3、心が向かう場所
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気がついたら、雨の中を裸足で歩いとった。
雨に煙って霧がかかったようになってる。いつも見えてる山も、今日は重苦しい灰色の霧に隠れて何も見えない。
俺ってかわいそうやなぁ。皇帝から解放されたかと思ったら、今度はティティスが狙っている。
普通の暮らしに放り込んどいて、今さら国の再建に借り出そうやなんてあんまりや。ただ平穏に暮らすだけっていうのが出来ないものやろか。
ジェンスを見てて思うけど、王家の暮らしは窮屈で自由がなくて、権利より義務ばっかりで、ロクなことがないっぽい。
トースさんらは、国を建て直すことだけが大事で、俺なんか、その道具や物みたいに思ってはるんやろ。別に俺を駆り出さんでも、自分たちで勝手に国を造ればエエのに…。
無意識に歩き続けていた。行くあてはない。けど、心が向かう場所は、あった。
せやけど、これから行く所は、もっと傷つきに行く所かも知れん。もっともっと傷ついて、どうしようもなくなったら、どうしようか。
いっそのこと、このまんま、降る雨に溺れて死んでしまいたい。
濡れた服は、今の気持ちと同じぐらい重たい。こんなに雨に打たれて、しかも裸足でトボトボ歩いとるところを通った人に見られたら、間違いなく変人や思われるやろな。あいにく、だぁれも通らない。
大通りの真ん中には海みたいな大きい水たまりができていた。石畳が削れた部分から車輪の跡が二本のびている。
わざと水たまりに足を踏み入れて歩く。冷たい。不透明な泥水は底が知れず、引きずり込まれそうや。
だんだん体が冷えてきたころ、あての場所にたどりついた。一番来たくて、一番来たくない場所。
ほとんど意識もせずにドアの取っ手に手を伸ばしてた。引き下ろすと、鍵もかかっておらず、スッと戸は開く。
「いらっしゃい。んん?もしかしてアル坊か?なんだ、こんな大雨の日に」
玄関を開けてすぐの所に居たじーちゃんが目を丸くして俺を見た。そらそやろな、傘もささんと、しかも裸足。
「なんだよ、久しぶりに来たかと思ゃ、捨て猫かと思ったじゃねぇか。どうしたんだ?」
やっぱり、来るべきとちゃうかったやろか。来てしまったんやから、もう後悔しても遅いんやろけど。
「とにかく、着替えろ。風邪ひいちまうぞ?」
じーちゃんは何も言わん俺の手を強引に引いて居間へつれていった。床には水たまりが出来てゆく。
「ちょいと待ってろよ」
そう言うてじーちゃんは部屋から出て行って、すぐに着替えを持ってきてくれた。
「最近、どうしてたんだよ。アイツと仲違いでもしてんのか?アイツが悪いのなら言いなよ。ワシがガツンと言ってやるからよ」
別にアイツが悪いんとちゃうけど……いや、俺が……いや、アイツが悪いんか?いや、やっぱり俺が悪いんかなぁ。
「黙ってちゃ分かんねぇだろ。言えよ、ワシで良けりゃ」
「うん……実は……ううん、やっぱエエわ」
「何だそりゃ。思わせぶりだな。それよりさ、早く着替えたらどうだ。風邪ひいちまうぞ」
じーちゃんはそう言うけど、そうやって見てたら着替えられません!
じーちゃんは、まだ俺のこと、聞いとらんのやろう。説明するのんも気が滅入るから、とりあえず黙っておく。
「なんだよ、もじもじするなよ。男らしくねぇな!分かった。向こう行ってるから、着替えてな」
「あの……アイツ、おる?」
「ん?アイツ?いるよ。今日は早く仕事が終わったから、帰ってきて寝てるんじゃないか。しっかし、変わった若者だよな、遊びにも行かないんだから。まったく、誰に似たんだか」
じーちゃんは、よその人のことみたいに言うて居間を出ていった。
重たく身体に張り付いた服を脱いで、乾いた服に手ぇを通す。晴れた日の匂いがした。
なんか知らんけど、急にアイツのことが腹立たしく思えてくる。
あのアホ、こんなに俺が嫌いなんやったら、なんで、なんで思わせぶりに、キスなんかを……気まぐれに、残酷にも、そんなことを。そんなヤツなんかいな。
せやけど、ひどい態度とられてもエエ。逢いたい。声を聞きたい。
そう思うと、身体は自然に階段のほうへ向かっていた。
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