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26 湖

 息を切れさせることも忘れ、幾つもの家々を通り過ぎて行く。

(鍵、………あの本。シンが言ってた)

 『これは大切なものなんだ』と。

 カイは町の中を駆ける。

 家からここまで、状況が状況のせいか、いつもより森が遠く感じた。

 ミネは無事だろうか。ヨウは間に合ってくれただろうか。獣は………、彼も、無事であってほしい。

 カイは沢山の考えを一掃した。

 今は、眼の前にあることだけを追え。そう自分に言い聞かす。


 *


(………胸騒ぎ?)

 ヨウは自分の中に感じるおかしなざわめきに顔をしかめた。

「どうしてだ。あいつ………なんであっちへ…」

 男の消えた先。そこにはあの森があった。

「まさかこの町から出て行く気か?」

 そうしてくれるなら助かるのだが、と取りあえず後を追うヨウ。だが、どうしてもこのまま終わるとは思えなかった。

 だからこうして追っている。そして、どういうわけか、落ち着けないでいる。

 森を駆けるなか、ヨウは見覚えのある風景に目を見張った。

「あいつ、………あいつ! まさか!!」

 ここは、あの湖に向かう時に通った道だ。いや。道などと呼べる代物ではない。だが、ところどころに見覚えのあるヒント。横たわった大木や、石の根元に落ちてる拳ほどの白い石。小さく黄色い花の密集する苔むした木肌。

 全てが記憶の中とぴったり合致していた。

 このまま行っては、本当にあそこについてしまう。

(どうする気だ? そこに何かあるとでも言うのか?)

 ヨウは眉を寄せながら駆けた。

 男は尋常じゃない速さだった。獣があの男に飛びつき、そして弾かれる光景が再生と逆再生を繰り返しているかの様に繰り広げられている。木を踏み台にし、獣は何とも器用に攻撃を試みるが、自我を崩壊しつつある、真に狂った男を前には、あの程度の攻撃では効かないらしい。

(あいつ、あのまま走り続ければ死ぬぞ)

 心配しているわけではない。

 だが、誰の目から見ても明らかに、男の動きは人間の体の限界を超していた。

 ヨウはこうしてる中で力尽きてくれればいいのだが、と胸中思う。

 正直なところ、旅に慣れているからこそ、ヨウはああいった相手との対峙は避けたいと思っていた。ああいう状況に追い込まれたものほど、何をしだすかわからない。普通の人間なら、己の命大切さで隙ができたり、ひるんだりとしてくれる。だが、あの男のようになってしまうとそれがない。どんなに自分が不利な状況でも、しつこくしつこく食いついてくるのだ。腕をなくそうが、足をなくそうが。すべてをなくすまで、しつこくからみついてくる。はがそうにもはがせない。そんな気持ちの悪い念を放ちながら、ずるずると、ずるずると・・・。

(できるなら、あっさり死んでくれると嬉しい)

 木々の間をかける3つの影は、まっすぐと湖へと向かっていた。


 カイは湖の淵、透明で、だが底の見えない水面をそっと覗き込んでいた。

「どうするかな。私って泳げたっけ?」

 湖を前に、彼女は腕を組み考え込む。

 こんな時、あの獣が居てくれれば助かるのだが。

 うーん、と唸ろうとしたその時、彼女の背中をぞくりと冷たいものが撫でた。

 カイはぞっとした寒気に、眼を開き、身ぶるいをする。

(何だ?!)

 素早く振り返ると、後ろに構える木々達の奥、何か黒いものが近づいてきているのがわかった。それは目に映って見えるものではない。肌で感じ、五感が知らせる、危険という黒い影だ。

 やばい。

 彼女は直感からそう感じ、そっと足を後ろへと引いた。

 だが、そこには湖。

 地面から半分はみ出た踵を感じ、カイはそっと脚を前に戻す。そして、今からこちらに出てくるであろうモノを見つめて、じっとナイフを片手に待ち受けた。


 *


 ヨウは木々の中から、男の正面に湖が迫っているのを見た。

 木々の開けたあの空間から覗く、月明かりを水面が反射した光。それが、丸でトンネルの出口のように輝いていた。

 突然視界が明るくなることで、あの男は動きを鈍らせてくれるだろうか? とヨウは思案する。だが自ら出した答えはNOだ。たぶん、もうあの男に視覚は関係ない。あいつは、きっと本能や衝動といった物を原動力にして動いているのだ。

 ヨウは小さく舌を打った。

 面倒な事にならないでくれ。

 そう願うものの、彼はもう面倒事の真っただ中にいる。


 *


 湖はしんと静まっていた。

 その中で、木々のざわめきばかりが大きくなる。

 カイはまるで石にでもなってしまったかのように、ぴくりとも動かなかった。

 彼女の肌を見れば、鳥肌が立ち、冷汗もうっすらと浮かんでいる。

 カイの心臓はばくばくと鼓膜を叩く。

 嫌な臭いがした。

 寒気を感じた時から。

 それは、鉄くさく、それでいて生暖かな人間の匂いも混ざっていて。

 カイはじっと、瞬きを忘れるくらいにその先を見つめていた。。

 何が来るのかは予想できている。

 森に入ってくるときに感じた、嫌らしい視線。

(きっとあいつだ)

 ばくばくと、鼓膜をたたく鼓動。

(あいつ、………ミネは大丈夫かな。ヨウとあいつは、上手くやれたのかな)

 カイは、少女の姿を頭に思い浮かべながら、赤と灰色の身の安全も祈った。

 みんな無事でいてくれてるのなら、自分はそれで満足だ。

 あたりから木々のざわめきや生き物の気配が消える。

「見ツケたァァァァァ!!!!!!」

 木々から飛び出してきた影に、カイは目を見開き、驚きに一瞬動きを失った。


 *


「………何だアイツ」

 カイは茫然と出てきたモノを見つめる。

 カイの目の前に現れたのは、体中からつたをぶら下げた、見た事もない生き物だった。シルエットから元々人であったことは分かるが、その頭部はもはや半分が植物の根におおわれ歪んでいた。半分残った右目は、ギラギラと嫌らしい光を放ち今目の前にある獲物を睨み据えている。

「ミツ………ケ、タ」

 はあはあと荒い呼吸で、その人物はカイへと一歩踏みよる。

「伏せろ!!」

「ぅわあ!」

 怒鳴るような声に、反応し遅れるカイの頭上擦れ擦れを、高熱な炎の塊が通り過ぎた。

「ヨウか!?」

 カイは声を上げる。

「外したか」

 ゼエゼエと息を切らしながら森の中から現れたのはやはりヨウだった。

「お、お前! 当たったらどうする気だ?!」

「当たる奴が悪い」

「確かにそうだけど、相手の都合ってのがあるだろ!」

「知るか! 助けてやっただけありがたいと思え!」

 その言葉にカイはやっと目の前の敵の存在を思い出した。

 植物に身を固められた人物の左頭部は、黒く焦げてうっすらと煙をあげていた。炎に吹っ飛ばされた植物は、地面に落ちて灰となっている。

 どうやらカイの頭上を通り過ぎていった炎は、あいつに向かって放たれたものだったようだ。

(………確かに、後で礼くらいは言わないとな)

 カイはすっと身構える。

 ヨウは片手の平を男に向ける。

 カイとヨウ、そして木々から飛び出して来て、カイの横へと付いた獣。その二人と一匹に挟まれ、男はじっと姿勢を低くし動きを止める。

 それはまるで一匹の野獣だった。

 アレがあの狂った殺人鬼であることに、カイはもう気付いていた。そして、あの植物が、多分ミネの仕業であろうことも。

(そろそろ、か)

 ヨウは動きを止めた男の背中を睨む。

 そろそろなのだ。もう、あの男に残された時間は少ないはず。人間の体の限界も超し、植物の根に脳へ進入され、もう、そう長くは持たないはず。その証拠に、今赤い瞳の目の前では、蹲る様にして動きを失った男の姿がある。ヨウは、これが最後の一発になろうと思っていた。

 だが、それはあくまで、男の後ろに立つヨウから見える姿でしかなかった。


 カイは、男の正面に立ち、動けないでいた。

 ヨウと、カイと獣。その中心に男。

 その距離は、ヨウと男、カイと男、双方同じような距離でしかない。だが、カイには今、ヨウよりはるかに男との距離が短く感じていた。

「な、んだ………」

(なんだよ、コイツ)

 カイはぞくりと身を震わす。

 男の眼光。自分を射抜く、殺意と、念の込められた、鋭い光。

「バ、ケ、モノ………」

 ―――化け物

「やめ、ろ」

 男の視線は自分をからめ捕る。

「コロ、…ス………」

 ―――お前が殺した

「うる、さい」

 真黒な何かが、迫りくる。

「オ、デ………ガ、コロ、ス…」

 ―――ナンデ、俺達ヲ

 男の瞳の向こう、聞こえてきたのは顔もよく覚えていない男達の声。

 ―――ナンデ、私達ヲ

 そして、より一層耳に届くのは、かつて母であった女の声だった。

 ―――ナンデ、なんで、何で   ナ ン デ

「っ、………!!!!               ちが、う、んだ………」

 カイはナイフを持ったまま耳をふさぎ、目に涙を浮かべた。

「何が、チガウ?!!!」

 男はぐっとその身を地面に近づけたかと思うと、思いもよらない速さでカイへと跳躍した。

「なっ!!」

 ヨウは驚きとともに、目一杯の炎を放つ。

 男はカイの首へと手を伸ばした。

 ヨウの炎は、男の背へと距離を縮める。

「捉えタ」

 ぼぅっ、という熱風。背中に受けた衝撃。言葉に言い表せない熱さ。

 カイと男は湖へと倒れ込んだ。

 大きな水柱が上がり、男の背に受けた炎のせいか水蒸気も共に上がった。

「また、お前か、――――――シン!!!」

 炎に当たった瞬間、男はヨウへと殺意の目を向けてそう叫んだ。

 そのまま、当たりは騒然とした木々のざわめきと、夜の静寂に包まれる。


「『シン』、………なんであいつが」

 ヨウの鼓膜を、先ほどの男の言葉が震わす。

『また、またお前か!! あの時もだ。あの時も、俺を燃やした! 』

「『あの時』。あいつ、………そうか。シンと、」

 会ったことがある。

 だが、あまり重要な事ではない。ヨウは冷めた目で湖を見つめる。

(シンと会ったことのある人間、か。だが、あの様子だとただ遊ばれて運よく生きていただけと言ったとこだろうな)

 そう。重要な人物へ、シンという人物は直接に火を向けたりはしない。

 その証拠に、カイからは『シンに焼かれた』という言葉は一言も出てこなかったのだから。

 ヨウは湖へと歩み寄る。

 ざっざっざ、と草を踏む彼の前に、獣が尾をぴしゃりと振って立塞がった。

「何の真似だ」

 ヨウは静かに、鋭く、問い尋ねる。

 獣は何も言わず、ただ湖を背にして赤を近づけようとはしなかった。

「お前の飼い主が落ちたんだろ。こんなことをしてる場合じゃ」

 ピシッ、と空気にひびが入った。

 皮膚を刺激するような低温に、ヨウはぴたりと動きを止める。



 *



 ぶくぶくと、水泡が空に向かって消えていく。

 カイはきつく締めつけられる首元を抑えながら男の目と見た。

 もう、正常な自我を失ってしまった目。

 快楽と憎悪に捉われた化け物の目。

 あの時の自分の中に感じた、恐ろしい本能。

「こ、ろ…ス………」

 男の口から気泡があふれ出る。

 急激に締め付けられる首筋。

 朦朧もうろうとしてくる意識の中、声が聞こえてきた。


 ―――化け物

 ―――バケモノ

 ―――お前に言い逃れができようか

 ―――お前は殺した

 ―――それが事実

 ―――違うものなど何もない

 ―――お前はとっくに、ただの化け物


 聞こえるはずのない声に、カイはぐっと唇をかんだ。

(ちがう、そうじゃない)


 ―――違うものか


(違う)

 カイの手が、普段使わずに腰にかけていただけの古びた装飾を施された短剣へと伸ばされた。


 ―――お前は、血に快楽を求める、ただの化ケモ…


「違う!!!」

 カイの瞳はまっすぐに今の敵を捉えていた。

 短剣を抜き、片手で自分の首を絞めつける男の胸へとその刃を突き立てる。

 片手にナイフを握ったまま、もう片手で短剣を握り締め。

 男はそれだけでは手を離そうとはしなかった。死にかけたその手に、グッと力を入れたまま口の端を吊り上げる。

 カイは首に巻きつけられた男の手に添えていた片手を離し、ナイフをしっかりと握りなおした。

 ―――鎮めぇぇぇぇぇぇ!!!!

 ぶくぶくと白い気泡に包まれる中、右手に握った短剣が男の胸元で向きを変え刃を立てる。そして左手に握ったナイフが、右から左へと横一文字に男の胴体を切り裂いた。

 大量の血が水の中へと吐き出され、そこは真っ赤に、染マル世界。







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