38、忘れじの 前編
……………
黒い喪服のようなのを着た陰気な男が二人、俺が入れられてる牢みたいな部屋に入ってきた。
何も言わんと俺の両手を無遠慮に掴んで後ろ手に縛った。
そのうちの一人が腰の袋から大きいハサミを出した。俺の後ろに回って、俺の髪をまとめてグイッと掴む。静まり返った部屋の中にジョキジョキと、冷たい音だけが響いた。
ハサミを何回か動かして、それを切り落とした。長かった髪が短く切られて肩に拡がった。
この人らが来たっていうことは、『その時』が近づいて来てるんやな……。
眠ることなんか出来ない長い夜を越えて、夜明けを迎えて、それからどれぐらい経ったんやろか。時間が、こんなに長く、もどかしく感じられたことはなかった。
何でこんなことになったんやろか。こんなんやったら、何も分からん小さい頃、ティティスが滅んだ時に死んどったほうがマシやった。それやったら、苦しまんで良かったのに。
せやけど、あと少ししたら楽になれる。もう、何も悩んだり苦しんだりせんでエエんや。
体を傷つけられ、自由を奪われ、もうどうでもよくなった。こんなに傷だらけになって生きていくより、いっそのこと死んだほうがマシやとも思うのに、何か死にたくない理由があるような気がする。
心に穴が空いたような気分。何か大事なこと忘れてる。なんか分からへんけど、それが焦りというか、変に落ち着かない気持ちにさせた。
城の裏側らしい場所から、屋根もない粗末な荷馬車で出た。その前後左右に馬に乗った兵隊や、歩きの兵隊が付いてて物々しい。逃亡とか出来ないようになってるんやろな。
それもそうやし、ずっと喪服の男らに両側から肩を掴まれとった。そんなことせんでも、もう逃げる気もないのに。ただ思うのんは、痛いのや苦しいのはイヤや、ということだけ。
見上げると、高い空から雪が落ちてくる重い灰空。この空と繋がってる遠い祖国を想う。
もう二度と、ティティスにも、ヴァーバルにも、俺は帰られへんねんな。
刑場に向かう列が大通りを通る。道行く人に見られてる気がする。
この国の人々は、罪人をどんな目で見とるんやろか。見世物のように、殺されるところを見たい、死が見たい、と思ってるんやろか。
バナロスも、きっと今ごろ、ザマぁみろと嗤っているんやろう。それだけは悔しくて仕方がない。でも俺は、死んでも皇帝の言いなりにはなってやらんかった。逆にザマぁみろ、や。
高い建物が両側に並んで、まるで谷の底。
それを抜けたら視界が急に開ける広場に出た。広場の真ん中に人の身長ほどの舞台みたいなんがある。舞台から少し離れた所には人が集まっているのが見えた。
その舞台のすぐ下には、鷹みたいな大きい鳥を持った人が何人か見えた。
この前、処刑されてた人のように俺もなるんやなぁ、と、ぼんやり考える。
生きたまんま鳥につつかれるんか。あの鋭い嘴に爪。きっと腹を喰い破られて、内臓を引きずり出されて喰われるんや。何の拷問やねん。そんなん、ぜんぜん楽に死ねそうにないわ……。
見物人たちは、処刑の行列が近づくと、自然に道を空けた。そうして、舞台みたいな場所に着いた。そこで荷馬車から下ろされる。
石の階段をのぼる。ここを上がったらお終いやと思う自分と、早くすべてが終わって欲しいと願う自分がいる。
抵抗して騒いでも、潔く終わりに臨んでも終着点は同じ。死ぬのは一回きりや。それやったら、せめて名誉を守ったほうがエエ。ティティスの王女として、最期まで品位を保ちたい。
そう思って、意志を強く持ちながら一段一段、上がる。なのに、足が震える。震えを抑えようにも浮ついて力が入らへん。
悔しかった。
階段の先に大きい男が斧を持って立ってるのが見えた。たぶん、この人が首を刎ねる人なんやろう。鳥に喰われるのが先か、首を落とされるのが先か。できたら、先に首を刎ねてもらいたい。
上がりきると、後ろ手に縛られてたんをほどかれた。ベッドほどの広さの石の処刑台に乗って寝転ぶように言われる。
処刑台には血ィみたいなシミがある。そこに乗るのは気持ち悪いとも思ったけど、どうせ死ぬのに、そんなこと考えてどうするんやろかと心の中で苦笑いする。甘いな。ここまで来て、まだ助かりたいとでも思ってる?
寝転ぶと服の薄い布を通して石の冷たさが背中に染み込んでくる。手足を四本の縄で、それぞれ固定された。
頬に雪が落ちてくる。
誰かが罪名か何かを読み上げてるけど、内容までは、ちっとも自分の耳まで聞こえて来んかった。
ざわざわとざわめきが聞こえてたのに、誰もおらへんのかと思うぐらい、すごく静まり返る。
固く目をつぶる。もう開けたいとは思わへん。そして、もう開けることもないやろう。
死んだら、母さま父さまに逢えるかな。
……と、再び騒がしくなった。
思わず目を開けて、ざわめきのほうを見た。
――――オデツィアの烏――――
と、なぜか、その名が初めに思い出された。
耳を塞がれたんかと思うぐらい聴覚が圧迫されて、音が遠くなった。
空から舞い降りたのか、音もなく突然現れたその人は、まるで烏を擬人化したみたいやった。
艶のある黒い片マントに黒い大きな帽子。
顔の上半分を隠す仮面。得体の知れない風貌。
怖さしかなかった。
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