11、屋敷の片隅で
………
目の前に壁。
見覚えがない。どこやったっけ、ここ?
壁板の隙間から光が入ってるから夜中ではなさそう。
ここがどこだったか、やっと思い出す。そうや、ここは屋敷の屋根裏部屋や。
体を起こして見回す。周りで寝てた子たちも、同時にノソノソと起き出す。みんな寝癖がひどい。
鐘の音が響いてる。この屋根裏のすぐ上にある鐘小屋?の鐘や。毎朝、めっちゃうるさい。もうちょっと優しく起こしてほしい。
のっそりと起きて、着替えもろくにせず、ちょっとだけ服と髪を調えたらハシゴを下りる。
お屋敷の朝は、戦場や。使用人は、朝ご飯より先に仕事が待ってる。他の部屋の人たちは起きて用事を始めてる。あの部屋の連中が起きるの遅いだけみたいや。
夜中に降ってた雨が上がって、霧が出て、視界をぼんやりとしたものにしてる。風がないから、けっこう霧がこもってる。真っ白や。
雨が上がったから、洗濯物を洗ったヤツを急ぎで干してこいと言われて中庭に出てきた。
でも、まだ空気が湿ってる。こんな状態やったら生乾きになるんちゃうか?まあ、俺が使うもんと違うから乾こが乾くまいが知らんけど。
クェトルは、俺とは待遇がぜんぜん違う世界におるので、広い屋敷の中、あんまり見かけない。どこでどうしているのやら。
この前に見た時は、主人の馬車に付いて出て行ってたなぁ。馬に乗って。だいたい、颯爽と馬に乗れるのが結構な能力よね。俺には無理やな。
身分制度ってのがあるけど、人って、こうやって何もないところから地位を確保していくもんなんやろねぇ。
俺まで鼻が高いというか、喜ばしいことなんやろけど、なんか言葉に出来ない疎外感が胸の中を支配して、もやもやする。
いつまでこの屋敷におるんかな。
自分で蒔いた種とは言え、早く家に帰りたいし、ある意味ひとつ屋根の下なのに離れ離れで一生を終えるのなんか嫌や。
帰りたい…。
干すヤツの入った洗濯カゴをかかえて、木や花がいっぱい生えてる中庭をぐるっと周る廊下の曲がり角を曲がったとこで、目ェに飛び込んできた光景を見て固まって動けなくなってもうた。
まだ濡れている石畳。
霧に曇った廊下の向こうに、ふたりの人影が見えた。
あの背中。あの立ち方。人影の一人はクェトル。霧の向こうでも見間違えない。
けど、一緒にいたのは、知らん女の子。
いや、知らんというか、屋敷で何度か見かけたメイド頭自慢の娘で、いつも笑顔で、気さくで。誰にでも好かれそうな可愛い子。
その子が、あいつの腕を掴んでた。そして、何かを言っていた。内容までは聞こえない。
一瞬、時が止まった気がした。
息が詰まったのか、心臓が跳ねたのか、わからない。
足が動かなくなった。
それでも視線だけは、逸らせなかった。
ひと気のない廊下の柱の陰でクェトルの胸に女の子が抱きついてる……その手を振りほどきもせず、ただ、受け止めて。
サーッと全身から血の気が引いて体が冷たくなっていくのを感じた。
どういうこと?と、頭がついていけない。
しかも、そのあと女の子は泣きながら走り去った。
驚きに止まってた感情が動き出す。
じわじわと何とも言えない苛立ちが込み上げるとゆうか、ムカムカ沸々と腹立たしくなってきた。
しれーっと現れてクェトルの側へ行き、「あら〜、邪魔してもうた?ふうん。ずいぶんとモテはるんやねぇ。おヨロシイこと」と言ってやった。
イチャイチャしてるの見られて動揺の一つでもするでしょ、ってこと。
まあ、ホントはそんなこと言いたくなかったのに、それはもうネチネチとした口調の嫌味。俺の本性出まくりで、ますます嫌われそう。
いや、何と思われてもエエ。俺は嫉妬深いし嫌な奴や。言わずにはおれんかった。
「あの子、ここで評判エエんよォ?お料理も上手やし、気ぃもきくし。お前にぴったりかもな」
軽口のつもりやった。笑っても見せた。
けど、喉の奥が少し震えてた。
それ以上、言うてしまう前に、視線を外す。
これ以上、顔を見られたくなかった。
「俺が何をしようと、お前には関係ない」
クェトルは襟元を整えながら、クールにさらっと返してきた。動揺するとか照れるどころか、まるで女に慣れている人みたいに。
もっとキレイな人やと思ってたのに…不潔!
「そんな人やとは思わんかった!」
睨みつけたものの、涙があふれてきた。俺が感情をぶつけようが何だろうが、案の定クェトルは表情一つ変えることなかった。
俺の勝手な思い込みで、清潔で孤高で、女性に疎くて、ひょっとしたら幼馴染の俺にだけ心を開いてくれるんやないかと思ってたのに、そんな誰でもすぐに心に入り込ませるなんて!
知らない別の顔を見てしまった気がして、心を引き裂かれる思いがした。
俺は居たたまれなくなって、そこから逃げてしまった。
確かに言うとおりや。俺が束縛する自体おかしい。俺は、あの人の何でもない。ただの元トモダチふぜいや。何の権限があって、そんなことを思えるのか。誰と何をしようが、関係ないハズや。
自分が、すごく厚かましい、おこがましいと思えてきた。
意地悪だけ言って、自分で後味悪くして、わざわざ嫌な女に成り下がっただけで。馬鹿や俺は。
その場を走り去ってから、しばらく誰も来ない廊下の隅で泣いていた。
気持ちを切り替えようとしても、涙が止まらんかった。仕事中にこんなことしてる場合じゃないのに、という気持ちと、そんなことより俺の気持ちのほうが大事やという気持ちのせめぎ合いになってた。
結局、だいぶ長い間サボってしもてた。戻ってもきっと怒られる。腹具合が悪かったとか、しんどくて倒れてたとか言うしかなさそうや。
顔も上着の袖口も、涙と鼻水でエライことになってしもうた。
家に帰りたい…。
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