43、祝杯
…………
あれから数日。心なしかオデツィアの街は華やいでいる。そんな気持ちで見てるから、そう見えるだけやろか。
色で喩えたら、灰色の絵にカラフルな色が塗られていく、みたいな。
反乱組織の人たちは祝杯を上げている。
直接的に、どうこう見えるわけと違うけど、皇帝を失った中央帝国オデツィアが、ゆっくりと崩れていってるのを感じる。
新しい時代が来る。
この国とか、他の国々がどうなるのかなんか分からんし、別に知りたくもない。
でも、帝国が無くなれば、この先、俺は追われなくても済むんかな…。
皇帝の声、一瞬見せた優しい眼差しを思い出して、胸が締めつけられた。俺は、まだ、心を奪われて捕えられたままなのかも知れない。
「トゥルーラ様、お久しゅうございます」
宴の席の端っこで窓の外を眺めながら、そーんなことを考えてると、ちょっとむさ苦しいおじさん、トースさんが俺に近づいてきて恭しく頭を下げる。
ティティスの宰相だったとか何だとか。…知らんけど。
四年前、うちに来て、俺に鳩の紋を彫るようにした人や。だから、俺としたら歓迎できない人や。
要は、キライ。
帝国が崩壊した今、ティティスの人の願いは一つやった。
「亡き王フェバリステ様のご遺志、ようやく私共の長年の念願が叶います。トゥルーラ様の許にティティスの国を再建しましょうぞ」
やっぱ、そうきた!
結局、どう転んでも俺に自由は無いみたいや。
「いや、あの、俺は…」
「今後のことは、またの機会にでも。こんな善き日は、ごゆっくりなさってください」
トースさんが俺の言葉を遮って、言いたいことだけを言った。深く頭を下げて、宴の輪に戻っていった。
横を見ると、ジェンスがクスクス笑ってこっちを見てた。
「な、何がおかしいのん?!」
「君も大変だねぇ」
人が困ってるのにニタニタしてて腹が立つなぁ!
…けど、よく考えたら、この人は、ずっと王子の役目に追われてる人やな。そう思ったら、何とも言えん気持ちになった。
賑やかな宴の中、部屋の向こうのほうの、隅っこにあるテーブルで、クェトルは頬杖をついて考え事をしてる。
遠目に観察してたものの、声を掛けようにも隙がなく、どうにも近寄りがたい雰囲気。
あれから数日が経つけど、一言もしゃべっとらんかった。
それどころか、目も合わしてくれず、あきらかに避けられてる。めっちゃアウトオブ眼中…きっと、これが未来の縮図なんや、と悲しくなる。一瞬でも喜んだ自分が馬鹿みたいに思えた。
いや!そんなことはない!きっと、少しでも好いてくれてて、目も合わしてくれへんのは照れ隠しなんやで。ふふっ、照れ屋さんやなぁ、つんつん。
…いや待てよ…なんか違うような気がする…ガチで嫌われてるような気が…。
「暗いね。新しい悩みかい?」
ジェンスがニヤニヤしながら言うた。
「ううん。そんなんちゃうけど」
「そうかい?だとイイけど」
なんとなく、からかわれてる。
と、クェトルは思い出したように目の前の杯をあおって、スッと立ち上がって出ていった。思わず俺も後を追った。
賑やかな声も遠ざかる薄暗い廊下を突き当たると、外へ出る戸がある。戸の感じからして裏口っぽい。
外は昼間やというのに夕方みたいに薄暗い。
裏路地に静かな雨が降り、ポタポタとひさしから水滴が落ち続けてる。
外に出て数メートル向こうの壁際に置いてある木箱にクェトルが座っている。目をつぶってじっとしてるけど、もしかして寝てる?…わけないよな。寒いし。
考え事?お兄さんのこと?俺のことなんか、微塵も考えてくれてないんやろうな。
声かけようか悩んだけど、そっと近づいて、勇気を出して声をかける。
「…何してんの…?」
一瞬、目を開けたけど、返事にならない生返事をして、また目を閉じた。何だお前かとでも言いたいような。
霧みたいな雨が混じった冷たい風が路地を吹き抜けた。小屋根の雨垂れがパラパラ落ちる。
「なぁ、そんなとこに居って、寒ないん?」
返事はない。聞こえてるハズやけど。
そうや。聞いてみたかったことを聞こうかな。
でも、聞きたくないかも。
いや、聞いてみたい!
聞いたら後悔するかも…。
いや!勇気を出して聞こう!
「…なぁ……あのな、この前、なんで……なんで、キスしてくれたん…?」
口にしただけで恥ずかしさマックス!たぶん耳まで赤くなってしもとるやろ。いやぁ、恥ずかしい!
自分の想いが伝わって、ちょっとでも好きって思ってくれたかなという期待を込めて聞いた。
「別に。わけは無い」
「え…わけもないのに、そんなことするん、お前」
冷たい、あまりにも冷たい。返事が思ってたんと違って、思わずちょっと非難する感じで俺は返してた。
クェトルは無言で立ち上がり、俺の横を素通りして建物に戻って行った。
「ちょっ…」
俺の言葉は虚しく霧雨に溶けていった。その背中にかけた声も届かず。
期待もトキメキも、すべて霧と消えた。
微塵も好きになんてなってくれるはずがない。現実を突きつけられて完全に夢は打ち砕かれた…。
なんでそんなに避けるかな。そんなに俺が嫌いなんか?
あーあ。もう、一生、歩み寄ってくれへんのかな。
こうなるのが分かってたから、女って知られたくなかったんや。もう友達以下なんかな。
親友やったのになぁ…。
少なくとも、俺は、そう思ってた。
『哀切の月』おわり
《第8話へ、つづく》




