあって凍ったんだ」

 カイは渋い顔をして曖昧に答えた。それに対し、ミネは何とも思わないのか「そうですか。いろいろあったんですね」という言葉だけで納得した。そして肝心の先を話すよう促す。

「そこで、祠にあった鍵が赤く光って、湖の氷を溶かして、あの男も一緒に燃やしてくれた。って、感じで。だからもう鍵はないよ。ヨウ」

「ああ、」

 ヨウは立ち上がる。

「そうだな。そして、あの男も死んだことがわかった」

 “イシ”は“意思”であり“遺志”だったのだ。

 もう、旅にでた頃に抱いていた目的はなくなってしまった。

 ヨウは黙って戸を開く。

「世話になったな。ここに泊るのも、今日で最後にする」

「あら、ずいぶんと急な話ですね」

「別に。ただ、本当に急いでるなら今からでももう出立している」

 それはつまり、彼なりにゆっくりしている方なのだということなのだろう。

 カイとミネの視線の先で、ドアがキィっときしむ音をたて、その向こうで食器を蹴るカチャリという音が上がった。

 ドアの前で動きを止めるヨウの足元にシャルゼの置いていった朝食を見つけ、ミネはにこりとほほ笑む。

「それ、頂きましょうか」

 冷めてしまった朝食はそれでもおいしそうな匂いがした。


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