33、決別
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どこをどう通って帰り着いたか覚えていない。無意識の内にボンの劇場へ戻ってきていたようだ。
どれくらい時間が経ったのかも分からない。いつの間にか薄暗くなっていた。
「どうだった?うまくいったか?」
部屋に入るや否や、ボンが詰め寄ってきた。
頭の中が雑然としていて、俺は今、返事をしたかどうかも忘れた。
「それから、エアリアルには会えたのか?」
ボンが顔を覗き込んできた。目が合う。
「もしかして、両方ダメだったのか?」
ボンは次々と自分が聞きたいことを無遠慮に投げかけてきた。口調や声質をうるさいと感じた。
質問を無視し、部屋の奧にある大きなソファへ座る。
ここへ戻ってきた安心感からか、それともボンに質問攻めにされるからなのか、急に疲れが襲いかかってきた。
何となく誰とも口を利きたくない。
「おーい、どうなんだヨ!黙ってちゃあ分かんないだろ!聞こえてんのかヨ!」
無視をされて怒ったボンが詰め寄ってきた。
それでも俺は黙っていた。何だか、何もかもが面倒くさく思えてきた。
「どうしたんだい?何かあったのかい?」
部屋の隅で燭台をかざしながら本棚を物色しているジェンスがのんびりとした声で言った。どこか他人事のようで、緊張感もない間延びした声をいつもは腹立たしく感じるが、今は聞くと妙に落ち着く。
正直なところ、自分でもよく分からなかった。肩の荷が下りたというか、ほっとしたような…と、同時に得体の知れない胸騒ぎのような感覚も伴っている。虚脱感はひどいのに、どこか居ても立ってもいられないような気がする。
「進展はあったのか?」
「断られた」
「えーっ、何でだヨ!」
「オデツィアの烏は兄貴だった」
「ええっ?意味が分からないヨ!どういう意味なん…」
ボンが言葉を飲み込んだ。
俺が説明したくないのを珍しく悟ったのか、そのまま何か言いたげな顔つきで黙り込んだ。
長い沈黙があった。
「なァ、一つだけ聞かせてくれヨ。エアリアルは見たのか?」
ボンが沈黙を破って口を開いた。
アルを見たには見たが、何と言えばイイのか。
俺は目を閉じ、言葉を選ぶ。
「探さなくても良かったのかも知れない」
「??いったい、どういう意味なんだヨ!?説明しなよ」
俺の言葉に、ボンは食いついてきた。
「いや、このままのほうが幸せだろう」
俺の率直な考えだ。その意味が伝わったのかどうかは分からないが、傍らのボンの気配が動きを止めた。
「君は、本当に地位や物の豊かさだけで、人は幸せになれると思っているのかい?」
ジェンスの声がした。
言われずとも、そんなことは分かっていた。
「また皇帝から逃れて、いつまでも隠れ続けるのか。どうしたって状況が変わるわけじゃあないだろ」
「そりゃあ、そうだけどもサ……でも、何でまたそんなことを……」
「これで良かったんだ。元の鞘に納まっただけだ」
十数年前にティティスの王が皇帝の要求をのんで潔く王女を差し出していれば、こんな回りくどいことにならなかったんだろう。
そして、自分がアルと出会う必要もなかっただろう。
「キミらしくないゾ。ホントにそう思ってるのかよ…大丈夫なのか」
ボンが顔をしかめて聞いてくる。俺は特に何も答えずにいた。そして、そのまま目を閉じる。
「分かったヨ。キミが一番エアリアルのことを分かってんだから、オレはキミに従うサ」
ボンの気配が遠ざかった。
急に静かになった。
これで良かったのだろう。アルは偽りを捨てて、元の姿に戻っただけだ。祝すべきではないのか?
「ところで、いつ帝国を発つんだヨ?」
遠くでボンの声がした。
もう帝国に用はない。
「明日だ」
「そっか。せっかくだから、ゆっくりしていけばイイのにサ…」
ボンは残念そうに言い、しばらくジェンスと話していたかと思うと、戸の開閉の音がし、誰の気配も部屋から消えた。
側のテーブルにある燭台の灯を消す。
ソファに寝転び、何気なく窓を見上げる。満ちた月が見下ろしていた。白く寒々とした月の光。人一人の運命をどうしてやることもできない、不甲斐ない自分を嘲笑われているかのようだ。
月は満ち、やがては欠けて薄れてゆく。アルが遠い昔の記憶の彼方へ霞んでゆく日も来るのだろう。
かつては友だった奴も、手の届かない遠い所で同じ月を見るのだろう。何を想い、見るのだろうか。




