41、別離
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……?
……?
どこ??
えーと、俺は処刑場に連れていかれて、それから、どうなったっけ……。
目の前には、滲んだ光。
目には、なぜか涙が溜まっている。
そっと手の甲で拭う。
ランプの明かりが見える。部屋は薄暗い。ってゆーか、明かりの届いていない所は真っ暗。夜かな。パッと見、窓が見当たらないから分かんない。
体を起こす。ソファーの上に寝ていた。体には毛布がかかっている。
ランプがのっているテーブル。
そのテーブルの向こうに、大きな人影が寝てるのが見えてドキッとする。
目をこらして見る。ソファーの肘掛けから長い両足をはみ出させて窮屈そうに横たわっている。
周りを見ても、他には誰もいない、と思う。
あんまり広くなくて、物がごちゃごちゃあって、圧迫感のある場所。戸棚とか木箱とかが、いっぱい積まれてて、どうやら物置部屋っぽい。
寝汗なのか急激に体が冷えてきた。
鼓動が速くなって、息をするのを忘れてたみたいに急に息苦しくなる。
両手の指先が、意思とは別に小刻みに震える。震えが気持ち悪くて、ギュッと自分の手ェと手を握りしめ、大きく息をする。
なんか、とてつもなく厭な夢を見てたような気がする。でも、いつも、起きると同時に厭な感情だけが胸に残ってて何も思い出せなくなる。何やったかな。なんかすごい悲しくて、焦ってソワソワした気持ちになる夢。
自分の服を見ると、右腹が血だらけになっていた。
ひぇっ、もしかして、俺、大怪我してるん?!
裾をまくり上げて確認するけど、水ぶくれがつぶれた火傷の傷があるだけで、そんなに血ぃが出てそうな大きい傷はなかった。
でも、所々、服が火傷の体液に貼り付いててパリパリに固まってる。下になっていた背中の方は、ガッツリとくっついてそうで、服を脱ぐの痛そう…。
そっと服を剥がしてみるけど、やっぱりかさぶたみたいなんが貼り付いてる。
体を動かした時、ミシッと木の軋む音が出た。その気配に気づいたクェトルが目を開けた。寝てる顔は少しだけ穏やかでも、いつも目が覚めると同時にスッと表情が尖る。
それから、クェトルは、ゆっくりと体を起こして座り直し、足を組んだ。
見ると、白っぽい服の右腕に血が滲んでいる。俺の視線に気づいたんか、何事もなかったかのように、上着を肩掛けに着て隠した。
目が合うと、すぐに視線を逸らされた。
俺はソファーの上に正座し直して、背筋を伸ばす。
もしかして、俺を助けてくれた時に傷を負ったんかな。感謝、なんて安っぽくて、なんか、どう言ってイイのか分からへん。
テーブルを挟んだ対面のソファーで、どっちもが黙って座っている状態。この沈黙、めちゃくちゃ気マズいんですけど。
俺は下向いて、毛布の端をギャザーに折り続けた。
それにも飽きると、ほころびている部分の糸をチマチマと引っ張り出す。このままやと毛布がほぐれて無くなってしまうかも。
じっとしたまんま。時間が流れてるのか流れてないんかも分からへん。ふと側の時計が視界に入る。けど、よく見たら止まってた。
こういう時って、なんか言ったほうがエエのかな。お礼とか言うほうがエエんかな。
「あ、あの……えと、あの、ありがとう……」
再び沈黙。あー、ちょっと今のは他人行儀すぎたかな。
チラチラとクェトルの顔を盗み見る。やっぱり男前やなぁ。でも、いったい、何を考えとるんやろか。ぜんぜん分からへん。いつも分からんかったけど、ますます分からへん。
口を引き結んで、目を閉じている。腕組みしたまんま動かず、ずっと黙ってるけど、もしかして、座って寝てるんか。あり得るし。
「エアリアル」
いきなり名前を呼ばれて、さらに背筋が伸びた。
てか、略さず呼ばれると、すごく心の距離を感じるんですけど。
「お前、女だったんだな」
そう、低い声で言うた。目線を合わしてもくれず。
「…そうや。…何か悪い?」
「どうして、俺まで騙してた」
スッと細めた厳しい目で俺を見据える。はっきり言って怖い。初見やと縮み上がるやつやで。
でも、その切れ長の鋭い目が、俺の心を掻き乱して、胸の奥を甘美に痺れさせる。俺は、この人をたまらなく好きなんやと思う。
せやけど、この朴念仁は、微塵も俺のことなんか気にもかけてくれない。そう考えると、腹立たしくて憎い。
そやなぁ、騙してたわけと違う。
うーん、そやけど、騙してたことになるんかな?
そら、何度も、打ち明けたい、打ち明けようか、とも思った。そのほうが楽になれるから。
でも、もし、本当のこと告げて、もう側にも置いてくれんようになるよりかは、偽ってでも近くにおりたかった。お前のことやから、絶対に遠ざけられる。きっと、二度と口もきいてくれん。
そうや。嫌われたくなかったから。嫌われるのが怖かったから本当のことを言えんかったんや。
「お前に知られるのが怖かったからや……」
「兄が帝国兵だからか。俺は、そんなに信用がなかったか」
俺には向けたことがないような冷めた目線で、そう言い放った。
いつも無愛想な人やと思ってたけど、今までは、まだまだ温かみがあったことを思い知らされる。
今まさに、限りなくアウトオブ眼中……どころか、俺が向けられているのは、道端のゴミ屑にくれてやる程度の蔑んだ目差し。
「ち、違うしッ!」
わ!俺のバカバカっ!違う意味に取られたし!どうしよう!どうしよう!
ゾワッと背筋に焦りが走って、手足の先まで充ちていく。
アカン。このままやと、この人は手の届かない所に行ってしまう。そんな気がする。
急いで言い訳を言おうと考えるけど、頭が真っ白になる。
目の前の人が、何か、ぜんぜん知らない人のようにも思えてくる。
無言で俺を見据えている。静かな怒りを感じた。
えーと、えーと、分かってもらうには、何て……。あー!もう!思いきって抱きついたらエエか?!なぁ!
と、半ば自棄気味に思ってたら、いきなりクェトルは立ち上がり、つかつかとテーブルを回り込んできた。
呆気に取られてると、思いきり胸ぐらを掴まれた。粗末な囚人服、縫い目が甘いんか、脇や肩の辺りで布がミリっと軋んだ。
殴られる!と、咄嗟に目をつぶり、歯を食い縛って身をすくめる。
お前って、ちょっと粗暴な所もあるのに、そういや俺、一度も殴られたことなかったな、と、なんでか冷静に思う。
胸ぐらを掴まれたまんま、もう片方の手で顎を掴まれる。そして、無理やり上を向かされた。きっと掴まれた顔は歪んでヒドことになってるやろう。
ふいに、唇にグッと強引な感触。
頭の中、真っ白。俺は何されてるの?
息苦しくて反射的に逃れようとするけど顎を掴まれてて動けない。
鼻から息が洩れ、「…ん…ふっ…」と変な声が出て恥ずかしい。
息がしたくて唇を開いたら、互いの前歯がガチッと擦れ合った。
あ……すごく怖い。
知らない感触。
痛い、怖い。
知らない。イヤだ。
すごい力で自由を奪われる。男は怖いし強引で嫌い。きっと、あの男と同じ。自分本位で、嫌なことをしてくる。
でも愛おしい人。
男に力で敵うわけがない。抵抗しても、俺なんか容易に組み敷いて、体でも命でも奪えるんや。結局は、支配される側でしかない。
なんで、今まで、対等に……どころか、むしろ勝てるやなんて思ってたんやろ。勝てる要素なんか一つもないのに。
俺は乱暴にソファーへ投げ捨てられた。
そのまんま目を閉じて、身を縮めて横たわっていた。
何をされるの?
服を脱がされたら、体を見られてしまう。
こんな傷だらけの体を見られるのはイヤや。
…
…
……?
目を開けると、クェトルは少し離れた所で俺を見下ろしながら、自分の上着を肩に掛け直していた。
すべてを悟って、なりゆきに身を任せようとしてたのに、わけも分からず解放された俺は、体を起こしながら自分の唇に指で触れる。
「いつまで、そんなみっともない格好をしている。着替えとけ」
そう言いながら布の何かを投げてよこされた。受け損ねたそれは、パサッと俺の頭と顔に引っ掛かる。
クェトルが階段を上って去っていく影が、その布の隙間から見えた。
え?え??
もう、まったく、何が何だか分からんかった。
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